第57話 パール化粧品、新店舗オープン
新店舗が完成してから、数日。
今日は、いよいよ――
パール化粧品、新店舗のオープンの日。
「本当に今日なんですね……」
玲は店の前に立ち、真新しい看板を見上げていた。
昨日まで準備で慌ただしかった店内には、商品が綺麗に並んでいる。
石鹸。
化粧水。
クリーム。
そして、玲が新しく開発した商品たち。
「雷電、今日はお店だからね」
「ワン?」
玲は足元にいる雷電を見下ろした。
「商品に匂い付けしちゃダメだよ」
「…………」
雷電が固まる。
『雷電、匂い付けするつもりだったの?』
「ワン……」
『やっぱり!』
「雷電!」
「ワン!」
「今日は絶対ダメだからね」
「ワン……」
雷電が、見るからにしょんぼりする。
『雷電、残念そう』
「残念そうにしないの!」
玲が苦笑する。
「今日はたくさんのお客様が来るんだから、ちゃんといい子にしててね」
「ワン」
『雷電、頑張って!』
「アビーもね」
『え? 私も?』
「もちろん」
『私は何もしてないよ?』
「アビーは余計なことを言わない!」
『はーい』
そんな二匹のやり取りを見ていたレオンハルトが、口元を緩めた。
「朝から賑やかだな」
「もう……」
玲はため息をつきながらも、笑っていた。
「緊張しているのか?」
レオンハルトの問いに、玲は胸元へ手を当てる。
「少しだけ……」
「今までは口コミで広がって、知っている人に買ってもらう感じでしたけど……」
今日は違う。
誰でも入れる、正式な店舗。
「本当に、お客様が来てくれるのかなって」
「来るだろう」
「どうして分かるんですか?」
「これまでの売れ行きを見れば分かる」
レオンハルトが当然のように答える。
「それに、玲の商品を欲しがっている者は多い」
「……」
玲の顔に自然と笑みが浮かんだ。
「そうだといいな」
『大丈夫だよ!』
アビーが元気よく鳴く。
「アビー?」
『玲の商品、みんな欲しいと思うよ!』
「ありがとう」
玲がアビーの頭を撫でる。
「雷電も、そう思う?」
「ワン!」
『ほら! 雷電も!』
「うん。ありがとう」
玲は笑った。
◇◇◇
「玲様、準備が整いました」
エミリアが店から出てきた。
「ありがとうございます」
玲が店内を覗く。
商品はすべて並べられ、棚も綺麗に整えられている。
「エミリアさん、緊張してます?」
「少しだけ……」
「私もです」
「玲様も?」
「はい」
二人で顔を見合わせる。
そして、ふっと笑った。
「一緒ですね」
「はい!」
◇◇◇
「では、開店します」
セドリックが時計を確認した。
「お願いします」
玲が頷く。
エミリアが扉を開ける。
「本日より、パール化粧品、開店です!」
その声が街に響いた。
◇◇◇
最初のお客様は、思ったより早かった。
「ここがパール化粧品?」
「はい!」
エミリアが笑顔で迎える。
「以前、知り合いから石鹸を分けてもらってね。とても良かったのよ」
「ありがとうございます。こちらの商品でしょうか?」
「そう、それ!」
女性が嬉しそうに商品を手に取る。
「こちらは今までの商品ですが、新しい石鹸もございます」
「新しいもの?」
「はい。こちらは以前のものより、少ししっとりした洗い上がりになっています」
「まあ……!」
女性が興味深そうに商品を手に取る。
「じゃあ、こっちもいただこうかしら」
「ありがとうございます!」
玲は少し離れたところから、その様子を見ていた。
「……売れた」
思わず呟く。
「はい」
隣にいたマリアが頷く。
「売れましたね」
「……嬉しい」
玲の顔に笑みが広がった。
◇◇◇
それからも、お客様は次々とやって来た。
「この石鹸、前に使ったことがあるわ」
「私は化粧水がおすすめよ」
「新しいクリームもあるみたい!」
店内に女性たちの楽しそうな声が広がっていく。
エミリアは一人一人に丁寧に説明している。
商品を使った経験があるからこそ、言葉にも説得力があった。
「こちらは少量でもよく伸びますので、最初は少しずつお使いください」
「そうなのね。じゃあ試してみようかしら」
「ありがとうございます」
その様子を見ていた玲は、胸がいっぱいになる。
自分が研究して。
試作して。
失敗して。
何度も作り直して。
そうして生まれた商品が、今――
誰かの手に渡っている。
