第四十一話 せいしゅんのつづき(メグとご陰キャさまの冒険譚 三)
「誰よ、それ」
メグが浮気の発覚した彼氏を問いつめるような目つきで、長身のご陰キャさまを見あげ、声を落として訊いた。ご陰キャさまも声を落として、どこかバツのわるそうな表情を浮かべながら答える。
「ん‥‥俺が笛舐めた女の子」
「中学のときの子?」
ご陰キャさまは由香からまったく目を逸らさず、うわの空な感じでゆっくり首を振った。
「ううん。高校んときの子」
自分の顎をさすりながら、メグは険しい表情をして小首を傾げる。
「あんた、それネットに書きこんだことある?」
「笛舐めたことを? 書きこむわけないっしょ」
メグはまた自分の顎をさすった。
「ふーむ。さてはカエデのやつ、さっき舟のうえで話したのを拾いやがったな。そんでソッコーでネットの海から該当者あぶりだして、このキャラつくったってのか。あいつ、なかなかやりよるな。でも本人の画像はどこで拾ったんだろ。由香って子がオフィシャルのほうの仮想空間に会員登録しているとしても、カエデはデータベースに登録されているマイナンバーカードにアクセスすることまではできないはずなんよね」
ご陰キャさまがちょっと考えるような目つきをした。
「たぶんインスタじゃね。俺、ちょっと前まで頻繁に覗いてたんよ。けっこうマジで惚れてた子だったんで、ずっとネットでつけまわしてたの。プロフィール欄に律儀に出身校とか書いてたから、その線でわかったんじゃない。音楽好きな子で、高校んときは吹奏楽部に入ってたのよ。そっから音大に進んだらしくて、ある投稿で、フルートの画像に『高校んとき男子に笛舐められてマジでトラウマ笑』ってキャプションが添えられてあってさ。年齢から計算して、その子だと判断されたんじゃね」
「ふーん。いやでもさ、画像つったって、加工もっりもりじゃないの。それやらないインスタ連投娘って、世界レベルでも見っけんのがむずかしいくらいだもん。これ実物に近いん?」
「それが、俺が目をつけただけあって、加工すると逆に変になるくらい実物が整ってんのよ。おまけに童顔の子だから、そういう子って年食っても不思議と劣化が少ないんよね」
メグがあらためて由香の顔を見ると、そのタイミングで女性がふたりに声をかけてきた。
「こんにちは、由香と言います。はじめまして」
そう言って由香はぺこりと頭をさげた。ご陰キャさまは由香を見つめたまま、頬を赤らめ、照れくさそうに荒っぽく後頭部を掻いた。メグが瞳を潤ませ、ほっこりしたような表情で、ご陰キャさまと由香の顔を交互に見ながら、茶化すような口調で言う。
「あんたにもまだこういうピュアな気持ちが残ってたんだあねえ」
「やばい。胸が締めつけられて、苦しいくらいだわ。笛舐めちゃったんだから、俺の失われた青春の恋は、割れた陶器をもとどおりにするより復元がむずかしいはずなんよ。だから由香りんともしどっかでばったり再会したとしても、どうせガン無視されて終わりなんだろうと諦めてた。しかしなんなんだろ‥‥このずきんずきんくる胸の高鳴りは」
メグは険しげに目を細め、人さし指をご陰キャさまに突きつけながら言う。
「アホ、勘違いすんな。このニセモンの由香っちは、あくまでカエデのコントロール下に置かれてんだからな。これは罠なの、わーな」
ご陰キャさまが露骨にイヤそうな表情をしてメグに言った。
「まーたまた水差すようなこと言っちゃってさあ。メグちん、もしかして嫉妬してる?」
メグの目が点になった。
「ふあ?」
「いやさ、メグちん、俺らの関係はあくまでアイドルとファンっていう関係だから。一線を超えてはならんのよ」
顎が落ちそうになるくらい、メグはあんぐりと口を開けた。
「なに言ってんの、あんた」
「だからさ、アイドルとファンは一線を超えてはならんと言ってんの。目をさましてよ、メグちん。いったん冷静になろう」
「あのな、それどっちかというとアイドル側の言うセリフだぞ。お前こそ頭冷やせやっ。‥‥つーてもあんたさ、パソコンのモニターのまえでキーボードかちゃかちゃやってるだけでしょ。もっと冷静になってこの状況を見れないわけ?」
