第28話 石鹸作りの準備
冒険者ギルドを出た玲は、アビーを抱いたまま家へ向かっていた。
足元には雷電。
「採取依頼、出せて良かったね」
『うん』
「どんな植物が集まるのかな」
『玲が欲しがってた、油が採れる植物も見つかるかな?』
「それが一番気になるところだね」
玲は歩きながら考える。
実や種から油が採れる植物。
香りの良い植物。
肌に使われている薬草。
保湿に使えそうなもの。
日本にいた頃なら、ある程度の原料はすぐに手配できた。
けれど、ここは異世界。
どんな植物が存在するのかも分からない。
「実物を見るのが楽しみ」
『研究者の顔になってるよ』
「そう?」
『うん』
「だって、知らない素材を調べるんだよ?」
玲は嬉しそうに笑った。
「楽しいに決まってるじゃん」
「ワン!」
「雷電もそう思う?」
「ワン!」
『雷電はたぶん、帰ったらご飯が食べられるから嬉しいんだよ』
「……」
玲は足元を見る。
「雷電」
「ワン?」
「私、今すごく研究の話をしてたんだけど」
「ワン!」
『ご飯も大事だって』
「もう……」
玲は苦笑しながら歩き続けた。
やがて、家に到着する。
「ただいま」
玲は玄関で靴を脱いだ。
何気ない動作。
異世界に来てからも、家に帰れば靴を脱ぐ。
日本にいた頃から染みついた習慣だった。
そのまま揃えて置く。
「……よし」
『玲、それ毎回やるよね』
「何が?」
『靴を揃えるの』
「だって、脱いだら揃えるでしょ?」
『私は知らない』
「アビーは犬だからね」
「ワン」
雷電はそんな二人を横目に、さっさと部屋へ向かっていく。
「雷電、待って」
「ワン!」
玲も後を追った。
* * *
「おかえり」
リビングへ入ると、レオンハルトが顔を上げた。
「ただいま戻りました」
「冒険者ギルドはどうだった?」
「ちゃんと依頼を出してきました」
「そうか」
レオンハルトが頷く。
「グレンから話を通してもらっていたようだな」
「はい。受付の人にも伝わってました」
玲は椅子に腰を下ろした。
「油が採れる植物とか、香りの良い植物とか、肌に使えそうな薬草を探してもらうことにしました」
「かなり細かく頼んだようだな」
「……やっぱり?」
「グレンから聞いた」
「うっ……」
玲は少しだけ気まずそうに笑う。
「でも、必要なんです」
「そうなのか?」
「はい」
玲は真面目な顔になった。
「普通の石鹸なら、この世界にもありますよね?」
「ああ。もちろんある」
「ですよね」
玲は頷いた。
「私が作りたいのは、それとは違うものなんです」
「どんなものだ?」
「肌に優しい石鹸です」
「肌に優しい?」
「はい」
玲は頷く。
「できるだけ肌への刺激が少なくて、洗った後につっぱりにくくて、使い心地のいいもの」
「なるほど」
レオンハルトは少し考えるような顔をした。
「しかし、石鹸というのは、そもそもそういうものではないのか?」
「え?」
「身体を洗うものだろう?」
「もちろんそうなんですけど……」
玲は少し考えた。
「この辺りでは、石鹸って何から作ってるんですか?」
「何から?」
「はい。油とか、薬草とか」
「俺が知っているものなら、獣の脂と灰を使っているものが多いな」
「……灰?」
玲の目が変わった。
『玲、研究者の顔になった』
「ちょっと待って」
玲はレオンハルトへ向き直る。
「灰って、植物を燃やした灰ですか?」
「ああ」
「それをどうするんです?」
「水に溶かして、脂と合わせると石鹸になると聞いている」
「なるほど……」
玲は考え込む。
油脂。
アルカリ。
そして、石鹸。
「……やっぱり」
「何がだ?」
「ううん」
玲は小さく笑った。
「石鹸を作る仕組み自体は、この世界でもちゃんと知られてるんですね」
「仕組み?」
「油脂とアルカリを反応させて石鹸にする、っていうことです」
レオンハルトは少し驚いた顔をした。
「そんなことまで分かるのか?」
「日本では普通に知られていることなので」
玲は答えながら、頭の中を整理していく。
この世界では、灰からアルカリを作る。
おそらく、昔ながらの方法。
そして、そのアルカリを油脂と反応させて石鹸を作っている。
「だったら……」
玲の中で、一つの考えが浮かんだ。
「もっと安定した材料で作ったら、今より良いものができるかもしれない」
「良いもの?」
「はい」
玲は嬉しそうに笑った。
「油脂の種類を変えたり、配合を調整したり。アルカリの量もきちんと計算して」
「……随分と細かいな」
「研究ですから」
玲は胸を張った。
「適当に作るわけにはいきません」
レオンハルトが苦笑する。
「なるほど」
「それに、肌に使うものだから」
玲の表情が真剣になる。
「安全性はちゃんと確認したいです」
「そうか」
「だから、まずは色々な素材を試してみます」
「それで、冒険者ギルドに依頼を?」
「はい」
玲は嬉しそうに頷いた。
「良い素材が見つかるといいなぁ」
「完成するのが楽しみだな」
「はい!」
玲が答える。
その顔を見て、レオンハルトが小さく笑った。
「それで、材料が届くまでどうするんだ?」
「それなんです」
玲は立ち上がった。
「材料が来てから慌てないように、先に準備しておこうと思って」
「準備?」
「道具です」
玲はショルダーバッグを持った。
