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◆第三十四章 入城

 豊臣家は、太閤・秀吉が遺した莫大な金銀を惜しげもなく放ち、全国から浪人たちを大坂城へ招集し始めた。

 大野治長ら豊臣方の首脳陣は、士気を高め、天下に豊臣の圧倒的な財力と威光を知らしめるため、著名な浪人が入城する際には派手な演出をもって出迎えた。


「夜討ちの達人・塙団右衛門(ばんだんえもん)殿、ご入城!」

 大音声の触れと共に、盛大な歓声と拍手が湧き起こる。大坂城には、金銀目当ての者、あるいは己の武で一花咲かせようという血気盛んな浪人たちが、濁流のように続々と集まり始めていた。


 各地で雌伏の時を過ごしていた歴戦の勇士たちも、この呼びかけに呼応した。のちに信繁を含む「大坂五人衆」と称されることになる猛将たちも、それぞれの数奇な運命の中で決断の時を迎えていた。


 播磨国・姫路城下から少し離れた、うらぶれた裏路地。身をすくめるようなあばら家で、一人の大男が黙々と十文字槍を手入れしていた。関ヶ原の戦いでは黒田軍の先鋒として島左近と激闘を繰り広げた猛将、後藤又兵衛基次である。

 稀代の戦上手として知られながらも、主君・黒田長政との確執から黒田家を出奔した又兵衛の運命は過酷であった。長政からの執拗な「奉公構(他家への仕官禁止)」により、彼を召し抱えようとした大名たちは次々と長政の圧力に屈した。結果、又兵衛はどの家にも仕官できず、乞食同然の暮らしへと転落していたのである。

 日々の糧を得るため、時には町人たちの用心棒まがいの真似事をして小銭を稼いだ。裏路地にある煮売り屋の老婆・おとくは、そんな又兵衛を見かねて、しばしば売れ残りの芋や濁り酒を恵んでくれた。


「大柄な図体して、毎日しけた顔しなさんな。ほれ、食いな」

「……いつもすまねぇな、婆さん」

 戦乱の世も終わり、ここ播磨のあたりも不景気なのか、魚や蛸の煮つけなど、今日はいつもより売れ残りの量が多い。

「足の調子はどうだい?この又兵衛、天下に名の通った名医を呼んで、婆さんがこの先楽して暮らせるだけの大金にして返すからな」

「へん、浪人風情の世迷い言なんざ、聞き飽きたよ」

 にっこりと笑ったおとくは、弱った足腰を引きずりながら店の奥へと戻っていった。


 おとくから分けてもらった煮つけを、用心棒の仲間にも分け与え、又兵衛自身も久々に満腹感を味わった。

 居間で横になると、ふと壁に掛けてある槍が目に入った。世の理不尽に絶望していた又兵衛だったが、ただ一つ、この十文字槍だけは、どれほど金に困窮しても決して手放さなかった。

