第40話 パール化粧品
朝。
玲が朝食を終え、いつものように作業スペースへ向かおうとしていた時だった。
「玲」
「はい?」
レオンハルトに呼び止められた。
「少し話がある」
「……何かありました?」
「悪い話ではない」
「なら良かった」
玲はほっとする。
「ただ、アルベルト様からも話があるそうだ」
「辺境伯様から?」
「そうだ」
「私、何かしました?」
「していない」
即答だった。
「なら行きます」
玲は首を傾げながら、レオンハルトについていった。
* * *
応接室には、アルベルトとグレイス、それにグレンとセドリック、マリアも集まっていた。
「……何、このメンバー」
玲が部屋を見回す。
「玲、座ってくれ」
アルベルトに促され、玲は席についた。
「それで?」
アルベルトが口を開く。
「最近、玲が作った石鹸と化粧水の評判が広がっている」
「本当ですか?」
玲の顔がぱっと明るくなる。
「良かった……」
「問題はそこからだ」
「え?」
玲が首を傾げる。
「グレイスから商品を知った貴族女性たちが、さらに別の人間へ話している」
「口コミですね」
「そうだ」
アルベルトは頷いた。
「それ自体は悪いことではない。むしろ商売としては良い傾向だ」
「ですよね」
玲も嬉しそうに頷く。
「ただし――」
アルベルトの表情が少し真剣になる。
「商品の評判が広がれば、いずれ王都まで届く可能性がある」
玲の表情が止まった。
「王都……」
「そうだ」
レオンハルトが続ける。
「商品そのものが広まることは問題ない。だが、誰が作っているのかまで広まれば話は変わる」
「……」
玲は黙った。
「玲は王都から来たばかりだ」
レオンハルトの声が少し低くなる。
「今は、必要以上に目立たない方がいい」
「分かりました」
玲は素直に頷いた。
するとグレイスが申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい。私がお茶会で紹介したから……」
「違いますよ」
玲は慌てて首を振る。
「グレイスさんが悪いわけじゃないです」
「でも……」
「むしろ、使ってもらえて嬉しいです」
玲は笑った。
「自分が作ったものを誰かに気に入ってもらえるって、研究者としてすごく嬉しいから」
「玲……」
グレイスが微笑む。
「ただ、アルベルト様の言う通り、私の名前まで広がるのは避けた方が良さそうですね」
「そういうことだ」
アルベルトが頷く。
「そこで、一つ提案がある」
「何ですか?」
「商品に名前をつけてはどうだ?」
「商品に?」
「いや」
セドリックが口を挟む。
「商品一つ一つではなく、商品を扱うブランドそのものに名前をつけるのです」
「ブランド……」
玲が考え込む。
「それなら、玲様のお名前を出さなくても『○○の商品』として販売できます」
マリアも頷く。
「販売する側としても、その方が分かりやすいかと」
「なるほど……」
玲は腕を組んだ。
「お店の名前みたいなもの?」
「そう考えていただいて構いません」
「うーん……」
玲はしばらく考えた。
そして――。
「パール」
「パール?」
全員の視線が集まる。
「はい」
玲は頷く。
「真珠って、綺麗じゃないですか」
「真珠……」
「この世界にもありますよね?」
「ああ」
アルベルトが答える。
「海で採れるものがある」
「なら、パールでいいと思います」
玲は少し嬉しそうに笑った。
「覚えやすいし、綺麗なイメージもあるし」
「パール化粧品……」
セドリックが口にする。
「悪くありませんね」
「分かりやすいと思います」
マリアも頷く。
グレイスも笑った。
「素敵な名前だわ」
「じゃあ……」
玲は周りを見る。
「これからは『パール化粧品』って名前で売る?」
「それでいきましょう」
セドリックが即答した。
「商品登録も、この名称で進めます」
「早い!」
玲が目を丸くする。
「もう決まったんですか?」
「名前が決まれば、後は私たちの仕事ですから」
「そっか」
玲は納得した。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「お任せください」
* * *
「これなら、グレイスが紹介する時も簡単だな」
レオンハルトが言う。
「そうね」
グレイスも頷く。
「次のお茶会で聞かれたら、『パールの化粧水よ』って言えばいいもの」
「そうです」
セドリックが頷く。
「玲様のお名前を出さずとも、商品の評判を広められます」
「良かった」
玲は安心したように息を吐く。
「私としても、その方が研究に集中できます」
「……やっぱりそこか」
レオンハルトが苦笑する。
「だって、商品を作るのが私の仕事でしょ?」
「そうだな」
「商売のことはセドリックさんとマリアさんに任せる」
「はい」
「私は次の商品を考えます」
玲の目が輝く。
「もう考えているのか?」
「もちろん」
「……」
レオンハルトが黙る。
グレンが笑いを堪える。
「団長、諦めた方がいいですよ」
「何をだ?」
「玲はもう研究のことしか考えてない」
「そうみたいだな」
「グレンまで!」
玲が頬を膨らませる。
その様子を見て、グレイスが笑った。
「でも、玲さんらしいわ」
「そうですか?」
「ええ」
グレイスは優しく頷いた。
「商品を作る人が研究に集中して、商売をする人が販売を考える。それが一番いいと思うわ」
「そうだな」
アルベルトも頷く。
「玲は自分の仕事に集中するといい」
「はい!」
玲は元気よく返事をした。
* * *
その日の午後。
グレイスは早速、お茶会で話をしていた。
「それでね、今度から名前が変わったのよ」
「名前?」
「ええ。玲さんの商品は、これから『パール化粧品』という名前で販売されるそうよ」
「パール化粧品?」
「素敵な名前ね」
「覚えやすいわ」
女性たちが口々に話す。
「私、あの化粧水を気に入ったの」
「私も石鹸を使ってみたわ」
「どうだった?」
「すごく良かったわよ」
「まあ!」
また話が広がっていく。
「それに、まだ他にも美容商品が出るらしいわよ」
「本当?」
「ええ」
グレイスは楽しそうに笑った。
「私も次の商品を楽しみにしているの」
「私もよ」
「パール化粧品……ね」
その名前が、また一つ。
女性たちの間に広がっていった。
* * *
一方。
「次は何を作ろうかな……」
玲は作業スペースで一人、腕を組んでいた。
『また考えてる』
「うん」
『パール化粧品って名前も決まったのに?』
「だからこそだよ」
玲は笑う。
「せっかく名前ができたんだから、もっと色々作りたいじゃん」
『玲、楽しそう』
「楽しいよ」
玲は新しい紙を広げた。
「石鹸、化粧水……その次は――」
玲の頭の中には、次々と新しいアイデアが浮かんでくる。
パール化粧品。
まだ始まったばかり。
そしてその名前が、やがて辺境を越えていくことを。
この時の玲は、まだ知らなかった。
――第四十話 終――