「ちょっと部屋に行ってきますね」
「何をするんだ?」
「買い物です」
「……買い物?」
「はい」
玲は笑った。
「異世界通販で」
* * *
部屋に入ると、玲はベッドへ腰を下ろした。
「さてと」
『始まるね』
「うん」
アビーが隣に座る。
玲はスマートフォンを取り出した。
「石鹸作りに必要なもの……」
まずは、はかり。
「これは絶対必要」
『そんなに?』
「うん。材料の量を正確に測らないといけないから」
次に温度計。
計量カップ。
ボウル。
ゴムベラ。
泡立て器。
スプーン。
かき混ぜ棒。
玲は一つずつ確認していく。
「……結構あるなぁ」
『いっぱいだね』
「でも、どれも必要だから」
そして、玲の手が止まった。
「……材質も確認しないと」
『材質?』
「うん」
玲は商品ページを確認する。
「苛性ソーダを使うから、何でもいいわけじゃない」
日本で研究をしていた頃。
薬品を扱う時は、容器や器具の材質にも気を配っていた。
「これはPP」
ポリプロピレン。
「こっちはステンレス」
「これはガラス」
使うものに合わせて、一つずつ選んでいく。
『玲、楽しそう』
「うん」
玲は素直に答えた。
「こういう準備も好きなんだよね」
『知ってる』
「……」
玲は再び画面へ視線を戻した。
そして――。
「苛性ソーダ」
水酸化ナトリウム。
石鹸を作るために必要なアルカリ。
「これも買っておこう」
『危ないもの?』
「扱いには注意が必要だよ」
玲の表情が引き締まる。
「だから、これを使う時は安全対策をしっかりする」
必要な保護具も確認する。
玲は購入予定の商品を最初から確認した。
はかり。
温度計。
計量カップ。
ボウル。
ゴムベラ。
泡立て器。
スプーン。
かき混ぜ棒。
そして――。
苛性ソーダ。
「よし」
玲が購入ボタンを押した。
「これで準備はできる」
『早く届くといいね』
「異世界通販だから、すぐ届くよ」
玲は笑った。
* * *
「……随分と買ったな」
しばらくして。
届いた荷物を見て、レオンハルトが呟いた。
「必要なものだけですよ」
「これが?」
「はい」
玲は箱を開けていく。
「まずは、はかり」
「これは?」
「材料を正確に量るためです」
「なるほど」
「これは温度計」
「温度を測るのか?」
「そうです」
「こちらは?」
「計量カップ」
「これは?」
「ボウル」
「これは?」
「ゴムベラ」
レオンハルトの質問に、玲は一つずつ答えていく。
その横では、アビーが箱を覗き込んでいる。
『いっぱい買ったね』
「必要なんだってば」
『分かってるよ』
雷電も近づいてきた。
「雷電も見る?」
「ワン」
雷電が匂いを嗅ぐ。
「ほら、興味津々」
『それ、食べ物じゃないよ』
「……」
雷電は何事もなかったように離れていった。
「雷電……」
玲は苦笑する。
「これは食べられないからね」
「ワン」
買った道具を並べ終えると、玲は一つずつ状態を確認していった。
傷はないか。
汚れはないか。
使いやすいか。
そして――。
「これで準備はできた」
玲は満足そうに頷いた。
「しかし、まだ作らないのか?」
レオンハルトが尋ねる。
「材料がまだだから」
「ああ」
「冒険者ギルドにお願いした植物が届かないと、試作できないんです」
「なるほどな」
玲はもう一度、並べた道具を見る。
準備はできた。
あとは材料だけ。
「……早く届かないかな」
『玲、待ちきれないんだ』
「だって、どんな植物が来るか分からないんだよ?」
玲の目が輝く。
「実際に見て、香りを確認して、どんな油が取れるのか調べて……そこからどう使えるか考えるんだから」
「本当に楽しそうだな」
レオンハルトが笑う。
「研究が好きなんだな」
「はい」
玲は迷わず答えた。
「大好きです」
玲は道具を一つずつ片付けていく。
材料が届くまでは、待つしかない。
けれど、ただ待つつもりもなかった。
「材料が届いたらすぐ作れるように、作業場所も準備しておこう」
玲は部屋を見回す。
どこで作業するか。
道具はどこに置くか。
材料をどう保管するか。
安全に作業するためには何が必要か。
一つずつ考えていく。
研究とは。
ただ作るだけではない。
準備をして。
条件を整えて。
試して。
結果を確認して。
また改良する。
玲にとって、それが当たり前だった。
「よし」
作業場所を決め、道具も整理した。
これで準備は完了。
玲は満足そうに頷いた。
『あとは?』
「待つ!」
『待てる?』
「……」
玲が黙る。
『待てない顔してる』
「だって……」
玲は道具を眺める。
早く試したい。
どんな石鹸になるのか。
どんな香りになるのか。
どんな使い心地になるのか。
考えるだけで胸が弾む。
「……早く材料、来ないかな」
「ワン!」
突然、雷電が鳴いた。
「雷電?」
『ご飯じゃない?』
「え?」
玲が振り返る。
雷電は、いつものように食事の場所を見つめていた。
「……」
『研究よりご飯だって』
「雷電は本当にブレないね……」
「ワン!」
玲は思わず笑った。
「分かった。ご飯にしよう」
こうして。
玲は石鹸作りに必要な道具を揃えた。
材料はまだない。
けれど――。
準備は整った。
あとは。
冒険者ギルドからの連絡を待つだけだった。
**――第二十八話 終――**