ご陰キャさまがメグの顔を見据えながら言った。
「いやさ、俺だけモニター眺めてるだけってのもなんか疎外感あったから、強制退場にロックかけるためにプログラムいじって、またこの世界に戻ってくる際に、もういっそのことアイマスクつけて参加することにしたんよ。にしてもやっぱすんごい没入感だわ、これ」
「え、それって必要なときにプログラムいじることができなくなるってこと?」
「まあ‥‥そういうことになるか」
「はあ? そんなことしたら、あんたの値打ちなんてゼロに等しいじゃない」
「いやあ。メグちんのまるで桐で板に穴をあけるようなそういうハードなセリフ、まえ以上にこのヤワなガラスのハートにキリキリくるわぁ。‥‥ていうかメグちん、こんないい匂いしてたんね。ミキミキもすんげえいい匂いしてたし、由香りんもお風呂あがりのような匂いがしてる」
「うわ、キモっ。これ以上あたしの匂いを嗅ぐでないわ、いますぐ手で鼻をふさげっ」
「ほんとにお風呂あがりなんです。それからスーパーに行ったんで‥‥」
由香がうつむいて顔を赤らめながら言った。たしかに由香の髪はまだほんのりと濡れていた。ご陰キャさまは精いっぱいの爽やかスマイルを浮かべ、また頭を掻きながら言った。
「はは、うちらのやりとり、聞こえちゃってました? でもいい匂いなんで、ぜんぜんダイジョーブっすよ」
「それが気持ちわるいっつてんだろが」
メグがご陰キャさまの頭をばちばちと叩きながら言う。
「あんたほんとデリカシーってもんがないよね。この由香っちはきちんと人格を持たされてんだからさ、AIのつくったお人形さんだからって変なことしちゃダメだよ。由香っち、こんなやつでほんとほんとごめりんこ」
メグがウインクしながら顔のまえで片手を立て、ぺこぺこと頭をさげる。由香はテーブルに買い物袋を置き、メグのまえの椅子に座りながら言った。
「いえいえ、とても素敵な方。ていうか、めちゃくちゃ女性にモテません?」
「は? 由香っち、目ぇ腐ってる?」
ご陰キャさまが安っぽいアイドルのように、指でVのポーズをつくり顎に当てて決めポーズをつくる。
「ははは。よく言われまふ。家にいるときは鏡も見ないんであんま実感ないんすけど、たまに用事があって電車に乗ったときなんか、女性たちからじろじろ見られるんすよ」
「えー。そうなんですかぁ」
由香は若い女性が初対面のイケメンに接するときの、キラキラした瞳でご陰キャさまを見た。
「つか、間違って女性専用車両に乗ったときっすけど」
「きゃはっ。そりゃ見られますよぉ」
由香が手を叩きながら楽しそうに笑う。メグがつまらなそうな顔をして口をすぼめて言う。
「あたしゃ認めないよ、こういうの。あんたがモテてるの見てるだけで、なんかムカつくわ」
「また嫉妬してる」
「しとらんつうの。‥‥そか、これがカエデの仕掛けた罠なんか。まあこのギネス級のアホを引っかけるには、こういうので十分なわけだもんなあ。じつにのっぴきならんやっちゃな」
由香が台所を見まわしながら言った。
「あれ、そういえばミキはどこ行ったんだろ」
気がつけばいつのまにかミキの姿はなかった。メグが表情を引きつらせながら由香に説明する。
「龍の伝説が刻まれてる石板を神社に取りに行ってもらったの。なんかあたしたち、その石板に刻まれてる英雄に設定されてるみたいなんよ。で、ここ連れてこられたと」
「えっ、こんなかわいらしい女の子と素敵な男性が、あの石板に書かれてる英雄の方たちだったんですか」
由香にそう言われ、メグがまんざらでもない表情でニヤけながら言う。
「もう。由香っちったら、嘘の言えない子なんだねえ。でも素敵な男性のとこは訂正してくれん? かわいらしい女の子のくだりが、なんか嘘っぽく響くから」
「とうとう英雄の方たちが来られたんだあ。そういえば今日って五月十五日ですよね。うわ、まさにドンピシャじゃないですか。石板すんごっ。やっぱりあの石板に書かれてあるのって、デタラメじゃなかったんだ‥‥以前から島の人たちと約束してたんですよ。ほんとに英雄の方たちが来たら、龍のかたちをした大判焼きをつくって神社で売り出しますって。龍の頭から尻尾までたっぷりあんこの入ったやつ」
