第23話 辺境の冒険者ギルドと、初めての拒否柴
辺境の街を歩いた翌朝。
玲は朝食を済ませると、身支度を整えた。
「よし。今日は冒険者ギルドに行こう」
「ワン!」
『行くの?』
「うん。昨日言ってたでしょ」
玲はマジックバッグを肩に掛ける。
アビーは玲の足元。
雷電は玄関の前で、すでに散歩に行く気満々だ。
「雷電、今日は散歩だけじゃないからね」
「ワン?」
『どこ行くの?って』
「冒険者ギルド」
「ワン!」
『行く!』
「雷電、冒険者ギルドに何しに行くか分かってる?」
「ワン!」
『分からない!』
「……まあ、いいか」
玲は笑って扉を開けた。
* * *
辺境の冒険者ギルドは、街の中心に近い場所にあった。
建物を見上げた玲は、思わず足を止める。
「……大きい」
王都のギルドも大きかった。
けれど、辺境のギルドは少し雰囲気が違う。
建物そのものが頑丈そうで、壁にはいくつもの傷が残っている。
出入りする冒険者たちも、王都より武骨な印象だった。
大剣を背負った男。
弓を持った女性。
重そうな荷物を背負ったパーティー。
中には、魔物の素材らしきものを抱えている人までいる。
「……本当に辺境なんだね」
『そうだね』
「アビー、今日は静かにしててよ」
『分かってる』
「本当に?」
『玲、私を何だと思ってるの?』
「……喋るチワワ」
『その通り』
「認めるんだ」
玲は苦笑しながらギルドの扉を開けた。
中へ入った瞬間。
何人かの冒険者が玲を見る。
そして――。
その視線が、玲の足元へ移った。
柴犬。
さらに玲の腕の中にはチワワ。
「……」
「……」
玲は気にしないことにした。
昨日、アビーが喋ることは街の人たちに知られてしまった。
今さら少しくらい見られたところで気にしても仕方ない。
「受付は……あそこかな」
玲が受付カウンターへ向かう。
「こんにちは」
「はい。こんにちは」
受付嬢が笑顔で応じる。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「王都の冒険者ギルドで登録したんですけど、辺境のギルドでも確認が必要だと聞いて」
「冒険者証をお持ちですか?」
「はい」
玲はマジックバッグから冒険者証を取り出した。
「こちらです」
受付嬢が受け取る。
「……王都ギルド発行ですね」
「Fランクです」
「少々お待ちください」
受付嬢が冒険者証を確認する。
玲はその間、ギルド内を見回した。
依頼掲示板には、たくさんの依頼書が貼られている。
薬草採取。
魔物の討伐。
護衛。
素材の納品。
王都で見たものと似ている。
けれど、内容は明らかに辺境らしい。
「……魔物討伐、多いな」
『魔物が近いからじゃない?』
「そうだよね」
玲が小声で返す。
受付嬢が顔を上げた。
「確認が取れました」
「はい」
「王都でFランクとして登録されていますね。こちらでも登録情報を確認しておきます」
「お願いします」
「これで辺境のギルドでも、冒険者として依頼を受けられます」
「本当ですか?」
「はい」
玲の顔が明るくなる。
「よかった」
これで、辺境でも冒険者として活動できる。
王都で作ったFランクの冒険者証。
それが、ここでもちゃんと使える。
「じゃあ……依頼も受けられるんですよね?」
「もちろんです」
玲は掲示板を見る。
薬草採取。
簡単な素材集め。
低ランクの魔物討伐。
「……Fランクでも結構あるんですね」
「辺境ですから。常に人手が必要なんですよ」
「なるほど」
玲は少し考える。
異世界通販で買い物をするには、お金が必要だ。
王都から持ってきたお金はある。
けれど、これから辺境で暮らしていくなら、自分でも稼げるようになっておいたほうがいい。
「……今度、依頼を受けてみようかな」
『いいんじゃない?』
「アビーもそう思う?」
『うん。玲が無理しないなら』
「雷電は?」
「ワン!」
『行くって』
「雷電は聞いてないでしょ」
玲が足元を見る。
雷電は堂々と座っていた。
「まあ……今日は登録だけにしておこう」
「ワン」
『残念だって』
「明日からでもできるでしょ」
その時。
受付嬢が小さく首を傾げた。
「あの……」
「はい?」
「今、何か……?」
「え?」
玲が固まる。
アビーも固まった。
受付嬢が玲の腕の中を見る。
「その子……」
「……」
玲はアビーを見た。
アビーも玲を見る。
『……バレた?』
「アビー」
『だって今、普通に喋ったよ』
「そうだけど!」
受付嬢が目を丸くする。
「今……その犬が?」
「…………」
玲は観念した。
「はい」
「喋ったんですか?」
「……はい」
受付嬢がアビーをじっと見る。
「こんにちは」
『こんにちは』
「…………」
