第四十六話 チェス盤に置かれたナイトやクイーン(瑞生とブルーベルの冒険譚 六)
「たしかにあの石像は切っても切れなさそうだな。‥‥いや。ちょっと待ってくれ。石化した龍がソードで切れない物体だとすると、そのソードで龍を切り刻むことはできるのか。いざ龍がめざめたとき、ソードで龍を切り刻めなかったりしたら、われわれ勇者としてもちょっと洒落にならんことになるぞ」
ブルーベルは苦い表情を浮かべてそう言った。
「実際に試したことがないのでそこは断言できないのですが、石化している状態と生身の姿に戻った状態とでは、おそらく龍の肉体の硬度が異なるはずです」
ヒタリがそう答えると、ブルーベルは納得したようにうなずいた。
「なるほど、そういうロジックなわけか。しかし、石化した状態の龍の身体の一部をソードの柄にするとなると、龍の身体を切り刻むことになるわけだろう。そんなことしたら龍がめざめることになるんじゃないのか。伝説によると、それが龍をめざめさせるトリガーになるわけだろう」
「ですが、ソードの柄になりそうなものは、たしかに石化している龍の身体以外には考えられません」
ヒタリが表情を少しも動かさずにそう言った。
「そもそもどうやってソードを木の板から持ちあげるってんだね。刃の先に指が触れただけで骨まで裂けてしまうってんだろう?」
ブルーベルが瑞生に向かってそう言うと、瑞生はまだ考えをめぐらせている途中のような、不安定な抑揚で言った。
「その木箱の実物を見てみないとなんとも言えませんが、たぶんどうにかなると思いますよ」
「瑞生君らしいコペルニクス的転回ってやつがあるのか。なんだ、言ってみてくれ」
「すみません、ここではちょっと‥‥」
瑞生がヒタリのほうに視線をやって、ブルーベルはその視線をたどってからうなずき、声を落として訊ねた。
「それなりの勝算はあるってわけだな」
「ええ、まあ」
「よし、わかった。ここは君に任せよう」
ブルーベルはしばらくのあいだ、黙ってテーブルの一点を見つめていたが、やがて顔をあげて詩梁に言った。
「詩梁さん、わるいがわれわれを神社まで案内してくれませんか」
詩梁は目を丸くする。
「えっ、あたしがですか?」
「ええ。ヒタリさんに石板を取ってきてもらったので、今度は詩梁さんの番です。若くて体力がありあまっているといっても、ヒタリさんに何度も往復してもらうのは、さすがに気が引けますからな」
すかさずヒタリが口を挟む。
「そこはお構いなく。わたしがご案内します」
ブルーベルがやや厳しい目つきでヒタリの顔を見据える。
「そもそも君は学生の年頃のはずだ。学校には行ってないのかね?」
「今日は土曜日です」
「ふむ。じゃあ、友だちや彼氏との約束は?」
「彼氏はいませんし、今日は友だちとの約束もありません」
ヒタリは挑むような目つきでブルーベルを見た。
「いや、結構だ。家に居たまえ」
「わたしも一緒に行きます」
ブルーベルは頑として首を横に振った。
「われわれ勇者と目されているものが詩梁さんを指名しているんだ。いま私の頭にぱっと浮かんだような思いつきだって、その石板に書かれている預言と同等の重みがあるとは思わんかね?」
ヒタリが困ったような表情を浮かべ、瑞生も瑞生で、険しい目つきでブルーベルの顔を睨みつけた。瑞生は声を落とし、囁くような声でブルーベルに言った。
「いったいなにを企んでいるんです? カエデやヒタリや詩梁にくわえて、あなたまで変にひっかきまわすのはやめてください」
ブルーベルはどこか愉快そうな表情を浮かべて瑞生の顔を見据えた。
「私が君のためにこんなことをしていると思うのか? ‥‥どうも私の見たかぎりじゃ、詩梁さんはカエデの支配がそれほど及んでいない。詩梁さんを本物らしく拵えて君を罠にはめるつもりが、なぜかこうなってしまったんだろう。だったら詩梁さんを突っついて、なにかわれわれの有利になるような情報を得ることができたら、それこそ棚からぼた餅ってもんじゃないか」
瑞生は表情のない顔でブルーベルの顔をじっと見つめた。それから喉の奥から絞り出すように、ひどく掠れた声で言った。
「しかし‥‥このゲームの論客としてはヒタリのほうがよほど適任のはずです」
ブルーベルは少し呆れたような表情を浮かべて瑞生に言う。
