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第五十二話 姉妹の固い約束(瑞生とブルーベルの冒険譚 九)

 アパートの階段をおりてしばらく歩いたあと、ブルーベルは瑞生が抱えている姿見をうさんくさそうに睨みながら、背後から声をかけた。

「なあ、教えてくれ。君はこんなもので龍の炎を防げると本気で思ってるのか?」

 瑞生はまっすぐまえを向いたまま、ブルーベルのほうを見もせずにぶっきらぼうな声で答えた。

「不満だっていうんなら、僕がつかいますよ」

 ブルーベルは首を振って、無造作な手つきで髪をかきあげながら言った。

「いや、君のことは信頼しているんだよ。でもこんなもので龍の炎を防ぐってのは、いくらなんでも無理がありすぎるだろう。さっきはあの姉妹がいるから言えなかったんだろうが、ほんとうはなにを企んでるんだ?」

 瑞生は少しだけ首をまげてブルーベルのほうを振りかえったが、結局なにも答えなかった。ブルーベルは肩をすくめて溜め息をつき、両手を広げながら言った。

「またお預けってのか。こうした頭脳戦は君の独壇場ってところなんだろうが、せめてそいつをどう使うかってことくらいは、事前に相棒に教えてくれてもいいんじゃないかね」

 瑞生はやはりなにも答えなかった。龍のもとに向かう道中も、そこを突っつかれることを嫌がってでもいるように、瑞生はブルーベルに話しかけることはなかった。ブルーベルはよくわからないまま、自分だけさっさとさきを歩いていく瑞生のあとを、渋い表情を浮かべながら黙ってついていったのだった。

 ふたたび龍の頭まで辿りつくと、瑞生はまるでベッドに赤ん坊でも寝かせるような慎重な手つきで、ソードの近くに姿見をそっと置いた。そして手についた砂をぱんぱんと払うと、ブルーベルのほうを振りむいて言った。

「さて、神社に行きましょうか」

 ブルーベルは瑞生の目をじっと見てうなずいてから言った。

「だんだん、カエデというよりも、君の道楽に付きあわされているような気分になってきたよ」

「それももうすぐ終わりますよ」

 瑞生もブルーベルの目をまっすぐ見据えながら、いつになく真剣な表情でそう言った。

「まったくだな。明日までの辛抱だ」

 ブルーベルは龍の顔を見あげて笑いながらそう言って、しばらくしてから付け足した。

「‥‥しかしそれもちょっと寂しいもんだな」

 瑞生はやはり真顔のままで、ブルーベルのその言葉に深くうなずいたのだった。

 用事を済ませたふたりは龍に沿った道をとってかえした。商店街についた頃にはもう日が暮れかかっていた。石橋の向こうから、浴衣を着た若い男女や、小さな子供を連れた親が歩いてくる。神社に近づくにつれ、祭りに向かうひとびとの姿はぽつぽつと増えていった。通りの入り口ではまばらだった人の流れはだんだんと密度を増していき、やがていかにも祭りらしい賑やかな情景へと変化していった。祭り客たちに足止めをくらいながら、ブルーベルが呆れたように言った。

「まったく、このちっぽけな島のどこに、これだけの人間が隠れていたのやら」

 よく見ると商店街を行きかうひとびとの顔はみな、AIの生成したような特徴のない顔をしていた。ブルーベルは彼らの顔を眺めながら、思い出したように言った。

「そういえば君のコピーした仮想空間には、こういうのっぺらとした顔の連中がわんさといたな」

 瑞生もブルーベルと同じように、祭り客たちの顔に視線を走らせながら、うなずいて言った。

「たぶん同じ生成プログラムを流用しているんでしょう。こういうモブキャラたちも詩梁やヒタリのように記憶を持った個々の独立したAIとして処理していたら、これだけの人数であってもCPUにかなりの負荷がかかるはずですから」

 ようやく神社に辿りつくと、ブルーベルは祭りそのものの雰囲気を味わうように、燈籠に灯された明かりや、参道の両側にとおした縄に吊るされた提灯、それぞれの屋台に群がっている祭り客たちを眺めた。金魚すくいをする子供たち、紙皿のおでんを頬ばる老人、立てた板にびっしりと掛けられたお面を選んでいる親子連れ‥‥。

 瑞生は祭りの人の流れをはずれて社務所のほうに歩いていき、腕にかけていたジャケットを無人のカウンターのうえに置いた。ブルーベルもくたびれたコートを置き、カウンターに肘をついて、祭りの風景を眺めながら言った。

