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愛犬たちと異世界辺境スローライフ~王家から逃げたアラサー女子、スマホ通販で快適生活~  作者: 紅しょうが


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第63話 前編 その頃、王都では――

 辺境には、穏やかな時間が流れていた。


「レオン、これ見て」


 研究室の机に並べられた試作品を前に、玲が嬉しそうに笑う。


「シャンプー、かなりいいところまで来たと思うの」


「そうか」


 レオンハルト――いや、今では玲が自然に「レオン」と呼ぶようになった夫が、試作品を覗き込む。


「完成が楽しみだな」


「うん!」


 玲は嬉しそうに頷いた。


 結婚してから、まだそれほど日は経っていない。


 それでも、隣にレオンがいることが、少しずつ当たり前になってきていた。


 足元では、アビーが玲を見上げている。


『玲、それ何?』


「シャンプーの試作品だよ」


『私も使える?』


「アビーは犬用じゃないと駄目でしょ」


『えー』


「ふふっ」


 その隣で、雷電が、


「ワン!」


 と大きな声で吠えた。


『雷電も気になるって』


「雷電まで?」


「ワン!」


 雷電は胸を張る。


「もう……」


 玲は二匹を見て笑った。


 こんな何気ない毎日が幸せだった。


 王城から逃げたあの日。


 自分がこの世界で、こんな穏やかな日々を過ごせるようになるなんて、あの時の玲には想像もできなかった。


 レオンと出会い。


 二人で辺境を目指し。


 魔物に襲われ、王家の騎士たちに追われながら、それでも一緒に進んだ。


 異世界通販にも。


 スマートフォンの力にも。


 何度も助けられた。


 そして今は――。


 大切な人と夫婦になった。


「レオン」


「ん?」


「私、今すごく幸せ」


 玲が笑う。


 レオンハルトは一瞬だけ目を細めると、優しく微笑んだ。


「ああ。俺もだ」


『ラブラブだね!!』


「……?」


 突然のアビーの言葉に、レオンが首を傾げる。


「ラブ?」


『うん! 玲とレオン、ラブラブ!』


「……」


 レオンが玲を見る。


「玲……ラブラブとは?」


「えっ……」


 玲の顔が一気に赤くなる。


「えっと……その……」


『仲良しってことだよ!』


「……そういう意味か」


 レオンが納得したように頷く。


「それなら、そうだな」


「……っ」


 玲の顔がさらに赤くなる。


『やっぱりラブラブだね!』


「アビー!」


「ワン!」


 雷電まで大きく吠えた。


『雷電もそうだって!』


「もう……二人とも!」


 玲の声が研究室に響き、レオンは楽しそうに笑った。


 そんな何気ない毎日が、玲には何より幸せだった。


 ――その頃。


 王都では。


     ◇◇◇


 王都冒険者ギルド。


「……またか」


 ギルド長セブライトは、机の上に置かれた報告書を眺めていた。


「はい」


 職員が頷く。


「街道近くでの魔物の目撃情報です」


「以前より増えているな」


「はい。それだけではありません」


 職員は別の書類を差し出した。


「農村部から、不作の報告も増えています」


「天候の影響か?」


「その可能性もありますが、各地で状況が違いすぎます」


 セブライトは眉をひそめた。


 ある地域では雨が続き。


 別の地域では雨が降らない。


 魔物の出現場所にも変化がある。


 偶然にしては、重なりすぎていた。


「……何かがおかしい」


 セブライトは窓の外へ目を向けた。


 王都はいつもと変わらない。


 人々が行き交い、商人たちが声を上げている。


 それでも――。


 ギルドには、少しずつ不安の声が届き始めていた。


     ◇◇◇


 一方、王城。


「聖女様。本日はここまでにいたしましょう」


「はい……」


 愛莉は小さく頷いた。


 召喚されてから、時間は過ぎている。


 けれど、聖女としての力は思うように現れなかった。


 治癒魔法も。


 浄化も。


 その他の聖女教育も。


 目立った成果は出ていない。


「焦る必要はありません」


 教師が優しく声をかける。


「聖女様の力は、まだ目覚めていないだけです」


「……はい」


 愛莉は笑おうとした。


 けれど、胸の奥には不安が残る。


(私……本当に聖女なのかな)


 そんな疑問が、最近少しずつ大きくなっていた。


 それでも――。


「愛莉」


 王太子が部屋へ入ってくる。


「殿下」


「今日も頑張ったのだろう?」


「はい。でも……なかなか上手くいかなくて」


「気にする必要はない」


 王太子は穏やかに笑った。


「君が聖女であることに変わりはない」


「……」


「無理をしなくていい。力が目覚めるまで、私が支える」


「ありがとうございます……」


 愛莉は小さく頭を下げた。


 王太子は、愛莉が少しでも不安そうな顔をすると放っておけない。


 自分が守らなければ。


 そんな気持ちが強かった。


 だからこそ、愛莉の聖女としての力が未だに発現しなくても、疑うことをしなかった。


 むしろ周囲に、


「聖女様を急かすな」


 と釘を刺すほどだった。


     ◇◇◇


 その日の夜。


 愛莉は一人、窓の外を眺めていた。


 ふと、召喚された日のことを思い出す。


 自分と同じように召喚された女性。


 一ノ瀬玲。


 けれど、召喚された直後から二人は別々の部屋へ案内された。


 愛莉には豪華な客室。


 玲には使用人用の部屋。


 そして――。


 その日のうちに、玲は王城から姿を消した。


 なぜ逃げたのか。


 愛莉は知らない。


 ただ、同じ召喚に巻き込まれた女性として、時々思い出すことがあった。


(玲さん……今、どうしてるのかな)


