第四十二話 天衣無縫の呪い(瑞生とブルーベルの冒険譚 四)
「たぶん詩梁さんとお会いしたことはないと思うんですが」
瑞生は顔をあげ、声を振り絞るようにして言った。
「えー。嘘ついてる。ぜったいどこかで会ってますよ」
詩梁は瑞生のほうに歩いていき、腰に両手を当てて、自分の顔を瑞生の顔に近づけ、じっと見つめた。そんなことをするので、瑞生はますます顔を赤らめ、詩梁のほうに視線を向けることすらできなくなってしまった。火にかけていたやかんの笛が派手に鳴った。
「あ、お湯が沸いてる」
ふたたびガスコンロのほうに戻って火を止め、茶碗に湯をそそいだ。居間のほうから電話が鳴った。詩梁は困ったような表情でふたりのほうを見た。
「すみません、神社にかかってくる電話をこっちに転送しているので、どうしても出なくてはなりません」
ブルーベルが片手を振りながら愛想よく答える。
「ああ、どうぞどうぞ。われわれのことはお気になさらずに」
詩梁はにっこり微笑んでかるく頭をさげると、あたふたと居間に入って襖を閉めた。くぐもった話し声が居間から聞こえてくる。
「‥‥こんな大胆な感じの子だったのか?」
ブルーベルが声を落として瑞生に訊いた。
「ええ、ちょっと天然が入っているぶん、異性にたいして大胆に振る舞えてしまうんです。それでみんな勘違いしてしまうんですが」
「いわゆる天衣無縫ってタイプなわけか。美女にだけ許された特権だな。私も若い頃にそういうタイプと出会いたかったもんだよ」
「ああいう顔で大胆な性格だと、男たちはみんな魔法にでもかかったような感じになってしまうんです」
「だろうな。高校生ぐらいの男の子なら、なおさらそうだ。年の離れた私でさえ魔法にかかりそうなくらいだよ」
ブルーベルは笑いながら言った。しかし瑞生は真顔のまま言う。
「でも美しさというのは呪いでもあるんです」
「呪い?」
「ええ、本人にとっても、周囲の人間にとっても。詩梁はよくストーカーの被害に遭っていました。高校の三年間を通して、同じ学校の男子生徒からも、ほかの学校の生徒からもつきまとわれ、かなり困っていたそうです。詩梁とは口をきいたことがないんで、噂レベルではあるんですが、警察に被害届を出すようなこともあったらしいです」
「男を狂わせるタイプってわけか」
「ええ、まさに」
ふと顔をあげてこちらを見た瑞生に気づいて、ブルーベルは言いわけするように言った。
「いや、皮肉を言ってるわけじゃないんだが。気に障ったら謝る。‥‥でもあれだけ綺麗な顔をしていたら、彼氏だっていただろう」
瑞生が即座に首を振る。
「それがいなかったんです」
「ほう。‥‥どうしてそう言える?」
「詩梁は陸上をやっていて、インターハイに出るほどの子だったんです。彼女は傍で見ていてもわかるくらい、青春のすべてを陸上に捧げている感じでした。全国大会に出て、テレビ中継があったときなんかは、ネットでも少し話題になったくらいです。学校いちの美人として有名な子で、彼氏がいたら、ぼっちの僕の耳にだって入っています。もちろん大学に行ったあとのことは知りませんが」
「これだけの美貌でもったいないような気もするな。だがまあ、つまらん男にうつつを抜かしているよりかは、よっぽど有意義な青春なのかもしれん。なんせそこらへんの年代の女の子たちは、男を見る目なんてまるでないんだから。瑞生君もわかるだろう?」
「ええ、まあ、それは男女ともにお互いさまですから」
「はは。そりゃそうだ。私なんかまるで見る目がなかったわけだから」
今度は瑞生が自分の言ったことに気づいて、申しわけなさそうな表情をした。
「いえ‥‥そういう意味ではないですよ。あくまで一般論です」
居間の向こうの話し声がやんで、男ふたりは黙りこんだ。襖を開けて、詩梁が出てきた。さっきの話のつづきという感じで瑞生の横に立ち、腰に両手をあてて仁王立ちになりながら、瑞生の顔をじっと見る。
「ほんと似てる。本人ですよね?」
瑞生がまた頬を赤らめてうつむいてしまったので、ブルーベルは助け船を出した。
「まあまあ、お嬢さん、他人の空似というのはよくあることです。詩梁さんはいったいどこで瑞生君と会ったというんです?」
詩梁は首を傾げ、斜めうえに視線をやった。
「さあ‥‥どこだったんだろ。瑞生さんはそれもおぼえてません?」
