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私の脚が止まった。美佐穂が私を見上げた。
「どうしたの、帰らないの?」っていうから、「生田さんはどうするの」と訊ね返した。
そう、その返事次第でまだ帰らなくてもいいとさえ思った。思えば、妊婦なのにこんな夜、一人でうろうろしている。
もし幸せな家庭があって、やさしい旦那さんがいれば家でその帰りを待つ、そんな時間帯。みればその白い指には結婚指輪はしていなかった。なにか事情がありそうだと今やっと気づいた。
それでも美佐穂は笑顔を向ける。
笑顔を向けたまましばらくの間、美佐穂の口は動かなかった。なにかを言おうとしているのは感じた。しかし、言葉にならないらしい。
駅前で佇む私たちを怪訝そうに見て行き交う人々。美佐穂の目から涙がこぼれた。
はっとした。私はなにかいけないことを言ってしまったのか。それでも美佐穂は涙を流しながら笑顔を向けている。
人はうれし涙を流す。でも今の美佐穂はそうではない。泣くような悲しいことがあったのに、顔は笑おうとしている。
涙がとめどもなく流れ落ち、美佐穂の顔は笑顔がゆがみ始めた。もうみていられない。その小柄な体を抱きしめていた。
「無理して笑わなくてもいい。泣きたいなら泣いて。笑顔は作らなくていいよ」
美佐穂はいつも笑っていた。それは彼女がいつも楽しかったり嬉しいからだと勘違いしていた。
そうじゃない。美佐穂はつらくても悲しくても笑顔をみせていたんだ。
美佐穂の手が私の背中に回る。しがみつくように力が入り、肩を震わせていた。泣くだけ泣いた後、やっと顔を見せる。それはまた笑顔。
「実は鹿島さんが電車に乗ったら、さっきのカフェの方へ戻るつもりだった。あの近くにビジネスホテルがあったからそこに泊まろうかって思って」
「なんで? 」
心がざわめいていた。
けど、美佐穂は明日の朝早く、あの近くに行かなければならない用事があるのかもしれない。だから、ホテルへ泊まるのだろうと思う。
「ん、家に帰ってないの。っていうか、帰る家ないんだ」
そんな悲惨なことを暗い顔をせずに言う。帰る家がない。そんな身重の体で。
いろいろな理由が頭をよぎる。けど、美佐穂の人生にそんな悲しいことは起こるはずなかった。




