第9話 戻りたくない
魔物退治を終えた私たちは、レオンハルトさんと一緒に街へ戻っていた。
ついさっきまで魔物と戦っていたせいか、身体にはまだ少し力が入っている。
でも、街の門をくぐった瞬間、ようやく緊張がほどけていくのを感じた。
「……疲れたぁ」
思わず口から漏れる。
「当然だ。初めての魔物退治だったんだからな」
前を歩いていたレオンハルトさんが振り返った。
「そうなんですけど……」
私は隣を歩く雷電を見る。
「雷電なんて、全然疲れてないじゃん」
「ワン!」
雷電が胸を張る。
――俺は平気だ。
そんな意味が、私にはちゃんと伝わってくる。
「はいはい。元気だね」
「ワン」
今度はちょっと得意げ。
その様子を見て、私は笑った。
足元ではアビーがちょこちょこと歩いている。
『玲、あんたこそ大丈夫なの?』
「大丈夫だよ」
『ほんと?』
「ほんとほんと」
『ならいいけど』
アビーは納得したのか、また私の横を歩き始める。
異世界に来てから、アビーはなぜか話せるようになった。
けれど、その声を聞けるのは私だけ。
レオンハルトさんから見れば、アビーはただの小さなチワワだ。
「アビー、疲れたら言ってね。抱っこするから」
『まだ大丈夫』
「そっか」
そのやり取りをしていると、レオンハルトさんがこちらを振り返った。
「……玲」
「はい?」
「さっきから何をしている?」
「え?」
「アビーに話しかけているように見えるが」
「ああ……」
私は一瞬だけ言葉に詰まる。
「癖なんです。前からよく話しかけてたので」
「そうか」
レオンハルトさんは、それ以上は聞かなかった。
助かった。
アビーが話せることは、まだ誰にも知られないほうがいい。
そんなことを考えながら歩いていると、冒険者ギルドが見えてきた。
「一度、ギルドへ寄る」
「はい」
魔物退治の報告をするためだ。
ギルドへ入り、受付で手続きを済ませる。
私は自分の身分証を取り出した。
そこには――
Fランク
と記されている。
「……Fランクかぁ」
「何か不満か?」
レオンハルトさんが聞いてくる。
「不満っていうか……」
私は身分証を眺める。
「異世界に来たんだから、もっとこう……最初から特別な感じなのかなって」
「冒険者になったばかりならFランクで当然だ」
「ですよねー」
身分証をしまう。
Fランク。
まだ新人。
この世界で私が持っている、数少ない肩書きだ。
でも、これがあるだけで少し安心する。
王城から逃げてきた私にとっては、ちゃんとこの世界で生きるための一歩だった。
報告を終え、ギルドを出ようとした時だった。
「……王都から来たって?」
「かなり探してるらしいぞ」
「何でも王家からの捜索だとか」
聞こえてきた会話に、足が止まった。
「……王家?」
胸の奥が、嫌な音を立てる。
私はゆっくりとレオンハルトさんを見る。
レオンハルトさんもこちらを見ていた。
「玲」
「……はい」
それだけで、何を意味しているのか分かった。
「ここを出るぞ」
「……はい」
私は黙ってギルドを出た。
外へ出ても、胸のざわつきは消えない。
王家。
私を探している。
やっぱり――
「……私を探してるんだ」
思わず呟いた。
「その可能性が高い」
レオンハルトさんが答える。
「……」
怖い。
頭では分かっていた。
逃げたんだから、いつかは探される。
でも、実際にその事実を突きつけられると、足が震えそうになる。
「玲」
レオンハルトさんの声が聞こえる。
「……はい」
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないかもしれません」
素直に答えていた。
雷電が私の横へ寄ってくる。
「ワン」
――大丈夫だ。俺がいる。
その声に、私は雷電の頭を撫でる。
「うん。ありがとう」
足元ではアビーが私を見上げている。
『玲……怖い?』
「……うん」
『私もいるよ』
「うん」
『だから大丈夫』
「……ありがと」
アビーの声に少しだけ救われる。
でも、怖いものは怖い。