「仮想空間内のフェイクなお祭りとはいえ、こういうのを見ると日本に生まれてつくづくよかったと思うよな」

 瑞生はなごやかな表情を浮かべ、うなずいて言った。

「そうですね。ふだんは祭りなんてまったく行く気にもなれないんですが、実際に来てみるとなかなかいいもんです」

 そうやって瑞生とブルーベルがぼうっと祭りの風景を眺めていると、とつぜん拝殿のほうから太鼓が鳴り響いて、雅楽の調べが流れはじめた。拝殿のほうに視線を向けると、巫女の格好をした詩梁とヒタリが大幣を持ち、神妙な面持ちをして拝殿の外廊下をゆっくりと歩いていくのだった。彼女たちのうしろを、やはりのっぺりした顔の老齢の男たちが白い袴を着て、塩や米などを盛った小さな皿を両手で捧げ持って歩いていった。 

「凛々しいという表現は、まさにああいうタイプの女性にたいしてつかう言葉なんだろうな」

 ブルーベルが詩梁に視線を向けたまま、独りごとのように呟くと、瑞生も同じように詩梁にだけ視線を固定させたまま、黙ってうなずいた。 

「正直な話、ああいう女性と人生のどこかで接点を持てただけでも、羨ましいもんだよ」

 詩梁に視線を固定させたまま、瑞生は小さく溜め息をついてから言った。

「そう羨ましがらないでいいですよ。僕の恋はまったく成就する可能性なんてありませんから。世界じゅうの神さまに一心にお祈りを捧げつづけたところで、この恋はけっして成就する見込みなんかありません」

「いや、そんなことはわからないじゃないか。日本は狭いんだから、現実の世界で詩梁さんといつかどこかでばったり出会う可能性は十分あるぞ」

 瑞生は急に夢からさめたように巫女姿の詩梁から視線を逸らして答えた。

「ばったり出会ったところで、僕のほうから詩梁に話しかける勇気なんてありませんよ」

 ブルーベルは拝殿の外廊下の角をまがって奥に消えていく詩梁の姿を見送ってから、瑞生の横顔に視線をうつして言った。

「瑞生君、勇気ってのは、じつは誰も持ってないんだ。勇気を持っているのが唯一の取り柄、なんて顔している連中なら世の中にわんさといるがね。でも私はいつも思うんだ。連中が勇気と呼んでるのは、実際のところ、ほんとうに勇気なんだろうか、と」

 瑞生は少しだけ視線をあげてブルーベルに訊ねた。

「‥‥どういう意味ですか?」

「君はこれまで生きてきて、ああ、あのときああすれば良かった、なんて後悔したことはないか?」

「そんなのしょっちゅうですよ」

 ブルーベルはうなずいてから言った。

「ああ、それが生きるってことだよな。だったら、また同じ局面にさしかかったとき、君はどうするべきと心掛けてる?」

「それはまあ‥‥前回と同じ轍を踏まないようになるべく努力はしますね」

 瑞生のその言葉を聞いて、ブルーベルはおかしそうに笑った。

「じつに君らしい言いかただな。いや、茶化してすまん。‥‥君の言いかたを借りると、前回と同じ轍を踏まないようになるべく努力をする心持ち、みたいなものこそ、私が勇気と呼んでるものなんだ。そういう心持ちがなければ、結局われわれの人生はいつまで経っても延々と同じルートを辿ることになるわけだからな」

 瑞生はしばし考えて、何度もうなずいてから言った。

「ええ、まったくそうです」

「前回と同じ轍を踏まないために、じゃあ具体的になにをすればいいか? なにも人生の道に立ちはだかってる、とんでもなくおおきな石を取りはらう必要はないんだ。ひとりの力じゃ動かせそうにないおおきな石じゃなく、目のまえに落ちている小石を、そのつど取りはらっていくだけでいい。それだけでその道を突きすすむ心理的な抵抗みたいなものはだいぶ下がるんだ。そして小石を取りはらうために必要なのは、じつは勇気とかじゃなくて、たんに億劫な気分とか、いざというときに逃げ腰になってしまう自分の性分と向きあうってことだったりする。延々と同じルートをぐるぐるまわらずに済むために、億劫がらずにコツコツと小石を拾っていけば、気がつけば人生はいつのまにかもとのルートとはまったく違うものになっているはずだ。違うか?」

