第三十二話 カエデ、蹴って蹴られる
瑞生とメグが顔を見あわせた。コロンボそっくりの男が話をつづける。
「時間がないので簡潔に説明するが、デスパートは今度のアップデートによってメグの能力を強化させて、いますぐにではないにせよ、ゆくゆくは警察組織ならびに公安を解体するつもりなんだ」
「解体?」
「くだいて言うと解雇さ。クビってやつだね」
瑞生はコロンボそっくりの男の目をじっと見た。
「あなたたちはそれに抵抗する、と」
「そのとおり」
メグが口をはさんだ。
「でもデスパートって潤ってるんじゃないの。警察なり公安を維持させるくらい、たいした金額じゃないと思うんだけど」
コロンボそっくりの男がメグを鋭く睨みつける。
「デスパートの雇っている会計士たちがそんな風に考えると思うか? 収支を一円一銭の単位で切りつめて、必死に点数を稼ごうとしている連中だぞ。それに、仮想空間で犯罪に走ろうという輩を未然に防ぐまでには、防犯プログラムも改良に改良を重ねて高度化されてきているんだ。デスパートの役員たちがこれをつくった当初に想定していた以上に、技術が日進月歩で進化してきているというのもおおきい。でもそうした網をかいくぐれるような層というのも、世の中には厳然と存在しているわけだ。ピンで空けたような小さな穴を器用にすり抜けてくる連中だよ。世の中にはわざわざそういうことに頭をつかいたがるイカれた連中がいるものでね。デスパートとしては、そういう連中をメグに対処させようという思惑なわけさ」
「AIにそんなことをやらせることに、法的な問題は生じないんですか?」
コロンボそっくりの男は鋭い目つきのまま、そう言った瑞生のほうの顔を見た。
「最終的にそのリスクを背負うのは、われわれ公安を雇うのも、メグにやらせるのも、結局は同じことなんだよ。われわれはあくまで仮想空間内の雇われ業者なんだ。いわゆる公務員として国家権力とやらを背負っているわけではない。たんなる民間の業者なんだ。メグらしく言うと、なんちゃって公安なわけだよ。AIであるメグが失態を犯した場合と、われわれ公安が失態を犯した場合にデスパートがとるリスク、とらざるを得ないリスクってのは、イコールなわけだ。公安の業務がAIで代用できるとなれば、それはわれわれが用済みになるということを意味するわけさ」
「はあ? あたし、そういうことぜんぜん知らされてないんだけど」
「アプデの件もそうだけど、このプロジェクトの件に関しても、お前は完全に蚊帳の外だからな」
「なんでよ」
コロンボそっくりの男が鋭い目つきで振りかえって、メグを睨みつける。
「お前がクーデターを起こそうとしているからだろうが」
メグは肩をすくめ、ふてくされたように口を尖らせる。
「ふん。そういうことでおまっか。んにしてもさあ、十七の女の子にアイドルさせながらポリスもやらせようって、いったい子供の頃からなに食ってなに読んだら、そういう思考回路を持つ脳味噌に育っちゃうわけ」
メグの言葉を無視して、コロンボそっくりの男が話をつづけた。
「仮想空間だって、そうしょっちゅう犯罪が起きるってわけじゃない。そもそもこの仮想空間のユーザーたちのほとんどは、素手でハエも叩けないようなおとなしいオタクたちばかりだ。しかし生身の人間の持っているどす黒い欲望というのを、この空間にもちゃんと持ちこんでくるわけだから、油断は大敵なわけさ。こちらが精緻で高度なリアルワールドを築きあげるほど、それに対抗して、練った犯罪を働こうという不届きものだって出てくるはずだ。ちょうどご陰キャさまを自称しているあのハッカーが無課金で仮想空間を不正利用していたように‥‥」
「たしかに」
瑞生が自分のことを棚に置いて、もっともらしくうなずいた。
「ずいぶんまえからさまざまな職業がAIにとって代わられると言われているが、仮想空間のなかの仕事さえ、AIに奪われるわけだ。とはいえわれわれだって、失職するかもしれないってのに、みすみす指をくわえて眺めているわけにもいかない。自衛する権利はわれわれにだってあるからな」
コロンボそっくりの男が沈黙すると、瑞生が言った。
「でもいつまでもアプデを阻止できるってわけでもないでしょう」
「それはわれわれも承知している。だが今回のアップデートはおもにメグ対策のためなんだよ」