「…………」
受付嬢がゆっくり玲を見る。
「本当に喋るんですね」
「はい……」
『だから言ったじゃん』
「アビー、今は黙って」
『はい』
受付嬢の顔が引きつる。
「……辺境って、すごいですね」
「私もそう思います」
玲は遠い目をした。
こうして。
辺境の冒険者ギルドでも、アビーの存在はあっさり知られることになった。
* * *
ギルドを出る。
「……」
玲は無言で歩いていた。
『玲』
「なに?」
『怒ってる?』
「怒ってないよ」
『本当に?』
「……ちょっとだけ」
『ごめんなさい』
「うん」
『でも、こんにちはって言われたから』
「それは仕方ないね」
『でしょう?』
「でも、できれば私以外の人の前では――」
「ワン!」
突然、雷電が鳴いた。
「どうしたの?」
玲が足元を見る。
雷電は尻尾を振りながら、前を向いている。
「帰るよ」
「ワン」
「ほら」
玲がリードを軽く引く。
雷電が歩き出す。
……と思った。
数歩進んだところで。
雷電が急に立ち止まった。
「?」
玲も止まる。
「雷電?」
「…………」
「どうしたの?」
雷電は動かない。
「疲れた?」
「…………」
玲がしゃがみ込む。
「具合悪い?」
雷電は玲を見る。
元気そうだ。
尻尾も下がっていない。
呼吸も普通。
「……?」
玲がもう一度リードを引く。
「帰ろう?」
「…………」
動かない。
「雷電?」
次の瞬間。
ぺたっ。
「…………」
雷電が地面に伏せた。
「……」
『始まったね』
アビーが呟く。
「何が?」
『拒否柴』
「……」
玲は雷電を見る。
雷電は地面にぺったりと伏せている。
「雷電」
「…………」
「帰るよ」
「…………」
「聞こえてる?」
「…………」
『聞こえてるよ』
「アビー、通訳しなくていい」
『でも雷電、絶対に聞こえないふりしてる』
「分かってる」
玲がリードを少し引く。
「ほら。立って」
「…………」
ずるっ。
雷電の身体が少しだけ動いた。
しかし――。
さらに地面に密着した。
「ちょっと!」
玲が思わず声を上げる。
『雷電、すごいね』
「褒めないで!」
『でも綺麗な拒否柴だよ』
「拒否柴に綺麗とかあるの?」
『あるよ』
「ないよ!」
玲は雷電の前にしゃがみ込んだ。
「雷電。帰るよ」
「…………」
「今日はもういっぱい歩いたでしょ?」
「…………」
「冒険者ギルドにも行った」
「…………」
「だから帰ろう?」
雷電は動かない。
完全なる拒否。
「……」
その様子を見ていた通行人が、ちらちらとこちらを見る。
「何だ?」
「あの犬、動かないぞ」
「具合が悪いんじゃないか?」
「元気そうだけどな」
「飼い主、困ってるぞ」
「違います!」
玲が慌てて振り返る。
「元気です!」
通行人たちが一斉に玲を見る。
玲は雷電を指差した。
「ただ……その……」
言葉に詰まる。
アビーが玲の腕の中から顔を出す。
『雷電は帰りたくないだけ』
「アビー!」
「……」
通行人たちが固まった。
「…………」
『あ』
「アビー!」
『また喋っちゃった』
「もう!」
玲は頭を抱えた。
その横で。
雷電は――。
何事もなかったかのように伏せたままだった。
「雷電まで!」
『雷電は関係ないよ』
「あるよ!」
『自分の意思を貫いてるだけ』
「そんなところで意思を貫かなくていいの!」
玲は雷電の顔を覗き込む。
「お願い。帰ろう?」
「…………」
「おうち帰ろ?」
「…………」
「ご飯食べよう?」
ぴくっ。
「……」
玲は目を細めた。
アビーも雷電を見る。
『玲』
「言わないで」
『まだ何も言ってないよ』
「顔に書いてある」
『雷電、今ちょっと動いたよ』
「見た」
玲は最後の一手を繰り出す。
「帰ったら、ご飯にしようか」
――すくっ。
「…………」
雷電が立ち上がった。
そして。
何事もなかったように玲の横へ並ぶ。
「…………」
玲は無言で雷電を見る。
雷電も玲を見る。
「……雷電」
「ワン」
「お前……」
『立ったね』
「見れば分かる」
『ご飯って言ったら』
「言わないで」
『立ったね』
「アビー!」
アビーが尻尾を振る。
『お姉さんとして言わせてもらうけど』
「何?」
『雷電、食べ物には弱いね』
「……誰に似たんだか」
『玲』
「私は違う!」
「ワン!」
『雷電も玲と同じだって』
「違うから!」
辺境の街に、玲の声が響く。
その横を歩く雷電は、さっきまでの拒否柴が嘘だったかのように軽快な足取りだった。
玲の腕の中では、アビーが楽しそうに尻尾を振っている。
――こうして。
玲の辺境での冒険者生活は始まった。
そして同時に。
辺境の街には、新たな「喋る犬」と「動かない柴犬」の噂が生まれ始めていた。




