第2話 毒を盛られました~王城脱出~【後編】
串焼きを食べ終えた玲は、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻していた。
「ふぅ……生き返った」
お腹が膨れるというのは、それだけで心に余裕ができるらしい。
隣では雷電が満足そうに座り込み、アビーも玲の足元で丸くなっている。
「さて……」
玲は立ち上がった。
「次は寝るところを探さないと」
今日一日で、あまりにも色々なことが起こりすぎた。
異世界に召喚された。
聖女だと言われた女子高生と一緒に王城へ連れて行かれた。
自分はほぼ無視された。
挙げ句の果てに、毒を盛られた。
そして逃げてきた。
「……改めて考えると、とんでもない一日だな」
「ワン」
「雷電もそう思う?」
「ワン」
『私は最初からそう言ってる』
「アビーはいつも冷静だね……」
玲は苦笑しながら歩き出した。
とりあえず、今夜泊まれる場所を探そう。
それが最優先だ。
しかし――。
「……ない」
最初に見つけた宿。
「すみません、犬が二匹いるんですけど……」
「申し訳ありませんが、動物はちょっと……」
「ですよね」
二軒目。
「犬連れなんですが、泊まれますか?」
「犬は外で飼っていただければ」
「……外?」
玲は雷電を見る。
雷電も玲を見る。
「無理だね」
「ワン」
『当然』
「だよね」
三軒目。
「犬二匹なんですけど――」
「駄目だよ」
「ですよねぇ……」
四軒目。
「大型犬と小型犬なんですが……」
「申し訳ありません」
「はい……」
断られるたびに、玲の肩が落ちていく。
「……どうしよう」
気がつけば、空が赤く染まり始めていた。
「今日中に見つけないと、野宿……?」
玲は周囲を見渡した。
異世界に来て初日。
王城から命からがら逃げてきたと思ったら。
「まさか野宿……」
雷電が玲の顔を見る。
「いや、雷電は平気そうな顔しないで」
「ワン」
「私は無理だからね?」
『私も嫌』
「アビーもでしょ?」
『当然』
「……二人ともそこは意見一致するんだ」
玲が途方に暮れていると。
「――あんた!」
「え?」
突然、後ろから声を掛けられた。
振り返る。
「こんな時間に何してるんだい?」
そこにいたのは、恰幅の良い女性だった。
年齢は五十代くらいだろうか。
腕まくりした服にエプロン姿。
見るからに「食堂の女将さん」という雰囲気だ。
その女性は玲と、玲の隣にいる二匹の犬を交互に見た。
「……旅の人かい?」
「え?」
玲は少し警戒した。
「まぁ……そんな感じです」
まさか、
『王城から逃げてきました』
なんて言えるはずがない。
「泊まるところ、探してるんだろ?」
「……分かります?」
「こんな時間まで宿屋の前をうろうろしてりゃ、誰だって分かるさ」
「あ……」
玲は恥ずかしくなった。
「実は、犬が二匹いて……泊めてくれる宿がなかなか見つからなくて」
「ああ、なるほどね」
女将さんは雷電を見る。
次にアビーを見る。
「この子たちかい?」
「はい」
雷電がじっと女将さんを見る。
女将さんも負けずに雷電を見る。
「……立派な犬だねぇ」
「そうなんです」
玲が少し嬉しそうに答える。
「赤柴の雷電です」
「ワン」
「こっちはアビー」
「……」
アビーは女将さんをじっと観察している。
『玲』
「何?」
『悪い人じゃない』
「そっか」
玲はほっとした。
「うち、食堂なんだけどね」
女将さんが通りの向こうを指差した。
「裏に部屋があるんだよ。豪華な宿じゃないけど、犬二匹くらいなら構わないよ」
「……!」
玲の目が輝いた。
「本当ですか?」
「ああ」
「泊めてもらえますか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
玲は思わず頭を下げた。
「助かったぁ……」
その場にへたり込みそうになる。
「ほらほら、そんなところに座るんじゃないよ。お腹も空いてるんだろ?」
「……」
玲のお腹が。
ぐぅぅぅぅ……。
「…………」
「…………」
女将さんが笑った。
「ははは! 分かりやすい子だねぇ!」
「すみません……」
「うちで何か食べていきな」
