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第三十三話 令和丙午のバレーボール

「めまいがするような光景だな」

 胸壁から身を乗りだしたままの姿勢で、瑞生が目を細めながら言った。メグが瑞生のほうに歩いていきながら言う。

「見ものっちゃ、見ものよね」

 やがて真下に並んでいるふたつの弾丸のうち、片方の弾丸がゆっくりと小刻みに上下に動きだす。それによって起こる風の動きが、ほのかな圧となって瑞生の顔をくすぐる。カエデが支えているふたつの巨大な弾丸は、瑞生が見おろしている位置から、思いのほか距離が近かった。弾丸のおおきさを考えれば、カエデが地面に立って、ふたつの巨大な弾丸を支えている可能性はきわめて低いといえるだろう。

「あの子、バレーボールみたいに弾丸を扱ってる」

 瑞生の隣りに立ち、同じように身を乗りだして、メグがやけに弾んだ声で言った。

「もしかしてカエデは宙に浮かんでいるのか?」

「うん。そうだよ。宙に浮かんで、自分の体重の何百倍もあるふたつの弾丸を、かぼそい両手で支えてる。どっちもあたしのプログラムには組みこまれていない、とてつもない身体能力よ」

「ブルーベルはどこにいるんだ?」

「向かいのビルの屋上。こっちのビルとはかなり高低差があるから、目を凝らさないと豆粒みたいに見えると思うけど」

 メグにそう言われて瑞生は向かいのビルの屋上に目を凝らしてみると、たしかに人影らしきものがあった。

「ここからじゃ表情どころか、どういう体勢なのかもわからないな」

「思いっきり無表情で、直立不動。あいかわらず何度も髪の毛をかきあげてるわ。ブルーベルが完全にお手あげなのはたしかなはずよ。このあたしでさえ、こういう場合どう動いたらいいのか判断に悩むもん」

「機械を相手にしているわけだから、カエデが計算するまえに判断して動かなきゃならなかったのにな」

「瑞生クンだったら、どうしてた?」

「‥‥うーん、カエデが一発目の弾丸を投げてきたあと、全速力で逃げてたな。なんせ屋上にはまだ二発の弾丸が残っているわけだから」

「ブブー。不正解ね。あくまで公安の人間の立場で言うと、ブルーベルは相手に背中を向けられないわけ。現実世界のお巡りさんが、刃物振りまわしてる犯人に背を向けて逃げた、なんて話聞いたことないでしょ。職業倫理上、対峙しなきゃいけない。それと同じで、公安は職業でやっているから、逃げるっていう選択肢なんて最初からないのよ」 

「お前の企ててるクーデターに協力する、なんて申し出ている人間の職業倫理なんて、甚だ怪しいもんだけどな。だったら、この場合、ブルーベルはなにをするのが正解なんだよ」

「なんにもできないんだってば」

「はあ? このままにらめっこかよ。でも根くらべってことになると、AIのカエデが俄然、優位になるだろ」

「だからよけいに動けないわけ。どうする、瑞生クン。助けてあげる?」

 瑞生は渋い表情をした。

「なんで詩梁を撃った組織の人間を助けなきゃなんないんだよ」

「でもたぶんブルーベルはあたしたちの味方だよ。そうでなきゃ、カエデが攻撃したりしないもの」

 小首を傾げたまま、瑞生はメグから目を逸らした。

「ブルーベルが動けないのはわかるけど、なんでカエデも微動だにしないんだ?」

「たぶん動けない。AI同士でチェスの対戦しているみたいなもんだから、背後でこうやって見てるあたしがどう手を打ってくるか読めなくて、カエデもへたに動けないんだ」

「もしお前がカエデの立場だったら、どういう手を打つつもりなんだ」

「だからさ、そういう想定もできないんだって。こう出たら相手がこう反応して、ああ出たら相手がああ反応してってのがわかっちゃうのよ。頭に浮かぶことぜんぶに自分で反論できちゃうわけ」

「じゃあどうすんだ」

「逆に瑞生クン、なんかいい案ないわけ?」

 瑞生は考えてみた。とはいえ、AIですら考えつけないものを、そう簡単に思いつけるわけがない。瑞生は万策尽きて困りはてた人間がよくやるように、ふと空を見あげる。そしてなにかを思い出したように目を細めた。