「いいか、瑞生君。これはゲームじゃないし、討論会でもないんだ。仮りにわれわれがヒタリを言い負かしたところで、こっちには一銭だって報酬が支払われるわけじゃないし、勝利に近づくわけでもない。それなら、たとえ人道的な意味あいで非難されるような手段を選択してでも、われわれは勝負に勝つべきなんじゃないかね。違うか?」
瑞生はやはり表情のない顔でブルーベルを見つめかえした。ややあってから、瑞生は仕方なさそうに目を伏せて、ただ黙ってうなずいた。ブルーベルも同じようにうなずくと、詩梁のほうを向いて声をかけた。
「では詩梁さん、案内ねがえますか」
詩梁は無邪気な笑みを浮かべた。
「はい。じゃあ、出かけましょうか」
そう言って詩梁はテーブルに置いていたベージュのポーチを手に取ると、椅子から立ちあがってポーチの紐を右肩にかけた。男ふたりもおおきな音をたてて椅子から立ちあがった。
ヒタリは玄関まで三人を見送りには来たものの、心配そうな表情を浮かべて詩梁の顔を見つめるばかりで、結局なにも言わなかった。三人は靴をはいて部屋を出た。アパートの古びた外階段を平然とおりていく詩梁とは対照的に、男ふたりはやはりおっかなびっくりな感じで慎重にくだり、彼らが来た道とは反対方向に歩いていく詩梁を黙々と追いかけていった。
三人は奇妙なほど静かな住宅地を歩いていった。通りには人っ子ひとり歩いていなかった。しかし龍のこちら側の人口が二千五百人ほどであることを考えると、誰かとすれ違うほうが確率的に不自然であるのかもしれなかった。やたらおおきく見える太陽は、正午のあたりの位置まで昇っていた。
詩梁がとつぜん鼻で空気を吸いこんでから言った。
「初夏の匂いって、いいものですね」
男ふたりが詩梁を真似て、思いきり鼻から空気を吸いこむ。
「高校の頃を思い出すんですよ、なぜか」
ブルーベルがうなずいて言った。
「ああ、それは私もだな。なぜだろう。われわれは春も夏も秋も冬も飽きもせず学校に通ってたってのに」
瑞生が苦々しげな表情を浮かべてふたりの会話に割って入る。
「たぶんおふたりが部活に入っていたからですよ。僕はまったく部活に入ってなかったから、こうした匂いを嗅いでも、とくになんとも思わないんです」
「えっ、どうして瑞生さんはあたしが部活やっていたことをご存知なんですか」
詩梁がかるく驚きながらそう言うと、瑞生は言葉につまってしまった。ブルーベルがかわりに答えた。
「そりゃ、たいていの人たちは学生時代に部活動をやっているもんですからね」
「ああ‥‥そういわれればそうですよね。じゃあブルーベルさんも部活をやられてたんですか?」
詩梁がそう訊ねると、ブルーベルはうなずいた。
「ええ、野球をやっておりました。親父が大の野球好きでしてね。若い頃にプロの野球選手をめざしていたんですが、結局挫折して、わが子に自分の夢を託したわけですよ。といっても私も私で、親父と同様、プロへの道は諦めましたが。血は争えないってやつです。だから私も生まれたときから詩梁さんのように重いものを背負わされていたんですよ。親父本人の叶わなかった夢という、ひたすら重いものを。人間の果てしない欲望なんてものは、実際に心のなかから引っ張りだしてみりゃ、物量的にはあの龍とたいして変わらないデカさなんじゃないかな」
詩梁が目をほそめて笑った。
「あたしたち、同志ですね」
ブルーベルもにっこり笑って答えた。
「そうなりますな」
「お子さんはいらっしゃるんですか?」
「男の子がふたりいます。休日なんかはチビふたりの体力が尽きるまで相手させられますよ。これが仕事以上に大変でね」
詩梁はおかしそうに笑ってから言った。
「おチビちゃんたちに野球をやらせるつもりはないんですか?」
ブルーベルはひとしきり唸ってから答えた。
「いやあ‥‥私の人生がこんな感じだったから、野球にかぎらず、子供たちにはどんな選択も押しつけるまいと心に固く決めているんです。なんならサラリーマンにだってならなくたっていい。自分で自分に責任を持てるなら、そして他人に借金したりとかして迷惑をかけないのであれば、一生放浪しているような生活を送ってくれてもいいとさえ思っているんです。本人にとってなにが正しい人生かなんて決められるのは、結局本人だけなわけでしょう?」
詩梁は何度もうなずいた。
「ええ、ほんとそうですよね」
