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愛犬たちと異世界辺境スローライフ~王家から逃げたアラサー女子、スマホ通販で快適生活~  作者: 紅しょうが


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第26話 辺境伯への相談 後編

 辺境伯家の図書室。


 扉が開いた瞬間、玲は思わず足を止めた。


「……すごい」


 壁一面に並ぶ本。


 歴史書。


 魔物に関する資料。


 薬学。


 植物。


 そして――薬草に関する書物。


「こんなに本があるんだ……」


『玲、目が輝いてる』


「だって、こんなにあるんだよ?」


『もう研究したくて仕方ない顔』


「まだ何もしてないじゃん」


『してるよ』


「してないって」


 玲はアビーを抱いたまま、本棚へ近づいていく。


 背表紙を一冊ずつ確認していくと――。


「あった!」


 玲が一冊の分厚い本を取り出した。


「薬草図鑑!」


「かなり古いものだが、内容は役に立つだろう」


 アルベルトが言う。


「ありがとうございます!」


 玲は嬉しそうにテーブルへ本を運んだ。


 そして、そっとページを開く。


「……へぇ」


 そこには、見たことのない植物が細かく描かれていた。


 名前。


 生息地。


 採取時期。


 薬草としての効能。


 注意事項。


「すごい……ちゃんと書いてある」


「辺境は薬草も多い土地だからな」


 アルベルトが説明する。


「冒険者が採取し、薬師や商人へ卸すことも多い」


「なるほど」


 玲は頷きながら、ページをめくっていく。


「じゃあ、薬草を集める時は冒険者ギルドを通した方がいいですね」


「その方が確実だろう」


「グレンさんが話をしてくれることになってます」


「ああ。それなら問題ない」


 玲はまた薬草図鑑へ視線を戻した。


「まずは石鹸に使えそうなものから……」


 ページをめくる。


「肌への刺激が少ないもの。


 香りが良いもの。


 保湿に使えそうなもの……」


 玲の頭の中で、次々と候補が浮かんでくる。


 日本で化粧品を研究していた頃と同じだ。


 素材を調べる。


 特徴を確認する。


 組み合わせを考える。


 そして――試す。


「……やっぱり、楽しい」


 玲が小さく呟いた。


「研究とは、そんなに楽しいものか?」


 アルベルトが尋ねる。


「はい」


 玲は迷わず答えた。


「新しいものを作るのって、すごく楽しいんです」


「そうか」


「日本にいた時も、ずっと化粧品の研究をしてました」


 玲は薬草図鑑に目を落としたまま続ける。


「だから、こっちに来てもやっぱり研究がしたいって思ったんです」


「……なるほど」


「日本にあった材料は、こっちにはありません」


 玲はページを指でなぞる。


「でも、この世界には日本にはなかった薬草がある」


「それを使うわけだな」


「はい」


 玲の顔に笑みが浮かぶ。


「だから、面白いものが作れそう」


『玲、楽しそう』


「うん。すごく楽しみ」


 アビーが尻尾を振る。


 玲はしばらく薬草図鑑を眺めていたが、ふと顔を上げた。


「あ、書き留めておこう」


「何を?」


「気になった薬草です」


 玲は腰に掛けたショルダーバッグへ手を入れた。


 そして――。


「これと……」


 一冊のノートを取り出す。


 続いて、ボールペン。


 さらに筆箱。


「……」


 アルベルトの視線が止まった。


 玲は気づかない。


 筆箱を開けて、その中から別のボールペンを取り出す。


「こっちの方が書きやすいかな」


「……玲」


「はい?」


「それは何だ?」


 玲が手元を見る。


「え?」


「その紙は?」


「ノートですけど」


「ノート?」


「うん。書き留めるもの」


 アルベルトがノートを見る。


 そして、ボールペンを見る。


「……それは?」


「ボールペン」


「……」


「これで書くの」


「……」


 アルベルトが黙り込む。


 玲は首を傾げた。


「どうしたんですか?」


「そのようなものは、見たことがない」


「え?」


「書くなら羽ペンと羊皮紙だろう」


「あ……」


 玲の手が止まった。


 ようやく気づいた。


 この世界では、ノートも。


 ボールペンも。


 筆箱も。


 当たり前ではない。


「……そうだった」


『玲、忘れてたね』


「うん……」


 アビーが玲の腕の中で、呆れたように尻尾を振る。


『日本じゃ普通だもんね』


「そうなんだよ」


 玲は改めて、自分が持っているものを見る。


 ノート。


 ボールペン。


 筆箱。


 どれも日本では珍しくもない。


 けれど――。


 この世界では違う。


「……アルベルトさん」


「何だ?」


「これ、そんなに珍しい?」


「珍しいどころではない」


 アルベルトが真顔で答えた。


「少なくとも私は知らん」


「そっか……」


 玲は少し考えた。


 そして――。


「まあ、これは売り物じゃないので」


「売るつもりはないのか?」


「ないです」


「そうか」


 アルベルトは納得したような、していないような顔をする。


 玲は気を取り直して、ノートを開いた。


「じゃあ、書こう」


 ボールペンを持つ。


 そして、薬草の名前を書き始めようとした。


 その時。


 アルベルトの視線が、玲のショルダーバッグへ移った。


「……待て」


「はい?」


「玲」


「はい」


