椅子のある場所
Webブラウザで楽しめるARG(代替現実)ゲームとして開発した「コンセプトカフェ ステラリウム」のサイドストーリー。
ゲームをクリアした後に読んでいただくと、より楽しめるはずです。
https://celadon-strudel-70d511.netlify.app/
雪の日は、音が減る。
車の音も、人の足音も、遠くなる。
二〇二四年十二月中旬。閉店後の店で、みおはグラスを磨いていた。
すでに同じグラスを三度磨いている。
外では、星野区には珍しい雪が降っていた。窓の向こうの街灯がぼやけ、白い粒がゆっくり落ちていく。
ひかりは病院へ行っている。
すばるは来ない。
るなは奥の部屋で眠っていた。眠っているというより、泣き疲れて目を閉じていた。
店を開ける必要はなかった。
数日前から営業時間を短縮している。今日も休みにすればよかった。客はひとりも来なかった。
それでもみおは十八時に扉を開け、二十四時まで灯りをつけた。
ほのかの店だから。
閉める理由を、ほのかのせいにしたくなかった。
カウンターの端に椅子がある。
開店の日から、そこがほのかの席だった。
客が多い夜、座ってもいいかと聞かれることがある。予約席ではないから、断る理由はない。けれどみおは、先にほかの席を片づけた。どうしても足りなければ使ってもらい、客が帰ったあと、必ず元の位置へ戻した。
それを最初に決めたのは、誰でもない。
気づけば、そうなっていた。
二十一時、何も更新されなかった。
ほのかの最後の記事は、十二月六日の《少しおやすみをもらっています》だった。
予約されたのは、そのさらに前だった。ひかりが書いた文章。
《元気になったら、またたくさんお話しさせてください》
みおは画面を閉じた。
嘘ではなかった。
書いたときには、全員がそう願っていた。
願いが叶わなかったあと、文章だけが予定どおり届いた。
星と同じだ、とみおは思った。
もう存在しない場所から、昔に放たれた光が届く。
人はそれを見て、星があると言う。
間違いではない。
二十三時四十分、扉が開いた。
ひかりだった。肩と髪に雪を載せ、コートも脱がずに立っている。
みおは何も聞かなかった。
ひかりも何も言わなかった。
答えは、帰ってきた時刻と、顔でわかった。
みおは棚からグラスを五つ出した。
ひとつ目に紅茶を注いだ。ひかりの分。
ふたつ目に青いソーダ。来ていないすばるの分。
みっつ目に水。自分の分。
よっつ目に甘いミルク。奥で眠るるなの分。
最後のグラスには、炭酸水を注いだ。金平糖を一粒、沈めた。
「提供終了したでしょう」
ひかりが言った。
「スタッフ用」
「そうですか」
金平糖の表面から、小さな泡が上がった。
ひかりは立ったまま紅茶を飲んだ。
「間に合いませんでした」
最初の言葉だった。
「雪で、電車が遅れて」
みおは続きを待った。
「電話では、声を聞けました。たぶん、聞こえていたと思います」
「何を言ったの」
「明日もブログを更新します、と」
ひかりは笑おうとして、できなかった。
「最後まで、嘘を」
「嘘じゃない」
みおは言った。
ひかりが顔を上げる。
「更新するなら、嘘じゃない」
「ほのかは、読みません」
「私たちが読む」
「それに、何の意味が」
「意味は、あとで決めればいい」
みおはグラスを置いた。
「今日決めなくていい」
奥の扉が開き、るなが出てきた。ひかりの姿を見る。何も聞かず、すべてを理解した。
るなは端の椅子へ座ろうとした。
けれど寸前で止まり、床にしゃがみ込んだ。
「ここ、ほのかちゃんの」
泣きながら言った。
「うん」
みおはるなの隣に座った。ひかりも床へ座った。
三人で、空の椅子を見上げた。
零時を過ぎ、すばるが来た。雪の中を走ってきたらしく、息を切らしていた。
誰も説明しなかった。
すばるも床へ座った。
四人で朝まで店にいた。
泣いたり、黙ったり、昔の話をした。高校の文化祭。ほのかの下手な踊り。病室へ持ち込んで看護師に叱られたたこ焼き。ノートの最初のページに書かれていた、スペルの間違った店名。
外が明るくなるころ、端のグラスの金平糖は消えていた。
十二月二十日、みおはその夜のことをブログに書いた。
《雪。》
《売上とか、どうでもいい日もある。》
それだけにしようと思った。
投稿する前、もう一行足した。
《椅子は、そこにある。》
しばらく見てから、その一行を消した。
書かなくても、椅子はある。
誰にも説明しなくても、毎日そこへ戻す。
それが、みおの覚え方だった。




