第17話 辺境での居場所
重厚な扉が開く。
「失礼いたします」
グレンが先に中へ入り、続いてレオンハルトが入る。
玲も二人の後に続いた。
腕の中にはアビー。
足元には雷電。
部屋の中央には、大きな机が置かれていた。
その向こう側に、一人の男が座っている。
年齢は四十代半ばほどだろうか。
派手な装飾の服ではない。
けれど、そこにいるだけで、この辺境を治める者だと分かる。
「久しぶりだな、レオンハルト」
「ご無沙汰しております、アルベルト様」
レオンハルトが頭を下げる。
グレンも続く。
玲も慌てて頭を下げた。
「一ノ瀬玲です。よろしくお願いします」
「……」
アルベルトの視線が玲へ向く。
そして――
玲の腕の中にいるアビーへ。
さらに足元の雷電へ。
「……随分と賑やかな旅だったようだな」
「はい?」
玲が顔を上げる。
アルベルトは少しだけ口元を緩めた。
「その犬たちも含めて、という意味だ」
「……ああ」
玲はアビーを見る。
「この子たちは私の大切な家族です」
「家族か」
「はい」
玲が即答すると、アルベルトは一度頷いた。
「ならば、それでいい」
思ったよりも柔らかな反応だった。
玲は少しだけ肩の力を抜いた。
「まず、報告を」
レオンハルトが口を開く。
「王都で起きた件についてです」
アルベルトの表情が変わった。
「聞こう」
レオンハルトは玲が王城へ呼ばれたこと。
そして――
王城で命を狙われたこと。
食事に毒が入っていたこと。
その後、王都を脱出することになった経緯を淡々と説明していく。
玲は黙って聞いていた。
自分が話すよりも、レオンハルトが説明してくれる方が落ち着く。
やがてアルベルトが玲を見る。
「玲殿」
「はい」
「王都へ戻る意思は?」
「……ありません」
玲は迷わず答えた。
「命を狙われた場所に戻るなんて、無理です」
「そうだな」
アルベルトは否定しなかった。
「では、この辺境で暮らしたいと?」
「はい」
玲は少しだけ息を吸う。
「私に何ができるか、まだ分かりません。でも……」
ここまで旅をしてきた。
王都を出て。
追手から逃げて。
ようやくここへ辿り着いた。
「もう、誰かに追われながら生きるのは嫌です」
玲はアルベルトを真っ直ぐ見た。
「普通に暮らしたいです」
静かな部屋に、玲の声だけが響いた。
アルベルトはしばらく玲を見つめ――
「分かった」
短く答えた。
「この辺境に滞在することを許可しよう」
「……!」
玲の目が見開かれる。
「本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
思わず頭を下げる。
「ただし――」
「はい」
「王都から追手が来る可能性はある」
その言葉に、玲の表情が少しだけ引き締まる。
「……分かっています」
「それでも構わないか?」
玲は隣に立つレオンハルトを見た。
そして――
アビーを見る。
『玲』
「うん」
『ここ、悪くないと思うよ』
「……そうだね」
玲は小さく笑った。
「はい」
改めてアルベルトを見る。
「ここで暮らしたいです」
「よし」
アルベルトが頷く。
「ならば歓迎しよう」
その言葉に、玲の胸が少しだけ熱くなった。
歓迎。
日本を離れてから、初めて聞いた言葉だった。
***
「では、住む場所だが――」
アルベルトが話を進める。
「街の宿を使ってもらうこともできるが、長期滞在になるなら屋敷を用意する必要があるな」
「それなら――」
レオンハルトが口を挟んだ。
「俺の屋敷の離れを使えばいい」
「え?」
玲がレオンハルトを見る。
「離れ?」
「ああ」
「でも……いいの?」
「使っていない」
レオンハルトは淡々と答えた。
「必要なものを揃えれば住める」
グレンが横から口を挟む。
「団長の離れなら、警備の面でも問題ありませんね」
