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第五十六話 龍の咆哮とともに訪れる終焉

「悪漢ってか。言ってくれるよな。‥‥よし、じゃあお望みどおりに襲ってやろうか」

 瑞生はそう言って、ズボンのポケットから自害用の小型拳銃を取り出すと、ご陰キャさまの頭に狙いをさだめた。ブルーベルが瑞生のうしろから、いかにも状況を把握するのに手間どっている人間が発するような、ひどく間延びした声で言った。

「おい、瑞生君、どういうつもりだ‥‥」

 ご陰キャさまが日射しのつよさに目を細めるような訝しげな表情をして、自分に銃口を向けている瑞生の顔をじっと見た。

「瑞生クンさ、そういうおふざけやっている場合じゃないと思うんだけど‥‥」

 それでも瑞生はいたって真面目な顔をしたまま、銃口をご陰キャさまの頭にぴったり定めているのだった。ご陰キャさまが視線だけ動かして龍のほうを見ると、龍は詩梁と由香の身体を半分ほど咥えたまま、自在に空を翔けめぐっていた。自分の立っている位置からでは、龍が咥えているのが、ふたりの女性の上半身なのか下半身なのかまではさすがに判別できなかった。こちらに銃口を向けたまま一向に動きのない瑞生には構わず、ご陰キャさまは視線を落として地面に転がったままのフルートを見た。

「龍はフルートの音に反応したんだったよな。またフルートを吹いて、ここまで龍に降りてきてもらわないと。龍とこんだけ距離があったら、こっちは手も足も出せないよ」

 ご陰キャさまがそう言って、地面に落ちているフルートを拾おうと身体を屈めたとき、瑞生は地面に銃口を向け、躊躇することなくフルートに向けて弾を発砲した。弾丸は見事に命中して、地面のうえでフルートは軽やかにスピンした。ご陰キャさまはしばらくのあいだ身体を屈めたまま、ぴくりとも動かなかった。やがてゆっくりと上半身を起こして顔をあげ、怒ったような表情をして瑞生に言った。

「いや、ほんとにさっきからなにやってんの?」

 それでも瑞生は両手で拳銃を握ったまま、ご陰キャさまの頭に狙いを定めたままだった。

「動くな。動いたら撃つぞ」

 瑞生は感情のない声で言った。

「はあ? なにやってんのって訊いてんだよ」 

「なあ、お前はたぶんもうアイマスクをつけてこの仮想空間に参加してるんだよな?」

 ご陰キャさまはさほど意外そうな感じでもなく、怒ったような表情をしたまま訊きかえした。

「なんでわかったの?」

「お前の身体の動きがやたら硬そうに見えるんだよ。もしお前が昨日の晩、布団も敷かずに拝殿の床でそのまま寝たんだとしたら、それなりに身体にこわばりが残ってるだろうからな。まえみたいにパソコンのキーボードを打ってアバターを動かしているだけだったら、そんなのは関係ないはずだ」

 ご陰キャさまはほんの少しだけ表情を歪めて笑った。

「‥‥さすがは瑞生クン。そんなことまでわかっちゃうんだな。でももうべつに驚かないけどね。瑞生クンが頭がいいのは十分わかったからさ、そろそろ銃を下げてくんない? どういうつもりでこんな冗談やっているのかわかんないけど、俺だってさ、そういうことされるのってあんまいい気分じゃないんよ」

 そう言い終わったとたんに、瑞生は間髪を入れずにご陰キャさまの左耳にぎりぎり掠めるように銃を発砲した。狙いどおりに弾丸はご陰キャさまの左耳を掠めて飛んでいき、耳の端からひと筋の血がすっと落ちてきた。瑞生があくまで平坦な声で言った。

「これが冗談だと思うか?」

 ご陰キャさまは手で自分の左耳をこすると、表情のない顔で、手についた血をしばし見つめてから、また瑞生の顔を見た。瑞生が冷淡な声で言った。

「龍があのふたりを食い終わるまで、お前は龍のほうを見るな」

「‥‥詩梁ちゃんを救うんじゃないの」

 ご陰キャさまがまるで抑揚を欠いた声でそう言い、瑞生もまたまるで抑揚を欠いた声でそれに答えた。

「救ってどうなるってんだ?」

「どうなるって‥‥それでこの物語がめでたくハッピーエンドってことになるじゃない」

 瑞生はまだ銃を構えたまま、ゆっくりと首を振ってから言った。

「ならねえよ。あのふたりがカエデの創作物だってことを忘れたのか」

 ご陰キャさまもまたゆっくりと首を振ってから言った。

「いや‥‥もう事態は変わったんだよ。由香りんのことも詩梁ちゃんのことも救わないなんていう選択肢はもう完全に存在しないんだよ」

「事態はなにひとつ変わってなんかいねえよ。変わったのはただお前の心だけだ。あのふたりがカエデの創作物だってことは、お前がこの島で由香って子と再会したその瞬間から明白な話だっただろ」

