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第三十五話 浸水する空間

「みんな、無事か?」

 瑞生が大声でそう叫んだが、口のなかに入ってきた粉塵でむせてしまった。ほかのふたりも、めいめいどこかで不明瞭な声をあげたが、すぐ瑞生のようにむせてしまった。

 視界が見とおせるほど粉塵が鎮まるのにはそれなりに時間がかかった。粉塵のなかからメグとブルーベルが派手に咳をしながら現れる。メグが咳こみながら、前方を顎でしゃくって言った。

「うまくいったみたいね」

 瑞生たちのすぐ近くで、二発の弾丸が上下ぴったりと重なり合っていた。接触している部分が互いにめり込んでいるため、球状の二発の弾丸はぴたっと重なり合い、微動だにしなかった。その下にはカエデが怪我ひとつなく下敷きになっている。着ている制服はおろか、眼鏡ですら、なんの損傷もなかった。弾丸の下敷きとなったカエデは、無表情のまま地面に突っ伏していたが、やがてゆっくりと四つん這いの姿勢になって背中で弾丸を押しあげはじめた。そしてついには両手でそれを支えたのだった。

 メグが地面に転がっている弾丸やビルの残骸を蹴りあげながらジャンプしていって、カエデが持ちあげようとしている弾丸の、さらにそのうえに乗っかっている弾丸のうえに飛び乗った。

 深く息を吸いこんでから右足をあげ、険しい目つきで、自分の立っている弾丸に強烈な蹴りを入れる。上下に重なりあっている二発の弾丸は、はげしく小刻みに振動して、双方の接触している部分がさらにめり込んでいった。その二発の弾丸の接触部分の損傷をのぞけば、それを支えているカエデが最大限のダメージを食らうような見事な蹴りだった。カエデが巨大な弾丸を持ちあげようとすると、メグはそのたびごとに荒い呼吸を吐き、足もとの弾丸を容赦なく蹴りこむのだった。

「なんすか、この地獄絵図は」

 いつのまにかご陰キャさまが瑞生の横に立っていた。瑞生はちらとだけご陰キャさまの顔を見て、またメグたちのほうに視線を戻して言った。

「たとえAI同士とはいえ、凄まじい光景だよな。‥‥で、強制退場のロックをかけることはできたのか?」

「バッチリっす。もしカエデっちが俺と瑞生クンを強制退場させようとしたら、オフィシャルのほうの仮想空間のプログラムが吹っとぶような仕掛けを施したんで、もう手出しはできないっすよ」

「よくやった」

 瑞生のねぎらいの言葉はいつものように素っ気ない。ご陰キャさまは瑞生のつぎの言葉を待ったが、瑞生はメグとカエデの静かな戦闘に夢中になって見入るばかりなので、しびれを切らせて強めの口調で言った。

「‥‥ほんで、これからどうするつもりなんすか?」

 瑞生はふたたびご陰キャさまに顔を向け、肩をすくめながらあっさりと言った。

「なーんも考えてない」

 ご陰キャさまがそれにたいしてなにか言いかけたとき、メグが弾丸を蹴りこんでいる足を止めて言った。

「おかしいな。多少は時間がかかっても、カエデだったらこんなの跳ね返せるはずなのに」

 ご陰キャさまが弾丸のうえに立っているメグに向かって言った。

「もしかして俺が強制退場のロックかけちゃったんで戦意喪失しちゃったとか?」

「んなわけないでしょ。この子にはもともとそんなものないわよ。戦意があろうとなかろうと、目的をとことんクールに遂行しちゃう、そういう真面目ちゃんなの、カエデって子は。それにしてもほんとにどうしちゃったのよ。あんたの力はこんなもんじゃないでしょうが。もう悪さすることはやめて、メグお姉たまに完全に降参するっての? 降参しないってんなら、このままお仕置きをつづけちゃうからね」

 メグはそう言ってから何度も弾丸に蹴りを入れるが、カエデはもはや抵抗すらせず、無表情のまま地面に沈みこんでいく。そのうち弾丸はまたぴたりと地面について、カエデの姿はまったく見えなくなってしまった。