 あの日、軒先で路頭に迷っていた又兵衛に、優しく店内に招き入れてくれたおとくの笑顔、貧しい中で懸命に生きる仲間たちの顔が頭に浮かぶ。


「……そろそろ潮時かのう」



 その夜、周囲の目を気にしながら粗末な小屋に入ってきた二人の男がいた。豊臣方の使者である。

「後藤又兵衛殿でございますな」

「どちらさまだい?」

 又兵衛は顔も向けず、自嘲気味に答えた。

「こちらをお納めください」

 男たちが差し出した桐の台には、千成瓢箪の目印が記された包みがあった。中には、まばゆいばかりの潤沢な軍資金が詰まっていた。


「千成瓢箪。ほう……。大坂の主は、儂の価値をわかっておいでだ」

「こちらで武具や馬、付き添いの者も揃え、盛大に入城していただきたい」

 又兵衛は黄金を握りしめ、冷え切っていた眼光に獰猛な炎を蘇らせた。酒と泥にまみれた日々が、一瞬にして弾け飛ぶ。


「ひとつ聞こう。大坂の主は本気で江戸と、あの徳川と戦う覚悟があるのかい?」

 使者の二人は、又兵衛に詰め寄って囁いた。

「もちろんその覚悟でございます!豊臣家の天下を取り戻し、日の元に真の安寧と繁栄をもたらす所存!」


 ここ播磨以外にも地方の経済は困窮していた。豊かで安心して暮らせる世の中とは程遠い。又兵衛の頭には、婆さんや用心棒の仲間たちの顔が思い浮かんだ。


「あい分かった。武士は自らの価値をわかる主の元でこそ、命を張れるもの。この又兵衛、秀頼公の御為、最後の戦働きを致そう」

 又兵衛は立ち上がり、十文字槍をおもむろに虚空へと突き出した。

「長政の小童と家康の首を手土産に、旧主の領地ごと俺の実力で奪い取ってやるわ!」

 使者の二人はお互いの目を見て頷き合い、急ぎ大坂城の主の元へと戻って行った。


 翌朝、おとくは店先に置いてある袋に気が付いた。

 中を見るとこの先何十年贅沢に暮らしても有り余るほどの小判が無造作に詰め込まれていた。驚いたおとくは、小さい布切れに気づいた。そこには短くこう記されていた。


「達者で暮らせ。又兵衛」


 同じく、用心棒たちが共同生活をしていたあばら家の軒先にも、大量の小判を詰め込んだ袋を置き、又兵衛は振り返ることなく大坂へと旅立っていった。



 京都・建仁寺の近く。

 土佐二十四万石を支配した旧国主・長宗我部盛親は、改易の憂き目に遭って以降、寺子屋の師匠『大岩祐夢』と名乗って身を隠し、糊口をしのぐ日々を送っていた。

 かつて数万の軍勢を率いた男が、今や長屋の子供たちに「いろは」を教える毎日である。寺子屋に通う商人の子や大工の倅たちは、大柄で強面だがどこか優しいこの師匠にすっかり懐いていた。


「先生! 今日も戦のお話、聞かせてよ!」

「こらこら、お前たちはまず字を覚えるのが先であろうが」

 子供たちの頭を撫でながら、盛親は穏やかな笑みを浮かべていた。四国土佐の雄長宗我部元親の四男として生まれ、戦や家督争いの渦中に身を置いてきた盛親は、天下の覇権を巡る凄惨な争いから身を遠ざけ、このまま名もなき町人として静かに老いていくのも悪くない。そう思えるほど、平和な日々に安らぎを覚えていた。


 そこへ、豊臣の遣いが訪ねてきたのである。

 千成瓢箪が記された軍資金の包みを差し出し、使者は熱っぽく語った。

「長宗我部殿。秀頼公も淀の方様も、貴方の武勇を頼りにしておられます。今こそ大坂へお越しいただき、豊臣のためにそのお力を!」

 しかし盛親は、積まれた黄金に一瞥をくれただけで、静かに首を振った。


「せっかくのお誘いなれど、お断りいたす。長宗我部盛親はもう死んだのだ。今の儂は、大岩祐夢というしがない手習いの師匠。この平穏な暮らしを捨てる気はありませぬ。お引き取りくだされ」

 盛親の優しくも固い意思に、使者は肩を落として長屋を去っていった。


 その夜。盛親に従い、共に寺子屋の手伝いをしながら苦労をともにしてきた中内惣右衛門ら旧臣たちが、盛親の前に並んで手をついた。

「殿……! なぜ、遣いの者をお返しになられたのですか!」

 惣右衛門は涙ながらに訴えた。

「土佐の旧臣たちも、みな殿の御下知を今か今かと待ちわびておりまする!関ヶ原よりこの方、我らがどれほどの思いで殿にお仕えしてきたか。どうか、どうか長宗我部家を再興してくだされ!」

 床に額を擦りつける家臣たちの姿に、盛親の胸が強く締め付けられた。

 開け放たれた障子の外には、子供たちが昼間に忘れていった手鞠が転がっている。戦火に身を投じれば、二度とあの無邪気な笑顔を見ることはできないだろう。

 だが、盛親自身も気づいていた。使者から「徳川との戦」と聞いた瞬間から、腹の底で眠っていた武将としての血が、抑えがたい高揚となってふつふつと湧き上がっていたことを。

(儂はやはり、武士なのだ……。そして、こやつらの忠義に報いてやらねばならぬ)

 盛親は深く息を吐き出すと、己の迷いを断ち切るように目をつむった。

「……すまなかった、惣右衛門。長宗我部の名を天下に再び轟かせるのが、儂の宿業であろう。だが、使者をむげに追い返してしまった。今から追いつけるか……」


 後悔を口にした盛親に、惣右衛門は涙を拭い、笑みを浮かべた。

「ご安心くだされ。殿が必ず翻意されると信じておりましたゆえ、遣いの者には『一晩だけお待ちを』と、裏の長屋に丁重に留め置いておりまする」

「……お主には敵わぬな」

 盛親は苦笑しながら、大切に手入れしていた筆を静かに折った。

「大岩祐夢は、今日で死んだ。明日より儂は、長宗我部宮内少輔盛親である!関ケ原の屈辱を今こそ晴らそうぞ!徳川を破って土佐へと凱旋する」

 立ち上がった盛親の表情は、慈悲深い師匠の顔から、誇り高き一国の主の顔へと戻っていた。



 関ヶ原以降、土佐の山内家にお預けの身となっていた毛利勝永。

 かつては秀吉の覚えめでたい大名であったが、今や勝者である山内家の監視下に置かれる屈辱の日々であった。わずかな扶持を与えられ、行動の自由すら制限される軟禁生活。それでも、妻は決して愚痴をこぼさず、内職の機織りで家計を支えながら勝永を励まし続けてくれた。


