第36話 商業ギルドへ
翌朝。
玲は朝食を終えると、アビーを抱き上げ、雷電を連れて部屋を出た。
「今日はレオンハルトに報告してから行こう」
『どこに?』
「商業ギルド」
『昨日言ってたね』
「うん」
腕の中のアビーが首を傾げる。
『石鹸と化粧水を売るの?』
「まだ分からないよ」
玲は笑う。
「売れるかどうかも分からないし、とりあえず相談」
「ワン」
『玲、商売するんだな』
「だから、まだ相談だってば」
* * *
「レオンハルト、いる?」
執務室の扉を軽く叩く。
「ああ。入れ」
中に入ると、レオンハルトはすでに仕事を始めていた。
「おはようございます」
「おはよう。どうした?」
「今日、商業ギルドに行こうと思って」
「商業ギルド?」
「はい」
玲は持ってきた二つの容器を机の上に置いた。
「石鹸二号と、昨日完成した化粧水です」
レオンハルトが二つを見る。
「もう完成したのか」
「はい。グレイスさんにも使ってもらって、問題なさそうだったので」
「そうか」
「それで、商業ギルドに持っていって相談してみようかなって」
「相談?」
「売れるかどうかも分からないし、まずは話を聞いてみようと思って」
レオンハルトは少し考えた。
「それなら、グレンを同行させよう」
「グレンを?」
「あいつは商業ギルドにも顔が利く」
「ああ、そうだった」
玲は頷く。
「じゃあ、グレンが来るのを待ってればいい?」
「俺も行く」
「レオンハルトも?」
「お前一人で行かせるよりいいだろう」
「……確かに」
玲は素直に頷いた。
* * *
しばらくして。
「団長、お待たせしました」
グレンが執務室へ入ってきた。
「おう」
「玲も来てたのか」
「うん。今日、商業ギルドに行くの」
「石鹸と化粧水の件だな」
「そう!」
グレンが笑う。
「グレイスから聞いてるぞ。昨日、化粧水も使ったんだろ?」
「うん。どうだった?」
「かなり気に入ってた」
「本当?」
玲の顔がぱっと明るくなる。
「ああ。石鹸も良かったって言ってたぞ」
「よかったぁ……」
玲がほっと息を吐く。
「これなら、誰かに使ってもらっても大丈夫そう」
「グレイスは、もっと欲しいって言ってたけどな」
「え?」
「自分用に買いたいらしい」
「……売る前から予約?」
玲が目を丸くする。
グレンが吹き出した。
「そんなところだな」
「ふふっ」
レオンハルトも小さく笑う。
「では、行くか」
「はい!」
* * *
商業ギルド。
玲にとっては初めて訪れる場所だった。
「ここが商業ギルド……」
冒険者ギルドとは雰囲気が違う。
受付には商人らしき人々が並び、職員たちは書類を確認したり、何やら相談を受けたりしている。
「緊張してる?」
グレンが聞く。
「ちょっとだけ」
「別に取って食われるわけじゃない」
「分かってるけど……」
玲は持っている二つの容器を見る。
「本当に売れるか分からないし」
「だから相談なんだろ?」
「そう」
玲は頷いた。
「行こう」
グレンが受付へ向かう。
「新商品の販売について相談したいんだが」
「かしこまりました」
職員が玲たちを見る。
「商品の実物はございますか?」
「はい」
玲が石鹸二号と化粧水を取り出す。
「こちらです」
「……石鹸?」
「はい」
「そして、こちらは?」
「化粧水です」
「化粧水……」
職員が不思議そうに容器を見る。
「どのような商品でしょうか?」
「洗顔や入浴の後に肌につけるものです。肌を整えて、乾燥を防ぐために使います」
「なるほど……」
職員は石鹸を手に取る。
そして化粧水を見る。
「失礼ですが……」
「はい?」
「こちらは、玲さんがお作りになったのですか?」
「そうです」
「この二つとも?」
「はい」
職員の表情が変わった。
「少々、お待ちください」
「え?」
玲が戸惑っている間に、別の職員が呼ばれた。
そして――。
「こちらで詳しくお話を伺いましょう」
「……あれ?」
ただ相談するつもりだった玲は、奥の部屋へ案内されることになった。
* * *
部屋に通されると、向かい側に商業ギルドの職員が座る。
「まず、商品について確認させてください」
「はい」
「石鹸は、一般的な石鹸と比べて何が違うのでしょう?」
「肌に優しいことを一番に考えています」
「化粧水は?」
「洗った後の肌を整えるためのものです」
「なるほど」
職員が書類に何かを書き込んでいく。