 ご陰キャさまがぽつりと言った。

「終わりじゃないっすよね」

 誰も答えない。メグはまだ戦闘態勢のまま、弾丸のうえからじっと下を覗きこんでいる。しばらくすると下段の弾丸の底から水が染み出してきた。瑞生がうさんくさそうな目つきをして、その透明な液体を睨みながら言った。

「下水か?」

 メグが弾丸から飛びおりて、人さし指を水に浸し、それを鼻に当て匂いをかいだ。

「ちがうわ。涙よ、これ」

「涙? なんでわかるんだ」

「匂いがあんのよ。人間の嗅覚じゃわからないだろうけど、涙にかぎらず、世の中の液体という液体にはちゃんと固有の匂いがあるの」

 やがてその透明な液体は、水道管でも破裂したように地面に溢れ出てきた。

「これ、ほんとに涙なのか? 量がハンパないぞ。透明な血とかじゃないのか」

「血でも相当な量じゃない。これは正真正銘の涙よ。といってもべつにカエデが悲しくて泣いているとかじゃなくて、意図的にこれだけの量の涙を流してると考えたほうがいいわ。あの子はなんであろうと計算ずくでしか行動はしないから」

 涙らしき透明な液体はどんどんと地上に浸水してきた。瞬く間に地面を薄く覆いつくして、じわじわと水位があがっていく。

「やばっ。あの子、ひょっとして‥‥」

「なんだ、メグ。ひとりで感心してないで、ちゃんとわれわれと情報を共有しろ」

 ブルーベルが髪をかきあげながら苛立たしげに言った。メグが引きつった表情を浮かべて答えた。

「あの子、涙であたしたちを溺れさせようとしているのよ」

 瑞生とブルーベルが顔を見あわせ、困ったような笑いを浮かべた。ブルーベルがいくらか冷笑気味な口調でメグに言った。

「そいつはまた、ずいぶんとロマンティックなことやろうとしてるんだな」

 メグが腰に両手を当てて、真剣な表情を浮かべながら言った。

「笑いごとじゃなくて。カエデは無意味なことなんてまったくしないんだから。たぶんこれ、洪水になるわ」

 それからメグはきょろきょろとあたりを見まわして、道に落ちている、倒壊した高層ビルの残骸らしき細ながいコンクリートの破片を拾った。そしてそれでがんがんと手近なビルを打ちつけ、長方形の物体を削りだした。男たちが呆気にとられながら見守っていると、メグはあっというまにその削りだしたコンクリートで二隻の舟をつくったのだった。

「舟‥‥だよな?」

 難解ななぞなぞに答えるような、心もとない口調で瑞生が言った。

「そう。舟よ。あたしたち、二手にわかれてこれに乗るの。とりあえず溺れることはないわ」

「なぜふたつもつくったんだ。二組にわかれたら、はぐれる可能性だってあるぞ」

 ブルーベルがそう言うと、メグは首を振りながら言った。

「四人も乗れるようなおおきさの船だと、強度が足らなくなっちゃうの。簡単にあの子にまっぷたつにされちゃう。こんな頑丈なコンクリートだって、いともたやすくぽきんと折っちゃうんだから。でもふたりぐらいしか乗れないようなおおきさの船だったら、強度がある程度は担保される。同じくらいの太さの竹とんぼと爪楊枝だったら、爪楊枝のほうが折れにくいのと同じ原理よ」

 瑞生がふと思いついて言った。

「メグが手に持っているその細ながいコンクリートを折りまげて、二隻の舟に引っかけられないか?」

「あまりいい考えじゃないわね。縄のような柔軟性がないから、波に揺られるとその衝撃で外れてしまうわよ」

 そんなやりとりをしているうちに、地上に溢れかえった透明な液体が、いちばん身長の低いメグの膝のあたりまで浸水してきた。メグは溜め息をつくと、これ以上アホな男たちと議論してられんわいとばかりに、ひとまずさきにお手製の舟によっこらしょと乗りこんで座る。それから誰がどの舟に乗るか男たちに指示を出そうと、口を開こうとしたその矢先、自分の乗っている船に向かって一目散に足で水をかきわけながら歩いてくるご陰キャさまに、メグはあわててもう片方の舟を指さしながら言った。

