第27話 辺境の冒険者ギルドへ
翌朝。
玲は朝食を終えると、昨日の図書室で見た薬草図鑑の内容を思い返していた。
薬草の名前。
生息地。
採取時期。
効能。
昨日は夢中になって調べていたけれど、一晩経って改めて考えてみると――。
「まずは、材料だよね」
『石鹸?』
「うん」
玲は頷いた。
「作ってみたいなら、実際に材料を集めないと」
この世界にも石鹸は存在する。
身体を洗ったり、衣類を洗ったりするためのものとして、普通に使われている。
だから、玲が作ろうとしているのは、石鹸そのものが珍しいからではない。
「今ある石鹸より、もっと肌に優しいものを作ってみたいんだよね」
『肌に優しい石鹸?』
「そう」
玲は頷いた。
「洗った後につっぱりにくくて、刺激が少なくて……できれば使い心地もいいもの」
『それなら、玲の得意分野だね』
「うん」
玲は少し嬉しそうに笑った。
日本で化粧品の研究開発をしていた頃。
肌への刺激。
保湿。
使用感。
香り。
原料の特徴。
そういったことを考えながら、何度も試作を繰り返してきた。
この世界に来ても、その知識は失われていない。
ならば――。
この世界にある素材を使って、自分にできることをやってみたい。
「石鹸を作るなら、まず油脂が必要だから……」
『油?』
「うん。実とか種から油が採れる植物があれば探したい」
玲は指を折りながら考える。
「それから、香りの良い植物。肌に使われている薬草や、保湿に使えそうなものも」
『いっぱい必要なんだね』
「最初から一つに決めるつもりはないよ」
玲は笑った。
「色々試してみたいから」
『研究者だねぇ』
「研究者ですから」
玲は胸を張った。
そして立ち上がる。
「今日は冒険者ギルドに行こう」
『採取依頼を出すんだね』
「そう」
辺境へ着いた翌日に冒険者登録をした時、すでに一度訪れている。
だから、ギルドの場所も中の雰囲気も分かっている。
今日は登録ではなく、採取依頼を出すためだ。
「グレンさんが話を通してくれるって言ってたし」
玲はショルダーバッグを肩に掛けた。
その瞬間。
昨日のアルベルトとの会話を思い出す。
ノート。
ボールペン。
筆箱。
そして――マジックバッグ。
「……今日はノート出さないようにしよう」
『覚えてたね』
「もう忘れないよ」
『本当かなぁ』
「アビー?」
『なんでもない』
「絶対なんか言ったでしょ」
玲は苦笑しながら、アビーを抱き上げた。
足元には雷電。
「雷電も行く?」
「ワン!」
『行くって』
「じゃあ、行こう」
三人で家を出た。
街を歩いていると、朝から多くの人が行き交っている。
冒険者らしい格好をした者も多い。
辺境という土地柄なのだろう。
「薬草を採る人も、きっと多いんだろうね」
『そうだね』
「だから、採取依頼を出せば詳しい人が見つかるかもしれない」
玲はそんなことを話しながら歩いていく。
やがて、見覚えのある建物が見えてきた。
「着いた」
冒険者ギルド。
玲は扉を開けた。
中から、朝のざわめきが聞こえてくる。
依頼を確認する冒険者。
受付で話をする者。
仲間同士で今日の予定を相談する者。
辺境へ来た翌日に冒険者登録をした時と、変わらない光景だった。
玲は迷わず受付へ向かう。
「おはようございます」
「おはようございます」
受付嬢が顔を上げる。
「あ、一ノ瀬様」
「はい」
「今日はどうされましたか?」
「薬草……というか、植物の採取について相談したくて」
「植物、ですか?」
「はい。グレンさんから話を通してもらっていると思うんですが」
「ああ!」
受付嬢が頷いた。
「伺っております」
「良かった」
玲はホッとした。
「昨日、辺境伯家の図書室で薬草図鑑を見せてもらったんです。それで、いくつか集めたいものがあって」
「具体的なものはお決まりですか?」
「はい」
玲は少し考える。
そして、昨日の図鑑の内容を思い浮かべた。
「油が採れる植物を探したいんです」
「……油、ですか?」
「はい」
「薬草ではなく?」
「薬草に限らなくて大丈夫です」
玲は頷いた。
「実や種から油を採れる植物。できれば、肌に使えそうなものがいいです」
「肌に……」
「それから、香りの良い植物」
玲は続ける。
「肌に使われている薬草や、保湿に使えそうなものもあれば、集めてもらいたいです」
受付嬢が少し考え込む。
「かなり特殊な採取依頼ですね」
「やっぱりそうですよね」
「油を採る植物を探す依頼はありますが、肌に使うことを目的にするものは、あまり聞きません」
「そうなんですか?」
「はい」
「でも、お願いしたいです」
玲は真剣な顔で答えた。
「肌に優しい石鹸を作りたいので」
「石鹸……」
「はい」
玲の顔が少し明るくなる。
「この辺境にも普通の石鹸はありますよね」
「ええ」
「私が作りたいのは、それとは違うものなんです」
玲は言葉を選びながら説明した。
「できるだけ肌への刺激が少なくて、洗った後もつっぱりにくいような……肌に優しい石鹸を作ってみたいんです」
「なるほど」
「そのために、色々な植物や薬草を試してみたいと思っています」
受付嬢が玲を見る。
研究について話している時の玲は、いつも以上に生き生きとしている。
「分かりました」
受付嬢が頷いた。
「では、依頼内容を少し詳しく伺いますね」
「はい!」
「油が採れる植物については、実や種など、どの部分から油が採れるかも分かれば記載するようにします」
「お願いします」