男ふたりは同時に噴き出した。ブルーベルが笑いながら言う。
「カエデはずいぶんとめちゃくちゃな設定をしてるな」
瑞生が笑いながら、視線を落としたまま首を振る。
「いや、違うんです。かなり本物に忠実なんです」
「はっきりと名前をおぼえてないんです。上のお名前はなんていうんですか?」
笑ったことで気がほぐれたのか、瑞生はようやく顔をあげ、詩梁の顔をじっと見据えながら言った。
「武田です。武田瑞生」
「うーん‥‥心あたりがないなあ。やっぱり誰かと間違えてるのかなあ」
瑞生とブルーベルはそろって妙な溜め息をついた。玄関のドアが開く音がして、ヒタリが静かに台所に入ってくる。ヒタリはタブレットほどのおおきさの石板を大事そうに抱えていた。
「神社から石板を持ってまいりました。手にとってご覧になられますか?」
「部外者がべたべた触ってよろしいもんなんですか」
ブルーベルがヒタリの持っている石板を覗きこみながら訊いた。
「はい、結構ですよ。落として割れたところで、べつにこれといった損害はありません。そこに書かれてあることが重要なんです。ましてやあなたがた勇者がこうして実際に来られた以上、こんな石板など、もう割れたところでどうってことはありません」
瑞生とブルーベルは顔を見あわせた。賞状でも授かるように、ブルーベルはうやうやしい手つきでヒタリから石板を受けとった。厚みもタブレットほどだが、石の板なのでやはりずっしりとした重みがあった。縁などは少し欠けている箇所があるものの、ひび割れなどはまったくなかった。
瑞生が興味深そうにブルーベルの持っている石板を覗きこんだ。そこにはたしかに古文らしき漢文がこまかくびっしりと刻まれている。ブルーベルは石板をざっと眺めてから肩をすくめ、そのまま瑞生に石板を渡した。瑞生は石板を隅から隅まで気の済むまで眺めた。そして石板に目を落としたまま声をひそめて言った。
「ここらへんはリアルにつくられているわけですね。いかにもフェイクな、いい加減につくられた漢字というのは、とりあえず見当たりません」
「そう簡単にはボロを出さんな」
「瑞生さんはそれが読めるんですか?」
詩梁が瑞生にそう訊ねた。瑞生は石板から顔をあげ、ぎこちなく微笑んで詩梁の顔を見た。
「古文なんて、からっきし読めませんよ。詩梁さんは読めるんですか?」
詩梁は首を振った。
「いいえ。でもわたしの母は読むことができました。先祖代々そうやって親から子に古文の読み方を教えてきたんです。わたしもゆくゆくは母から習うつもりではいたんですが、本格的に習うまえに交通事故で死んでしまいました」
瑞生はきちんと相手の身内の不幸を聞いているような同情めいた表情を浮かべていたが、しばしの間をおいてから、ちょうど自分のまえの椅子に座ったヒタリのほうに向きなおった。
「ヒタリさんはこの漢文を読めるんですか?」
ヒタリは瑞生の顔をまっすぐ見据えてうなずいた。
「はい。読めます」
「こうした古文を読めるようになるには相当な努力が必要だったはずですが」
「ええ、相当な努力が必要でした。でも石板に書かれた文章をじかに読んでみたかったのです」
「どうしてこの古文をじかに読みたいなんて思ったんです。石板に刻まれている内容自体は、お姉さんが生前のご両親から聞いていたわけですよね」
瑞生が詩梁のほうに視線を向けると、詩梁も神妙な面持ちでこくんとうなずいた。
「原文で読んでみたかったからです」
「読み方は誰に教わったんですか。ヒタリさんは幼い頃にお母さんを事故で亡くしているから、お母さんの手ほどきは受けられない。といって学校の授業なんかじゃ、漢文を翻訳できるようになるほど古文をみっちりとは教えてくれないはずですが」
「大学で非常勤講師をされている言語学者の方に教えてもらいました」
瑞生は険しい表情を浮かべる。
「それはずいぶん都合のいい話のように思えますね。こんな小さな島に大学があるっていうんですか。人口の比率を考えれば、大学の経営なんてまず成り立たないはずですが」
「もちろんこの島に大学なんてありません。その方は本州にある大学に勤めておられます」
瑞生は目を伏せて沈黙すると、またヒタリに視線を戻して口を開いた。
「‥‥ですが、さすがに一夜漬けというわけにはいかなかったでしょう?」
