第12話 一方その頃、王家では――
一方その頃。
王都の中心にそびえ立つ王城では、慌ただしい空気が流れていた。
「まだ見つからぬのか!」
謁見の間に、王の怒声が響く。
「申し訳ございません!」
目の前に並んだ騎士たちが、一斉に頭を下げた。
「王都周辺だけではなく、街道沿いの町にも捜索の手を広げております。しかし、未だにそれらしい人物は……」
「言い訳はいい!」
王は苛立たしげに玉座の肘掛けを叩いた。
「召喚された女一人、なぜ見つけられん!」
王家が知っているのは、ただ一つ。
――玲。
召喚された直後、愛莉が思い出した。
日本で犬を連れて歩いていた女性。
すれ違った時に挨拶をした。
その時に聞いた名前。
玲。
愛莉が王家に伝えたのも、その名前だけだった。
姓も知らない。
年齢も知らない。
どこに住んでいたのかも知らない。
そして王家は、玲を聖女だとは考えていなかった。
聖女は――
愛莉。
それが王家の認識だった。
「……それにしても」
王が眉間に皺を寄せる。
「レオンハルトはどうしている?」
その問いに、一人の騎士が答えた。
「辺境騎士団長は、すでに王都を発っております」
「何?」
「先日の魔物増加について、討伐と調査のため辺境へ向かいました」
「……そうだったな」
王は第六騎士団長――レオンハルトとの会話を思い出す。
辺境で魔物の出現数が増えている。
本来ならその報告について、もっと詳しく話を聞く必要があった。
だが、今は玲の捜索もある。
「レオンハルトには、玲の捜索について何か伝えたのか?」
「王都を出る前に、各地で情報を集めるよう指示をしております」
「そうか」
王は少し考えた。
「ならば、辺境へ向かう街道でも探させろ」
「承知しました」
騎士が頭を下げる。
王は知らない。
そのレオンハルトが、今まさに玲と共に辺境へ向かっていることを。
そして玲が、王家へ戻ることを拒んだことも。
何も知らない。
*
王城の別の場所。
一人の少女が、窓の外を眺めていた。
愛莉だった。
召喚された時から身につけている、綺麗なドレス。
胸元には宝石。
髪にも美しい装飾品が飾られている。
召喚されたばかりの頃は、それが嬉しかった。
まるで物語の中のお姫様になったようだった。
「綺麗……」
最初は、そう思った。
けれど。
日が経つにつれて。
その気持ちは少しずつ変わっていった。
「…………」
愛莉は胸元の宝石に触れる。
どれだけ綺麗でも。
どれだけ高価でも。
日本へ帰れるわけではない。
「スマホ……」
小さく呟く。
愛莉は召喚された時、何も持たずにこちらの世界へ来ていた。
持っていたカバンは、召喚の際に投げ出されてしまった。
こちらの世界に持ってくることができなかったのだ。
だから、スマホもない。
家族に連絡することもできない。
友達と話すこともできない。
写真を見ることもできない。
「……みんな、どうしてるのかな」
寂しさが胸を締めつける。
そんな時。
コンコン。
扉がノックされた。
「愛莉?」
「……はい」
入ってきたのは王太子だった。
「どうした?」
「何でもないです」
愛莉は笑おうとした。
けれど、うまく笑えない。
王太子はそんな愛莉を見て、静かに隣へ歩み寄った。
「元気がないな」
「……ちょっとだけ」
「聖女教育のことか?」
「…………」
愛莉は俯いた。
「うまくできないんです」
「魔法が?」
「はい」
愛莉は小さく頷く。
「治癒魔法も、聖なる力も……何をしても全然」
教師たちは言う。
まだ力が目覚めていないだけ。
いずれ必ず聖女としての力を発揮する。
王家もそう信じている。
けれど。
本人には何も感じられない。
「私は……本当に聖女なんでしょうか」
「愛莉」
「だって、何もできないんです」
愛莉の声が震えた。
「最初は嬉しかったんです」
ドレスを見る。
「こんな綺麗な服を着られて」
宝石に触れる。
「こんな綺麗な宝石もつけてもらえて……」
