第48話 本宅で始まる新しい暮らし
婚約披露宴を終え、玲たちは屋敷へ戻ってきた。
「今日は疲れたぁ……」
玲は大きく伸びをする。
朝からドレスを着せてもらい、たくさんの人に挨拶をして、祝福の言葉をもらった。
嬉しかったけれど、さすがに少し疲れている。
「じゃあ、私は離れに戻りますね」
いつものように、玲が離れへ向かおうとした、その時だった。
「玲」
「はい?」
レオンハルトに呼び止められる。
「今日から本宅で一緒に暮らす」
「…………え?」
玲の動きが止まった。
「本宅って……レオンハルトの?」
「そうだ」
「私も?」
「ああ」
「……今日から?」
「今日からだ」
「…………」
玲は完全に固まった。
「ちょっと待ってください」
「何だ?」
「私、今まで普通に離れで暮らしてましたよね?」
「そうだな」
「それが今日から本宅?」
「ああ」
「……急すぎません?」
玲が困った顔をする。
レオンハルトは少しだけ考えてから、穏やかに答えた。
「婚約したんだ。結婚までの三ヶ月もある。これから一緒に暮らした方がいいだろう」
「……」
確かに。
言っていることは分かる。
分かるけれど――。
(婚約したからって、今日から一緒に暮らすの!?)
玲の頭の中が、ぐるぐる回る。
すると、レオンハルトが続けた。
「もちろん、部屋は別だ」
「……それなら」
玲は少しホッとした。
「それなら……はい」
戸惑いながらも、玲は頷いた。
「分かりました」
「ありがとう」
「でも……」
玲は振り返って、今まで暮らしていた離れを見る。
「離れはどうするんですか?」
「今まで通り、使えばいい」
「生活は本宅で、離れは……」
「パール化粧品の作業場にすればいいだろう」
「あ……」
玲の顔がぱっと明るくなった。
「それ、いいですね!」
今まで生活していた場所を、そのまま作業場として使える。
石鹸や化粧水を作ったり、試作品を置いたりするのにも便利だ。
「じゃあ、作業道具はそのまま残しておいていいですか?」
「ああ。必要なものは好きに使え」
「ありがとうございます!」
玲は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ……本宅に行きましょうか」
「ああ」
「……本宅」
玲が小さく呟く。
まだ、少し実感が湧かなかった。
◇◇◇
レオンハルト邸に着くと、玄関前には使用人たちが並んでいた。
玲は目を丸くする。
「え?」
「お帰りなさいませ、レオンハルト様」
使用人たちが一斉に頭を下げる。
そして――。
「玲様。お帰りをお待ちしておりました」
「えっ……」
玲が驚く。
「本日より、こちらでお暮らしになると伺っております」
「は、はい……」
「改めまして、ようこそお越しくださいました」
温かい笑顔。
玲は少し緊張しながら、ぺこりと頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その足元では雷電が、使用人たちをじっと見ている。
「ワン」
「雷電様も、もちろん歓迎いたします」
執事が穏やかに微笑む。
すると、玲の足元からアビーがひょこっと顔を出した。
『私もいるよ』
「あ、アビーも」
執事がすぐに頭を下げる。
「もちろんでございます。雷電様、アビー様も――」
『アビー様?』
アビーが首を傾げる。
『私に「様」はいらないよ』
「え?」
執事が一瞬、固まった。
『アビーでいいから』
「ですが……」
『アビー様って呼ばれると、なんか変な感じする』
アビーが玲を見上げる。
『ね、玲?』
「ふふっ。確かにアビーはアビーだもんね」
玲が笑う。
すると雷電も、
「ワン!」
と一声。
まるで「俺もそれでいい」と言っているようだった。
執事は一瞬だけ雷電とアビーを見比べ、それから深く頭を下げた。
「かしこまりました。では、そのように」
『うん!』
「ワン!」
アビーが嬉しそうに尻尾を振り、雷電も満足そうに一声鳴いた。