ヒタリはなごやかに微笑んだ。
「はい。わたしはそこまで優秀な頭脳は持ちあわせておりません」
「しかし個人授業のためにわざわざ船に乗って来てもらうなんて、非経済的にもほどがあるじゃないですか。そういった交通費が相手持ちだとも思えないですし。だいいち、そんなやたら条件のめぐまれた相手と、いったいどこで知り合ったっていうんです」
「その方はこの島に別荘を持っておられて、神社に参拝に来られた際に家族ぐるみでお付き合いさせていただくようになりました。毎年、夏から秋にかけて別荘に足を運ばれるので、無理をお願いしてその期間に教えていただいたのです」
瑞生はまた目を伏せ、いかにも不満そうに鼻を鳴らした。
「それで‥‥お姉さんがおぼえていた内容と、石板に書かれた内容は同じだったんですか?」
「はい。内容的には一致しておりました」
ヒタリはそこで言葉を切って、詩梁のほうをちらとだけ見た。
「べつに姉の記憶力を疑っていたわけではないのですが、わたしはより正確な内容が知りたかったんです」
「ではなぜその言語学者に翻訳してもらうだけでは満足がいかなかったんですか。結局はそれで済んでしまう話ですよね?」
「その言語学者の方に原文を忠実に翻訳していただくようお願いしても、それが正確なものであるかどうかはこちらで判断できません。これはその方の翻訳の精度を疑っているということではなく、漢文を翻訳する際にどうしても介入してしまう個人の解釈、あるいは主観のようなものをできるだけ排除したかったからです。だったらいっそのこと古文の読み方そのものを会得して、自分で直接読めるようになるのがいちばんだと思ったのです」
瑞生は頬杖をついて溜め息をつき、練習中のピアニストが癇癪を起こして鍵盤を弾くように、揃えた五本の指でテーブルを順に叩いた。
「君はまるでAIにテストでもしているみたいだな」
それまで黙ってふたりのやりとりを聞いていたブルーベルが、どこか苛立ったような口調で言った。瑞生がまさに瑞生的な冷笑を浮かべ、ブルーベルに視線を移して言う。
「実際にAIにテストしているんですよ。切りこんでいけば切りこんでいくほど、そのうち辻褄が合わなくなる」
ブルーベルがまた苦い表情を浮かべて首を横に振った。
「そんな風に細かいところを突っついて、カエデの構築したこの世界が破綻したらどうするんだ。下手するとカエデのプログラムがバグを起こして、私たちがこの世界に閉じこめられてしまう可能性だってあるんだぞ」
瑞生が疑わしそうな目でブルーベルを見つめる。
「やけに詳しいんですね‥‥機械音痴だと言っているわりには」
「おいおい、馬鹿にしないでくれよ。君には違和感がある話に聞こえるかもしれんが、仮想空間で雇われた公安にも研修期間っていうものがあってだな、そこで仮想空間のこまかなルールを叩きこまれるんだ。われわれは一般ユーザーには許可されてない特殊技能を与えられているぶん、あまり支離滅裂な行動をとると致命的なバグが起こる可能性があるってことをな。カエデのプログラムがフリーズでもしてみろ、われわれはこの空間に永遠に閉じこめられてしまうことになるぞ」
瑞生はブルーベルの顔をじっと見つめてから言った。
「むしろ、逆になぜカエデは僕たちを閉じこめないんでしょう?」
「殺すわけにもいかないからさ。この世界に閉じこめてしまったら、私や君の生身の本体を餓死させてしまうことになる。そんなことは私だってまっぴらごめんだよ」
「でもあなたには奥さんがいる。アイマスクをつけたままずっと睡眠状態に陥ったとしても、奥さんがアイマスクを外したらそれで本体はめざめます」
「私はそうかもしれんが、君はどうなんだ。ひとり暮らしなんだろう」
「あなたは僕がこういう目に遭わされていることを知っていることになる。しかも公安という立場の、ある意味オフィシャルな人間です。デスパートの人間に連絡して、かつて社員として所属していた僕の住所を調べてもらい、僕の住んでいるマンションの管理人に電話くらいかけられるはずでしょう」
そのような事態になった場合にデスパートの人間にたいして生じる説明義務の煩わしさを想像したのか、わずかにブルーベルの表情が曇る。ブルーベルはそうした現実世界のしがらみを振りはらうかのように、何度も頭を振ってから言った。