「親が子供に自分の夢を託して成功したスポーツ選手が存在するのはたしかですが、それはやっぱり結果オーライな話なだけであって、そうならなかった人間だってゴマンといる。親が子供の将来にかんして、あらかじめ詳細な地図を握っているってのは、どうも間違っていることのような気がするんですよ」
「‥‥そうかもしれませんね。といっても、あたしの場合は親の代じゃなく、もっと先祖代々からの話ですけど」
詩梁はそう言って少し自嘲気味に笑った。三人はしばらくのあいだ黙々と歩いていたが、とつぜんブルーベルが口を開いた。
「ところで詩梁さんは高校時代に気になっていた男の子とかはいましたか?」
「ちょっと、ブルーベル‥‥」
瑞生が怒ったように小声でそう言った。詩梁は首を振る。
「いませんでした。陸上をやってて、それひと筋だったから、男子の存在は完全に意識からシャットアウトしてたんです。告白とかされてもふつうに断ってましたし」
ブルーベルはもっともらしい顔でうなずいてから小さく呟いた。
「まあ、こういう返答になるよな」
「はい?」
「いや、こっちのこと。お気になさらず」
ブルーベルは声を落として、隣りで歩いている瑞生に訊いた。
「‥‥しかし、カエデはこういう情報を、いったいどこから拾ってきたんだろうな。詩梁さんみたいな性格の子が、こんなことまでブログやらSNSやらに書きこむとは思えないんだが」
瑞生も声を落として、まえを向いたまま淡々と答えた。
「詩梁が陸上の全国大会で三位になったとき、市が発行してる広報誌みたいなもののインタビューを受けて、それが記事になったんです。たぶんそれが情報源だと思います。天然が入っているせいか、けっこうそういうことを赤裸々に答えてて、それがそのまま掲載されたんです。僕もその記事は隅から隅まで、暗記するくらいに読みかえしました」
「なるほど。カエデはどこかの役所のパソコンに保存されているその記事のデジタル版のアーカイヴを拾いあげてきたってわけか」
瑞生はこくりとうなずいて言った。
「たぶんそうでしょう」
「あたし、ほんと全身全霊をかけて打ちこんだな。なにかお化けにでも取り憑かれてたみたいに、一心不乱にやってました。陸上をやってた頃からそういう感覚があって、あたしはそのお化けによく心のなかで語りかけていたんです。いい、あたしに取り憑いてるお化けちゃん、陸上部を引退するまではぜったいにあたしから離れないでちょうだいね、って。そのお化けちゃんがあたしに飽きて離れてしまったら、陸上にたいする情熱までいっしょに消え失せてしまうような気がしてたんですよ。まあ、お化けといっても、垂れ目の狸みたいなかわいらしいイメージだったんですけど」
詩梁がそう言って微笑むと、ブルーベルも詩梁に向かって愛想よく微笑んだ。しかしすぐに真顔に戻って振りかえると、瑞生に小声で訊ねた。
「これもその記事に書かれてたのか」
瑞生は苦笑いを浮かべながら答えた。
「ええ、間違いありません。市の広報誌に載せるにはちょっとおかしな内容ですが、なにせ女子高校生の言うことですから、編集のチェックにも引っかからなかったんでしょう」
住宅地をぬけて田園地帯を過ぎると川が現れた。いきおいのある水流が、耳に心地よい音を立てている。三人は川沿いの石畳の遊歩道を歩いていった。やがて緩やかな弓なりの石橋を超え、商店街らしき通りにさしかかる。それぞれの店先には色とりどりののぼりが立てかけてあった。
「なにか催しものでもあるんですか」
ブルーベルが詩梁に訊ねた。
「はい。ちょうど祭りをやっています」
「祭り?」
「ええ。毎年、五月十五日と十六日に祭りが催されるんです」
よく見るとのぼりには、シリアスなタッチもあればコミカルなタッチもある龍の絵が、かならずといっていいほどどこかに描かれていた。ブルーベルがのぼりに描かれた龍に視線を留めながら言った。
「例の伝説がらみの祭りなわけかね」
「はい。今日は宵宮と呼ばれる前日祭があり、明日は本宮と呼ばれる本祭があります。宵宮では巫女であるあたしとヒタリが大幣を振ります」
「おおぬさ?」
ブルーベルが聞きかえすと、詩梁は静かにうなずいた。
「神職でない方には馴染みのうすい呼称かもしれませんね。大幣というのは、お祓いのときなどに、神主が握っている白い紙のついたあの棒のことです。あたしとヒタリが巫女の格好をして、その大幣を持って本殿で祈りを捧げます。‥‥といっても行事自体はほんの三十分ていどで終わってしまうんですけど。昔はもうちょっとおおがかりな儀式だったみたいですが、近年はよその土地のお祭りと同じように、たんなる慣例的な行事になってしまいました」
