雨の季節が終わる頃に思いだす過去へ
雨多き季節が過ぎ去ろうとしていた。相変わらず、私のカフェ通いは続いていた。今までに、こんなにも何かに夢中になれたことはなかった。自分でも感心している。
もうそろそろ私の誕生日がくる。三十路を迎える。私にとってそれはただの一日でしかない。けれど、思いだされることは大槻係長のことだ。
入社してすぐに商品開発部に配属になった。ここで家庭で愛される衛生品を企画し、研究する。シャンプー・リンス、ボディーソープはもちろん、洗顔フォーム、ローション、乳液、日焼け止め、リップクリームなど多くの製品を世に出している。
私の仕事は開発の企画書をまとめたり、それに必要な予算を基に書類を作成し、経理課に提出したりしていた。係長から研究員たちはすべて年上の男性ばかり。大槻係長も寡黙な人だったから、朝の挨拶以外は一切口を開かないこともあった。昼休みも今のように女性社員の賑やかな声はしない。皆、だんまりと弁当を食べたり、外へ出ていく。
係長クラスになると社内から注文する弁当を頼むこともある。平社員も注文できるが、一食千円以上の弁当は手が出ない。
その頃の私はいつも前日のおかずの残りを弁当箱につめていた。もし残り物がない時は、コンビニでパンかおにぎりの数百円で済むランチにとどめている。
大学の時、すぐここに就職内定が決まった。実家から逃げ出せると思った。卒業後、すぐにアパートを見つけ、独り暮らしを始めた。給料の大半を家賃、生活費で失っていた。切り詰められるのは食費しかない。
幸いにも私はそれほど食べることに興味はなかった。だから、豆腐とご飯だけの毎日でもそれほどつらいとは思わなかった。野菜や果物だけで過ごす日もあり、ラーメンなどの麺類で腹を満たすこともある。その頃の私はまだ、食事の意味がよくわからなかった。お腹がすくから食べる、それだけ。皆が食事を楽しむという気持ちが理解できなかった。
いくら豪華な料理を出されても、それを囲む家庭環境がうまくいってなかったら、おいしいと感じることはない。私の実家での生活はそんなだった。
しかし、冷え切った家庭環境にいても、幸いなことにお金の心配はしなくてよかった。バイトをする必要がなく、勉強さえしていれば何も言われない。表向きには恵まれた家庭に見えたと思う。
けど、・・・・あの家には私のいる場所がなかった。あそこは兄の家だ。兄を中心にすべてが回っていた。そんなところに私がおまけのようにいた。私なんてあの家に必要なかったのだ。
兄は利発で眉目秀麗。子供の頃から受け答えもはきはきしていて大人ウケしていた。誰もが兄のことを褒めた。妹の私が見ても素敵な人だ。
そんな非の打ち所がない兄の存在に私はかすんでしまい、誰も目を向けてくれなかった。学校の先生たちも同じだ。兄の三年後に入学してきた私はいつも期待外れだとため息をつかれる存在。成績も中の上、スポーツもまあまあこなしていた普通の女の子だった。それなのに、ハイクラスの兄と比べられ、なぜこんな子があの人の妹という目で見られた。いつも光り輝く兄の陰に隠れていた。
両親はそこまであからさまに言ったりはしないが、私がそこにいると兄を褒めるのを加減することさえあった。けど他人様は残酷だった。同じ両親から生まれたのになんでこんなに違うのかと面と向かって言われたこともある。月とスッポンなんて言葉もそういう所で知った。そんなに周りから比べられ、蔑まれた環境にいると本当に自分という存在がつまらない、人よりも劣っている人間だと洗脳されていく。
そんな経験から、誰も私に気づかなければいいって思っていた。だから、高校は兄とは同じ学校へは進学しなかった。
それでやっと鹿島くんの妹さんではなく、鹿島郁という一人の女の子になれた。しかし、その時は既に遅く、この私の否定的で不愛想な性格は変えることはできなかった。それでも高校生活の三年間で友達もでき、自分は決して他の人より劣るわけじゃないという現実を知ることができた。




