第38話 研究する人、売る人
商業ギルドへ行ってから、数日が経った。
その間も、玲はいつも通り作業スペースに籠もっていた。
「うーん……」
目の前にあるのは、石鹸二号。
すでに完成している。
それでも玲は、何度も状態を確認していた。
「泡立ちは問題なし」
手触り。
泡のきめ細かさ。
洗い上がり。
そして、肌への刺激。
「うん。二号はこれで大丈夫そう」
『まだ見るの?』
足元からアビーの声がする。
「最終確認だよ」
『もう何回も見てる』
「だって肌に使うものだから」
玲は石鹸を置く。
「妥協したくないの」
その隣には、完成した化粧水もある。
こちらも何度も状態を確認している。
「こっちも問題なし」
玲は満足そうに頷いた。
そして――。
「次は……」
『また?』
「うん」
玲は新しい紙を取り出した。
「もう少し保湿力のあるものも作れそう」
『石鹸?』
「それもだけど……」
玲は紙に思いついたものを書いていく。
「乳液とか、クリームとか」
『増えてる』
「だって、化粧水だけじゃなくて、その後に使うものも欲しくなるじゃん」
『玲が欲しいだけじゃない?』
「……それもある」
「ワン」
『俺はいらん』
「雷電は黙ってて」
玲は笑いながら、また紙に視線を落とした。
研究は楽しい。
次に作りたいものが、どんどん浮かんでくる。
けれど――。
その頃。
玲が研究に没頭している間に、別の場所では別の仕事が進んでいた。
* * *
「こちらが商業ギルドからの書類です」
セドリックがレオンハルトの前に書類を並べる。
「商品登録は問題ありません」
「販売方法は?」
「まずは辺境での販売から始めます」
セドリックが説明する。
「いきなり大量に流通させるのではなく、最初は生産量を見ながら調整します」
「妥当だな」
「価格についても、材料費と製造費を考慮して設定しました」
「容器は?」
今度はマリアが答える。
「化粧水の瓶は、こちらの職人に依頼しています」
「石鹸の包装も?」
「はい。今後の生産量を考えて、継続して作れるよう話をつけています」
レオンハルトは頷く。
「玲には?」
「研究に集中してもらっています」
「そうか」
セドリックが苦笑する。
「玲様は、こちらの仕事を気にするより、新しい商品を考えているようです」
「……だろうな」
レオンハルトも苦笑した。
* * *
さらに数日。
「玲様」
「はい?」
作業スペースで研究をしていた玲のところへ、マリアがやって来た。
「販売準備が整いました」
「え?」
玲が顔を上げる。
「もう?」
「はい」
「早い……」
玲は立ち上がる。
「商品登録も?」
「済んでいます」
「販売方法は?」
「決まりました」
「価格は?」
「こちらです」
マリアが書類を差し出す。
玲は目を通していく。
「……本当に全部やってくれた」
「それが私たちの仕事ですから」
「ありがとう」
玲は心から礼を言った。
「私一人だったら、まだ商業ギルドで話を聞いてる途中だったと思う」
「ですから、玲様は商品開発に集中してください」
「うん」
玲は頷いた。
「じゃあ、私は研究を続けます」
「はい」
マリアが微笑む。
「次の商品も楽しみにしています」
「任せて!」
玲の目が輝く。
『マリア、言っちゃったね』
「え?」
『玲、こう言われると止まらないよ』
「アビー!」
マリアが小さく笑った。
「それでは、私はこれで」
「ありがとう!」
マリアが部屋を出ていく。
玲はすぐに作業台へ戻った。
「さて……」
『もう次?』
「もちろん」
玲は新しい紙を広げる。
「次は何を作ろうかな」
* * *
その日の午後。
「グレイスさん!」
「玲さん?」
玲がグレイスを訪ねる。
「これ、プレゼントです」
「まあ」
渡されたものを見て、グレイスの顔が明るくなる。
「石鹸と……化粧水?」
「うん。正式に販売できることになったから」
「本当に?」
「はい」
グレイスは嬉しそうに石鹸を手に取る。
「それと、こっちはサンプル」
「サンプル?」
「少量だけど、何人かに使ってもらえるようにしてあるの」
玲は小さな容器を渡した。
「もしよかったら、お友達にも使ってもらって」
「私が紹介していいの?」
「うん」
玲は頷く。
「実際に使った人の感想も聞きたいし」
「分かったわ」
グレイスはサンプルを大事そうに受け取った。
「任せて」
「ありがとう!」
玲は笑った。
けれど、玲はまだ知らない。
グレイスがこの辺境で、多くの貴族女性と交流していること。
そして――。
彼女が気に入ったものを紹介すれば、それが大きな口コミになることを。
「玲さん」
「はい?」
「これ、本当に楽しみだわ」
「私もです」
二人は顔を見合わせて笑った。
* * *
玲が帰った後。
グレイスは、手元の石鹸と化粧水を見つめた。
「ふふっ」
そして、サンプルも確認する。
「これは……みんな興味を持つでしょうね」
グレイスの頭には、次のお茶会の予定が浮かんでいた。
きっと聞かれる。
最近、肌が綺麗になった理由を。
その時は――。
「玲さんのこと、教えてあげなくちゃ」
グレイスは楽しそうに笑った。
その頃、玲はそんなこととは知らず。
「次は保湿クリームかなぁ……」
自分の作業スペースで、新商品のことを考えていた。
玲は商品を作る。
セドリックとマリアは、商品を売る準備をする。
そしてグレイスは――。
玲の商品を、誰かに伝える。
それぞれの役割が、少しずつ形になっていく。
辺境で生まれた二つの商品。
石鹸と化粧水。
その評判が、これからどこまで広がっていくのか。
玲はまだ、知らなかった。
――第三十八話 終――