メグがなにかを聞き違えたような顔をして聞きかえした。
「ん? いま、大判焼きって言った?」
由香は真剣な表情でうなずいて話をつづける。
「じつはもう業者さんに頼んで、焼き器はつくってもらってあるんです。特注なんでちょっと高くついてしまいましたけど、これは投資なんだって、自分に言い聞かせてます。だって、ぜったい売れるじゃないですか」
ふたりに同意を求めるように由香はそこで言葉を区切った。メグがとりあえずこくんとうなずいて言った。
「まあ、売れるかもねえ」
「のぼりに書くキャッチフレーズだってもう決めてあるんですよ。『龍のお腹を食いちぎる君もどうしようもない悪漢だぞ!!』って。行列まちがいなしですよ。これで今年のお祭りは確実に盛りあがるな。なんか英雄の方たちがどうこうより、そっちのほうでテンションあがってきちゃった」
メグがぽかんとした表情を浮かべた。
「ふーん。えーと、なんかこれ、話の持っていきかた間違ってない?」
「えっ。どういうことですか?」
真顔でそう答えた由香にたいして、メグは腕を組み、進路相談でふざけたことばかり言っている生徒に業を煮やした教師のような表情を浮かべた。
「‥‥あのさ、ちょっと聞いていいかな? 由香っちはこの島の龍の伝説についてどう思ってるわけ?」
「はい?」
「つまりさ、大昔に島の住民たちが南北にわかれて戦争してたのを見かねた神さまが、平和の大使として派遣したのに仕事しやがんない龍に腹立てて雷を落として、龍を石にして衝立みたいに寝かせているってことになってるわけでしょ。そういうのってさ、ぜんぜん現実的な話じゃあないよね?」
由香も腕を組んで、首を傾けながら人さし指を頬にあてた。
「まあ現実的な話じゃないといわれたらそうですけど、石板に書かれてるなら、そうなんじゃないですか」
メグは道に迷ったような目つきをした。
「ええと。妙に温度感低いけど、由香っち、この伝説にあんま興味なさそうだね」
由香がまた首を傾ける。
「うーん‥‥たしかにあんま興味ないかなあ」
「でも龍が空を飛びまわって、神さまに雷を落とされてどうのこうのとかいうシュールな話、ぶっちゃけ、信じるか信じないかの二択しかないわけでしょ。それに、ミキちゃんの話によると、由香っちの家系の女子たちは、代々にわたって巫女さんをやってて、この伝説の継承を担わなければならない立場にあるわけじゃない。そういう立場だったら、石板に書かれてあることを、是が非でも信じなきゃいけない義務とかがあるわけでしょ?」
由香はさらに首を傾けながら、屈託のない声で答えた。
「いえ、信じてるのは信じてるんですよ。だけど、興味あるかないかと聞かれたら‥‥やっぱないかなあ。でも、豆腐にまるで興味のない、豆腐屋さんの二代目なり三代目とかって、探せばかならず世の中にいそうじゃないですか。たぶんそれと同じことなんじゃないですかぁ?」
メグも由香と同じ角度にまで首を傾け、困ったような目つきをして、声を落として隣りのご陰キャさまに言った。
「‥‥なんかこっちのほうはみんなやる気ない感じだな。やっぱあたしはカエデに舐められちょるんかの」
ご陰キャさまが真剣な表情を浮かべ、首を振りながら、同じように声を落としてメグに言った。
「いや、この子、自分に興味ないことにはとことん無関心なんよ。それも同性受けがわるかった理由のひとつでさ。悩み事とか相談されても適当に流しちゃうし、相談されたこともさらっと他人に話してしまって、それが結果的に女子のサークルに爆弾を落としてることになっちゃって、よけい嫌われるっていう‥‥」
「天然タイプ?」
「天然とはまたちがうんよな。性格がさばさばしてるっつうか、細かいことあんま気にしないんだよね。つーてもそれなりに気配りはできるし、根はいいやつなんだけど。‥‥でもさ、ミキミキのお姉ちゃんっていう設定なのに、こんな本物みたいな無関心キャラにしちゃっていいんかな」
メグがご陰キャさまの顔を睨みつけるような感じで見た。
「ていうか、あんたを引っかけるために、忠実に本物を再現したからこうなったんだろーが」