「あんたはブルーベルと同じ舟に乗って」

 ご陰キャさまはなぜか不思議そうな表情を浮かべる。

「ん‥‥なんで?」

「身体的能力を持っている人間と、そうでない人間を組みあわせるの。このさきカエデにどんな目に遭わされるかわからないんだから、先手を打っとかなきゃ」

「でもそれだったら、べつに俺とメグちんでもよくね?」

 メグは小さな舟のうえで三角座りの体勢になりながら、ぶんぶんと首を振る。

「相性ってもんがあんの。あたしとあんたは合わないし、詩梁ちゃんを撃ち殺された瑞生クンとブルーベルもたぶん合わない。そうでしょ?」

 ご陰キャさまは振りかえって、膝のあたりまで水に浸かって並んで立っている瑞生とブルーベルのほうに視線を向けた。たしかにこのふたりのあいだには、遠目からでもわかる微妙な距離感が漂っていた。

「‥‥んまあ、そういうことなら仕方ないか。でもそのまえに、瑞生クンとちょっと話しさせてもらえる?」

「ん。それくらい、べつにいいけど」

 ご陰キャさまはふたたび足で水をかきわけながら瑞生のほうまで戻っていき、メグに話を聞かれたくなさそうに、わざとらしげに背中を向けた。つられて瑞生もメグのほうに背を向ける。

「なんだよ、話って」

「いや、とくにないんすよ。ただ、しばらくこうやって後ろを向いててくれます?」

 瑞生が不思議そうな表情でご陰キャさまの顔を見る。

「‥‥いいけど、なんでこんなことするかぐらい教えろよ」

 ご陰キャさまはにかっと笑って答えなかった。数秒が経った。瑞生が振りかえって、メグのほうに歩いていった。

「ほら、瑞生クン、こっちに乗って」

 メグが手招きしながら、恋する乙女らしい、弾むような声で言った。かなり水位があがって、すでに腰のあたりにまで浮かんでいる小さな船に、瑞生は足をかけて乗りこむ。

「やっぱイケメンさまにいっしょに乗ってほしいってか?」

 瑞生がやけにニヤついたまま、メグの正面に腰をおろしてあぐらをかき、逆ハーレム系のマンガのメイン格キャラのような、オラついた言いかたをした。

 メグは首を傾げた。たしかにオレさま系の王道のような唯我独尊的傾向はあるものの、瑞生はけっしてこんな安っぽいものの言い方はしなかったはずである。笑顔もどこか下品だ。なにか様子がおかしい。

「なんか変ね。‥‥あんたまさか、陰キャじゃないよね?」

「もうバレちゃったか。ジャジャーン。そのまさかまさかよ」

 たちまち瑞生の顔がご陰キャさまの顔に変わり、メグはせまい船のうえで、ばたばたと後ずさりしながら悲鳴をあげる。通りの角を曲がって、下半身まる出しの変質者にでも出くわしたような、十七才の女の子のガチな咆哮。

「現実の世界に戻っているあいだに他のプログラムもいじって、指を鳴らすだけで瑞生クンの姿に化けられるようにしたんよ。なんかこの顔がメグちんの好みみたいだしさ」

「はあ? 顔が瑞生クンでも中身があんたじゃ、なんの値打ちもないわよ」

 メグはご陰キャさまに向かって、叩きつけるような声でそう言った。

 そしてすぐさまうしろを振りかえると、舟のへりを両手で掴みながら、水位がさらにあがり、波に揺られてビルの隙間を漂いながら、どんどん距離の離れていく瑞生とブルーベルの乗っている舟に、切ない女子の表情を浮かべ、切ない女子の視線をひたすら送りつづけたのだった‥‥‥

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