「‥‥僕もみんなと同じように、それまでとは違うルートをめざして歩いているつもりなんですけど、いつもなぜかもとの道に戻ってしまうんですよ」

 瑞生は自嘲気味に笑いながら言った。ブルーベルも瑞生と似たような種類の笑いを洩らしてから言った。

「まあ、こんな風に偉そうに講釈を垂れてても、私にだってそういう自分の弱さに向きあうのが億劫なところはあるからな。でも勇気がどうこうとかじゃなく、ただ億劫だから小石を拾わないだけとか、人間の心にはそういう側面もあるわけだから、たまには自分で自分のケツを蹴っ飛ばなきゃいけないときもあるわけさ。それが自分の人生で大事だと思えるような局面であればなおさらだ。‥‥なあ、瑞生君、約束してくれ。もし現実の世界でばったり詩梁さんと出会うような事態が起こったら、いま私が言ったようなことを思い出してくれないか」

 瑞生はブルーベルの顔をじっと見据え、少し笑みをこぼしながら首を縦に振った。そしてしばらくのあいだ、瑞生はブルーベルとともに社務所のカウンターに肘をついて、黙って祭りの風景をぼんやりと眺めていた。参道を歩いているひとびとの話し声や、屋台から響いてくる歓声、そして遠くから聞こえてくる太鼓の音やら祭り囃子の笛の音やらが渾然一体となって、祭りの喧騒というひとつの分離不能な音響に収斂して調和していくのだった。瑞生とブルーベルはまるでフレデリック・ショパンの音楽に耳を傾ける聴衆のように精神ごとその音響に身を委ねつづけた。

 拝殿の儀式が終わって三十分ほど経ってから、詩梁がヒタリとともに瑞生とブルーベルのもとにやって来て、にこやかに微笑みながら言った。

「こんな田舎のお祭りで物足りないかもしれませんが、どうか楽しんでください。あとで花火もあがりますし」

 ブルーベルはおおきく手を振りながら詩梁に言った。

「いやいや、こんな本格的なお祭りだとは思ってもいませんでした。明日われわれ勇者が龍を倒しても、お祭りはこれで終わりなんてことはせず、来年以降もぜひつづけていってください」

 詩梁はどこか悲しげに微笑んでなにも答えず、ただ無言でこくんとうなずいただけだった。それから四人は祭りの人混みのなかまで歩き出した。明かりはまだ点いているものの、もう誰もいない拝殿に視線を走らせてから、ブルーベルが詩梁に訊ねた。

「詩梁さんはもうああいった行事などはされないのですか」

「ええ、いまやったような行事はもうありませんが、御朱印やお守りの授与のために社務所でお客さまの対応をしなければなりません。それに、巫女はお祭りが終わるまでは、神社に残らなければなりませんが」

「そうした対応をする巫女はあなたがた姉妹だけですか」

「ええ、ごらんのとおり規模の小さな神社ですから、今日みたいに忙しくても人を雇う余裕もありません。いまの時刻ならまだみなさん屋台のほうに行っておられるので、ひとりでも対応できますが、もうしばらくすると帰り際にお守りを買うお客さまの対応に追われることになります」

 ブルーベルは詩梁の言葉にうなずくと、いきなりわざとらしく自分の額をぴしゃりと叩いて大声で言った。

「おっと、そうだ。ヒタリさん、息子たちに御朱印を買っていってやりたいので、社務所のほうに行って私に売ってくれませんか」

 不意打ちを食らったような表情を浮かべながら、ヒタリと瑞生のふたりが疑わしそうな目つきでブルーベルの顔を見る。ヒタリが怒ったような口調でブルーベルに訊きかえした。

「いまですか?」

「ええ、忘れないうちに買っておかないと」

 詩梁がいかにも詩梁らしく、柔らかく微笑んでブルーベルに言った。

「あ、よろしければあたしが対応しますが」

「いや、瑞生君は花火が見たいそうだ。詩梁さんはその相手をしてあげてほしい。なんたって男が祭りでひとりで花火を見る以上の悲劇は、この世のどこにもありませんからな」

「僕はそんなことひとことも……」

 瑞生が言い終わらないうちに、ヒタリが鋭い声でブルーベルに言った。

「花火がはじまるまでにはまだ時間がありますけど」 

「いや、残念ながら私の記憶力そのものに、時間の猶予というものがないんだ。私という人間はとにかく忘れっぽいんですよ。女房に買い物を頼まれては、いつも女房のものだけ買い忘れて、こっぴどく怒られる始末なんですから。さあ、ヒタリさん、私が忘れてしまわないうちに、いっしょに社務所に行きましょう」

 ヒタリは困惑した表情を浮かべながら言った。 

「でも‥‥」

 しかしブルーベルはヒタリの背中を押すようにして強引に社務所のほうに連れていってしまった。詩梁とふたりでとりのこされた瑞生は、苦々しい表情をして詩梁の顔を見る。詩梁も困ったように、しかしどこか嬉しそうににっこり笑うと、とたんに恥ずかしそうに瑞生から目を逸らして、目にとまった屋台を見て、頬を赤くしながら言った。

