第四十話 自分で自分の心のサイズにカスタマイズされた幻影(瑞生とブルーベルの冒険譚 三)
詩梁そっくりの女性は客人ふたりにむかって丁寧にお辞儀した。瑞生はまだ自分の目が信じられないように、まっすぐ詩梁の顔をじっと見つめる。その視線を感じた詩梁そっくりの女性は、目を細めてにっこり笑うと、客人たちに自分の名前を告げたのだった。
「あ、詩梁と申します」
男ふたりの表情がさらにこわばった。
「同じ名前をつかうのか。こりゃまた大胆なことしやがる」
ブルーベルが表情を歪め、視力検査でもするように片手で右目を覆う仕草をする。詩梁が無邪気な表情でまじまじと瑞生の顔を見つめかえした。瑞生は目を伏せながら、どうにか喉の奥から声を絞り出した。
「僕は瑞生といいます。こちらはブルーベルという方です」
詩梁はその特殊な名前の響きに、小首を傾げた。
「ブルー‥‥?」
ブルーベルは優しく微笑んだ。
「ブルーベル。呼び捨てで結構。いえね、仕事の都合でやむなくそういう名前をつかってるんですよ。どういう仕事かはちょっと明かせないのですが‥‥」
買い物袋をテーブルに置きながら、詩梁は納得したように笑顔を浮かべた。
「なあるほど。そういうことなんですね」
ヒタリが廊下に向かって歩きながら、あわただしい口調で詩梁に言った。
「お姉ちゃん、あたし、ちょっと出かけてくるから」
「え? お客さまを放ったらかしにして?」
「この方たちが石板に刻まれた勇者の方たちなの」
詩梁は目を丸くして、ふたりを交互に見た。
「まさか‥‥冗談でしょ」
「こまかいところまではまだ話してないから、お姉ちゃんが説明してあげて」
いかにも妹が姉にむかって言うような、ぞんざいな口調でヒタリが言った。
「なんの経緯も知らないんだけど」
ブルーベルがかるく右手を挙げて言った。
「私がご説明しますよ。ヒタリさん、神社に行ってきてください」
ヒタリはブルーベルにこくりとうなずいて歩いていき、ややあってから派手にドアの閉まる音がした。詩梁が客人ふたりにお茶も出ていないのを見て、顔のまえでいきおいよくパシンと手を打った。
「お茶も淹れずにとんだ粗相を。あれ。そうだ。お茶の葉が切れてるんだった。新しいの押し入れにしまってあるんだよなあ。すみません、しばらくお待ちくださいね」
詩梁はそう言って、あたふたと隣りの居間に歩いていって襖を閉めた。
「あ、お構いなく」
そう言ってにこやかに笑い、ブルーベルが手を振る。瑞生が顔をあげ、ようやく口を開いた。
「‥‥しかし、変な言いかたですが、この詩梁はクオリティが高いですね。比較してみると、僕がつくった詩梁はやっぱりどこかニセモノくさかった」
ブルーベルが身体を瑞生のほうに向きなおって訊いた。
「でも君は高校を卒業して以来、詩梁さんとはまったく会ったことがないんだろう?」
「そうなんですが、なんというか、この詩梁には妙な説得力があるんです。ちょっとした視線の動かし方とか、歩き方や会話のテンポやらが、記憶のなかにある詩梁そのまんまなんです。詩梁があのまま成長したらジャストでこんな感じなんだろうなという‥‥。もちろんほんとうはどちらが正解かなんてわかりませんが」
「たぶん君のことだから、詩梁さんについては集められるだけの情報を集めたんだろう。だが、カエデはそれ以上に、詩梁さんの情報を細かく拾ってきたんだろうな」
瑞生は正面を向いたまま、ゆっくりとうなずいた。
「でしょうね」
ブルーベルは鼻から息を抜いて、テーブルに頬杖をつき、瑞生のほうを見ながら言った。
「君は詩梁さんのインスタやフェイスブックにはまったくアクセスしていないのか?」
「はい。一度も覗いたりしてないですね」
「‥‥怖くてか?」
「ええ、まあ‥‥そうです。小さな子供を抱きかかえて、隣りで旦那さんが微笑んでいる写真なんかが出てきたら、僕はその場で心臓が止まってしまいますよ」
ブルーベルは少しだけ微笑んで、どこか痛々しそうな表情を湛えた目で瑞生を見る。
