第65話 ついに完成
辺境の街。
レオンハルトのもとへ、一通の書簡が届いた。
差出人は、ヴァレンシュタイン侯爵家。
封を開け、内容に目を通す。
「……王家からか」
レオンハルトの表情が険しくなる。
王家から侯爵家へ届いた書簡。
そこには、レオンハルトの妻――レイ・ヴァレンシュタインについて確認したいことがある、と記されていた。
それ以上のことは書かれていない。
「レオン?」
声に振り向く。
玲が立っていた。
「どうしたの?」
レオンハルトは一瞬だけ迷った。
だが、玲に隠すつもりはなかった。
「侯爵家から書簡が届いた」
「お義父さんたちから?」
「ああ」
レオンハルトは書簡を玲へ渡した。
玲は受け取り、静かに目を通す。
そして、小さく息を吐いた。
「……王家か」
王城。
毒。
そして、逃げた夜。
思い出したくない記憶が、一瞬だけ胸をよぎる。
けれど――。
今は違う。
隣にはレオンハルトがいる。
アビーも雷電もいる。
そして、自分を娘として迎えてくれた侯爵家もある。
「私……王都には戻りたくない」
玲がぽつりと言う。
「戻らなくていい」
レオンハルトは即答した。
「王家が何を考えているのかは分からない。だが、理由も分からないまま玲を王都へ行かせるつもりはない」
「うん」
玲は頷いた。
「じゃあ、今は侯爵家に任せよう」
「ああ」
レオンハルトは玲の手を握った。
「何かあれば、俺がいる」
「……ありがとう、レオン」
玲が微笑む。
その笑顔を見て、レオンハルトも微笑んだ。
「ところで玲」
「ん?」
「さっきから机の上に並んでいるものは何だ?」
「ああ、これ?」
玲の表情が一瞬で明るくなる。
「シャンプーの試作品!」
「……まだ続けていたのか」
「もちろん」
玲は胸を張った。
王家から書簡が届いた。
結婚式もあった。
辺境の仕事もある。
それでも――。
玲の研究は止まっていなかった。
図書室で見つけた泡花。
月雫草。
白露花。
それぞれの性質を調べ、実際に採取してからも、玲は何度も配合を繰り返していた。
泡立ちが良くても、洗浄力が強すぎる。
洗浄力を調整すれば、今度は泡立ちが悪くなる。
香りも強すぎてはいけない。
洗い上がりも、きしまず、重すぎず。
少しずつ配合を変えては試す。
失敗しても、また試す。
玲にとっては、それも楽しい時間だった。
「あと少しだったの」
玲は小瓶を並べながら説明する。
「何度も試して、ようやく全部が納得できるところまで来たんだよね」
そして最後の試作品を手に取った。
「これを試してみる」
玲はシャンプーを使い、髪を洗った。
しっかりと泡立つ。
洗い流す。
タオルで水分を拭き取り、髪に触れる。
「…………」
玲は何度も髪を指で梳いた。
さらり。
指が引っかからない。
きしみもない。
香りも強すぎない。
玲は、もう一度髪に触れた。
そして――。
「……できた」
小さな声だった。
「玲?」
「できたよ、レオン」
振り返った玲の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「シャンプー、完成!」
レオンハルトも嬉しそうに笑う。
「よかったな」
「うん!」
その声を聞いて、アビーが駆け寄ってくる。
『玲、できたの?』
「できた!」
『やったー!』
雷電も、
「ワン!」
『雷電も喜んでるよ!』
「ありがとう、雷電」
玲が雷電の頭を撫でる。
その瞬間。
ふわっ。
玲の手に、毛が一本ついた。
「…………」
もう一度、撫でる。
ふわっ。
さらに一本。
玲はゆっくり床を見る。
そこには――。
毛。
ソファにも毛。
廊下にも毛。
「……雷電」
「ワン?」
「換毛期、来たね」
アビーが床を見回す。
『玲、毛がいっぱい!』
「うん……」
玲は抜け毛を一つ拾った。
そして、完成したばかりのシャンプーを見る。
「…………」
レオンハルトが嫌な予感を覚えた。
「玲?」
玲の目が、再び研究者の目になる。
「犬用に配合を変えたら……」
「……」
「雷電にも使えるかな?」
「ワン……」
雷電が、わずかに目を逸らした。
アビーが嬉しそうに尻尾を振る。
『雷電、きれいになるね!』
玲はすでに新しい紙を取り出していた。
「よし。次は犬用シャンプー!」
レオンハルトは苦笑する。
「……玲の研究は、終わらないな」
『うん! 玲の研究は終わらないよ!』
「ワン……」
雷電だけが、何とも言えない顔をしていた。