「……良かった」
「玲」
「はい?」
レオンハルトが玲を見る。
「嬉しそうだな」
「はい」
玲は店内を見渡した。
「すごく嬉しいです」
「そうか」
「私、一人で研究していた時は……こうなるなんて思ってませんでした」
「玲が頑張ったからだ」
「……」
玲がレオンハルトを見る。
「そんなふうに言われると……」
「何だ?」
「また頑張りたくなります」
「なら、良かった」
レオンハルトが笑う。
「……」
玲の胸が、また小さく跳ねた。
最近、レオンハルトにこういうことを言われると、どうにも落ち着かない。
『玲、またドキドキしてる』
「アビー!」
『だって聞こえるもん』
「聞こえなくていいの!」
玲が慌ててアビーを抱き上げる。
『わー! 玲、苦しいよ!』
「余計なこと言うからです!」
「ワン……」
雷電が呆れたように二人を見る。
◇◇◇
昼を過ぎても、店の賑わいは続いていた。
「セドリック、在庫は大丈夫?」
玲が尋ねる。
「今のところ問題ありません」
「マリアは?」
「こちらも大丈夫です。ただ……」
「ただ?」
「想定していたより、売れています」
「……え?」
玲が目を丸くする。
「特に石鹸と化粧水が人気ですね」
「本当に?」
「はい」
マリアが微笑む。
「これまで口コミで購入されていた方が、まとめて買われているようです」
「そうなんだ……」
玲は嬉しそうに商品棚を見る。
そして、ふと思った。
「もっと商品を増やしてもいいかもしれない」
玲の目が輝く。
「シャンプーも、もっと良くできそうだし……」
「玲」
レオンハルトが声をかける。
「無理をするな」
「大丈夫です!」
「その顔は大丈夫ではない時の顔だ」
「え?」
玲が固まる。
「研究を始めると、玲は時間を忘れるだろう」
「……」
図星だった。
「ちゃんと休みます」
「本当か?」
「本当です!」
『玲、昨日も夜遅くまでやってたよ』
「アビー!」
「……」
レオンハルトの視線が玲に向く。
「玲?」
「……今日は早く寝ます」
「そうしてくれ」
「はい……」
玲は小さく頷いた。
◇◇◇
夕方。
ようやく店内が落ち着いてきた。
「今日は大成功ですね」
エミリアが嬉しそうに言う。
「はい」
玲も笑った。
「本当に良かったです」
「玲様が作った商品ですもの」
エミリアが商品棚を見る。
「きっと、これからもっとたくさんの方に知ってもらえます」
「……そうなったら嬉しいですね」
玲は店内を見渡した。
まだ始まったばかり。
これから、この店がどうなっていくのか。
どんな人が訪れて。
どんな商品を手に取ってくれるのか。
考えるだけで、胸が躍る。
そして――
玲には、もう一つ。
近づいている大切な日があった。
結婚式。
婚約披露宴から、二ヶ月あまり。
あれからいろいろなことがあった。
パール化粧品のこと。
新商品の開発。
レオンハルトとの毎日。
そして、結婚式の準備。
「……結婚式、か」
玲が小さく呟く。
「どうした?」
「いえ……」
玲はレオンハルトを見る。
「もうすぐなんだなって」
「ああ」
レオンハルトも静かに頷いた。
「楽しみだ」
「……!」
玲の頬が熱くなる。
「そ、そうですね」
玲は慌てて視線を逸らした。
そんな二人を――
『また玲が赤くなった』
「アビー!」
「ワン……」
雷電は今日も呆れ顔だった。
◇◇◇
こうして、パール化粧品の新店舗は無事に初日を終えた。
店内の片付けも終わり、玲たちが帰ろうとした、その時。
雷電が、ふと店先の植木へ向かって歩き出した。
「雷電?」
「ワン」
玲の声を聞いても、雷電は止まらない。
植木の前で立ち止まる。
「……雷電?」
嫌な予感がした。
次の瞬間。
雷電が、しれっと片足を上げた。
「ちょっと待って!」
『雷電!』
アビーが叫ぶ。
『玲にダメって言われたでしょ!』
「ワン!?」
「商品じゃないけど……!」
玲が慌てて駆け寄る。
「そういう問題じゃないの!」
雷電は何事もなかったかのような顔で、植木から離れていく。
「雷電ーーー!」
『雷電、逃げて!』
「アビー! 応援しない!」
「ワン!」
新しく完成したパール化粧品の店舗。
その記念すべき初日の最後に――
店先の植木には、しっかりと雷電の存在が刻まれたのだった。
――第57話 終――