 ご陰キャさまは自分の気が済むまで無言のまま首を振りつづけてから瑞生に言った。

「馬鹿な俺にも理解できるように単純明快に説明してほしい。‥‥なんで由香りんを救っちゃいけないんだよ」

「僕たちがあのふたりを助けるという筋書きなんて最初からねえんだよ。‥‥いいか。よくわかってねえようだから、お前にちゃんと説明してやる。これで僕たちがあのふたりを助けて龍を倒して、カエデのおっぱじめたこのゲームを終わらせることになれば、僕とお前が自分たちの手で詩梁と由香って子の存在を抹殺することになるんだ。つまりここであのふたりを助けるという選択をすることは、僕たち自身の手であのふたりを殺す未来を選びとるってこととまったく同じ意味になるんだよ。どうだ。そんな難しい話じゃないよな。理解できたか?」

 ご陰キャさまは顔を伏せ、また何度も首を振ってから言った。

「‥‥俺はあんま賢い人間じゃないから、そんなよくわからない理屈じゃ納得できないよ。そういうさ、いかにも人生で一度もカノジョができたこともないような人間が思いつきそうな、独りよがりな理屈のなかでぜんぶ完結させたいってんだったら、瑞生クンひとりでやってくれないかな。そんな理屈は俺にはとうてい理解できないし、理解するつもりもない。あのさ、助けるつもりがないんだったら瑞生クンは黙って見ててよ。俺ひとりででも由香りんと詩梁ちゃんを助けるから。その邪魔だけはしないでくれる。それは‥‥瑞生クンにも理解できるよね?」

 瑞生もまた何度も首を振ると、両手で銃を構えたまま、ご陰キャさまの顔をじっと見据えて、淡々とした口調で言った。

「とぼけんなよ。お前はたしかにいろんな意味でそんなに賢い人間じゃないかもしれないけど、僕が認めるだけの一流クラスのハッカーなんだから、こういうロジカルな話は頭んなかできちんと理解できてるはずだ。ここであのふたりを助けたところで、龍を倒したあとにカエデとのゲームに打ち勝ってしまえば、どのみちあのふたりは跡形もなく消えてしまう。そりゃそうだよな。カエデが自分のつくったこの島を消して、あのふたりだけ残してくれるわけもないからな。僕たちがカエデに打ち勝って、目のまえであのふたりがふっと消える‥‥それは結果的に僕たちがあのふたりを殺してしまうのとまったく同じことなんだ。小学生だって理解できるような単純明快な話のはずだぜ。お前はそれに耐えられるのかよ?」

 ご陰キャさまは顔を伏せたまま何度もうなずいたが、殺気のこもった表情を浮かべて顔をあげ、重いものを引きずっているような低い声で瑞生に言った。

「瑞生クンの言いたいことはわかるんだけど‥‥でも龍に食べられるのを黙って見てるのも殺すってことと同じじゃないの。どう違うわけ」

 瑞生がやはり何度も首を振ってから答えた。

「カエデがつくりだしたものをカエデ自身が回収している‥‥それを黙って見ているってだけのことだ。べつに僕たちが直接手をくだして殺すってわけじゃない。それは明確に違う」

 空を飛びまわっていた龍が急降下してきて、地面に降りてきた。瑞生たちの立っている位置からは少し離れた場所に、ながい身体をとぐろのように巻いてどっしりと大地に居座る。龍はそうやってじっと動かぬまま、行儀のいい犬のようにただ咀嚼だけしつづけ、瑞生たちの立っているところまで硬いものを噛み砕いている音が聞こえてきた。瑞生は少しだけ視線を動かして龍の腹のあたりを見たが、大量の血がたえまなく降る雨のように滴り落ちているのだった。ご陰キャさまはそちらのほうには目を向けようともせずに言った。

「‥‥そういうのを屁理屈っていうんじゃないの」

 瑞生はご陰キャさまに視線を戻して、ゆっくりと左右に首を振った。

「僕の言っているのがそういうものじゃないってことは、お前だってよくわかってるはずだぞ。感情の突っ走るままにあのふたりを助けてみろ、たぶんお前はそういう判断をしたことを一生悔やみつづけるはずだ。それに、あのふたりはどこまでいっても‥‥たとえお前や僕の心のいちばん柔らかい部分をはげしく揺さぶろうと‥‥たんにカエデの創作物に過ぎない。ここでカエデがあのふたりを回収するのを黙って容認するのが、結局は僕たちにとって精神的にいちばん安全な策なんだよ」