「二日間やるのは、その前日祭とかの行事のためだけですか」
瑞生がそう訊ねると、まるでそれが最初から決められていた合言葉ででもあったかのように、詩梁は不意に立ちどまった。そして振りかえり、ひどく思いつめた表情で、瑞生の顔をじっと見つめながら言ったのだった。
「いいえ。十五日に勇者の方たちが来られて、十六日に勇者の方たちが剣で切り刻んで龍がめざめるからです」
男ふたりは立ちどまって、顔を見あわせた。瑞生が慌てふためいたように早口で言った。
「ちょっと待ってください。今日は五月十五日なわけですよね。ということはつまり‥‥」
「はい。明日、龍がめざめることになります」
ブルーベルが髪の毛をかきあげ、血相をかえながら言った。
「どうして明確な日にちまで詩梁さんにわかるんです。ヒタリさんが読みあげてくれた預言には、そんなことは書かれてなかったはずだ」
詩梁はゆっくりとブルーベルのほうに視線を向けて静かに言った。
「あの子は石板に書かれていることを意図的にところどころ省略しています」
男ふたりはまた顔を見あわせた。
「なぜ妹さんはそこを伏せたんですか」
瑞生がそう訊いた。詩梁は瑞生の顔を向いて言った。
「‥‥今日来られたばかりの勇者の方たちに、明日が龍をめざめさせる日であることまでは言い出せなかったんじゃないでしょうか」
「しかし、僕らは伝説で預言された勇者なわけですよね。この期におよんで、そんな肝心なことを伏せる必要があるんですか。それに‥‥」
詩梁がにこっと笑う。瑞生を一発で黙らせる強烈なカウンターパンチ。ブルーベルが苦々しげな表情を浮かべて瑞生の顔を見た。詩梁は微笑んだまま言った。
「勇者の方たちだからこそ、わざわざ言う必要もないと判断したんだと思います。当の勇者の方たちに、明日が龍をめざめさせる日だということまで伝えるのは、なんだか釈迦に説法みたいな話じゃないですか」
瑞生が黙っているため、仕方なくブルーベルが会話に割って入る。
「しかしそれが明日ってのもさすがに急過ぎる話だと思うがな。もちろん詩梁さんにこんなこと言っても仕方がないんだが」
「それはあたしたちにとってもそうなんです。大昔から毎年のように、今年こそは勇者さんたちが来るぞと思いながら、肩すかしを食らっていたんです。だから今年もまたそうなるものだと思っていました。あたしたちにとっても、これはこれで急な話なんです」
ブルーベルは険しい目つきでしばらく黙っていたが、なるだけ冷静を保とうとしているような抑えた口調で言った。
「正直に仰ってください。ほかにも妹さんが意図的に伏せている箇所はありますか」
詩梁は一瞬だけ話すのをためらった風だったが、なんらかの義務感にかられたように口を開いた。
「あります‥‥それは時期がくればお話しします」
「時期がくればって‥‥龍がめざめるのは明日なんだろう。当日になって大事なことを打ち明けられても困るんだ。失礼ながら、詩梁さんにはその見極めがついているのかね。たぶんついてないだろう。われわれのような勇者と目されるものだって、それなりに心の準備というものが必要なわけでね」
「はい。それはわかっているのですが‥‥」
詩梁はもうしわけなさそうに目を伏せてそう言った。ブルーベルは噛みつくような口調で言った。
「石板に刻まれている内容を、つつみかくさず教えていただきたい」
「いますぐにですか」
「もちろん。どこを伏せてどこを開示するかはあなたたち姉妹が判断することじゃない。少なくとも龍がめざめるのが明日に迫っている段階で、当日まで大事な情報を伏せられては、われわれだってたまったものではないからな。あなたたちにとってはなんということないものであろうと、それを判断するのはあくまでわれわれなんだ」
詩梁はそれには答えず、困ったような表情を浮かべ、黙ったまま地面に視線を落としていた。
「ブルーベル‥‥」
瑞生が咎めるような目つきでブルーベルを睨みつけて言った。ブルーベルが驚いた表情を浮かべ、正気を失ってしまった人間を見るような目で、瑞生の顔をまじまじと見る。