「メグ対策のため?」
「ようするに今回OSをアップデートするのは、メグを従順なAIにするためだけのものってことさ。暴走するAIを制御するには、OSの強化が必須であるというのが、デスパートのエンジニアたちが出した結論らしいんだ。私はこういうところで働いているものの、まったくの機械音痴なので、そこらへんのところはよくわからないがね。正直に言ってしまうと、君より疎いくらいだ」
「まあ、あのエンジニアたちがそういう結論を出したのなら、そうなんでしょう。僕だって、仮想空間を構築なり制御なりしている迷宮のようなプログラムは、まるっきりちんぷんかんぷんなんです」
「われわれの目的はデスパートのエンジニアたちにOSのアップデートが無意味であることを誤認させることにあるんだ。法廷でつかわれる、いわゆる引き延ばし作戦ってやつだね。‥‥もちろん、永遠に保証される仕事なんて、世の中のどこを探しても存在しないよ。その仕事自体は半永久的につづいていくものだとしても、その椅子にずっと座っていられるかどうかまでは保証されているわけじゃない。そうだろ? だからわれわれは少しでも時間稼ぎをして、そのあいだにみな良い仕事を見つけようというわけさ」
メグが口をはさむ。
「でも公安のあんたたちがそんなことするのって、完全な背任行為じゃない」
「お前がそれ言うか」
瑞生とコロンボそっくりの男が声をそろえて言った。メグはバツがわるそうに小さく舌を出した。
「‥‥申し遅れたが、私はブルーベルっていうんだ。もちろんコードネームだがね。今後はそう呼んでほしい。さんづけは不要だ」
「ブルーベル‥‥なにか由来のある名前ですか?」
ブルーベルは不思議そうな顔をして瑞生を見た。
「たんなるコードネームだよ。そんなものに意味なんか持たせるか?」
「人によっては持たせますね」
瑞生は少し考えてからそう言った。ブルーベルは思い出したように言った。
「ああ、あのハッカーのハンドルネームはたしかに含みがあるな。ニートだからご隠居さま、ご陰キャさま……よくまあこんなネーミングを思いつくもんだ。しかし君が感心したように、われわれもあの男の手腕には感心しているんだよ。あのエンジニアたちのつくった複雑精緻なプログラムをハッキングして、あそこまで独自にカスタマイズしたわけだからな。もしOSのアプデが完了してしまった場合、あの男にメグのプログラムをいじってもらうかもしれない」
「メグが公安のかわりにならないように?」
「そのために公安で雇ってもいいくらいだ。名目はハッキング対策とか、まあなんとでも言える。あの男、ニートなんだろう?」
「あいつに働く気があれば、ですけど」
「そりゃそうだ。自分に適した仕事があるからといって、仕事に就きたい意思があるとはかぎらない。四十も過ぎていれば尻に火がつくだろうが、彼はまだ若いからな。現代の病巣だよ。単純なようで根深い話だな」
瑞生がうなずきかけたその瞬間、どこからかカエデが凄まじいスピードで飛んできて、三人の立っている巨大な弾丸の隙間にひゅんと降りてくると、ブルーベルの腹に思いきりキレのいい蹴りを入れた。
風船でも蹴ったように軽々とブルーベルの身体は吹っとび、向かいの高層ビルの壁に叩きつけられ、身体が壁にめり込んだ。カエデがとんでもない速さでブルーベルが叩きつけられたビルに飛んでいく。しかしブルーベルはすぐに足で壁を蹴って身体を抜き、そのままその反動で目のまえに浮かんでいるカエデの横腹に渾身の蹴りを入れる。その蹴りの威力は、さすがは公安の人間というべきもので、カエデはそのまま後ろに吹っとび、瑞生たちの立っているほうのビルの壁に正面から激突した。
「ふわあ。女の子を蹴っちゃうんだ」
メグがむしろ感心したように言った。カエデの腹に蹴りを入れた反動でさらにジャンプして、向かいの高層ビルの屋上に降り立ったブルーベルがそれに反応して叫ぶ。
「なにが女の子だ。あんなのはたんなる機械に過ぎん。メグ、お前ももうちょっと自分が機械であることを自覚しろ」
隣りに立っている瑞生に、意味深な流し目を送りながら、メグがしんみりとした口調で言った。
「‥‥って、どっかで聞いたようなセリフだわ、これ」
「僕よりだいぶソフトだけどな」