「たしかにそうだな。でも君がそうやって現実から目をそむけていたぶん、君がつくりあげたコピーの詩梁さんはデータ不足で、どこかちぐはぐなところがあったはずだ」
瑞生はやはり正面を向いたままうなずいた。
「おかしな気分ですよ、なんだかほんとうに詩梁と再会したような気分なんです。こんな馬鹿げた状況下なのに、現実のどこかで詩梁とばったり出会った感じです」
ブルーベルはしばしの沈黙のあと、テーブルのうえに置いた両手を組みあわせながら言った。
「‥‥なあ、瑞生君。おかしな言い方だが、君はこの状況を楽しんだらいい。いずれはこの茶番劇も終ってしまうんだ。カエデがこれからどういう試練を与えてくるのかはわからんが、君と私ならきっと切り抜けられるだろう。おそらくこれはまだカエデの組み立てた物語の序盤のはずだから、いまは頭をからっぽにして、こういう状況そのものを楽しんでしまうのも、ありっちゃありだぞ。ただ、必要以上に引きずりこまれないようにな」
瑞生はブルーベルに視線を移して微笑んだ。
「大丈夫です、僕は自分自身のつくった幻に呑みこまれたりはしませんよ」
ブルーベルはおおきく口角を持ちあげて笑った。
「二重の幻だよな。君がつくった幻と、カエデがつくった幻だ。前者には馴れているだろう。なんせ君のつくったコピーの詩梁さんは、君自身がその手でつくりあげた幻影だ。いうなれば自分で自分の心のサイズにカスタマイズされた幻影だよ。それらしいリアリティを伴ったひとりの女性として、性格にあるていどの遊びを盛りこんでいるとしても、あくまで君の許容範囲だったはずだ。我慢できなければ、君のやや内向的な性格から考えて、そのつど変更を加えていただろうからな」
瑞生はなにも反論もせず、黙ってブルーベルの話に耳を傾けていた。
「問題は後者だよ。カエデがつくりあげた幻影は、もしかするとより本物らしい説得力を伴って君を圧倒するかもしれないんだ。‥‥まあ、自分で話していても頭がこんがらがってくる話だが、わかるだろ、私の言いたいことは」
「ええ‥‥とてもわかります。より本物らしい人間の投げてくる直球に惑わされるな、ということですよね」
ブルーベルは瑞生の言ったことを頭のなかで噛み砕きながら、遠い目つきをしたままうなずいた。
「‥‥ああ、たぶんその解釈で合ってる」
居間の襖が開き、お茶の袋と和菓子の箱を持った詩梁が台所に戻ってきた。キッチンの蛇口をひねり、やかんに水を溜めながら、瑞生のほうを振りかえって言った。
「ところで、ヒタリはあんなに急いでどこまで行ったんですか?」
うつむいたまま、なにも答えようとしない瑞生のかわりに、ブルーベルが答えた。
「この島につたわる龍の伝説について書かれた石板を取りに行ってもらったんです」
「ああ、あの勇者が現れてどうのこうのとか、龍がめざめてどうこうしてこの島の人たちがハッピーエンドを迎えるとかいう、へんてこなお話のことですか」
ブルーベルがさすがに苦笑いを浮かべ、瑞生と目を合わせてから詩梁に言った。
「その口調ですと、どうも詩梁さんはその伝説について、懐疑的な考えを抱いているような印象を受けてしまうのですが」
詩梁は口に手をあてながら、目を細めてぷっと笑った。
「当たり前じゃないですか。昔はあんなでっかい石の像が動いていたなんて、そんなわけがないですよ。ていうか、そんなこと、信じるほうがどうかしてません?」
ブルーベルは面食らったような表情を浮かべた。
「はあ。でも‥‥妹さんもそうですが、この島の人たちの大半はその伝説を信じているわけでしょう?」
「そうなんですよ。どうもあたしだけみたいなんです、一族で龍の伝説まったく信じてないのって。あたしのほうが変なのかなあ」
「しかし妹さんによると、あなたの家系の人間は、代々にわたって神社に仕えていて、その伝説の案内役を引き受けなければならない立場なのでしょう。あなたも神社の娘なのだから、その伝説を心から信じて、なんていうか‥‥布教に努めなければならないはずなんだが」