「いや、そういう話じゃなくてだな‥‥」
瑞生はかまわずヒタリに向かって言った。
「ヒタリさん、この字が読めるというなら、すみませんが最初から読みあげてもらえないでしょうか」
「はい。内容は諳んじておりますが、正確な内容をお伝えするために読みあげます。あくまで古文を現代語に翻訳するという性質上、細かなニュアンスまでお伝えすることはできませんが、そこはご容赦ください‥‥」
ヒタリは石板を読みあげた。
――太古の昔、神のつくられし龍は気ままに空を飛びまわっていた。
諍いの絶えぬ孤島の島民たちを仲裁するよう神に命じられ、龍は天空ひとっ飛び、この島にやってきた。龍の出現によって島民たちは争いの手をとめた。軽やかに空を翔ける龍は島民たちを魅了した。
拍手喝采が起きれば龍だってわるい気はしない。島民たちを背中に乗せて空を駆けめぐり、興がのれば太い炎の柱も吐いた。ところがしばらくすると島民たちは龍に飽きてしまい、龍のことなどそっちのけ、ふたたび争いを始めた。
島民たちに飽きられた龍は拗ね、もはや神に与えられた使命も忘れ、怠惰をむさぼった。神が龍はどうなっていると様子を見にくれば、雲に寝ころび昼寝に興じる無様な姿。神はお怒りになられた。お前自身が島民たちの命を守る盾になれと、神は杖をふって龍に雷を落とした。あわれな龍は一瞬のうちに石となって真っ逆さまに地面に叩きつけられた。
龍は石となって眠った。そのあいだ島民たちは、嘘いつわりの平和に酔うだろう。転機となるのは、ふたりの勇者が五の月と十五の日に現れたときである。誰が勇者たちであるかは神に仕えし女人のみが見てすぐそれと判別するだろう。
彼らの出現は、諍いによって血が穢れたものの末裔たちの浄化を示唆し、それは島民たちの融合の時期の到来を意味する。なにも恐れぬ彼らは、島に真の平和をもたらすため、障壁となった龍を鋭利な剣で切り刻むだろう。惜しむらくは龍はその一撃によって朽ちる存在ではない。その痛みによってながい眠りからめざめ、神から与えられた使命などとうに忘れた龍は、咆哮をあげ凶暴な牙を剥くが、勇者たちならきっとそれを鎮圧することができるはず‥‥
「まるで龍がわれわれに襲いかかってくるみたいな言い方だな」
ヒタリが石板を読み終わると、ブルーベルが何度も髪をかきあげながら、呆然とした表情を浮かべて言った。
「実際にそう書かれてあるんですよ」
少し笑いながらそう言った瑞生を、ブルーベルは睨みつけるようにして言った。
「しかしだな、ここに書かれてある勇者がわれわれのことを指しているのであれば、われわれは島民たちの味方、すなわち正義の味方ってやつだ。龍に襲われる立場ではないはずだぞ」
ヒタリに向かってというよりも、見えない相手に抗議するかのような口調でブルーベルがそう言った。瑞生がなだめるように言った。
「誰が自分の敵か味方かなんて、龍にはわかりませんよ。かつては神さまの遣いだったとはいえ、めざめたときには龍はもうただの一匹の獣に戻ってしまっているんです」
「うん? そんなこと、どこに書かれてた」
ヒタリがブルーベルの目を見据えながら言った。
「神から与えられた使命などとうに忘れた龍、の部分です」
瑞生はその言葉にうなずいてから、ブルーベルに向かって真顔で言った。
「だから結局は僕たちの手で龍を倒すしかないんです」
ブルーベルはしばらく沈黙してから、サラリーマンが安月給を嘆くのと同じような口調で言った。
「公安の人間は龍に襲われる事態を想定した訓練などしていない、なんていう理屈は、カエデのお嬢ちゃんには通じないんだろうな」
苦笑いを浮かべているブルーベルに、瑞生も同じように苦笑いを浮かべながら言った。
「残念ながら」
「しかし、島ほども全長がある龍と、どうやって戦うっていうんだね。素手で倒せるような相手でないし、銃なんかじゃとても太刀打ちできるような相手でもないだろう」
「ソードがあります」
ヒタリが思い出したように言った。
「ソード?」
「はい。指が触れただけでそのまますっと骨まで裂けるという、切れ味バツグンの剣です。ただしこれまで扱うことができた人間は誰ひとりとしていませんが」
「馬鹿な。そんな剣、誰が扱えるっていうんだね」
「もちろん、石板に刻まれている勇者たち‥‥つまりあなたがたです」