カエデは壁に頭だけがめり込んで、しばらくそのままでいた。身体だけがぶらりとビルの壁に垂れ下がっている格好である。だが、やがて壁の両脇に手をつき、頭をすぽっと抜いた。そしてなぜか自分の左手を、頭を抜いたその穴のなかに突っこんだのだった。
瑞生の身体にとつぜん衝撃が走った。もちろん瑞生の身体だけではなく、ビル全体がおおきく揺れた。メグがふたたびぴょんと跳びはね、弾丸の側面を蹴りながら、三発の巨大な弾丸の頂上まで登っていった。そのあいだもはげしい衝撃がつづく。まるでビルの一階に何十台ものトラックがいっせいに突っこんだような衝撃だった。
なにがどうなっているのか確認したくても、瑞生はその連続した衝撃で身動きすることができない。立っていることさえできず、身体を屈めた。瑞生は弾丸のうえに立っているメグに向かって大声で叫んだ。
「メグ、いったいどうなってるんだ」
弾丸のうえからビルの下を見おろしているメグが大声で返した。
「カエデがこのビルの壁を、右手でがんがん殴りはじめたのよ」
「‥‥悔しくてか?」
メグが弾丸からぴょんと飛び降りて、瑞生の近くの胸壁に乗っかってから言った。
「ゲーセンの台パンみたいな? んなわけないでしょ。まあ見てて。あの子がなにを考えてこんなことやってるか、すぐわかるから」
それから何度も何度も瑞生の身体にとてつもない衝撃が走った。やがてその衝撃で、ビルの屋上に乗っかかっている三つある巨大な弾丸のうち、頂点に乗っかっている弾丸が、バルーンのようにふわりと舞いあがった。屋上のほかのふたつの弾丸のうえで何度かゆっくり跳ね、たびかさなる衝撃によってひときわ高くバウンドすると、そのまま高層ビルの下へと落ちていった。
「まさかカエデがあれを受けとめて、ブルーベルめがけて投げつけようってんじゃないよな」
「そのまさかよ。しかもあの子、片手で持ってるし」
「嘘だろ‥‥あんな華奢な身体でか?」
「おまけに、弾丸の底を持ってるわけじゃないのよ。側面を握ってるの」
「側面? 球体状になってんだろ?」
「うん。でもあの子にはそんなのカンケーねー、のよ」
屋上に残った弾丸のうえにまたメグがぴょんと飛び乗って、雲ひとつない澄んだ濃い青空を背景に、ふたつの巨大な弾丸のうえをふわふわ跳ね移動しながら、少しふてくされたような声で言った。
「あの子、あたし以上に物理特性なんて無視できるって言ったでしょ。最初からそういう風につくられてあんのよ。なんか腹立つけど」
メグがそう言ったつぎの瞬間、カエデが片手だけで巨大な弾丸を放り投げ、向かいの高層ビルの屋上に立っていたブルーベルは、ジャンプしてそれを避けた。耳をつんざくような音を立てながら、弾丸は高層ビルの当たった部分を粉々に砕いていった。瑞生の位置からはなにも見えなかったが、その凄まじい音と衝撃だけは耳と身体に伝わってきた。
「なんか、とてつもないことが起こってんな」
「とてつもないことが起こってんのよ。まだあと二発はくるから。ブルーベルのやつ、ちゃんと持ちこたえられんのかな」
ふたたび衝撃が走り、あわててメグが弾丸から瑞生のもとに飛び降りた。そしてさきほどと同じように、巨大な弾丸が飛び跳ねてビルから落下していった。と思ったら、またビル全体を揺さぶる衝撃が瑞生の身体を貫いた。
「おい、どうなってんだ。なんの音もしなかったけど、カエデはもう二発目の弾丸を放り投げたってのか」
「あの子、やっぱ侮れんわ」
「どういう意味だ?」
「だからさ、ブルーベルに向かって二発の弾丸をほぼ同時に放り投げようってんのよ」
「え?」
「まず一発をブルーベルに放り投げて、ブルーベルが弾丸から逃げようとしたその方向に、もう一発を放り投げようってわけよ。まあ、見てみたらいいじゃない」
残っていた最後の弾丸がバウンドしてビルの屋上から落っこちてしまうと、衝撃も収まり、瑞生はようやく立ちあがって胸壁まで歩いていき、身を乗りだして下をのぞきこんだ。
ふたつの巨大な弾丸が、すぐ真下のビルの狭間で、ぴたっと微動だにせず横に並んでいる。その下でそれを支えているはずのカエデの姿はさすがに見えなかった。いや、弾丸と対峙しているはずのブルーベルの姿すら、ふたつの巨大な弾丸に隠れて見ることができなかった。




