第58話 新商品と結婚式の準備
パール化粧品の新店舗がオープンしてから、数日が経った。
開店当初の慌ただしさは少しずつ落ち着いてきたものの、店内には今日も途切れることなくお客様が訪れている。
「いらっしゃいませ!」
エミリアが明るい声でお客様を迎える。
「この前買った石鹸が、とても良かったのよ」
「ありがとうございます!」
「今日は化粧水も見ていこうかしら」
「ぜひ、お試しください!」
そんなやり取りを聞きながら、玲は店の奥で嬉しそうに微笑んでいた。
「順調ですね」
隣ではセドリックが帳簿を確認している。
「はい。売上も安定しています。最近は口コミで来店されるお客様も増えていますね」
「それは嬉しいですね」
マリアも商品棚を確認しながら頷いた。
「在庫の減りも早くなっています。特に石鹸と化粧水は、補充する回数が増えました」
「そっか……」
玲は改めて店内を見渡した。
以前は、知り合いから知り合いへ。
人づてに広がっていったパール化粧品。
それが今では、こうして店を構え、玲のことを知らないお客様まで商品を求めて訪れてくれている。
「……嬉しいな」
思わず、玲の口から小さな声が漏れた。
「玲様が作られた商品ですから」
マリアが優しく微笑む。
「もっと、たくさんの商品を作らないとね」
「……」
セドリックとマリアが顔を見合わせる。
「玲様?」
「シャンプーも作りたいし、新しい石鹸も作りたい。化粧水だって種類を増やせそうだし、クリームも……」
玲の目が、みるみる輝いていく。
「それから――」
「玲」
背後から聞き慣れた声がした。
「はい?」
振り返る。
そこにはレオンハルトが立っていた。
「また始まったな」
「何がですか?」
「商品開発の話になると止まらなくなる」
「だって!」
玲は少し頬を膨らませた。
「せっかく、この世界にしかない植物があるんですよ?」
先日採取した月雫草、泡花、白露花。
どれも地球には存在しない植物だ。
「これを使えば、もっと面白い商品が作れるかもしれません」
「それは分かっている」
レオンハルトは玲を見つめる。
「だが、寝る時間まで削るな」
「……」
「昨日も遅かっただろう?」
「……ちょっとだけです」
「玲」
「はい……」
玲はしぶしぶ頷いた。
すると――
『玲、昨日は夜遅くまで研究してたよ』
「アビー!」
足元から聞こえた声に、玲が慌てて振り返る。
『私、ちゃんと知ってるんだからね』
「言わなくていいの!」
「ワン」
雷電まで同意するように鳴いた。
「雷電まで……」
玲は二匹を見て、ため息をつく。
「分かった。今日は早く寝ます」
「約束だ」
「はい」
『本当に?』
「アビー!」
『だって玲、研究始めると時間忘れるじゃん』
「……」
玲は何も言い返せなかった。
セドリックとマリアが、そんな玲を見て微笑んでいる。
「玲様は、本当に研究がお好きなんですね」
「はい」
玲は即答した。
「こういうことをしている時が、一番楽しいです」
レオンハルトはそんな玲を見て、穏やかに笑った。
「なら、無理をしない範囲で楽しめ」
「はい!」
玲は嬉しそうに頷いた。
◇◇◇
その日の午後。
屋敷へ戻った玲は、そのまま研究室へ向かった。
テーブルの上には、採取した植物や素材が並べられている。
「さて……」
玲は白衣を整えた。
「今日はシャンプーを進めよう」
これまでのパール化粧品の商品は、玲の聖心力による恩恵も大きかった。
けれど、これから作る商品は違う。
聖心力に頼るのではなく、この世界に存在する素材と、玲自身が持つ知識を組み合わせる。
「異世界の素材だけで、どこまでできるか……」
玲の中に、研究者としての好奇心が湧き上がる。
「楽しみ」
素材を一つずつ確認し、配合を考えていく。
地球にいた頃なら当たり前だった知識。
けれど、この世界にはまだ存在しない技術も多い。
「洗い上がりは良くても、髪がきしんだら駄目」
玲は小さく呟きながら、何度も配合を調整していく。
「泡立ちも必要。香りも強すぎない方がいいかな」