 やはり淡々とした口調で瑞生がそう言うと、ご陰キャさまは瑞生の顔をなおも恨めしそうな表情でじっと見つめつづけた。そうやってずいぶんながいあいだご陰キャさまは瑞生の顔を見つめていた。ご陰キャさまはやがて力なくうつむいて首を縦に振ってから言った。

「そうなのかもな‥‥瑞生クンがそう言うんだったら、ほんとにそうなのかもしれない。でもなんで俺に銃を向けてるわけ」

 瑞生は大地に居座ったままの龍をちらとだけ一瞥してから、またご陰キャさまに視線を戻して言った。

「僕もそうだけど、お前だって、自分の好きだった女性が龍に食われてるとこを見るなんて耐えられないはずだ。ここが仮想空間であろうと、お前の脳裏にはその光景が死ぬまで焼きつくからな。だからお前に銃を向けてるんだ。お前が龍のほうを見ようとしたら、すぐさま頭を撃ち抜いて現実の世界に戻してやるためにな。わかるか、これは親切心なんだ」

「でも瑞生クンは詩梁ちゃんが銃で撃たれるのを最低でも二回は見てるはずだろ」

「あんなもんにむしゃくしゃ食われるのを見るのとはわけが違うだろ。頭んなかで少しでもいいから想像してみろよ。銃で頭を撃ち抜かれるとか、そんなレベルのもんじゃねえはずだぞ」

 ご陰キャさまはまだ恨めしげな表情で瑞生の顔をじっと見ていたが、実際にその情景を頭のなかに思い浮かべたのか、まるで途方のない無力感に襲われたように力なくうなだれた。そして一度は瑞生の理屈に納得したように、ご陰キャさまは首を縦に振りかけたものの、すぐにそれを打ち消すように首を横に振った。

「‥‥やっぱりむちゃくちゃだよ。瑞生クンはそんな理屈を捻りだして、自分で納得できたわけ? いや、俺はそんな理屈なんかどうでもいいから。なんとしてでもあのふたり救ってみせるから」

 ご陰キャさまが不器用な手つきで荒々しくズボンのポケットから銃を取り出して瑞生のほうに向けた。

「メグに渡されたやつをまだ持ってたのか‥‥」

 瑞生は自分の構えている拳銃を握りなおしてそう呟いた。と同時に、瑞生の背後でソードの柄ががちゃがちゃと鳴る音がして、銃を構える音がした。瑞生は振りかえりもせずに、視線だけを横に滑らせてブルーベルに言った。

「ブルーベル、あいつがおかしな真似をしても撃たなくていいです。どうせあいつにはあのふたりを助けられるだけの知恵なんてもとからありませんから。ただ、あいつが頭を動かして龍のほうを見そうになったら、迷わず頭部を撃って現実の世界に還してください」

 しばらくしてから、生気のない声で背後から返事があった。

「わかった。しかし‥‥君って男は‥‥」

 ブルーベルは言葉が詰まったように、それ以上はなにも言わなかった。瑞生はふたたびご陰キャさまに視線をむけて諭すように言った。

「とりあえず安心しろ。たぶんあのふたりは龍に咥えられて上空高くまで連れてかれた時点でもう気を失っているはず。龍に食われてるときにはまったく意識なんかねえよ」

 ご陰キャさまは両手で銃を構えたまま、睨みつけるように瑞生の顔を見て、叩きつけるような声で言った。

「よくそんなこと平然と言えるよな。瑞生クンだってそっちで詩梁ちゃんと会って仲良くなったんじゃないのかよ」

 瑞生は命の危険にかかわるようないたずらをした生徒を叱りつける教師みたいに全身の力を絞り出した声で言った。

「わかんねえ奴だな。それとこれとは話が違うんだよ。いいか、その根本的なところを理解しろ」

 とても瑞生が発したとは思えない、どすの利いた声に気圧されたのか、ご陰キャさまはたじろいだ表情で瑞生の顔を見ていたが、さすがに諦めがついたように顔を伏せた。ご陰キャさまはそうやってずっと黙っていたが、やがて力なく小さく左右に首を振ってから言った。