「では、販売する場合ですが――」
「はい」
「商品登録が必要になります」
「商品登録?」
「製造者や商品名などを登録していただきます」
「なるほど」
「販売方法についても決める必要があります」
「販売方法……」
「店舗で販売するのか、他の商人に卸すのか。あるいは、ご自身で販売するのか」
「へぇ……」
玲は真剣に聞く。
「価格設定も必要です」
「価格……」
「材料費、製造にかかる費用、容器代などを考慮して決めることになります」
「容器代……」
玲の眉が動いた。
「それから容器」
「……容器?」
「はい」
職員が化粧水を見る。
「こちらは、何に入れて販売する予定でしょうか?」
「……」
玲が固まった。
「えっと……」
「はい」
「通販で買った容器を使おうかなって」
「通販?」
「あ」
玲が口を閉じる。
『玲、言っちゃったね』
「アビー、今は黙ってて」
『はーい』
レオンハルトが何とも言えない顔をする。
グレンは笑いを堪えていた。
「……失礼しました」
職員は深く追及せず、話を続ける。
「ですが、販売数が増えた場合、その方法では難しいでしょう」
「ですよね」
「容器を大量に仕入れる必要があります」
「……」
玲は化粧水を見る。
一本。
二本。
十本。
百本。
もっと売れるなら――。
「……そうか」
「何か?」
「容器も作らないといけないんだ」
玲が呟いた。
「作る?」
グレンが聞き返す。
「うん」
玲は顔を上げる。
「この世界で作れないかな?」
「容器を?」
「はい」
玲の頭が動き始める。
「ガラスとか、陶器とか……この世界にもありますよね?」
「もちろんある」
グレンが答える。
「なら、職人さんにお願いして作ってもらえばいいんじゃない?」
「確かに、それなら大量に用意できるかもしれんな」
レオンハルトも頷く。
「それに――」
玲は化粧水の容器を見つめる。
「自分の商品専用の容器にしたら、見た目も良くなるよね」
「商品専用?」
「うん」
玲の目が輝いた。
「石鹸も箱とか包装を作って、化粧水も専用の瓶にして……」
『玲、また始まった』
「何が?」
『新しいこと考えてる』
「だって必要なんだもん」
グレンが苦笑する。
「玲は一つ問題が解決すると、また次の問題を見つけるな」
「そう?」
「ああ」
玲は少し考えてから笑った。
「でも、こういうの考えるの楽しいよ」
職員が話を戻す。
「他にも、ラベルや商品名などを決めていただく必要があります」
「ラベル……」
玲はまた固まった。
「商品名……」
さらに書類を見る。
「生産量も?」
「はい」
「販売場所も?」
「はい」
「それに……」
職員が説明を続ける。
「長く販売されるのであれば、商品名などを他者に使用されないよう、商標に近い登録を検討されてもよいでしょう」
「商標……」
玲は目を丸くする。
「本当に商売って大変なんだ……」
「今さらか?」
レオンハルトが言う。
「だって!」
玲は二つの商品を見る。
「私はただ、肌に優しい石鹸と化粧水を作ってみたかっただけなんだもん」
「だが、実際に商品として形になった」
レオンハルトが言う。
「ならば、その先を考える必要がある」
「……そうですね」
玲は頷いた。
売れるかどうかも分からない。
まだ商品名すら決まっていない。
それでも――。
ここまで来たなら。
「ちゃんと考えてみます」
玲は二つの商品を見つめた。
「せっかく作ったんだから、この世界の人にも使ってもらいたい」
その言葉に、職員が微笑む。
「でしたら、こちらもできる限りお手伝いしましょう」
「ありがとうございます!」
玲は頭を下げる。
そして――。
「まずは、容器を作ってくれる職人さんを探さないと」
玲の頭の中には、早くも次の予定が浮かんでいた。
石鹸の箱。
化粧水の瓶。
ラベル。
商品名。
考えることは、まだまだある。
けれど。
「なんか……楽しくなってきた」
『玲、やっぱり』
「だって、研究だけじゃなくて商品まで作れるんだよ?」
「ワン!」
『俺は散歩がいい』
「雷電は関係ないでしょ」
玲の笑い声が響く。
商業ギルドへ来る前は、ただの「相談」のつもりだった。
けれど――。
気づけば玲は、初めて本格的に商売というものと向き合っていた。
そして。
新しい課題が一つ増えた。
商品を入れる容器。
玲の頭の中には、すでにいくつもの形が浮かび始めていた。
――第三十六話 終――