気がつけば、夢中になっていた。
「……玲」
「はい?」
いつの間にか研究室の入口にレオンハルトが立っていた。
「少し休め」
「え?」
玲が壁の時計を見る。
「……もうこんな時間?」
「そうだ」
「うそ……」
「だから言っただろう」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。ただ、無理はするな」
レオンハルトはそう言って、玲の頭を優しく撫でた。
「結婚式も近いんだからな」
「……結婚式」
その言葉に、玲の手が止まった。
そうだった。
最近は店舗のことや新商品のことばかり考えていたけれど――
自分はもうすぐ、レオンハルトと結婚する。
「……もうすぐなんだ」
玲がぽつりと呟く。
「ああ」
「なんだか、まだ実感がなくて」
「俺はあるぞ」
「え?」
レオンハルトが玲を見る。
「玲と結婚するんだと、毎日思っている」
「……!」
玲の頬が一気に熱くなった。
「レオンハルトさん……」
「どうした?」
「そういうこと、さらっと言うのずるいです」
「本当のことだからな」
「……もう」
玲は照れながら笑った。
◇◇◇
そして――
結婚式の準備も、着々と進んでいた。
「玲さん!」
「はい?」
屋敷に戻ると、エレノアが嬉しそうな顔でやって来た。
「ドレスの準備は私に任せて!」
「えっ?」
「結婚式は一生に一度なのよ。絶対に素敵なドレスにしましょう!」
エレノアの目が輝いている。
「ありがとうございます……」
玲は少し圧倒されながらも、笑顔を浮かべた。
「でも、そんなに張り切らなくても……」
「何を言っているの!」
エレノアは楽しそうに笑う。
「レオンハルトの結婚式ですもの。私も楽しみなのよ」
「……」
玲は頬を緩めた。
婚約披露宴から、二ヶ月あまり。
あっという間だった。
パール化粧品。
新店舗。
新商品の研究。
レオンハルトとの毎日。
そして――
結婚式。
「……もうすぐなんだ」
今度は、さっきよりもはっきりと実感が湧いてくる。
自分が、この世界で生きていくこと。
この人と人生を歩んでいくこと。
まだ少し不思議な気持ちは残っている。
けれど――
嫌ではない。
むしろ、楽しみだった。
「玲さん」
エレノアが優しく声をかける。
「きっと素敵な結婚式になるわ」
「はい」
玲は笑顔で頷いた。
「私も、楽しみです」
◇◇◇
その日の夜。
夕食を終え、玲がアビーと雷電と一緒に部屋へ戻ろうとしていた時だった。
「玲」
「はい?」
後ろからレオンハルトに呼び止められた。
「少し話がある」
「何ですか?」
玲が振り返る。
レオンハルトは、いつもと変わらない表情をしていた。
「そういえば――」
「はい?」
「明日、俺の家族が来る」
「…………」
玲の動きが止まった。
「……え?」
レオンハルトは何でもないことのように続ける。
「父上と母上。それから兄上と義姉上だ」
「…………」
玲は瞬きをした。
「……明日?」
「ああ」
「レオンハルトさんの……ご家族が?」
「ああ」
「…………」
玲の顔が、ゆっくりと固まっていく。
『玲?』
足元のアビーが首を傾げた。
『どうしたの?』
「……聞いてない」
「言っただろう」
「いつですか!?」
「数日前に」
「…………」
玲は頭を抱えた。
「どうしよう……!」
結婚式よりも緊張するかもしれない。
だって――
明日は、レオンハルトの家族との初対面なのだから。
『玲、大丈夫だよ』
アビーが玲の足元で尻尾を振る。
『私もいるし』
「アビー……」
『雷電もいるよ』
「……そうだね」
玲は雷電を見る。
「雷電、明日はちゃんと大人しくしててね?」
「ワン!」
『任せて!』
「……本当に?」
『たぶん』
「たぶんって何!?」
玲の不安は、ますます大きくなった。
――こうして。
結婚式まであと少しとなった夜。
玲は突然知らされた「明日の家族訪問」に、眠れない夜を迎えることになるのだった。
――第58話 終――




