終章 6 二人の暮らす場所
屋敷での暮らしにも慣れた頃、王都から手紙が来た。シルフィとスレンが来るという。日程が書いてあって、その下に「四泊します」と大きな字で書き足してあった。
二人は昼過ぎに着いた。
「エリシア!」
シルフィは馬車から降りるなり走ってきて、エリシアに抱きついた。スレンのほうは荷を降ろしながら、屋敷を見上げている。
「思ったより小さいな」
「そうだな」
俺が答えると、スレンは首を振った。
「いや、悪くねえよ。庭は広い」
そう言って荷を家令に渡し、それから俺の顔を見た。
「すっかり旦那様の顔だな」
「どんな顔だ」
「そういう顔だよ」
*
滞在の二日目、スレンが訓練場を覗きに行った。戻ってくると、花壇の縁に腰を下ろして言う。
「お前んとこの兵、なんでこんな強いんだ」
「知らん」
「知らんじゃないだろ」
スレンは顎で坂の下を示した。柵の内側に、エリシアが座っている木箱が見える。その周りに兵が集まっていた。
「原因、あれじゃねえのか」
俺は何も言わなかった。
「……お前、止めねえのか」
「エリシアの好きにさせてる」
スレンは笑って、そのまま芝の上に寝転がった。
夕食は四人だった。シルフィが領地の話を聞きたがるので、エリシアが町と森と畑の話をした。スレンは酒を頼み、二杯目で研究所の話を始めた。
「先生、まだ机で寝てんのか」
「そうなの。さんざん注意したのに、この前も寝てて」
シルフィはそう答えてから、思い出したように付け足す。
「あ、でもね、前より外に出てるよ。庭で日向ぼっこしてるの見た」
「歳だな」
「言ってやってよ、それ」
「言えるか」
食卓には鹿の肉と、根菜の煮込みと、パンが出ていた。エリシアは自分の皿を空にして、パンをもう一つ取った。皿を下げに来た料理人に「おいしかった」と言うと、料理人は嬉しそうに頭を下げた。
「そういえば」
スレンが杯を置いて、俺を見た。
「お前、あのときの坑道で無茶しすぎだっただろ」
「どれのことだ」
「いや。全部だろ」
「……スレンに言われたくない」
「俺は無茶した記憶がねえ」
「あるよ」
シルフィが横から言う。
「めちゃくちゃあるよ」
スレンが黙って酒を飲み、エリシアが笑った。
そのあとは、また領地の話に戻った。シルフィが庭の木に生っている実を食べたがって、明日、何の実なのか庭師に聞いてみることになった。
*
三日目は、シルフィとエリシアが町へ出かけていった。朝からシルフィがエリシアの腕を引っぱって坂を下りていくのを、俺は執務室の窓から見送った。
夕方に帰ってきたときには二人とも包みを抱えていて、シルフィの分のほうがずっと多い。
「エリシア、町を歩くとずっと声かけられるんだよ。奥方様、奥方様って」
「そんなにじゃないよ」
「そんなにだったよ。あと、焼き菓子も食べたの。エリシア、二つ食べた」
「シルフィは三つ食べた」
エリシアはそう言いながら、抱えていた包みの一つを俺に渡した。開けると、前に俺が選んだほうのパンが入っている。
翌日は、四人で屋敷を出て、森の縁まで歩いた。シルフィはしゃがみ込んでは草の名前を言い、そのたびに少しずつ遅れていく。庭師に聞いた実と同じものを見つけると、一つかじってひどい顔をした。
「酸っぱーい」
「昨日、食べられるか聞いたんじゃないの?」
「食べられるとは聞いたよ」
エリシアが笑った。
さらに先へ進んだところで、スレンが倒木に腰を下ろした。
「俺はここでいい」
「まだ半分も来てないぞ」
「草の話なら、ここまで聞こえる」
そのまま動く気がないので、スレンを残して三人で川沿いまで下りた。水のそばは少し開けていて、シルフィはまた何かを見つけてしゃがみ込む。エリシアはしばらく川を眺めてから、林の奥を指さした。
「あそこ、雨のあとは通れないんだよ」
シルフィに向かってそう言うので、俺は黙っていた。
「こっちは?」
「そっちは大丈夫。少し遠回りだけど」
しばらく川沿いを歩いてから引き返した。
戻ってみると、スレンは倒木に腰かけたまま、森の奥を見ていた。
「あっち、獣道になってるぞ」
示されたほうを見ると、木々のあいだに細く草の倒れた筋が続いている。
「ああ」
スレンはそれ以上何も言わず、倒木から立ち上がった。
帰りは四人で屋敷まで歩いた。
*
五日目の朝、屋敷の前に馬車が着けられた。荷を積み終えると、シルフィが最後に振り返った。
「また来るからね」
「うん」
「次はこっちに来てよ。師匠も会いたがってるよ」
「メルキテウスに伝えといて。行くから待ってて、って」
スレンが馬車の縁に手をかけて、こちらを見た。
「エリシア」
「なに?」
「ずいぶん、人間らしい顔をするようになったな」
エリシアが瞬きをする。
「……それ、褒めてる?」
「褒めてる」
スレンはそれだけ言って、馬車に乗り込んだ。
馬車が動き出すと、エリシアは坂の下までついていった。俺もそのあとを歩いた。坂を下りきった馬車は街道に出て、王都のほうへ折れる。シルフィが窓から身を乗り出して手を振り、エリシアも手を振り返した。
馬車は畑のあいだを進んで、木立の陰に入り、また出てきて、それから小さくなった。エリシアはそれを見ていた。手はもう下ろしていたが、目はそのままだった。やがて馬車が見えなくなり、道には俺たちだけが残った。
風が畑の上を渡っていく。町のほうで、鐘が一つ鳴った。
少しのあいだ、二人で同じほうを見ていた。それから、エリシアが隣を見上げた。俺も見た。目が合って、エリシアが笑う。
俺も笑ったと思う。
どちらからともなく手が重なり、指を絡めて、しっかり握った。
木立のあいだの道は、坂を上がって屋敷まで続いている。
俺たちは並んで、その道を帰っていった。