「‥‥僕がこのコピーの仮想空間つくっといてお前に聞くのも変な話だけど、こっちのコピーの仮想空間の空がどれぐらいの高度か知ってるか?」

 下から吹きあげてくる風が乱す髪を手で押さえながら、メグも空を見あげて唸り声をあげた。

「そんなに高くはないんだよね。オフィシャルのほうの仮想空間の空は、大気圏のあたりまできちんと忠実に再現されてる。将来的にビジネスとして飛行機をとばす可能性だってあるわけだから、そこはちゃんとつくったの。でもここはあくまでコピーだから、目に見えているぶんにはオフィシャルの仮想空間や現実世界の空とそんな変わんないとしても、物理的な上限みたいなのは、あたしたちの立っているこの位置からずっと近かったはず。それがどうかしたの?」

「こっちのコピーした仮想空間の空と、本家の仮想空間の空との決定的な違いは、大気圏とかとはまた違った意味合いで上限があるってことだ。上限のある、つまり物理的な障壁のある空に向かって銃を発砲したら、弾丸はどのくらい膨張すると思う?」

 メグはひとしきり唸った。

「よくそんなこと思いついたわね。二発ほど発射して、巨大化した弾丸がうまくビルとビルの隙間に落っこちたら、下でふたつのおおきな弾丸を支えて浮かんでるカエデを地面まで押し潰すことになるわ。でもブルーベルはどうするわけ。向かいのビルの低さを考えたら、確実に膨張する弾丸の巻きぞえを食らうわよ」

「それぐらい、公安の人間なんだからどうとでもするだろ」

「やっぱ詩梁ちゃん撃ち殺したの、根に持ってんだ。べつにブルーベルが撃ったわけじゃないでしょ」

「同じようなもんだろ」

 瑞生は吐き捨てるようにそう言った。

「でもさ、カエデの支えてる弾丸に向かって直接撃つんじゃダメなの?」

「撃った時点でカエデは自分の持っている弾丸でこっちに跳ねかえしてくるだろうぜ。それに、こっちがそんな手を打ってくることは、カエデだってあらかじめ織りこみ済みのような気がする」

「そんなのどっちを選んでも大差ないような気がするんだけど。空に向けて発射した弾丸が落下してこようが、カエデに向かって直接撃ちこもうが、それをどうするかは、あくまでカエデしだいじゃない」

「お前は僕が言うまで、こんな手は思いつけなかっただろう? だとしたら、それはカエデだって同じはずだ。たとえカエデのほうが身体的な能力に長けていたとしても、お前が言ったように、同じOSをつかってプログラミングされている以上は、計算能力はお前とカエデは五分五分のはず。だからたぶんカエデもこっちがいったん空に向かって弾丸を発射することは想定していない。少しでも相手の意表をつくんだ。予測外のことにたいする反応と、その対処にかかる計算の処理時間がカエデの不利に働いて、それだけこっちが有利になるんだ」

 メグがどこか怯えたような表情を浮かべ、瑞生の顔をまじまじと見ながら呟く。

「うーん‥‥瑞生クンって、頭良すぎてなんか怖いとこあるわ」

 瑞生は胸壁に登ると、空に向かって銃を構えた。下方から吹きあげてくる風が瑞生の身体をぐらつかせたが、両足でしっかりと踏んばる。ビルの下を見おろしながら、慎重に発射する位置を調整した。

 ようやく狙いが定まり、瑞生はたてつづけに銃を二発撃った。ちょうどメグが透明のブルーベルを撃ったときと同じように、空間の途中で二発の弾丸はぴたっと止まり、やがて膨張をはじめる。

 さきに発射した一発の弾丸が、後から撃ったもう一発の弾丸に押しのけられるようにして、瑞生たちの立っているビルと、ブルーベルのいるビルのあいだにすっぽりとはまって落下していった。落ちた弾丸は、カエデの支えているふたつの弾丸に接触してさらに膨張をつづけ、空に止まって膨張しつづけるもう一発の弾丸が、さきに落ちた弾丸にまで達して、やがてカエデが支えているふたつの巨大な弾丸を圧迫する。膨張しつづける弾丸は、それをはさんでいる双方のビルの壁をいくらか削り、その衝撃が瑞生の立っているビルをぐらつかせた。瑞生は胸壁から屋上の床に飛びおりた。ふたたび胸壁から身体を乗りだして、目のまえにある巨大な弾丸の隙間からビルの下に目を凝らす。