「採取した場所も必要ですか?」
「はい」
玲は即答した。
「日当たりや、土の状態とか。できれば採取した時期も知りたいです」
「かなり細かいですね」
「研究に使いたいので」
「なるほど」
受付嬢が依頼書を書き始める。
「それと、香りの良い植物については?」
「香りの種類も分かると嬉しいです」
「香りの種類?」
「甘いとか、爽やかとか、少しスパイシーとか……」
玲は考えながら説明する。
「できれば、実際の香りも確認したいです」
「承知しました」
「あと、肌への刺激が強いものが分かれば、それも教えてほしいです」
「分かりました」
受付嬢は真剣に書き込んでいる。
玲はその様子を見ながら、少しだけ申し訳なくなった。
「……すみません。細かいですよね」
「いえ」
受付嬢が顔を上げた。
「ここまで具体的に依頼内容を説明していただけると、冒険者にも伝えやすいです」
「本当ですか?」
「はい」
「良かった」
玲がホッとした、その時だった。
「随分と細かい注文になっているな」
後ろから声がした。
「あ」
玲が振り返る。
「グレンさん」
辺境騎士団副団長のグレンが立っていた。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
グレンは受付嬢へ目を向ける。
「薬草採取の件か?」
「はい」
受付嬢が答える。
「一ノ瀬様から詳しい希望を伺っています」
「そうか」
グレンが玲を見る。
「昨日、図書室で色々調べたそうだな」
「はい!」
玲の顔がぱっと明るくなる。
「薬草図鑑がすごく面白くて」
「アルベルト様からも聞いた」
「そうなんですか?」
「ああ」
「それで、石鹸を作るんだな?」
「はい」
玲は大きく頷いた。
「肌に優しい石鹸を作ってみたいんです」
「肌に優しい?」
「はい。今ある石鹸より、肌への刺激を抑えて、使い心地のいいものを作れないかなって」
「なるほど」
「そのために、色々な油や薬草を試してみたいんです」
玲は楽しそうに話す。
「どんなものが作れるか、実際に試してみたいから」
グレンはそんな玲を見て、少し笑った。
「本当に楽しそうだな」
「だって、研究ですから」
「研究なら何でも楽しいのか?」
「何でもじゃないですよ」
玲は少し考えてから答えた。
「自分が興味を持ったものを調べて、新しいものを作るのが好きなんです」
「そうか」
グレンは頷いた。
「なら、依頼を出しておこう」
「お願いします」
受付嬢が依頼書を確認する。
「報酬についてですが、採取場所や生育環境まで確認してもらうとなると、通常の採取依頼より少し上乗せした方がいいかと思います」
「必要な情報なので、その分はちゃんとお支払いします」
玲は迷わず答えた。
「分かりました」
受付嬢が頷く。
「では、この内容で掲示します」
「お願いします」
「依頼を受ける冒険者が決まりましたら、採取したものをこちらへ納品してもらいます」
「はい」
これで準備は整った。
あとは、薬草や植物が集まるのを待つだけだ。
「……楽しみ」
玲が呟く。
「そんなに楽しみか?」
グレンが尋ねる。
「はい」
玲は笑った。
「実際に見てみないと分からないことがいっぱいありますから」
「石鹸を作るための植物を探しているんだったな」
「そうです」
「完成したら、どうする?」
「まずは自分で使います」
玲は即答した。
「ちゃんと使い心地を確認して、肌への刺激がないかも確かめて。それから改良します」
「なるほど」
「一回作って終わりじゃないですから」
玲は少しだけ得意げに笑う。
「試作して、確認して、また試作する。それが研究なので」
「分かった」
グレンが苦笑する。
「好きなだけやるといい」
「はい!」
玲は嬉しそうに頷いた。
依頼書を確認し終え、受付嬢が頭を下げる。
「では、依頼が受理されましたら改めてお知らせします」
「お願いします」
玲は受付を離れた。
ギルドの出口へ向かいながら、胸の奥が妙に弾んでいる。
まだ材料は何も手元にない。
それでも――。
昨日までは図鑑の中でしか知らなかった植物が、もうすぐ実際に手に入る。
「まずは材料」
玲は小さく呟いた。
「どんな植物が来るかな……」
『楽しみだね』
「うん」
アビーが玲の腕の中で尻尾を振る。
足元の雷電も、
「ワン!」
と鳴いた。
「雷電も楽しみ?」
「ワン!」
『雷電は帰ったらご飯だからね』
「……」
玲は雷電を見る。
「そうでした」
「ワン!」
「もう……」
玲は笑った。
冒険者ギルドを出る。
今日の目的は果たした。
採取依頼も出した。
あとは、材料が届くのを待つだけ。
「帰ったら、レオンハルトさんにも報告しよう」
『何を?』
「石鹸のこと」
『肌に優しい石鹸?』
「そう」
玲は頷いた。
「ちゃんと話しておかないとね」
それに――。
材料が届くまでの間に、やっておきたいこともある。
玲の頭の中には、すでに次の準備が浮かんでいた。
材料は、この世界で手に入れる。
でも。
石鹸を作るために必要な道具まで、この世界のものに合わせる必要はない。
「……ふふ」
玲の口元が自然に緩む。
『玲?』
「帰ったら、ちょっと買い物しようかなって」
『何を?』
「秘密」
『また異世界通販?』
「……さあ?」
『絶対そうじゃん』
「ふふっ」
玲は笑いながら歩いていく。
薬草や植物が届くまでに。
自分にできる準備をしておこう。
いよいよ――。
肌に優しい石鹸作りが始まる。
――第二十七話 終――