玲はそんな二匹を見て、思わず笑ってしまう。
「ふふ……。初日から使用人さんたちを困らせないの」
『だって、アビー様って変だもん』
「まあ、確かにね」
玲が笑うと、執事も穏やかに微笑んだ。
◇◇◇
「玲様のお部屋はこちらでございます」
侍女に案内され、玲は廊下を歩く。
「私の部屋……」
扉が開かれる。
「……わぁ」
玲は思わず立ち止まった。
明るく落ち着いた雰囲気の部屋。
大きなベッドに、ソファ。
窓からは庭も見える。
「素敵……」
「お気に召していただけましたでしょうか?」
「はい!」
玲は部屋の中を見回した。
そして――。
「……あれ?」
部屋の隅に、見慣れないものが置かれている。
「これ……」
玲が近づく。
「雷電のベッドでございます」
「雷電の!?」
「はい」
そこには、雷電がゆったりと横になれる大きさの立派なベッドが用意されていた。
雷電も近づいていく。
「ワン」
くんくんと匂いを嗅ぐ。
そして――。
ぽすっ。
ベッドに前足を乗せた。
「ふふっ。雷電、気に入った?」
「ワン!」
雷電がそのままベッドに乗る。
「もう……」
玲が笑う。
アビーも興味津々で覗き込む。
『雷電、いいベッドじゃん』
「アビーもそう思う?」
『私の場所もある?』
「もちろん。私のベッドで一緒に寝ようね」
『うん!』
玲が笑顔になる。
その様子を見ていたレオンハルトが、少し離れたところから口を開いた。
「気に入ったようだな」
「はい!」
玲は振り返る。
「雷電のベッドまで用意してくれて、ありがとうございます」
「当然だ」
「当然?」
「ああ。雷電も玲の家族だろう」
「……」
玲は一瞬、言葉を失った。
そして、ふわっと笑う。
「……ありがとうございます」
その一言に、レオンハルトも穏やかに微笑んだ。
◇◇◇
「それでは、玲様。夕食の準備が整いましたらお呼びいたします」
「はい。ありがとうございます」
侍女が部屋を出ていく。
玲は一人になった部屋を見回した。
自分の荷物も、すでに運び込まれている。
クローゼットには服。
棚には愛用しているもの。
そして、隣には雷電のベッド。
「……本当に、ここで暮らすんだ」
玲はベッドの端に腰を下ろした。
今日まで暮らしていた離れは、これからパール化粧品の作業場になる。
そして、自分の生活の場所はここ。
レオンハルトと同じ屋敷で暮らす。
「……婚約者、かぁ」
呟いた瞬間。
顔が熱くなる。
「……いやいや」
玲は慌てて首を振った。
「部屋は別なんだから、大丈夫」
そう自分に言い聞かせる。
けれど――。
明日からは朝食も、夕食も。
屋敷で顔を合わせることになる。
今までより、ずっと近い距離で。
「……慣れるかな」
「ワン」
「雷電?」
振り返ると、雷電がベッドの上で丸くなっていた。
「もう寝るの?」
「ワン」
「ふふ。雷電は順応するの早いね」
玲は笑いながら、雷電の頭を撫でる。
その足元では、アビーが玲を見上げている。
『玲』
「ん?」
『レオンハルトと一緒に暮らすんだね』
「……そうだね」
『嬉しい?』
「……」
玲は少し考えた。
「……うん」
小さな声で答える。
そして、自分でも少し驚いた。
「……嬉しい、かも」
『やっぱり好きなんじゃん』
「アビー!」
『だって顔が嬉しそうだもん』
「もう……!」
玲は真っ赤になりながら、アビーを抱き上げた。
「ほら、夕食までまだ時間あるから、少し休もう」
『はーい』
雷電は新しいベッドの上。
アビーは玲の腕の中。
そして玲は、新しく与えられた自分の部屋を見渡す。
昨日までとは違う。
今日から、ここが自分の暮らす場所。
まだ少し落ち着かないけれど――。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ。
これから始まる三ヶ月が、少しだけ楽しみになっている自分に気づいていた。
――第48話 終――




