第五十一話 人間やってた頃の常識すら忘れたんか(メグとご陰キャさまの冒険譚 八)
メグとご陰キャさま、さらにはそこに由香までが加わって、三人は騒々しく喋りながらアパートの部屋に帰ってきた。三人が話しながら台所に入っていくと、ミキはいかにも機嫌のわるそうな表情をして、テーブルの椅子に座っているのだった。
「え、ミキちゃん、あのままなにもせずにあたしたちのこと待ってたの?」
メグが驚いた声でそう言うと、ミキは頬杖をついたまま、自分のまえに置いてあるスマホを黙って指でさした。スマホにはプレイ中のテトリスの画面が映っていた。メグは画面右上のとんでもない桁のスコアに目をやって、肩をすくめながらミキに言った。
「これやって待ってたってわけね」
ミキが刺すような目つきでメグと視線をあわせて答えた。
「べつにあなたがたが帰ってくるのを待ってたわけじゃなく、時間を潰してただけです。二時過ぎに家を出なければならないから、そのあいだ手持ちぶさただったんで」
「ああ、お祭りの準備とかあるんだったね」
「そうでぇーす」
ミキはあいかわらず憎たらしげな顔をしてそう言った。由香が思い出したようにミキに言った。
「あ、そうだ。ミキ、お父さんの浴衣あったよね」
「箪笥のなかにそのままになってると思うけど。父さんの浴衣をどうするの?」
「英雄の方がお祭りに行くのに、父さんの浴衣を着ていってもらおうと思って」
ミキは背格好を測るように、ご陰キャさまの全身を上から下まで見た。そしてわざわざメグのほうに視線を移してから感心したような口調で言った。
「龍との戦いが控えてるのに、悠長にお祭りとか行っちゃうんすか。余裕っすね」
メグが口角をぴくぴくさせながら、腰に両手を当ててミキに言った。
「ミキちゃんさ、英雄を小馬鹿にしたものの言いかたするのはやめようね」
ミキはちらっとだけメグの顔を見やって、それにはなにも答えずに視線を落として、黙ったままスマホの画面をスライドさせた。由香が深呼吸をして意を決してからミキに言った。
「ミキの浴衣、クリーニングから戻ってきたばかりだよね。メグちゃんに貸してあげてくれる?」
スマホからゆっくりと顔をあげ、ミキはいかにも不満そうな表情を浮かべて、由香をきっと睨みつけながら言った。
「どうしてお姉ちゃんの浴衣じゃなくて、わたしの浴衣なわけ」
「あたしはちょっと背が高いから、メグちゃんがあたしの浴衣を着ると、裾があまっちゃうでしょ」
ミキはまたスマホに視線を落として、無表情に画面をスライドさせながら、苛立たしげな声で言った。
「そんなのべつに気にしなくていいんじゃない? 気にするタイプでもなさそうだし」
メグはミキの言葉に一瞬たじろいだ顔をしたものの、それでも由香のほうを見て、ほら、もうひと押し、という表情を浮かべた。由香もこくんとうなずいて、厳しい声でミキに言った。
「そんなことを気にしない女の子が、この世界のどこにいるっての」
「ここにいると思うけど」
ミキがじろりとメグのほうを見た。由香もちらっとメグのほうを見たが、すぐにミキに視線を戻して言った。
「だいいち、裾があまった状態で着たら、メグちゃんそれサンダルで踏みつけまくって、あたしの浴衣が傷んでしまうじゃない」
「‥‥あの、ちょっと、由香っち?」
メグが引きつった表情でそう言った。ミキはめんどくさそうに由香の顔を見あげ、つぎにメグの顔に視線を移して、聞こえよがしに溜め息をついてから言った。
「んもう。しょうがないなあ」
ミキは立ちあがって廊下の奥に消えると、しばらくしてから白地に水玉模様のはいったかわいらしい浴衣を持って戻ってきた。むっつりした表情のまま、ミキはそれをぶっきらぼうな手つきで、黙ってメグに差し出した。メグは少し感動したような表情を浮かべ、潤んだ瞳でミキの目を見ながら言った。
