第13話 前編 のんびり旅と、小さな異変
王城を抜け出してから、どれくらい経っただろう。
玲たちは辺境へ向かう街道を、急ぐこともなく進んでいた。
「……平和だなぁ」
馬の背に揺られながら、玲は大きく伸びをする。
王城から逃げ出した直後は、追手が来るのではないかと気が気ではなかった。
けれど、今のところそれらしい気配はない。
道は穏やかで、空は青い。
時折、鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。
「玲、眠いのか?」
隣を進むレオンハルトが声をかけてくる。
「ちょっとだけ」
「落ちるなよ」
「落ちないよ!」
「前にも危なかっただろう」
「……あれは馬が急に動いたから」
「そういうことにしておこう」
「もう!」
玲が頬を膨らませると、レオンハルトが小さく笑った。
最初に会った頃は、近寄りがたい人だと思っていた。
無口で、表情もあまり変わらない。
けれど、一緒に旅をするようになってから分かった。
この人は、思っていたよりずっと面倒見がいい。
玲が馬に乗るのに慣れていないことにも気づいていて、休憩のたびに、
「疲れていないか?」
と声をかけてくれる。
道が悪くなれば、さりげなく玲の馬を歩きやすい場所へ誘導してくれる。
「……レオンハルトって、意外と優しいよね」
ぽつりと呟く。
「意外とは余計だな」
「だって最初は怖かったし」
「そうか」
「うん」
「今は?」
玲は少し考えた。
「……怖くない」
そう答えると、レオンハルトは前を向いたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。
その様子を、玲の足元にいるアビーがじっと見上げていた。
『玲、顔赤いよ?』
「えっ?」
思わず玲は頬を押さえる。
「暑いだけ!」
『ふーん』
アビーが意味ありげに尻尾を振る。
その横では雷電が、
「ワフ」
と一声鳴いた。
『雷電もそう思う?』
アビーが聞く。
「ワン」
『だって』
「ちょっと、二人とも何話してるの!」
玲が慌てて二匹を見る。
レオンハルトは不思議そうに眉を寄せた。
「どうした?」
「な、なんでもない!」
玲は慌てて前を向いた。
――この二匹、絶対に何か言ってる。
異世界に来てから、アビーは人間の言葉を話せるようになった。
雷電とは言葉を交わすことはできないが、玲には二匹が何を言いたいのか、なんとなく分かることが増えていた。
そして最近では、二匹が妙に玲とレオンハルトをくっつけようとしている気がする。
「……余計なことしないでよ」
玲が小声で呟く。
アビーは何食わぬ顔で前を向いた。
『何のことかなぁ?』
「もう……」
そんなやり取りをしながら、さらに街道を進んでいく。
昼を過ぎた頃。
「そろそろ休憩にしよう」
レオンハルトがそう言って、街道脇の木陰へ馬を誘導した。
玲も馬から降りる。
「ふぅ……」
足を伸ばすと、思わず声が漏れた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。ちょっと足が疲れただけ」
「なら、少し休め」
レオンハルトはそう言って、近くの木の根元に腰を下ろした。
玲もその隣に座る。
そして――
「お昼にしようか」
マジックバッグから食料を取り出した。
「また何か出てくるのか?」
「うん!」
玲は楽しそうに笑った。
異世界通販で購入したパンや惣菜、それに飲み物まで次々と並べていく。
レオンハルトはすっかり慣れた様子で、それを眺めていた。
「本当に便利な袋だな」
「でしょ?」
「……それだけの荷物を入れているようには見えないが」
「乙女の秘密です」
「そうか」
「そこはもっと驚いてよ」
「もう十分驚いた」
二人で顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく笑った。
その様子を見ていたアビーが、雷電の方を振り返る。
『……やっぱり仲良くなってるね』
「ワフ」
『うん。いい感じ』
「……二人とも聞こえてるからね」
玲がじとっと睨む。
二匹は揃って知らん顔をした。
昼食を終えると、再び旅を続ける。
午後になると、風が少し強くなってきた。
街道の両脇には、背の高い草が揺れている。
その景色を眺めながら、玲はふと思った。
――王城を出てから、初めて少しだけ楽しいと思えた。
命を狙われている。
追手が来るかもしれない。
それでも、今はこうして空を見上げていられる。
「玲」
「ん?」
「辺境までは、まだしばらくかかる」
「うん」
「焦る必要はない」
玲はレオンハルトを見る。
「……いいの?」
「ああ」
「でも、王家が私を探してるんだよね?」
「その可能性は高い」
「だったら急いだ方が……」
「急ぎすぎて倒れたら意味がない」
レオンハルトは真っ直ぐ玲を見る。
「今は休める時に休め。食べられる時に食べろ」
「……うん」
その言葉が、なぜか嬉しかった。
「ありがとう」
玲が笑う。
レオンハルトは一瞬だけ目を細めた。
「礼を言われるほどのことじゃない」
そう言いながらも、その声は少しだけ柔らかかった。
そして――
少し離れた場所を歩いていた雷電が、突然立ち止まった。
「……ワン」
アビーも足を止める。
『雷電?』
雷電は街道の先をじっと見つめていた。
玲も二匹の様子に気づく。
「どうしたの?」
アビーは耳をピンと立てる。
『……何かいる』
「何か?」
玲が前を見る。
そこには、いつもと変わらない街道が続いている。
けれど。
風に乗って、微かな音が聞こえた。
――ガサッ。
草むらが揺れた。
レオンハルトの表情が変わる。
「……止まれ」
玲の馬の手綱を軽く押さえる。
「レオンハルト?」
「何かいる」
雷電が低く唸った。
アビーも玲の足元へ近づく。
『玲、気をつけて』
穏やかだった旅の空気が、一瞬で変わった。
そして草むらの奥から――
もう一度、大きな音が響いた。
――ガサッ。
玲は息を呑んだ。
「……魔物?」
レオンハルトは剣に手を添えた。
「まだ分からない」
その言葉と同時に、草むらの奥で何かが動いた。
――第十三話・前編 終――