「いいんですか?」
「あんた、旅人なんだろ? 腹いっぱい食わせるくらいどうってことないさ」
「ありがとうございます……!」
玲は泣きそうになった。
今日初めて。
まともに優しくされた気がした。
* * *
「はぁ~~……」
食堂の隅の席で、玲は温かいスープを飲んでいた。
「美味しい……」
「そうかい。よかったねぇ」
女将さんが笑う。
雷電には肉の切れ端。
アビーには柔らかい食べ物を少し。
二匹も満足そうだ。
「……」
玲はスープを飲みながら、ふと考えた。
この人は親切だ。
だったら。
「女将さん」
「何だい?」
「旅に出るには……何が必要ですか?」
「旅?」
「はい」
玲は曖昧に笑った。
「ちょっと遠くへ行こうと思って」
女将さんは少し考えた。
「そうだねぇ……まず身分証だね」
「身分証……」
「持ってるのかい?」
「…………」
玲は固まった。
「えーっと……」
バッグを覗く。
財布。
犬のおやつ。
リード。
ハンカチ。
そして――。
「……あります」
「何だ、持ってるじゃないか」
女将さんが安心した顔をする。
「見せてみな」
「え?」
「身分証」
「あー……」
玲は財布から一枚のカードを取り出した。
「これです」
「…………」
女将さんがカードを見る。
玲も見る。
マイナンバーカード。
当然ながら、日本国の。
「…………」
「…………」
女将さんが首を傾げる。
「……何だい、これは?」
「マイナンバーカードです」
「まい……?」
「マイナンバーカード」
「…………」
「……身分証明書です」
「へぇ……」
女将さんがカードを裏返す。
「……何語だい?」
「日本語です」
「にほん……?」
「……」
玲は黙った。
そうだった。
ここ、日本じゃない。
「…………これ、使えます?」
「使えるわけないだろう」
「ですよねぇぇぇ……」
玲はテーブルに突っ伏した。
女将さんが笑う。
「ははは! 何だいあんた! 面白い子だねぇ!」
「笑い事じゃないですよぉ……」
「なら、冒険者ギルドへ行きな」
「冒険者ギルド?」
玲が顔を上げた。
「ああ。身分証がないなら、そこで登録すればいい」
「登録……?」
「冒険者証を作ってもらえるからね」
「冒険者……」
玲は考える。
ファンタジー小説でよく見るやつだ。
「冒険者ギルド……」
魔物。
依頼。
討伐。
素材。
そして――。
「……私でもなれるんですか?」
「なれるさ」
「私、戦えないですけど」
「最初から強い奴なんてそうそういないよ」
女将さんは笑った。
「それに、あんたの犬たち」
女将さんが雷電とアビーを見る。
「ずいぶん賢そうじゃないか」
「……」
玲は雷電を見る。
雷電は堂々と座っている。
アビーは女将さんをじっと見ている。
「まぁ……確かに」
雷電は番犬。
アビーは情報収集担当。
頼りになる二匹だ。
「でも、冒険者かぁ……」
玲は呟いた。
王城から逃げた。
戻るつもりはない。
この世界で生きていくなら。
「……お金も必要ですよね」
「そりゃそうだ」
「じゃあ、明日ギルドに行ってみます」
「ああ、それがいい」
女将さんは頷いた。
「今夜はもう休みな。明日になれば、また考えればいいさ」
「……はい」
玲は小さく笑った。
「ありがとうございます」
「礼なんていいよ。困ったときはお互い様だ」
その言葉に。
玲は少しだけ胸が温かくなった。
王城では、誰も玲を見ていなかった。
毒を盛られても。
助けてくれる人はいなかった。
けれど。
この世界には。
ちゃんと優しい人もいる。
「……異世界も、悪くないのかも」
『玲』
「ん?」
『まだ油断しちゃ駄目』
「分かってるよ」
アビーが釘を刺す。
雷電も女将さんの店内を見回している。
「二人とも心配性だなぁ」
「ワン」
『玲が無防備すぎる』
「はいはい」
玲は笑った。
その夜。
玲は久しぶりに、安心して眠れる場所を手に入れた。
――ただし。
本人はまだ知らない。
自分のバッグの中に。
異世界の常識を根底からひっくり返す、とんでもない道具が眠っていることを。
そして。
明日、冒険者ギルドへ向かうことで。
一ノ瀬玲の異世界生活が、本当の意味で始まることを――。