レオンハルトさんが私を見る。
「場所を変えよう」
「はい」
人目の少ない場所まで移動すると、レオンハルトさんが足を止めた。
「玲。話せるか?」
「……」
私は俯いた。
何を言えばいい。
もう、王城で何があったのかはレオンハルトさんに話してある。
だから、同じ説明をする必要はない。
今、伝えたいのは――
私の気持ち。
「私……」
声が震えた。
「王城には戻りたくないです」
言った。
とうとう口にした。
「……戻りたくない」
レオンハルトさんは黙っている。
ただ、私の言葉を待ってくれている。
「王家が私を探しているなら……これからも追ってくるんですよね」
「ああ」
「だったら、私……逃げなきゃ」
「そうなるだろうな」
「……」
逃げ続ける。
この世界で、ずっと追われながら生きる。
そんなことを考えると、不安で胸がいっぱいになる。
「でも……王城に戻るのは嫌」
私は顔を上げた。
「絶対に戻りたくないです」
レオンハルトさんの目が、真っ直ぐ私を見る。
「分かった」
「……え?」
「戻りたくないなら、戻らなくていい」
あまりにも迷いのない言葉だった。
「でも、王家ですよ?」
「分かっている」
「私、Fランクですよ? そんな私が王家から逃げるなんて……」
「Fランクだから何だ?」
「……」
「お前が戻りたくないと言っている。それだけで十分だ」
胸が、少しだけ熱くなる。
「……レオンハルトさん」
「何だ?」
「どうして……」
どうして、そこまでしてくれるのだろう。
私たちは出会って、まだそんなに長くない。
それなのに。
「……ありがとうございます」
それしか言えなかった。
「礼を言う必要はない」
レオンハルトさんはそう言うと、少し考えるように黙った。
「王家がお前を探している以上、この街に長く留まるのは危険だ」
「……そうですよね」
「王都から離れる必要がある」
「どこまで?」
「できるだけ遠くへ」
私は黙り込む。
王都から遠く。
王家の手が届きにくい場所。
そんな場所――
「……辺境はどうだ?」
「辺境?」
「ああ」
私はレオンハルトさんを見る。
「辺境なら王都からかなり離れている。王家の影響も王都ほど強くない」
「……」
「それに、俺も辺境へ向かう予定がある」
「レオンハルトさんも?」
「ああ」
思わず雷電を見る。
「ワン」
――玲が行くなら、俺も行く。
雷電の声に、私は小さく笑う。
そして足元のアビーを見る。
『もちろん私も行くよ』
「うん」
私は頷いた。
もう一度、レオンハルトさんを見る。
「……一緒に行ってもいいですか?」
「ああ」
即答だった。
「私、Fランクだし……足手まといになるかもしれませんよ?」
「それはこれから考えればいい」
「……」
「今日の魔物退治でも、お前は自分にできることをやっただろう」
私は少しだけ目を伏せる。
怖かった。
それでも、逃げなかった。
雷電とアビーを守りたかった。
そして、レオンハルトさんと一緒に戦った。
「……私、強くなれますかね」
「なればいい」
「簡単に言いますね」
「簡単ではない。だから俺も手を貸す」
私は思わず笑ってしまった。
「……じゃあ、お願いします」
「ああ」
雷電がレオンハルトさんを見上げた。
「ワン」
――頼むぞ。
「雷電?」
「ワン」
――何でもない。
「……絶対何か言ったでしょ」
雷電はぷいっと顔を背けた。
その様子を見て、アビーが小さく笑う。
『雷電、素直じゃないんだから』
「ふふっ……」
思わず笑みがこぼれた。
怖い。
これから何が待っているのか分からない。
辺境がどんな場所なのかも知らない。
それでも――
王城へ戻るよりは、ずっといい。
私は自分で決めた。
「私……辺境に行きます」
レオンハルトさんが頷く。
「ああ。行こう」
こうして私は、レオンハルトさんと共に行動することになった。
王家から逃れるため。
そして、この世界で自分が生きていく場所を見つけるために。
私と雷電とアビー。
そしてレオンハルトさん。
四人の辺境への旅が――
始まろうとしていた。