「それで‥‥いつまでこうしてりゃいいわけ」

 瑞生はもとの冷淡な声に戻して言った。

「龍が吼えるまでだ。それが龍がふたりを食べ終わったっていう合図になる。どんな動物だって、ものを食っているあいだは吼えることなんてできないからな」

 ご陰キャさまはその言葉を聞いて、発作でも起こしたかのように、細かく身体を震わせ、おおきく頭を振りながら大声で叫んだ。

「もう耐えられねえよ。こんな会話自体が俺の心の許容範囲を超えちゃってんのよ」

 瑞生はそれにたいして眉ひとつ動かさずに答えた。

「だろうな。でももうしばらくの辛抱だ。龍があのふたりを食い終わるまで、おとなしくじっと待つんだ」

 ご陰キャさまはじっと堪えるようにうつむいて、まだ小刻みに身体を震わせていたが、しばらくしてから顔をあげ、両手で銃を握ったまま、親の仇のように瑞生のほうをじっと睨みつけながら、悔しそうに涙を流して言った。

「そりゃ、瑞生クンはいいよ。現実の世界で詩梁ちゃんと会える可能性だってあるんだから」

 瑞生はしばらくしてから、相手を慰めるような、いくらか優しい声で言った。

「由香って子だってべつに死んだわけじゃないんだろ。そんなに好きだってんなら、なんとか探し出して会いに行けばいいじゃないか」

 ご陰キャさまはまた何度も首を横に振ると、まるで自分がなぜ怒られているかよくわかっていない子供が、その理由を親に尋ねているような情けない声で言った。

「探し出して会いに行けるって点じゃ、詩梁ちゃんだってそれは同じなわけだろ。瑞生クンはなんでそれをしないわけ。‥‥しないんじゃない。できないんだろ。だからこんな嘘っぱちの世界で惨めったらしくコピーなんかつくってたわけだろ。違うのかよ」

 瑞生は拳銃を握ったまま首を振り、声を荒げながら言った。

「僕と詩梁は人生のどこかですれ違ったってだけの他人に過ぎないんだ。向こうが僕のことをおぼえているかどうかも疑わしい。そんな人間がのこのこ会いに行ったところで、いったいなにが始まるってんだよ」

「そんなのわからないだろ。やってみりゃいいじゃねえか」

 ご陰キャさまは涙を流しながら大声でそう叫んだが、瑞生は静かに首を振りながら、それを無視して言葉をつづける。

「‥‥でもお前はそうじゃない。付き合ってたか、付き合う寸前のところまではいってたんだろ。そんな関係だったんなら門前払いなんてことはないはずだ。同級生の何人かと連絡をとれば、本人の居所なんてすぐつかまる。過去になんか酷いことしたんだったら、謝ればいいだけの話だろ。その女の子が許してくれるかどうかはまたべつの問題だとしてもさ」

 ご陰キャさまはしばらくのあいだ、拳銃を構えて涙を流したまま、悔しげな表情で瑞生の顔をじっと見ていた。それからご陰キャさまは両腕を振るだけで自分の行き場のない苛立ちを表現しながら、瑞生に向かって怒鳴りつけるように叫んだのだった。

「俺にはそんな勇気なんかねえんだよ」

 瑞生はとつぜん笑いだした。ご陰キャさまがぎょっとするほどおかしなテンションでさんざん笑い声をあげたあと、瑞生は銃を構えたまま顔をあげ、どこか恨めしげな表情でご陰キャさまの顔を見据えながら力のない声で言った。

「会いに行く勇気がないから、いつまでも本人のコピーと戯れていたいってわけか。なんだよそれ。それじゃいくらなんでも不甲斐なさすぎるだろ。呆れるよな。まったく、笑えてくるよ。腹の底から笑えてくる。お前は‥‥ほんとに僕とそっくりじゃないか」

 龍が空に向かって咆哮した。ご陰キャさまは地面に両膝を落としてがっくりとうなだれた。瑞生もそこで気力が尽きたように、それまで構えていた銃をゆっくりとおろした。ようやく頭を動かして龍のほうを見やると、龍は口の端から血を垂らしながら、満足そうにおおきな舌で口のまわりを丹念に何度も舐めまわしているのだった。瑞生はすぐに視線を逸らし、疲れ果てたように小さく溜め息をつくと、目を閉じて指で自分の眉間を揉んだ。

 つぎの瞬間、瑞生の後頭部に音もなく硬いものが当たった。それは紛れもなく銃口の感触だった。何度もそれを自分の頭に当てているので瑞生はその感触をよく知っていた。ほんの一瞬だけ、まるで心臓がとまったような表情を浮かべたものの、自分の頭に銃口を突きつけた人間が誰であるかがよくわかっているように、瑞生は振りかえりもせずに言った。

「なにをしているんです‥‥ブルーベル?」

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