少しだけ笑う。
「でも……」
その笑顔が消える。
「少しずつ、寂しくなってきました」
王太子は黙って愛莉の話を聞いていた。
「日本に帰りたい……」
小さな声。
王太子はすぐには答えなかった。
そして、優しく言った。
「突然、知らない世界へ連れてこられたのだから当然だ」
「……」
「無理をする必要はない」
「でも……聖女だから」
「君が今すぐ力を使えなくても、君が聖女であることは変わらない」
王太子はそう言って微笑んだ。
「焦らなくていい」
「……はい」
愛莉は小さく頷いた。
それでも胸の奥にある寂しさが消えることはなかった。
*
その頃。
王城の謁見の間に、別の騎士が駆け込んできた。
「陛下!」
「今度は何だ!」
「冒険者ギルドから報告が入りました!」
「玲の手掛かりか?」
「はい!」
王の目が鋭くなる。
「申せ!」
「王都の冒険者ギルドに、最近登録された女性冒険者がおります」
「名前は?」
「……玲です」
「!」
王が立ち上がる。
「間違いないのか?」
「まだ断定はできません。しかし、登録された時期が王城から姿を消した時期と近いのです」
「詳しい情報は?」
「こちらに」
騎士が書類を差し出した。
王が目を通す。
「……Fランク」
「はい」
「本名は?」
「一ノ瀬玲です」
「一ノ瀬……」
王が呟く。
それは、王家が初めて知る玲の姓だった。
「この者は今どこにいる?」
「それが……」
騎士の顔が曇る。
「ギルドを出た後の行き先が分かりません」
「何だと?」
「王都を出たのか、どこか別の町へ向かったのかも不明です」
王の顔が険しくなる。
「手掛かりを掴んだと思えば、また行方不明か……!」
「申し訳ございません!」
「探せ!」
王の怒声が響き渡る。
「一ノ瀬玲を探し出せ!」
「はっ!」
「王都だけではない。街道沿いの町、周辺の村にも知らせろ!」
「承知しました!」
騎士が駆け出していく。
その横で。
宰相は静かに書類を見つめていた。
「一ノ瀬玲……」
その名を見た瞬間。
ほんの一瞬だけ。
宰相の目が細くなる。
だが、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻った。
「……陛下」
「何だ?」
「必ず見つかるでしょう」
「当然だ」
王は鼻を鳴らす。
「見つけ出して連れ戻せ」
「承知しました」
宰相は深々と頭を下げた。
――王は知らない。
玲に毒を盛ったのが、目の前にいる宰相だということを。
王妃も。
王太子も。
騎士たちも。
誰も知らない。
そして宰相自身も、玲が生きていることを、この時初めて知った。
――生きていた。
その事実だけが、宰相の胸の中に残った。
*
王都から遠く離れた街道。
「……今日は結構歩きましたね」
玲が空を見上げる。
「そうだな」
隣を歩くレオンハルトが答える。
「もう少し先へ進むか?」
「うーん……」
玲は少し考える。
「雷電、どう?」
「ワン」
『まだ歩ける』
「アビーは?」
玲が腕の中のアビーを見る。
『私は大丈夫』
「じゃあ、もう少しだけ」
玲は笑った。
その肩には、いつもの散歩用ショルダーバッグ。
中には、異世界通販で買ったキャンプ用品まで入っている。
王都では今。
自分を探すために、大騒ぎになっている。
けれど――
玲は何も知らない。
自分の本名が王家に知られたことも。
捜索の手が広がり始めたことも。
そして。
自分に毒を盛った犯人が、王城の中で静かに動き始めたことも。
「玲」
「はい?」
「辺境までは、まだ距離がある」
「分かってます」
玲は前を向いた。
「でも、急がなくてもいいですよね」
「……ああ」
「じゃあ、ゆっくり行きましょう」
「ワン」
『賛成』
『私も』
二人と二匹。
玲はレオンハルトと共に、辺境を目指して歩き続ける。
王都で何が起きているのかなど、何も知らないまま。
ただ、これから始まる新しい旅へ向かって――。




