第15話 辺境への道
朝。
玲は馬の背で大きく伸びをした。
「んーーー……」
「眠いのか?」
隣を走るレオンハルトが玲を見る。
「ちょっとだけ」
「昨夜は遅かったからな」
「だって、追手が来るかもしれないと思ったら寝られないじゃん」
「……そうだな」
レオンハルトは短く答えた。
その少し後ろから、グレンの声が飛んでくる。
「レオンハルト団長! 玲!」
「なに?」
玲が振り返る。
「前方に休憩できそうな場所があります。昼食にしませんか?」
「賛成!」
玲が即答した。
「……早いな」
レオンハルトが呟く。
「だってお腹空いたもん」
「そうか」
レオンハルトは苦笑した。
しばらく進んだところで、街道脇の木陰に馬を止める。
玲も馬から降りた。
「はぁ~……疲れた」
「まだ辺境まではありますよ」
グレンが馬の世話をしながら言う。
「分かってるよ」
玲はマジックバッグを肩から下ろした。
そして――
「じゃーん」
取り出したのはパンとハム、それからチーズ。
「……」
グレンが固まった。
「玲」
「なに?」
「それは……どこから?」
「バッグ」
「……」
グレンがバッグを見る。
見た目は普通のショルダーバッグ。
なのに、玲が次々と食べ物を取り出していく。
「パン」
「はい」
「ハム」
「はい」
「チーズ」
「はい」
「それから――」
「まだあるんですか!?」
「あるよ?」
玲が当然のように答える。
レオンハルトが小さく息を吐いた。
「グレン。気にするな」
「いや、気にしますよ!」
グレンがバッグを見る。
「その小さなバッグに、いったい何が入っているんです?」
「いっぱい」
「いっぱい……」
グレンが遠い目をした。
アビーが玲の肩から顔を出す。
『グレン、玲のバッグは魔法のバッグだから』
「魔法のバッグ……?」
「そうそう」
玲が頷く。
「何でも入るんだよ」
「何でも?」
「うん」
グレンがレオンハルトを見る。
「……団長」
「俺も最初は驚いた」
「ですよね!」
「だが、もう慣れた」
「早すぎませんか!?」
玲は思わず笑った。
「グレンって面白いね」
「そうでしょうか?」
「うん」
その横で、雷電がグレンを見る。
「……」
「……なんだ?」
グレンが雷電を見る。
「ワン」
『また見てる』
アビーが呟く。
「雷電、グレンに慣れてないの?」
「ワフ」
「そうなの?」
「ワン」
『男だからじゃない?』
「だからアビー!」
玲が頭を抱える。
アビーは9歳。
雷電より少し年上の、玲にとっても頼れるお姉さんだ。
……なのに、こういう時だけ妙に面白がる。
「アビー、雷電に余計なこと吹き込まないでよ」
『私は何も吹き込んでないよ。雷電が勝手に警戒してるだけ』
「……ワン」
雷電がもっともらしく頷いた。
「もう!」
グレンが笑いを堪えている。
「……なんだか、賑やかですね」
「いつもこんな感じだよ」
玲が笑う。
グレンは少し驚いたように玲を見る。
「玲は……二匹と暮らしているんですか?」
「うん。日本にいた頃からずっと一緒」
玲は雷電を見る。
雷電は何食わぬ顔で尻尾を振っている。
「私、仕事が忙しかったし……」
「仕事?」
「うん。日本では働いてたの」
玲は少し考えてから笑う。
「気づいたら29歳になっててさ」
「29……」
グレンが呟く。
「何?」
「いえ」
「?」
玲は首を傾げる。
「日本では29歳なんて、別に珍しくないよ。独身の人だって普通にいるし」
「そうなのですか?」
「そうだよ」
玲はパンを一口かじる。
「仕事して、家に帰れば雷電とアビーがいるし。まあ……結婚は、そのうち良い人がいたらって感じ?」
「……」
なぜかレオンハルトが黙った。
「レオンハルト?」
「いや」
「何?」
「なんでもない」
玲は不思議そうにレオンハルトを見る。
するとグレンが、
「私は結婚していますよ」
と突然言った。
「え?」
玲が振り返る。
「辺境に妻がいます」
「あ、そうなんだ!」
玲の顔がぱっと明るくなる。
「奥さん、待ってるんだね」
「ええ。長期間家を空けましたから、帰ったらまず怒られるでしょうね」
「怒られるんだ」
「たぶん」
グレンは苦笑した。
「でも……帰れば喜んでくれると思います」
「ふふっ」
玲は笑った。
「仲良しなんだね」
「もちろんです」
グレンは迷いなく答えた。
その言葉に、玲はなんとなく羨ましいような気持ちになった。
日本にいた頃。
仕事が忙しくて、休日も疲れていて。
友人から「彼氏は?」なんて聞かれるたび、
『今は仕事が楽しいから』
そう答えていた。
気がつけば29歳。
焦っていたわけじゃない。
でも――
もし、異世界なんかに来ていなかったら。
私はこれから、どうしていたんだろう。
「玲?」
レオンハルトの声で、玲は顔を上げた。
「え?」
「どうした?」
「……なんでもない」
玲は笑った。
「ご飯食べよ」
「そうか」
レオンハルトはそれ以上聞かなかった。
そのことが、なぜか少しだけ嬉しかった。
食事を終え、再び出発する。
昼を過ぎると、景色が少しずつ変わってきた。
王都周辺に比べて、人の姿が少ない。
代わりに広がるのは草原と森。
そして遠くには、険しい山々が見え始めた。
玲はスマホを取り出した。
地図を確認する。
「もうすぐだよ」
「何が?」
グレンが聞く。
「辺境」
玲が画面を見せる。
「このまま進めば、今日中には辺境の町に入れると思う」
「……本当に便利ですね、それ」
「でしょ?」
玲が笑う。
レオンハルトも地図を覗き込む。
「なら、今日は町まで進む」
「うん」
その時。
雷電が突然、前方を見つめた。
「ワン」
「雷電?」
アビーも顔を上げる。
『玲』
「うん?」
『あれじゃない?』
アビーが前を指す。
玲が目を凝らす。
遠く。
山と山の間。
そこに――
大きな城壁が見えた。
「……!」
玲は思わず馬を止めた。
「見えた……」
「え?」
グレンが前を見る。
「……ああ」
レオンハルトも目を細める。
「辺境だ」
玲の胸が高鳴った。
王都から逃げて。
森を抜けて。
追手を避けて。
ようやくここまで来た。
「……あそこが」
玲は遠くの城壁を見つめた。
「私たちが向かってる辺境?」
「ああ」
レオンハルトが答える。
「もうすぐだ」
その声を聞いた瞬間。
玲は少しだけ安心した。
ここまで来れば。
何かが変わる気がする。
そんな予感がした。
「行こう!」
玲が手綱を握る。
「辺境へ!」
レオンハルトが小さく笑った。
「急ぐな。落ちるぞ」
「大丈夫!」
「その言葉が一番信用できない」
「ひどい!」
グレンが後ろから笑う。
「団長、玲の扱いに慣れてきましたね」
「グレン」
「はい」
「黙れ」
「承知しました」
玲は二人を振り返りながら笑った。
そして玲たちは、それぞれの馬と共に――
辺境へ向かって進んでいった。
その先に待つ、新しい日々へ。
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