第26話 辺境伯への相談 前編
グレンの家を出た玲たちは、そのまま辺境伯の屋敷へ向かっていた。
「……本当に今から行くんだ」
玲がぽつりと呟く。
「はい」
隣を歩くグレンが答えた。
「仕事を始めるのであれば、辺境伯様への許可は早めにいただいた方がいいでしょう」
「それはそうなんだけど……」
玲は少し苦笑した。
ついさっきまで、グレンの妻と美容について話していた。
そこで、作りたいものも決まった。
肌に優しい石鹸。
そして、化粧水。
薬草の調達については、グレンが冒険者ギルドへ話を通してくれることになっている。
あとは――。
「辺境伯様に許可をもらえばいいんだよね?」
「そうです」
『じゃあ、早く行こう』
玲の腕の中からアビーが声を上げる。
「アビーは元気だね」
『だって、玲の仕事が始まるんでしょ?』
「まだ許可をもらってないけど」
『でも、きっと大丈夫』
「なんで?」
『玲だから』
「……」
玲はアビーを見る。
「その自信、どこから来るの?」
『玲のことを知ってるから』
「……そっか」
玲は少し照れながら笑った。
その足元では、雷電が尻尾を振っている。
「ワン!」
『雷電も大丈夫だって』
「雷電まで?」
「ワン!」
『玲ならできる』
「……二匹して私を買いかぶりすぎじゃない?」
グレンが小さく笑った。
「それだけ信頼されているということでしょう」
「そうなのかな」
そんな会話をしているうちに、辺境伯の屋敷が見えてきた。
***
屋敷へ着くと、グレンが取り次ぎを頼んだ。
ほどなくして、玲たちは応接室へ案内される。
しばらく待っていると、扉が開いた。
「待たせたな」
入ってきたのは、辺境伯アルベルト・フォン・グランヴァルトだった。
「辺境伯様」
グレンが頭を下げる。
玲も慌てて立ち上がった。
「こんにちは」
アルベルトが玲を見る。
「……随分と気軽な挨拶だな」
「えっ」
玲の顔が固まる。
「す、すみません!」
「いや」
アルベルトの口元が僅かに緩む。
「貴女らしいと言えば、貴女らしい」
「……そうですか?」
「ああ」
アルベルトが席につく。
「それで、今日は何の相談だ?」
「はい」
玲も座り直す。
「私、仕事をしたいんです」
「仕事?」
「はい」
玲は頷いた。
「さっきグレンさんの奥さんにも相談したんですけど、作りたいものも決まりました」
「何を作る?」
「石鹸と化粧水です」
アルベルトが眉を上げる。
「石鹸は分かる。化粧水とは?」
「洗顔した後に使う、肌のお手入れ用品です」
「ほう」
「この世界にある薬草や植物を使って、肌に優しいものを作りたいんです」
玲は続けた。
「日本の商品をそのまま持ってきて売るんじゃなくて、この世界の材料で作りたい」
「なるほど」
アルベルトが玲を見る。
その時だった。
『玲はね』
「……」
アビーが玲の腕の中から顔を出す。
「アビー?」
『日本でいっぱい研究してたんだよ』
「ちょっと待って」
『化粧品の研究をして、売れる商品も開発してたの』
「アビー!」
玲が慌てて止める。
しかし、アビーは止まらない。
『玲はすごいんだから』
「……」
『何回も研究して、失敗したらまた作って。それで売れるものを作ってたんだよ』
アルベルトがアビーを見る。
そして玲を見る。
「……随分と詳しいな」
『だって私、玲のことずっと見てきたもん』
「アビー……」
『だから、玲ならこっちでも絶対いいもの作れるよ』
アビーが胸を張る。
まるで自分のことを褒められているような得意顔だ。
「……なんか、私よりアビーの方が自信満々なんだけど」
『だって本当のことだもん』
「そうだけど……」
アルベルトの口元が僅かに緩んだ。
「なるほど」
「何がですか?」
「貴女がどのような仕事をしてきたのかは分かった」
「アビーが勝手に説明しただけですけど……」
『勝手じゃないよ。ちゃんと説明したの』
「はいはい」
玲が苦笑する。
アルベルトは改めて玲を見る。
「この辺境で、新しい商売を始めたいということだな?」
「はい」
「何か問題が起きた場合は?」
「安全性には十分気をつけます」
玲の表情が変わる。
「肌に直接使うものなので、そこは絶対に妥協しません」
「ふむ」
「まずは自分で試して、ちゃんと確認してから、グレンさんの奥さんにも使ってもらって……」
玲はそこで言葉を止めた。
「もちろん、いきなり売るつもりはありません」
「そこまで考えているなら問題ない」
アルベルトが頷く。
「許可しよう」
「本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
玲の顔がぱっと明るくなる。
「ワン!」
『やったね、玲!』
「うん!」
玲が雷電の頭を撫でる。
アルベルトは、その様子を静かに眺めていた。
「それで、次は何をする?」
「薬草を調べたいです」
「薬草?」
「はい」
玲は頷いた。
「どんな薬草があるのか、どんな性質があるのか。ちゃんと勉強してから使いたいんです」
「なるほど」
「薬草図鑑とか、植物について書かれた本があれば見せてもらえませんか?」
アルベルトが少し考える。
「ある」
「本当ですか?」
「我が家の図書室に、薬草や植物に関する書物がいくつかある」
「見せてもらってもいいですか?」
「構わん」
「ありがとうございます!」
玲の目が輝いた。
『始まった』
「何が?」
『玲の研究モード』
「まだ始まってないよ」
『もう始まってるよ』
「……そう?」
玲は少し首を傾げる。
アルベルトがそんな玲を見て、僅かに笑った。
「では、図書室へ案内しよう」
「お願いします!」
玲は立ち上がった。
その顔には、先ほどまでの緊張はもうなかった。
今の玲の頭の中にあるのは――。
この世界の薬草。
その性質。
そして、それをどう活かすか。
「……楽しみ」
『ほら、やっぱり研究モード』
「アビー!」
玲の声が応接室に響く。
グレンはそんな二人を見て、苦笑した。
アルベルトは先に歩き出す。
「来るなら早くしろ」
「はい!」
玲はアビーを抱き直し、雷電を連れて後を追った。
その先に待っているのは――。
辺境伯家の図書室。
そして。
玲がこの世界で初めて手にする、薬草図鑑だった。
――第二十六話 前編 終――