「あの、瑞生さん、りんご飴食べたくないですか」

 瑞生も詩梁と同じくらい頬を赤らめながら、困ったように答えた。

「りんご飴ですか? 結構ですよ。財布も持ってきてないんで」

「なに仰ってるんですか。この島に平和をもたらしてくださる勇者の方なんですから、それくらい奢ってあげますよ。買ってきますね」

「いや、そういうわけには‥‥」

 詩梁はすたすたと早足に歩いていって屋台でりんご飴を二本買ってきて、片方を瑞生に渡した。いかにも気まずそうにふたりは黙りこくったまま、燈籠のそばでりんご飴を舐めていたが、詩梁はふと射的の屋台で楽しそうに笑っているカップルに目をとめて言った。

「巫女ってけっこう残酷な仕事なんですよ。ずっと裏方として、お祭りをやっているあいだ、カップルの人たちがああやって楽しんでるのを眺めなくちゃならないんですから」

 瑞生はおかしそうに笑いながら詩梁に言った。

「べつにわざわざカップルに目を向ける必要なんかないじゃないですか。子供たちとか親子連れにでも視線を向けてたらいいのに」

「どうしてもそっちに目がいってしまうんですよ。‥‥もう。瑞生さんてけっこう意地がわるいんですね」

 詩梁はそう言って少し怒ったように頬を膨らませた。そしてしばらくしてからぽつりと言った。

「カップルでああいうのやってみるのが昔からあたしの夢だったんです」

 詩梁がずっと射的の屋台のカップルの姿ばかり眺めているのを見て、瑞生はさっきのブルーベルとのやりとりを思い出し、勇気を振りしぼって言ってみた。

「‥‥やってみますか?」

 瑞生のその言葉を聞くと、詩梁は満面の笑みを浮かべてうなずいた。そしてふたりで射的の屋台まで歩いていき、詩梁は屋台のお兄さんから渡された鉄砲を構えた。しかしずいぶん間違った構えだったので、瑞生は詩梁にたいして、正しい鉄砲の構えを説明しなければならなかった。とはいえ、瑞生がいかにも理系らしいまわりくどい文句で伝えようとするため、詩梁はなかなか飲みこむことができなかった。

「こうやって持つんですよ」

 瑞生は顔を赤くしながら、鉄砲に添えた詩梁の手をなおしてあげた。目を細めて詩梁のフォームを何度も確認する瑞生の横顔を見て、詩梁は少し微笑む。瑞生はようやく納得したようにうなずき、詩梁は真剣な表情をして鉄砲を撃った。詩梁は最初の二発こそ綺麗にはずしたものの、三発目で見事にちいかわのぬいぐるみを撃ち落としたのだった。屋台のお兄さんからちいかわのぬいぐるみを受け取りながら、瑞生は興奮して感嘆の声をあげて言った。

「さすがは元陸上部のエースですね。やっぱり筋がいい」

 だが詩梁は無念そうに目を閉じて、首を横に振りながら言った。

「でも二発も弾を無駄にしてしまいました」

 瑞生は感心したように詩梁の顔をじっと見つめながら言った。

「その負けん気のつよさが詩梁さんを全国大会まで引っ張っていったんでしょうね‥‥垂れ目の狸みたいなお化けなんかじゃなく」

 瑞生のその言葉に、詩梁は嬉しそうに目を細めた。詩梁は屋台のお兄さんに鉄砲を返すと、瑞生から受け取ったちいかわのぬいぐるみを、近くに立っていた小さな女の子にあげた。女の子は詩梁に礼を言って両親のもとに駆けていった。つぎの瞬間、背後のほうから花火の打ちあがる音がした。瑞生と詩梁はそちらを振りむいて空を見あげた。

「綺麗ですね」

 瑞生がぽつりとそう呟くと、詩梁はなにかを思い出したように、顔のまえで両手を打ちあわせて言った。

「そうだ、瑞生さんをこれから特等席に連れていってあげます」

 詩梁はとつぜん瑞生の手を掴むと、祭りの人混みをかきわけ、早足で歩いていった。瑞生は強引に拝殿のほうへ連れて行かれながら詩梁に訊いた。

「いったいどこへ行くんですか?」

「本殿の裏側です。花火がよく見えるんですよ」

 瑞生は背後であがっている花火を振りかえりながら言った。

「でも花火があがっているのは僕たちのうしろのはずですよね?」

「いいから、いっしょに来てください」

 瑞生は本殿の裏側に連れてこられた。そこには誰もおらず、祭りの煌々とした灯りが届かないのでひどく暗かった。ただ生い繁った木々と、下を流れる川への落下を防ぐための手摺りがあるだけだった。詩梁は手摺りに両手を置いて、遠くに見える龍の向こうでなにかが起こるのを待っているようだった。しばらくすると龍の向こう側から花火があがった。詩梁が瑞生のほうを振りかえって、にっこり微笑んで言った。

