第29話 初めての試作品
翌朝。
玲は朝食を終え、アビーと雷電と一緒に過ごしていた。
昨日、冒険者ギルドに依頼した薬草。
すぐには揃わないだろうと思っていた。
「玲様、よろしいでしょうか?」
部屋の外から声がする。
「はい?」
「冒険者ギルドから連絡が入っております」
「えっ!」
玲は思わず立ち上がった。
『早かったね』
「うん!」
「ワン!」
雷電も耳を立てる。
「材料かもしれない!」
『玲、嬉しそう』
「だって、もう届いたかもしれないんだよ?」
玲は急いで身支度を整えた。
* * *
冒険者ギルドへ着くと、昨日対応してくれた職員が玲を出迎えた。
「玲さん、お待ちしていました」
「依頼していた薬草ですか?」
「はい。すべてではありませんが、採取できたものをお持ちしました」
「ありがとうございます!」
カウンターの上に、いくつかの袋が並べられる。
玲はさっそく一つを手に取った。
「これは……」
袋の中から出てきたのは、小さな種だった。
黒に近い色。
大きさも形も、どこか見覚えがある。
玲は指先で転がしてみた。
「……菜種みたい」
「ナタネ?」
「あっ」
職員が首を傾げる。
「えっと……日本にあった植物の名前です」
「日本?」
「私がいた世界で、油を取るために使われていた植物なんです」
玲は種をもう一度眺める。
「この種から油が取れるなら、石鹸に使えるかもしれない」
「油が?」
「はい」
玲の目が輝く。
植物から取れる油。
それだけでも、試してみる価値はある。
「ちなみに、これはどうやって使う植物なんですか?」
「食用油として使われることもあるそうです」
「やっぱり!」
玲の顔が明るくなる。
『玲、もう石鹸のこと考えてるでしょ』
「だって油が取れるんだよ?」
『はいはい』
次の袋を開く。
「これは……実?」
今度は丸みを帯びた、少し楕円形の実だった。
玲は手のひらに乗せ、じっくり観察する。
色。
大きさ。
表面。
そして、そっと香りを嗅ぐ。
「……オリーブに似てる」
「オリーブ?」
「これも日本にあった植物です」
玲は説明する。
「実から油が取れるんです」
「これも油を?」
「たぶん」
「たぶん?」
「見た目と香りが似ているだけなので」
玲は苦笑した。
「実際に油が取れるかは、試してみないと分かりません」
研究者としての勘だけで決めつけることはしない。
似ている。
だから、可能性がある。
それだけだ。
「もし油が取れるなら……」
玲の頭の中で、また石鹸の配合が浮かぶ。
「面白そう」
『ほら、やっぱり』
「何が?」
『もう研究始まってる』
「……だって、気になるじゃん」
玲は次の袋へ手を伸ばした。
「これは?」
「香りの強い薬草です」
乾燥させた葉を少量手に取る。
「……いい香り」
『ほんとだね』
「これは石鹸の香り付けに使えるかも」
玲は鼻を近づけ、香りを確認する。
「こっちは?」
「肌に使われることのある薬草です」
「それなら、こっちも候補」
玲は次々と素材を確認していく。
薬草図鑑で見た名前。
実物の形。
香り。
使われ方。
油が取れるかどうか。
肌に使えるかどうか。
頭の中で、一つずつ情報を整理していく。
「……これ、全部少しずつ試してもいいですか?」
「もちろんです。玲さんが依頼されたものですから」
「ありがとうございます!」
玲は嬉しそうに頭を下げる。
「残りの素材も、採取できたら連絡をお願いします」
「承知しました」
「よろしくお願いします!」
玲は素材を受け取った。
袋を抱える。
ずっしりとした重み。
「……やっとだ」
『何が?』
「研究が始められる」
玲は笑った。
「帰ったら、さっそく準備しよう」
「ワン!」
『雷電はご飯じゃない?』
「……」
玲が雷電を見る。
「雷電」
「ワン?」
「今、研究の話してたよね?」
「ワン!」
『ご飯も大事だって』
「もう……」
玲は笑いながらギルドを後にした。
* * *
家に戻ると、玲はすぐに作業スペースを整えた。
昨日、異世界通販で購入した道具を並べていく。
はかり。
温度計。
計量カップ。
ボウル。
ゴムベラ。
泡立て器。
スプーン。
かき混ぜ棒。
「よし」
一つずつ確認する。
「これなら大丈夫」
苛性ソーダを使うため、器具の材質も選んである。
PP。
ステンレス。
ガラス。
アルカリに耐えられるものを揃えた。
「それから……」
玲は保護具を確認する。
「安全対策もオッケー」
石鹸作りに使う苛性ソーダ。
水酸化ナトリウム。
油脂と反応させて石鹸を作るために必要なものだ。