 愛莉は小さく呟いた。


 その答えが、まさか自分のすぐ近くではなく――遠く離れた辺境にあるとは知らなかった。


     ◇◇◇


 数日後。


 王都冒険者ギルドに、一人の冒険者が戻ってきた。


「セブライトさん!」


「どうした?」


「辺境の方へ行ってきたんですけど、面白い話を聞きました」


「面白い話?」


「ええ」


 冒険者は楽しそうに話し始める。


「辺境に、すごい化粧品を作ってる女性がいるらしいんですよ」


「化粧品?」


「パール化粧品っていう店です」


 セブライトは書類に目を落としたまま聞いていた。


「それから?」


「喋る犬がいるそうです」


「……喋る犬?」


「はい」


 セブライトが顔を上げた。


「犬が喋るのか?」


「そうなんです。それも二匹連れているらしくて」


「……二匹」


 その言葉に、セブライトの手が止まった。


「その女性の名前は?」


「確か……レイ、と」


「姓は?」


「ヴァレンシュタインだったと思います」


「ヴァレンシュタイン……」


 セブライトは考え込む。


「他には?」


「辺境騎士団長の奥さんだそうです」


「騎士団長?」


「レオンハルト・ヴァレンシュタイン伯爵」


「……!」


 その瞬間。


 セブライトの脳裏に、遠い日の記憶が蘇った。


 王都の冒険者ギルド。


 一人の女性。


 二匹の犬。


 そして――。


 冒険者登録をした名前。


「……まさか」


 セブライトは立ち上がった。


「少し待っていろ」


 ギルド長室へ戻ると、古い記録を探し始める。


 書類を一枚。


 また一枚。


 そして――。


「……あった」


 そこには、はっきりと記されていた。


一ノ瀬玲


 年齢、二十九歳。


 冒険者ランク――。


Fランク。


 セブライトは、しばらくその名前を見つめた。


 召喚された直後にギルドへやって来た女性。


 二匹の犬を連れていた。


 そして、ほどなくして王都から姿を消した。


「……まさか、あの――」


 セブライトの目が細くなる。


「あのFランクの一ノ瀬玲なのか?」


     ◇◇◇


 その頃。


 王城でも、辺境についての報告が上がっていた。


「陛下」


「どうした?」


「辺境について、気になる情報がございます」


「辺境?」


「はい」


 王の前に報告書が差し出される。


「パール化粧品という商品が、辺境で非常に評判になっているとのことです」


「化粧品か」


「それだけではありません」


 報告役が続ける。


「辺境周辺では、魔物による被害が減っているという話もございます」


「……」


「さらに、二匹の犬を連れた女性についての噂も」


 王の眉が動いた。


「二匹の犬?」


「はい」


 その言葉を聞いた瞬間。


 王の脳裏に、召喚された日の光景が浮かんだ。


 二人の女性。


 二匹の犬。


「……一ノ瀬玲」


 王が呟く。


 室内に沈黙が落ちた。


「まさか……」


 だが、まだ確証はない。


 王は知らない。


 その女性が今――。


レイ・ヴァレンシュタイン。


 ペイトマン伯爵家の爵位を継いだ、レオンハルト・ヴァレンシュタイン伯爵の妻となっていることを。


 そしてレオンハルトの実家であるヴァレンシュタイン侯爵家には――。


 現国王の伯母。


 かつて王家から嫁いだ、先代王女がいることを。


     ◇◇◇


 さらに、その報告を聞いていた男がいた。


 宰相。


「……一ノ瀬玲」


 その名前を聞いた瞬間。


 ほんの一瞬だけ、宰相の表情が固まった。


(……生きている?)


 あの日。


 玲の食事に毒を盛った。


 王城から逃げたと知った時も、宰相は表向き何も知らない顔をしていた。


 そして王には、


「これ以上の捜索は必要ないでしょう」


 そう進言した。


 逃亡したのなら、もう見つからない。


 そう思わせた。


 いや――。


 できることなら。


(……死んでいてくれれば、それが一番だった)


 玲が生きている。


 その事実だけで、宰相の胸の奥に冷たいものが広がっていく。


(なぜ……)


 しかし、宰相は何も語らなかった。


 王も。


 王太子も。


 愛莉も。


 誰一人として知らない。


 あの日の毒が、宰相による単独の犯行だったことを。


     ◇◇◇


 そして。


 そんな王都の動きを何も知らない辺境では――。


「レオン、こっちも試してみて」


「ああ」


『玲、私も見たい!』


「はいはい」


「ワン!」


『雷電も見たいって』


「二人とも研究室に入ってきちゃダメ」


 玲の笑い声が響く。


 レオンも笑う。


 アビーは嬉しそうに尻尾を振り、雷電は誇らしげに胸を張っている。


 誰も知らない。


 王都で、かつて玲が名乗っていた名前が再び動き始めていることを。


 そして――。


 その名前を追った先にあるのが、


「レイ・ヴァレンシュタイン」


という、今の玲の名前だということを。


 幸せな辺境の日々の裏で。


 王都の歯車が、静かに回り始めていた。


――第63話 終――

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