第42話 聖心力とシャンプー
シャンプーの試作を始めて、数日。
「うーん……」
玲は作業台に並べた試作品を眺めていた。
「泡立ちは悪くないんだけどなぁ」
ひとつ手に取る。
「こっちは洗い上がりがちょっときしむ」
別のものを手に取る。
「こっちは香りはいい。でも、髪が重い」
また別のもの。
「これは……泡立ちが足りない」
「ワン」
『難しいね』
雷電とアビーが作業台の端から試作品を眺めている。
「そうなの」
玲はため息をついた。
「石鹸なら、薬草と油の組み合わせで何とか形になったんだけど……シャンプーは思ったより難しい」
髪を洗う。
しっかり汚れを落とす。
でも、洗い上がりは滑らかに。
髪に艶が出て、指通りもいい。
香りも強すぎず、ほんのり残るくらい。
「理想を言えば、全部欲しいんだよね」
『欲張り』
「商品なんだから、そこは妥協したくないの」
玲はまた手帳を開いた。
薬草の種類。
分量。
組み合わせ。
ひとつずつ書き込んでいく。
日本にいた頃と同じだった。
試して。
結果を確認して。
また配合を変える。
「……もう一回やってみよう」
* * *
それからさらに数日。
「……ダメだ」
玲は机に突っ伏した。
試作品は増えている。
けれど、理想のシャンプーには届かない。
「泡立ちは良くなった」
玲は顔を上げる。
「でも、洗った後の髪がまだ違う」
自分の髪を指で梳く。
「もう少し、するっとして欲しいんだよね」
『玲、ずっとそれ言ってる』
「だって本当にそうなんだもん」
『薬草じゃ無理なの?』
「……たぶん」
玲は試作品を見つめる。
「今ある薬草だけだと、ここが限界かもしれない」
その言葉に、アビーが首を傾げた。
『じゃあ、治癒能力を使ってみたら?』
「……え?」
『薬草だけじゃ足りないんでしょ?』
玲の表情が止まった。
「……聖心力?」
『うん』
「…………」
玲は黙り込んだ。
治癒能力。
魔物との戦いで怪我をした騎士を治したことがある。
一度ではない。
二度も。
そして、スマホ。
異世界通販。
何でも入るマジックバッグ。
この世界ではあり得ないものを、玲はいくつも持っている。
レオンハルトたちが、自分をどう見ているのかも玲は知っていた。
――本物の聖女なのではないか。
きっと、そう思われている。
でも。
「……使いたくない」
『どうして?』
「だって……」
玲は自分の手を見る。
「私、聖女じゃないもん」
王城で聖女と呼ばれていたのは、愛莉だった。
玲ではない。
自分は必要とされなかった。
それどころか、命まで狙われた。
だから玲は、王城を逃げ出した。
「愛莉ちゃんが聖女なんでしょ」
『玲はそう思ってるんだね』
「だって、王城ではそうだったから」
アビーは何も言わなかった。
玲自身も知らない。
王城を離れた後、何が起きているのか。
愛莉に聖心力がないことも。
王家が、少しずつ「本当に愛莉が聖女なのか」と疑い始めていることも。
玲がそれを知るのは、まだ先のことだった。
「それに……」
玲は小さく息を吐く。
「もし聖心力を使って、ものすごいシャンプーができたら……」
『できたら?』
「……本当に私が聖女なんだって、認めるみたいで嫌なの」
玲は苦笑した。
「私はただ、研究して商品を作りたいだけなのに」
『玲……』
「分かってるよ」
玲は試作品を見つめる。
「聖心力を使わなくても、いつか作れるかもしれない」
研究者として。
自分の知識と、この世界の素材だけで。
「だから、もう少し頑張ってみる」
* * *
さらに二日後。
「…………」
玲は無言で試作品を見つめていた。
「……やっぱりダメ」
何度目か分からない。
試して。
改良して。
また試す。
それでも、あと一歩届かない。
「もう……」
玲は頭を抱えた。
「どうすればいいのよ……」
『玲』
「なに?」
『一回だけ、使ってみたら?』
「……」
『聖心力を使ったらどうなるのか、試すだけ』
「…………」
玲は長い間、黙っていた。
そして――。
「……一回だけ」
『うん』
「本当に一回だけだからね」
玲は試作中のシャンプーを手元に置いた。
そして、そっと手をかざす。
「……聖心力」
わずかな力を流す。
すると。
「……え?」
シャンプーの中に、細かな光が浮かび始めた。
「アビー……これ」
『キラキラしてる』
「……綺麗」
光は細かな粒となって、シャンプーの中をゆっくりと漂っている。
玲は恐る恐る少量を手に取った。
泡立てる。
「……えっ」
驚くほどきめ細かな泡が立った。
そして髪に馴染ませる。
「…………」
指が、すっと通る。
「嘘……」
洗い流す。
タオルで水分を取る。
そして髪を乾かしていく。
「……」
玲は鏡の中の自分を見つめた。
「すご……」
髪がさらさらだった。
指を通すと、引っかかることなく滑っていく。
そして何より。
「艶……すごくない?」
光を受けた髪が、きらりと輝いている。
『玲、すごい』
「うん……」
玲は自分の髪を触る。
「これ……私が作りたかったやつ」
泡立ちも。
洗い上がりも。
指通りも。
艶も。
全部、玲が思い描いていたものだった。
「……想像以上」
嬉しい。
研究者としては、たまらなく嬉しい。
なのに。
「…………」
玲は複雑な顔でシャンプーを見つめた。
「聖心力を使ったから、こんなに……」
『そうかもしれないね』
「……」
玲は容器に蓋をする。
「これ、どうしよう」
『売る?』
「……まだ分からない」
玲は首を横に振った。
「聖心力を使ったものを商品にするのは、ちょっと怖い」
『じゃあ、置いておく?』
「うん」
玲は試作品を作業台の端へ置いた。
「もう少し考える」
それから、自分の髪をもう一度触った。
「……でも」
玲の口元に、少しだけ笑みが浮かぶ。
「すごいものができちゃった」
「ワン!」
『雷電も玲の髪、いつもより綺麗だって』
「本当?」
「ワン!」
「ふふっ。ありがとう」
玲は笑った。
けれど。
作業台の上でキラキラと輝くシャンプーを見つめる目には、ほんの少しだけ迷いが残っていた。
自分が何者なのか。
玲は、まだ答えを出したくなかった。
――第42話 終――