「ミキちゃん、あんがとね」
ミキはそっぽを向いて、また椅子に腰をおろしてスマホをいじりはじめた。由香は嬉しそうにメグに向かって微笑み、それから隣りの和室に入っていった。箪笥の引き出しを開け、がさごそ音を立てていたかと思うと、紺色の浴衣と帯を持って出てきて、それをご陰キャさまに渡したのだった。
「たぶんサイズ的にぴったり合うと思います」
「お、由香りん、ありがと」
ご陰キャさまは片手で浴衣を受け取って、それをそのまま椅子の背に掛けると、すぐさまシャツを脱ぎはじめようとしたため、女子三人がけたたましい悲鳴をあげる。メグがすでに頭に覆いかぶさっているシャツを荒々しい手つきでおろしながら言った。
「おいこらてめえ、もう人間やってた頃の常識すら忘れたんか。つか、男なんだからシャツのうえから羽織ればいいだけだろうが。んもう。まああたしはさすがにちゃんと着替えるけどね」
由香がにっこり微笑んでメグに言った。
「メグちゃん、あたしの部屋を使ってくれたらいいよ」
「あんがとー。由香っちの部屋って手前だよね」
そう言ってメグが廊下を歩いて洋室に入っていったと思ったら、数秒も経たないうちに浴衣に着替えた状態で出てきた。由香がもはやお約束のように両手を口に当てながら、メグの着ている浴衣に視線を走らせて言った。
「え、いま入ったばかりなのに完璧に着つけて‥‥」
「ん? 由香っち、なんか言った?」
「いえ‥‥なんでもないです」
メグがご陰キャさまの浴衣の着つけを見て呆れたように舌打ちして、襟をなおしてあげながら由香に言った。
「由香っちたちは神社に行っちゃうんだよね。お祭りが始まるまで、あたしたちどうしようか」
「あ、ここでゆっくりしていてくださればいいですよ」
メグは由香のほうを向き、突きたてた人さし指を振りながら言った。
「んー、そこはやっぱ他人の家だからねえ。いくらあたしたちが選ばれし英雄だからって、そういう不作法をしちゃいかんのよ」
「そこはお気になさらないでください。あなたがた英雄の方たちは、この島に平和をもたらしてくれるわけですから」
「ほら、由香りんもこう言ってくれてるわけだし‥‥」
ご陰キャさまの浴衣の襟元からシャツを掴み、つよく引っ張りながらメグは由香に言った。
「あたしたちも由香っちたちといっしょに神社行くことにするわ。なんか手伝えることあるかもしんないし。あ、そうか。由香っちたちも外出の準備とかあるんだよね。どう考えてもあたしたち邪魔だよな。じゃあちょっとさきに部屋を出て、外の空気吸ってくるわ」
「あ、はい。そうだ、玄関の靴箱にサンダルが入っているので、メグちゃんはそれを履いていってくれたらいいよ」
「ん。由香っち、細かいとこまでほんとあんがとね」
ご陰キャさまはメグにシャツを掴まれたまま廊下を連れられ部屋を出た。メグがドアを閉めきってから、ご陰キャさまが声を落としてメグに訊いた。
「うん? ミキミキに明日龍がめざめることは言わないの?」
「その必要はないよ」
メグはそう答えると、外廊下の手すりに両腕を乗せて、そこから見える景色を眺めながら言葉をつづけた。
「もし筋書き的にその必要があるんだったら、由香っちがそのことを打ち明けてミキちゃんを連れてくるんじゃない。それにあたしたちがミキちゃんにその事実を教えたところで、ミキちゃんが明日あたしたちといっしょに龍のもとへ行くことはないと思うわ」
「なんでそう思うわけ?」
まえを向いたまま、吹きこんでくる風で乱れる髪を手で押さえながら、メグは答えた。