便利な反面、扱いを間違えれば危険な薬品でもある。
「ちゃんと気をつけないとね」
『玲、いつもより真剣』
「当たり前だよ」
玲は頷く。
「肌に使うものを作るんだから、安全第一」
まずは今回使う油を確認する。
採取された植物から取った油。
まだ精製されたものではない。
だからこそ、まずは状態を確認する。
「色は……」
光にかざす。
「香りは……」
少量を確認する。
「なるほど」
日本で使っていた油とは、少し違う。
でも、それが面白い。
「この世界の植物から取った油で石鹸を作るんだ……」
玲の胸が高鳴った。
日本で研究していた頃とは違う。
材料も。
環境も。
何もかも違う。
それでも。
素材を調べて。
特徴を考えて。
組み合わせを試す。
研究することそのものは、何も変わらない。
「……やっぱり、楽しい」
* * *
その日の夕方。
「ただいま」
玄関からレオンハルトの声がした。
「あ、お帰りなさい!」
玲が出迎える。
「今日は早いですね」
「騎士団の仕事が一段落したからな。それより、何かあったのか?」
「はい!」
玲の顔が輝く。
「冒険者ギルドから材料が届きました!」
「そうか」
「それで、今日は試作品を作ります」
「もう作るのか?」
「はい。材料が揃ったんですから!」
玲は嬉しそうだ。
レオンハルトが苦笑する。
「分かった。だが、危険な薬品を使うのだろう?」
「はい」
「くれぐれも気をつけろ」
「もちろんです」
レオンハルトはそれ以上口を出さず、自分の仕事へ戻っていった。
玲も作業スペースへ戻る。
「さて……」
玲は深呼吸した。
「始めよう」
* * *
まずは材料を量る。
はかりに油を乗せる。
「……」
表示された数字を確認する。
もう一度確認。
「よし」
次に水。
そして苛性ソーダ。
玲は計算した量を慎重に確認する。
「ここは絶対に間違えない」
日本で研究をしていた頃と同じ。
分量。
温度。
材料の状態。
すべてを確認していく。
油脂とアルカリ。
それぞれを適切な条件で合わせていく。
少しずつ。
少しずつ。
状態が変化していく。
「……」
玲の目が真剣になる。
「いい感じ」
混ぜながら、状態を確認する。
最初はただの油だったものが、少しずつ変化していく。
「これが石鹸になるんだよね」
『そうなんだ』
「うん」
玲は手を止めない。
「ここからが大事」
丁寧に。
慎重に。
そして――。
「よし」
型を用意する。
玲はゆっくりと石鹸の素地を流し込んでいった。
表面を整える。
ほんのりと植物の香りが漂う。
「……」
玲はしばらく黙って見つめた。
「第一号……」
まだ柔らかい。
当然、今すぐ使えるわけではない。
ここから固まり、さらに熟成させる必要がある。
それでも。
「私が作ったんだ……」
玲の顔に笑みが浮かんだ。
『うん』
「この世界で初めての石鹸」
「ワン!」
「雷電、まだ食べられないよ」
「ワン!」
『食べようとしてないと思う』
「……たぶんね」
玲は笑った。
そこへ、レオンハルトが顔を覗かせた。
「終わったのか?」
「はい!」
玲は嬉しそうに振り返る。
「第一号、できました!」
「これが?」
「まだ完成じゃないです」
「……?」
「今は型に入れただけ」
「そうなのか」
「ここから固まって、熟成させます」
「随分と時間がかかるんだな」
「そうなんです」
玲は型を見つめる。
「でも、その分楽しみです」
「失敗する可能性は?」
「もちろんあります」
「あるのか?」
「研究ですから」
玲は笑った。
「一回で完璧にできるとは思ってません」
「それでも楽しそうだな」
「はい」
玲は型の中を見つめる。
「失敗したら、次にどこを変えればいいか分かるから」
「なるほど」
レオンハルトが頷いた。
玲はもう一度、第一号試作品を見る。
まだ使えない。
まだ完成していない。
それでも――。
確かに一歩進んだ。
「……早く固まらないかな」
『待つんでしょ?』
「待つよ」
『本当に?』
「……待つ!」
「ワン!」
「雷電まで!」
玲の声に、アビーの笑い声が重なる。
レオンハルトも小さく笑った。
その日。
玲の異世界での研究生活は、初めて一つの形を生み出した。
第一号試作品。
それはまだ、完成品ではない。
けれど――。
日本で培った知識と。
この世界で出会った素材。
そして玲自身の手で生み出した、小さな一歩。
それがやがて、辺境の女性たちの暮らしを変えていくことを。
この時の玲は、まだ知らなかった。
――第二十九話 終――