「はい。あんなやたら重そうなものを、生まれながらに勝手に背負わされてしまいました」
詩梁は冗談っぽく、泣きそうな表情を浮かべて言った。ブルーベルは噴き出しそうになりながら、かろうじて真顔を保って話をつづけた。
「じゃあ詩梁さんにとってあの龍の石像はいったいなんなのです。いや、こう質問したほうがいいのかな‥‥詩梁さんのなかで、あの龍の石像は、いったいどう定義づけされているんです?」
「定義づけ?」
「つまり、伝説のとおりでないとしたら、あれは人間の手による造形物ということになるわけですよね。詩梁さんはあの龍の石像はいったいどういう目的でつくられた造形物だと解釈しているんです?」
詩梁は腕を組んで、人さし指を顎にあてながら唸った。
「うーん‥‥じつはそれについて、子供の頃にとことん考えたことがあるんです。子供の頃って、謎めいたことにたいして、子供ながらに結論を出してみようとするじゃないですか。で、子供ながらに一生懸命に考えて、結論を出したんですけど、たぶんあの龍はでっかい大仏さまみたいな感じじゃないですか?」
「大仏?」
ブルーベルは素っ頓狂な声を出した。しかし詩梁はかまわず話をつづける。
「世界にはそういう巨大なキリストさまの像とかがある都市が存在するわけですよね。あの龍の石像は、きっとそういう宗教的な意味あいでつくられたものだったと思うんです」
詩梁の話を聞き終えたブルーベルは、露骨な愛想笑いを浮かべながら、ゆっくりと瑞生のほうを向き、声を落として言った。
「カエデのつくったこの世界にエラーでも起きているんじゃないか。ヒタリにしてもこのお嬢さんにしても、この世界のいわば狂言まわし的な役割を担っているはずだろう。このお嬢さんは、カエデの用意した舞台装置を、真っ向から否定しているじゃないか」
瑞生は苦笑を浮かべて、首を振りながら答えた。
「いえ、もともと詩梁はこういう性格なんです。天然というか、おそろしいほど空気が読めない。傍で見ていても、このタイミングでそういうこと言うか、みたいなことがしょっちゅうあったんです。授業中でも的外れな質問をしたりして、よくみんなに笑われていました。だからこの詩梁はわりと率直に自分の考えを述べている感じなんです」
「本人の性格を忠実に移植したら、こんなちぐはぐなことになってしまったってわけか」
「ええ。たぶんそういうことになりますね」
「しかしそれは、なんていうか、ヒタリにとって‥‥いや、カエデが意図しているこの作戦を遂行するにあたって、かなりのリスクをとることになるんじゃないか。こんな風に舞台をかき混ぜられるリスクをとってまで、カエデはいったいなぜここまで現実の詩梁さんを忠実に再現しているんだ?」
まだそれがわからないのか、という目で、瑞生は困ったようにブルーベルの顔をじっと見据える。瑞生はそのことをブルーベルに伝えるために意を決して口を開いた。
「それはもちろん僕を‥‥」
「瑞生さんって仰るんですよね」
詩梁がとつぜん瑞生のほうを向いて訊ねた。瑞生は胸ぐらでも掴まれたように、あわてふたむいて詩梁の顔を見る。
「ええ、はい」
「さっきからずっと引っかかってるんですけど‥‥もしかして、どこかでお会いしてません?」
詩梁が瑞生の顔をじっと見つめながら、無邪気な声でそう言うと、瑞生は頬を赤らめてうつむいてしまった。瑞生はまるでシャイな中学生のように相手の顔を直視できないでいる。ブルーベルはその様子に驚きながら思った‥‥たぶんこれこそがかぎりなく実物に近い詩梁の持っている力なのだ。カエデはネットに浮遊している沈殿物から、それをものの見事に摘出してきたのだ。
ブルーベルは肩をすくめ、コロンボ顔負けのじつにハードボイルドな苦味ばしった表情を浮かべながら、うめくように呟いた。
「こいつはまずいな。初っぱなから、なんて瑞生殺しのセリフを言ってくれやがるんだ」