「行かせる必要はないとカエデが判断してるはず。あの子にやらせることはもうないはずだからね」
「ん? やらせることはもうない?」
「うん。伝説の案内役としてのあの子の役目はここらへんで終わりじゃないかな」
ご陰キャさまは少し考えてから言った。
「でもさ、そんなこと言ったら、由香りんだってそれは同じなんじゃないの」
「いや、由香っちはたぶんカエデのつくったこの筋書きの中心的な役割を果たしているはずだから、明日なにがあってもあたしたちといっしょに龍のとこに行くことになるよ。これはあくまであたしの読みだけどね」
ご陰キャさまは驚いた表情を浮かべた。
「え、ミキミキより由香りんのほうが中心的な役割なの。俺はてっきりミキミキのほうが重要な役割を担ってるもんだと思ってたけど。‥‥それは由香りんが石板の預言について隠してることと、やっぱ関係あるわけ?」
「うん。たぶんそのことについて、お祭りの途中で、あんたになんか頼みに来ると思うわ。さすがにあたしはそこに顔を突っこむ気はないけどね。それにあたしが顔を突っこんだら、由香っちはさっきみたいに頑なに口を閉ざすはずだし。なにを頼みに来るかはあたしにもまったくわからないけど、そこらへんの判断はあんたに任すわ」
「ん。俺なんかにそんな大事なこと判断させていいの?」
メグがうしろに立っているご陰キャさまに横顔だけ向け、おかしそうに笑いながら言った。
「由香っちの頼みにあんたがどう反応したところで、龍と戦うのはどのみちあたしなんだもん。関係ないっちゃ、関係ないのよ。でももしあんたと由香っちが龍との戦闘中におかしな真似しはじめたら‥‥その可能性はめちゃくちゃ高いわけだけど‥‥あたしは躊躇なく、あんたたちふたりに延髄斬り食らわしてやるけどね」
ご陰キャさまはそれでも納得がいかない感じで唸った。
「うーん。でもさ、こんな状況で俺にできるようなことなんて、なにひとつないと思うんだけど」
メグがふたたびまえのほうを向き、首をおおきく縦に振りながら言った。
「それでもカエデが由香っちにあんたになにかを頼みに行かせるんだから、物語を進行させるうえでかなり重要なことなんだろうね。くれぐれも忠告しておくけど、由香っちになにを頼まれても、最終的には自分の頭で判断するんだよ。あたしはともかく、向こう側からやってくる瑞生クンに迷惑かけないように。ほんとそこだけは気に留めておいてね。肝心なとこでヘマやらかして死にかけて、それを助けようとした瑞生クン道連れにして、この世界の安全装置がはたらいて強制退場‥‥瑞生クンが完全にアカウントを凍結されて、二度と仮想空間に入場できずにコピーの詩梁ちゃんと会えなくなるなんて結末、あんただってイヤでしょ?」
「そりゃそうだけど‥‥」
ご陰キャさまは物思いに沈むような表情をしてうつむいた。とつぜんドアがばたんと開き、ドアのそばに立っていたご陰キャさまの身体に思いきり当たる。
「お待たせしましたー」
ドアから出てきた姉妹の服装はしかし、ご陰キャさまの想像していた巫女の格好ではなかった。依然としてカジュアルな服装のままの姉妹に、ご陰キャさまは顎が抜けそうなほど口をあんぐり開けた。
「え、由香りんたち、巫女さんの格好に着替えたんじゃなかったの?」
由香はもうしわけなさそうな表情を浮かべてご陰キャさまに向かって言った。
「あの、さすがに巫女の格好では出歩けませんので」
「ざーんねんでした。つか、お前のアホさ加減きわまれりだな」
メグが口を窄めて憎たらしげにそう言った。ご陰キャさまはがっくりと肩を落として、女子三人を置いてけぼりにして、自分だけとぼとぼと階段をおりていったのだった。