ご陰キャさまは合点のいった表情を浮かべた。
「にゃーるほど。そーゆーことか。つか、俺みたいな単純な人間を引っかけるのに、ここまで凝らなくてもいいのに」
メグは真顔でうなずいた。
「だよな」
「いや、そこはちょっと否定してくれる?」
そのツッコミをかわすようにメグは由香に向かって言った。
「あ、名前を名乗んの忘れてた。申し遅れたけど、あたしはメグで、こっちのほうは陰キャって呼んでくれたらいいわ」
「いんきゃ? ネット用語のあの陰キャですか?」
「ニックネームなの。いつのまにかそれが本人のなかでも定着しちゃってさ、本名呼んでも振り向きもしなくなったんで、由香っち、わるいけどこの名前で呼んであげてくれる?」
「えー、でも陰キャな感じにはまったく見えないですよ」
「見えないでしょ。でもこいつは由香っちが聞いたら卒倒するような心の闇を抱えてて‥‥」
ご陰キャさまがテーブルの下で思いっきりメグの足を踏みつけた。
「痛ったあ」
踏まれた足を抱えて悶絶しているメグに、ご陰キャさまがさらに声を落として訊いた。
「‥‥ひょっとしてメグちんって、俺の本名知ってたりする?」
メグは神妙な面持ちでこくんとうなずいた。
「うん。もちろん知ってる。でもあんたのために由香っちには伏せといてやるから‥‥あれは初対面の人間にはちとインパクトつよすぎっからね。とてもじゃないけど人間につける名前とは思えん」
ご陰キャさまはメグのその言葉にツッコミもせずにただうなずいた。
「だよなあ。はじめてあの子とプチデートしたとき、さんざん名前のこといじられたんよ。由香りんって、下手すると俺以上にデリカシーのないとこあったから。俺マジでへこんだんよね。うわあ。まるで昨日のことのようにそれ思い出したわ」
正面に視線を戻したメグは、由香の座っている隣りの椅子に立てかけてある、革張りの細ながい楽器ケースに目をとめた。
「あのさ、それって、どう見ても楽器のケースだよね」
「ええ、フルートです」
「ふわ」
「何百年ぶりだか何千年ぶりだかに龍がめざめたとき、寝ぼけて暴れるかもしれないらしいんですが、ある旋律を奏でることによって、龍が鎮静化すると石板に書かれてあるんですよ」
「センリツ?」
ご陰キャさまが呆けた表情で訊きかえした。メグがご陰キャさまのほうを見もせずにツッコむ。
「メロディーのことな。つか、人間の赤ん坊じゃあるまいし、そんなもんで龍がおとなしくなんの?」
「石板にそう書かれているんです」
メグが疑わしそうな目つきをした。
「楽譜つきで、ってこと?」
「いいえ。石板が書かれた時代に、楽譜なんてものは存在しません」
「そりゃそーだ」
メグはうなずいた。
「昔から島に伝わるメロディーがいくつか存在するんです。それらは民衆のあいだで口承で受けつがれてきたいわゆるポピュラーソングだったり、唄のないクラシカルな曲だったりします。そういった楽曲がこの島には約150曲ほどあります。でもいったいどれが龍をなだめる曲であるかはわからないんですよ。石板にはただ『ある旋律が』と書かれているだけなんです」
メグがまたまた自分の顎をさすりながら言った。
「ふうん。つうことは、龍がめざめるときまでに、うちらはその曲を特定せんといかんってわけか」
ふと懸念を抱き、メグは念のため由香に訊いてみた。
「‥‥てかさ、そのフルートって、ミキちゃんのものだよね?」
「え? ちがいますよ。あたしのフルートです。子供の頃から、いつ龍がめざめてもいいように、約150曲ほどのレパートリーを日替わりで毎日練習しているんです。でもぜんぜん苦じゃないんですよ。あたし、めちゃくちゃ音楽が好きなんで」
由香がそそくさと楽器ケースの蓋を開け、なかからフルートを取り出す。いかにも値の張りそうな金色のフルートは、新品さながらに光輝いていた。ご陰キャさまがそのフルートを見つめて、ごくりと唾を飲む。その唾がゆっくりと喉仏をくだっていくのを、メグは怯えたような目でじっと見守った。それからメグは顔をあげ、天井に向かって、野獣のような雄叫びをあげた。
「ぬがおおおおう。カエデ、あんた、いったいなに考えてんのよおおおお」