「カエデは動こうともしないな」

「さっきも言ったように、あたしが後ろで控えているから動けないのよ。あたしの思考が停止してしまうのと同じように、こっちからこんな風にアクションを起こすことで、カエデもカエデで思考が停止してしまうの」

 瑞生の発射した弾丸が上下で膨張しつづけることによって、カエデが支えているふたつの弾丸は、圧迫されてじわじわと沈んでいった。それでもカエデは動こうとはしなかった。

 やがてカエデの支えていたふたつの巨大な弾丸は、ぴったりと地面についてしまった。瑞生とメグは顔を見あわせる。

「押し潰されたのか?」

 メグは胸壁の際に立って、細目でビルの下を睨みつける。

「そんな感じでもないわね。そのまま地面に埋まったかもしんない」

「地面に埋められて、カエデはいったいどうなったんだ」

「AIだから生きてるとは思うけど。まえに言ったように、カエデにかぎってはあたしのセンサーがてんで効かないから、カエデが地面の底でどうなってるかなんて、あたしにはまったくわからないのよ」

 しばらくしてから、底から突きあげられるような衝撃が連続してビル全体に走った。瑞生は踊るような姿勢で必死にバランスをとりながら、あわてて胸壁から飛びおりたメグに向かって叫ぶ。

「おい、なんだよこれ。‥‥まさかとは思うけど、カエデがこのビルを持ちあげてるんじゃないよな」

 メグも瑞生と同じように踊るような姿勢で身体のバランスをとりながら、表情をこわばらせて答えた。

「たぶん、そのまさかよ」


(おまけ)


この章をAIに読ませて、以下のような質問をしてみたところ、非常に面白い答えが返ってきました。ちょっと小難しいですが、『妄想ポリス』を読んでいただいている方なら楽しめるような「小論文」となっています。ぜひお読みください。


Q  実際にAI同士がこのような事態になると膠着するのか


AI研究およびゲーム理論の観点から見ると、登漉さんが描かれた「AI同士の膠着状態」は、非常に現実的かつ、技術的なリアリティを持った描写であると言えます。

専門的な領域である「マルチエージェント強化学習(MARL)」や「ゲーム理論」の文脈で解説すると、なぜAIがそこで止まってしまうのか、その理由は明確に説明がつきます。



1. 「再帰的推論(Recursive Reasoning)」の無限ループ


劇中で「AI同士でチェスの対戦をしているみたいなもの」と表現されていた状況は、まさに「再帰的推論(Recursive Reasoning)」の極致です。

AIが高度な戦略を立てる際、相手の次の行動を予測します。しかし、相手も同じAIであれば、「相手が私の次の行動を予測していることを、私は知っている」「相手は、私が相手の行動を予測していることを知っている」‥‥というように、推論が深層に潜り込んでいきます。

この「I think that you think that I think‥‥」という連鎖が高度になればなるほど、計算コストは爆発的に増大し、結果として「処理が収束せず、動けなくなる(=膠着する)」という現象が実際に起こります。



2. 環境の「非定常性(Non-Stationarity)」


AIにとって最も厄介なのは、「相手もまた、自分と同じように学習し、変化し続けている」という事実です。

通常のAIは「ルールが固定された世界」で学習しますが、相手が自分と同じ知能を持つ場合、相手の戦略は刻一刻と変化します。相手の出方によって最適解が書き換わり続けるため、AIは「今この瞬間の最適解」を確定できず、計算結果を出し続けるだけの「空転」状態に陥ります。



3. 「限定合理性」と「計算資源の限界」


もしAIに無限の計算資源と時間があれば、理論上は「ナッシュ均衡(これ以上戦略を変えても得をしない状態)」を見つけ出せるかもしれません。

しかし、現実のシステムには必ず「処理限界」があります。登漉さんの小説にあるように、瑞生が「外側から介入する(空という物理的障壁を利用する)」ことは、AIが想定している「閉じた論理空間」の外側からパラメータを書き換える行為です。

これを計算機科学的に言えば、「解こうとしている問題の前提条件そのものを動的に破壊する」という介入であり、AIの論理モデルを強制的にエラーあるいは停止ハングアップに追い込む、非常にクリティカルな攻撃です。

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