「あなた様は、いつか必ず再び世に出るお方。その時まで、私がしっかりとお支えいたします」

 その妻の言葉だけが、勝永の誇りを辛うじて繋ぎ止めていた。


 ある夜、山内家の監視の目を盗んで接触してきた豊臣の遣いから、勝永は金子と書状を受け取った。太閤への深き恩義に報いる絶好の機会。しかし、自分が大坂へ走れば、残された妻子の命はどうなるか。即答を避け、遣いを返した勝永は、床に就いていた妻に事の次第を打ち明けた。


「……私は、どうすべきか」

 妻は静かに起き上がると、勝永の手を強く握りしめた。

「あなた様は、豊臣家の武将にございます。山内家の鳥籠の中で朽ち果てるお方ではありませぬ。私たちのことなど案ずることはありません。どうか、太閤様への御恩に報いてくださいませ」


 その言葉に背中を押された勝永は、万が一の連座を少しでも避けるため、己の妻子を離縁し土佐に残し、夜陰に乗じて単身で大坂へ向かう過酷な道を選んだのである。



 そして和泉の地で隠れ住んでいた宇喜多秀家の旧臣、熱烈なキリシタン・明石掃部(全登)もまた、運命の時を迎えていた。

 関ヶ原で主家が滅亡して以来、キリシタン弾圧の波に追われながら流浪の身となっていた彼は、迫害を逃れてきた孤児や信者たちを細々と匿いながらひっそりと暮らしていた。


 豊臣の使者が訪れた時、全登は薄暗い小屋の奥で、手作りの質素な十字架に向かい、深く祈りを捧げている最中であった。

「天にまします我らの父よ……どうか、迫害に苦しむ哀れな子らをお救いください……」

 静かなラテン語の祈りが響く中、使者は千成瓢箪の包みを差し出し、大坂城への入城を請うた。


「大坂城へ入り、徳川と戦っていただきたい」

 使者の言葉に、全登は握りしめていたロザリオを見つめた。彼にとって、戦とはすなわち神の教えに背き、血を流す大罪である。しかし、徳川の世が続く限り、罪なき信者たちは容赦なく弾圧され、理不尽に殺され続けるのだ。祈るだけでは、目の前の命は救えない。

 全登は静かに立ち上がり、使者を真っ直ぐに見据えた。


「……戦勝の暁には、秀頼様に切支丹の布教と保護を必ず認めていただけるか」

「はっ。淀殿もそのようにお約束されております」

 全登は振り返り、不安げに小屋の隅からこちらを見つめている孤児たちの顔を見た。そして、再び祭壇の十字架へと向き直った。


「主よ、どうかこの罪深きジュスト(全登)をお許しください。弱き民を悪魔(徳川)の手から救うためならば……私は喜んで、自ら修羅の道へと落ちましょう」

 振り返った全登の瞳には、殉教すら恐れぬ、清らかで悲壮なる決意が宿っていた。


 天下に名高い四将の入城は、ひときわ盛大に行われた。

 大坂城の城門には五色の幕が張られ、豊臣の首脳陣が総出で迎え入れた。集まった浪人衆からの怒涛の歓声を浴び、四人は長きにわたる不遇の垢を洗い落としたかのように、武将としての誇りを取り戻し、堂々たる足取りで城内へと進んでいったのである。


 入城の喧騒を、大坂城の天守から見下ろしている男がいた。

 豊臣家の最高権力者である淀殿の側近、大野治長である。彼は、眼下で歓喜に沸く兵たちと四将の姿を満足げに頷きながら見つめていた。


「後藤、長宗我部、毛利、明石……。あとは……」


 視線を遠く南の空――紀州・九度山の方向へと向け、独り言のように呟いた。

「あとは、あの『男』の到着を待つのみよ」


 大坂平野から東を望む山々は、夕陽で赤々と染まっていた。


 ◆第三十五章 「赤備え」に続く

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