「今、それをどこから出した?」


「……」


 玲が固まる。


 ゆっくり自分のバッグを見る。


「……これ?」


「ああ」


「バッグからですけど」


「そのバッグから、今のノートとペンと筆箱が?」


「うん」


「……」


 アルベルトがバッグを見る。


 どう見ても、大量の荷物が入るような大きさではない。


 玲はそこでようやく思い出した。


「あ」


『玲』


「うん……」


『マジックバッグのことも説明してないよね』


「……忘れてた」


 アルベルトの眉が上がる。


「マジックバッグ?」


「えっと……」


 玲はバッグを持ち上げる。


「これ、見た目よりずっとたくさん入ります」


「……どれほどだ?」


「容量は気にしなくていいくらい」


「…………」


 アルベルトが黙った。


『玲』


「何?」


『アルベルト、固まってるよ』


「……」


 玲はアルベルトを見る。


 確かに。


 完全に固まっている。


「えーっと……」


「……そのバッグに」


「はい」


「一体、何が入っている?」


「色々」


「色々とは?」


「色々は色々です」


「……」


 アルベルトが額を押さえる。


「貴女は……」


「はい?」


「本当に、次から次へと驚かせてくれるな」


「……ごめんなさい?」


『玲は悪くないよ』


「アビー、それアルベルトさんにも聞こえてるからね」


『分かってるよ』


「……」


 アルベルトがアビーを見る。


「お前は本当に、玲のことをよく理解しているな」


『当然でしょ』


「……そうか」


 アルベルトは深く息を吐いた。


 そして、改めて玲を見る。


「そのバッグのことは、他人には不用意に話さない方がいい」


「やっぱり?」


「ああ」


 アルベルトの表情が真剣になる。


「この辺境にも魔道具はある。だが、そんな収納能力を持つものは珍しい」


「分かりました」


 玲は素直に頷いた。


「気をつけます」


「それと、そのノートや筆記具もだ」


「あ……」


「見慣れないものは目立つ」


「……これからは出す場所を考えます」


『玲、ちゃんと覚えてね』


「アビーまで……」


 玲は苦笑しながらノートを開いた。


「じゃあ、今はここで使わせてもらいます」


「ああ」


 玲は気を取り直して、薬草図鑑を覗き込む。


「まずは石鹸に使えそうなものから……」


 ボールペンを走らせる。


 薬草の名前。


 特徴。


 採取時期。


 利用方法。


 気になるものを一つずつ書き込んでいく。


 アルベルトはそんな玲をしばらく眺めていた。


「……研究とは、随分と熱心にするものなのだな」


「はい」


 玲は顔を上げる。


「日本でもずっとやってましたから」


「この世界でも続けたい?」


「もちろんです」


 玲は迷わず答えた。


「化粧品の研究は、私がずっとやってきた仕事だから」


 少しだけノートへ視線を落とす。


「異世界に来たからって、全部捨てる必要はないと思うんです」


 アルベルトが黙って玲を見る。


「日本で覚えたことも、研究してきたことも、今まで作ってきたものも……」


 玲は小さく笑った。


「こっちで役立つなら、使っていきたい」


「……そうか」


 アルベルトが静かに頷く。


「それなら、好きなだけ研究するといい」


「本当ですか?」


「ああ。この図書室も自由に使え」


「ありがとうございます!」


 玲の顔がぱっと明るくなる。


『良かったね、玲』


「うん!」


 足元から声がした。


「ワン!」


「雷電も嬉しい?」


「ワン!」


『雷電はたぶん、ご飯の方が嬉しい』


「……」


 玲が雷電を見る。


「今、研究の話してたよね?」


「ワン」


『ご飯も大事だって』


「もう……」


 アルベルトが小さく笑った。


「雷電らしいな」


「ですよね……」


 玲は苦笑しながら、もう一度薬草図鑑を見る。


 必要な薬草。


 必要な道具。


 そして、自分の知識。


 まだ何一つ完成していない。


 それでも――。


 玲の中では、もう始まっていた。


「まずは石鹸」


 玲が呟く。


「その次に化粧水」


『楽しみだね』


「うん」


 玲はノートに、最初の一行を書き込んだ。


 『辺境で作る、肌に優しい石鹸』


 その文字を見つめる。


 王都から逃げてきた時には、こんな未来を考える余裕なんてなかった。


 けれど今は。


 自分がこれから何をするのか。


 自分で決められる。


 そして――。


 この世界にはないものを、自分の知識と、この世界の素材で作る。


 それは玲にとって。


 異世界で初めて見つけた、自分自身の仕事だった。


『玲』


「ん?」


『頑張ろうね』


「うん」


 玲は笑った。


「絶対、いいもの作ろう」


 その隣で。


 アビーが得意げに胸を張る。


『完成したら、私が売り込んであげる』


「……アビーが?」


『もちろん』


「どこに?」


『まずは貴族の奥様たち』


「気が早い!」


 アルベルトが思わず吹き出した。


 こうして――。


 玲の研究生活は、まだ小さな一歩を踏み出したばかりだった。


 けれど、この時の玲はまだ知らない。


 この小さなノートに書き込まれた薬草の名前が。


 やがて辺境の女性たちだけでなく――


 貴族の奥様たちの間でも話題になる商品へと繋がっていくことを。


――第二十六話 後編 終――

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