「まさか君に遮られるとは思ってなかったな。‥‥いやはや、詩梁さんの破壊力というのはじつに凄まじいものだ。正直、これほどとは思ってなかったよ。あれだけ理性的だった瑞生君に、ここまでブレーキをかけさせるんだからな。勘弁してくれよ、これじゃまんまとカエデの狙いどおりじゃないか」
瑞生はブルーベルから視線を逸らして黙りこんでしまった。ブルーベルは両腕を組んで強い口調で言った。
「しかし瑞生君、その方向で突っ走るのはやめてほしい。私のようなポンコツはともかく、少なくとも君だけはこういう状況のなかで、つねに冷静でいてくれないと困るんだ。私たちはどうしてもカエデとの駆け引きに勝たなければならないんだぞ」
「ええ、それはそのとおりなんですが‥‥」
歯切れのわるい言い方をする瑞生に、ブルーベルが苛立たしげに何度も首を振り、瑞生の服をつかんで詩梁から離れた場所まで連れていくと、自分の顔のまえで派手な音をたてて両手を打ちあわせてから言った。
「よし、いちどはっきりさせておこう。あの詩梁さんはあくまでカエデの用意した駒だ。チェス盤に置かれたナイトやクイーンとまったく同じ種類のものなんだよ。瑞生君、それはちゃんとわかっているんだな? 心のなかでちゃんと整理がついているんだな?」
「ブルーベル‥‥その‥‥駒という呼び方はちょっとやめてくれませんか」
瑞生がそう言うと、ブルーベルはまた苛立たしげに首を振った。そしてまるで理屈の通じない人間を相手にするように声を荒げて言った。
「そういう考えを捨てろと言っているんだ。彼女たちの存在は、われわれがこの島に辿りついた時点で、カエデによってつくられたものなんだ。彼女たちの人生に『そのまえ』というものは存在しない。記憶があったとしても、それはあくまで彼女たちの頭のなかに植えつけられている、紛いものの記憶に過ぎないんだ。そしてたぶん、自分たちの役目が終わってしまえば、彼女たちの人生に『そのあと』というものも存在しない。ぱっと消えちまうんだよ‥‥打ちあげ花火みたいにな。瑞生君の目にどれだけリアルに映っていたとしても、彼女たちはただそれだけの存在に過ぎないんだ。そして本人たちはそれを自覚することもできない。言葉はわるいが、彼女たちはカエデが自身の目的のために拵えた、たんなる操り人形なんだよ」
瑞生はただ黙って静かに首を振るばかりであった。
「もうその話はやめにしませんか、ブルーベル‥‥」
ブルーベルはふたたび苛立たしげに首を振り、議論に優位に立った人間が浮かべるような、怒りと優越感がないまぜになった表情を浮かべ、瑞生の顔をまっすぐ見て言った。
「なんだ、心がうずくってのか。いまごろになって、この仮想空間でコピーの詩梁さんをつくっていたことに、罪悪感がうずくってのか」
「ええ‥‥ほんとうに‥‥そのとおりです」
気分がわるそうに青白い顔をしてうつむいている瑞生を見て、ブルーベルもようやく冷静になったようだった。ブルーベルは放心したように瑞生の顔を見つめながら、さまざまな想いを振り払うように何度も首を振ってから言った。
「‥‥わかったよ。私もここまで踏みこんだことを言うつもりじゃなかったんだ。言い過ぎたんだとしたら謝る。しかしもうちょっとこの状況にたいして冷静になってくれないか。せめてこの部分だけは理解できるよな?」
瑞生がこくりとうなずくと、ブルーベルはまだしばらく瑞生の顔をじっと見つめていたが、やがて我にかえったように詩梁のところまで戻っていった。
「詩梁さん、あなたの考えで判断して答えてくれれば結構です。その伏せている情報というのは、明日に控えている龍との戦局に影響を与えるような種類のものではないんですね?」
詩梁は澄んだ瞳でブルーベルをじっと見据えながら言った。
「はい。そういう種類のものでしたら、さすがにあたしもきちんとあなたがたに打ち明けています」
ブルーベルはその言葉というよりも、詩梁の発した声の響きを吟味するように、しばらくのあいだ黙って考えこんでいたが、やがて本来の柔和な表情に戻ってうなずくと、優しい口調で言った。
「なあ、詩梁さん。考えが変わったら、いつでも私たちに石板に刻まれている事柄をあまさず教えてくれないかね。そのタイミングは詩梁さんに任せる。もちろんなるべく早いに越したことはないんだが‥‥わかったね?」
詩梁は黙りこんだまま、こくりとうなずいたのだった。




