灯りをつける人
Webブラウザで楽しめるARG(代替現実)ゲームとして開発した「コンセプトカフェ ステラリウム」のサイドストーリー。
ゲームをクリアした後に読んでいただくと、より楽しめるはずです。
https://celadon-strudel-70d511.netlify.app/
開店前夜、ひかりは五脚の椅子を十七回並べ直した。
床板の継ぎ目に脚を合わせ、カウンターとの間を測る。いちばん端の椅子だけ、ほんの少し内側へ。ノートの図には、そう描かれていた。
《はじの席はわたしの。みんながよく見えるから》
丸い字の横で、星が笑っていた。
「ひかりちゃん、もう合ってるって」
段ボール箱に座ったみおが言った。
「さっきから、一ミリも動いてない」
「動いています」
「動かして、戻してる」
「じゃあ結果的には合っています」
みおは本へ目を戻した。
店の奥では、すばるとるながメニュー表に金色の紐を結んでいた。すばるは蝶結びが苦手で、るなは得意だと言い張る割に全部縦結びだった。
誰も帰ろうとしなかった。
明日、店が開く。
高校の教室で何度も口にした、いつか、が明日になる。
ひかりはカウンターにノートを広げた。紺色の表紙には、白い修正液で「ステラリウムのーと」と書かれている。店名の由来、壁の色、カウンターの高さ、メニュー、制服、マスコット。ほのかが病室で描いた店は、この一冊の中では先に完成していた。
現実の店を、ひかりたちがあとから追いかけた。
「写真、送ろうよ!」
すばるが言った。
四人はカウンターの内側に並んだ。スマートフォンを棚へ立てかけ、タイマーを押す。
「ほのかちゃんの場所、あけて!」
るなが自分の隣を叩いた。
「そこだと六人になる」
みおが指摘する。
「じゃあ、だれかが撮らなきゃ」
四人は黙った。
結局、ひかりが撮った。写真には三人と、端の空席が写った。
《準備できました。明日、開店します》
病室へ送ると、すぐに既読がついた。
《わたし写真撮る係なんだね》
続いて、笑っている顔文字。
ひかりは返事を打てなかった。
すばるが横から画面を覗き、スマートフォンを奪った。
《そうだよ!ほのかちゃん撮るのいちばんうまいから☆》
送信。
「勝手に」
「だって、そういうことにしよ」
すばるは笑っていた。けれど声は震えていた。
「これからお店で写真撮るとき、ほのかちゃんは撮る係。そしたら、写真にいなくてもいるじゃん」
「嘘になります」
「うん」
「ずっと、つき続けることになります」
「うん」
すばるはひかりをまっすぐ見た。
「ひかりは、ほんとのことだけで、ほのかちゃんをここに連れてこられる?」
できなかった。
病院から店までは、電車で三十分もかからない。それなのにほのかには、星より遠い。
ひかりはノートを閉じた。
「写真係にしましょう」
そう言った瞬間、四人が同じ嘘の中へ足を踏み入れた。
開店日の朝、ひかりは病院へ寄った。
ほのかはベッドの上で制服の写真を見ていた。自分の分も作られている。淡い橙色のリボン。退院したら着るのだと、何度も言った。
「今日、わたしも出勤って書いていい?」
「もちろんです」
「でも、行けないよ」
「ブログなら行けます」
ひかりは、用意してきた店のタブレットを差し出した。
「今日は、ほのかが書いてください」
「今日だけ?」
「明日からも」
言い切るには勇気が要った。
「明日からも、ほのかのブログは続きます」
ほのかは意味を考えるように、しばらくひかりを見た。それからタブレットを胸へ抱いた。
「じゃあ毎晩読む」
「自分のブログですよ」
「だから読むの。わたしが何したか、楽しみにする」
店へ戻ると、開店前からすばるが騒いでいた。氷が足りない。釣り銭の五百円玉が少ない。るながエプロンを裏返しに着ている。みおはレジの説明書を読んだまま動かない。
十八時、ひかりは扉の札を裏返した。
OPEN。
最初の客が入ってきた。次の客も来た。北極星のギムレットを作り、メニューを説明し、注文票を落とした。
忙しさの中で、ほのかがいないことを忘れる瞬間があった。
忘れた自分を責めようとしたとき、カウンターの端に置いた橙色のリボンが目に入った。
いないのではない。
この店のどこを見ても、ほのかがいる。
二十時十二分、スマートフォンが震えた。
『ほのかさんが新しい記事を投稿しました』
《かいてんのひ》
今日 わたしの夢が開店しました。
わたしは行けないけど ちゃんと行ってるの。
明日からのわたしの出勤ブログ 楽しみにしててね。
ひかりは記事を最後まで読めなかった。
「店長、注文」
みおに呼ばれ、画面を伏せた。
営業を終えたのは、日付が変わる少し前だった。るなは椅子で眠り、すばるは床に座り込んでいる。みおは最後のグラスを拭いていた。
ひかりは開店報告の記事を書いた。五人の名前を一人ずつ打った。
ひかり。すばる。みお。るな。ほのか。
翌日、また病院へ行った。
「ブログ、見ました」
ほのかは笑った。
声を出して、子どものように笑った。
「わたし、ちゃんと働いてた」
「はい」
「明日は何する?」
ひかりはその問いを持ち帰った。
閉店後、誰もいない店でパソコンを開く。翌日のほのかは、新しいカクテルの試飲をする。明後日は、るなとまかないを食べる。週末は集合写真の撮影係になる。
嘘を書くたび、胸が痛んだ。
同じだけ、明日のほのかが増えていった。
投稿時刻を二十一時に設定する。面会を終え、病院から店へ戻る途中に、必ず確認できる時刻。
予約ボタンを押す前、ひかりは端の椅子を見た。
「明日も出勤です」
返事はない。
けれど店の灯りを消すとき、ひかりは端の席の上だけ、最後まで星をひとつ残した。