「そうだな」
アルベルトも頷く。
「レオンハルトの屋敷なら騎士団からも近い。何かあってもすぐ対応できる」
玲は少し考えた。
確かに。
今の自分には、安心して暮らせる場所が必要だ。
「……じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろんだ」
レオンハルトが答える。
「今日から使えばいい」
「今日から!?」
「嫌か?」
「いや、そうじゃなくて……」
玲は慌てる。
「そんなすぐに住めると思ってなかったから」
「家具はある」
「本当に?」
「最低限だが」
『玲』
腕の中のアビーが声をかける。
「ん?」
『家ができるんだね』
「……うん」
その言葉に、玲は少しだけ胸が詰まった。
家。
日本では当たり前だった。
帰る場所があって。
自分の部屋があって。
冷蔵庫を開ければ食べ物があって。
仕事から帰れば雷電とアビーが待っている。
それが――
全部なくなったと思っていた。
でも。
「……家、か」
玲が小さく呟く。
レオンハルトが玲を見る。
「どうした?」
「ううん」
玲は笑った。
「ちょっと嬉しいなって」
「……そうか」
レオンハルトの声が、ほんの少し柔らかくなる。
その様子を見ていたグレンが、何か言いたそうな顔をする。
「グレン」
「はい」
「何も言うな」
「まだ何も言ってません」
「顔に出ている」
「……失礼しました」
玲は思わず笑った。
その時――
『玲』
アビーが玲の腕の中から顔を出す。
『私、新しい家楽しみ』
「うん」
『雷電も』
玲が足元を見る。
雷電は辺境伯の執務室を興味深そうに見回していた。
「雷電はどう?」
「ワンッ」
『楽しみだって』
「……本当に?」
「ワン!」
『たぶん』
「アビー、そこは自信持って通訳してよ!」
「……ふっ」
アルベルトが小さく笑った。
「賑やかな家になりそうだな」
「……ですよね」
玲は苦笑する。
でも――
嫌じゃなかった。
むしろ。
楽しみだった。
***
「では、決まりだな」
アルベルトが言った。
「玲殿はレオンハルトの屋敷の離れを使う」
「ありがとうございます」
玲は深く頭を下げる。
そして顔を上げた時。
窓の外が目に入った。
辺境の街。
遠くに見える城壁。
その向こうには、広大な山々。
王都とは全く違う景色。
玲はしばらく眺めた。
ここで。
自分は何をして生きていこう。
日本では化粧品メーカーの研究員として働いていた。
化粧品の成分。
肌への作用。
製品の開発。
今まで身につけてきた知識。
それらを、この世界で活かすことができるだろうか。
「……」
玲は少しだけ笑った。
まだ分からない。
でも――
何もないわけじゃない。
異世界通販という、とんでもないチートもある。
そして。
アビーには今日、新しい力まで生まれた。
『玲』
「ん?」
『何か考えてる?』
「うん」
『また何か作る気?』
「……まだ分かんない」
『玲、そういう顔してる時はだいたい何か始めるよ』
「何それ」
『長い付き合いだからね』
「……アビーって本当にお姉さんだよね」
『今さら?』
玲は笑った。
その横で――
「ワンッ」
『俺もいるぞ』
「雷電は今まで通りでいてね」
「ワン!?」
『なんで!?』
「だって雷電が急に喋ったら、それはそれで怖いもん」
「ワン!」
『ひどい!』
「ふふっ」
レオンハルトがそんな二匹と玲を見ている。
その表情は――
ほんの少しだけ、穏やかだった。
「玲」
「ん?」
「行こう」
「うん」
玲はアビーを抱き直す。
雷電も玲の足元へ寄ってくる。
そしてレオンハルトと並んで、執務室を出た。
向かう先は――
玲の新しい家。
王都から逃げてきた玲にとって。
そこは初めて、自分自身で選んだ――
この世界での居場所だった。