「龍の向こう側でも同じようにお祭りをやっているんです」

 ちょうど詩梁の頭上にあがった花火の鮮やかな光が、詩梁の顔に美しい色彩を描いた。光は詩梁の顔のなかで巧みに色を変え、やがて淡く消えると、ふたたび打ちあげられた何発もの花火が詩梁の美しい顔を明るく照らした。瑞生は詩梁の顔をじっと見据えながら、微笑んで言った。

「龍の向こう側にも同じような伝説が存在する‥‥そうですよね?」

「ええ、たぶんそうなんでしょう。瑞生さんって、やっぱりなにもかもご存知なんですね」

「それはまあ‥‥選ばれし勇者ですから」

 瑞生がそう言うと、詩梁は満面の笑みを浮かべた。そしてそれはゆっくりと悲しげな表情へと変わっていき、やがて頬に涙が伝っていった。その涙が地面に落ちるまえに、詩梁は瑞生のもとに駆け寄ると、瑞生の身体をつよく抱きしめて言った。

「瑞生さん‥‥助けてください」

「‥‥助ける?」

「あたし、明日めざめた龍に食べられないといけないんです」

 瑞生は遠い目をして龍の向こう側に打ちあげられた花火の光を見た。

「石板にはいったいなんと書かれているんですか?」

 詩梁は子供のようにしゃくりあげながら、たどたどしく言った。

「ソードで切り刻むだけでは龍は死なない‥‥神職の血が流れている、成年の女人を飲みこませたうえで、龍をソードで切り刻まなければならない、と」 

「それは‥‥生贄みたいなものですか?」

 詩梁は無言でこくりとうなずいた。

「それでヒタリさんは石板のその部分を伏せていたわけですか」

 詩梁はまたうなずいてから言った。 

「あの子が小さい頃から、あたしたち姉妹は固く約束していたんです。勇者の方がその事実を知ってしまうと、あたしを助けてしまう可能性があるから、勇者の方が現れたときはその部分を伏せていよう、って‥‥」

 瑞生を見あげた詩梁は、涙を流しながら苦しそうにむりやり笑い、その顔に色鮮やかな花火が、色調や濃淡をこまかく切り替えながら映りこむ。

「ダメなお姉ちゃんですよね。お姉ちゃんなのに、あれだけ固く誓いあった約束をこんな簡単に破っちゃって‥‥でもあたし、死にたくない。こんな若さで死ぬなんて、ぜったい嫌だよ」

 詩梁は縋るような目で瑞生の顔を見つめながら言った。

「瑞生さん、あたしのこと守ってもらえませんか。瑞生さんだったらきっと、石板に書かれている預言の抜け道のようなものを見つけてくれて、あたしは龍に食べられずに済むと思うんです。お願いします。どうか、あたしを助けてください」

 涙を流しながら、詩梁はむずかるように何度も首を振った。

「昨日までは死ぬことがこんなに怖くなかった‥‥でも今日はこの世界からいなくなってしまうことが怖くて仕方がないんです」

 瑞生は詩梁の頬を伝っている涙を指で拭いてやりながら訊ねた。

「それはつまり‥‥僕たち勇者が姿を現して、昨日よりも死が近くに感じられるから?」

 詩梁はずっと涙を流しつづけたまま、瑞生の顔を見あげながら、黙って首を振った。

「いいえ。たぶんあなたという人がこの世界に存在することを知ってしまったから‥‥」

 詩梁はそう言って、堪えきれないように瑞生の胸に顔をうずめて泣いた。瑞生はようやく詩梁の身体に腕をまわして、彼女の身体をつよく抱きしめた。詩梁は瑞生の胸に顔をうずめたまま、消え入るような声で言った。

「お願いします‥‥あたしのこと、守ってください」

 花火の光がとだえ、暗闇のなかに顔をうずめている瑞生はうなずき、詩梁と同じように消え入りそうな声で言った。

「ああ‥‥守ってあげるよ。絶対に」

 龍の向こうでまた花火が打ちあがった。腕のなかで震えている詩梁の横顔に、明滅を繰りかえす花火の光が映りこんだ。瑞生は詩梁の横顔に映るその花火の美しさをじっと見据える。

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