↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様、それはスキル付与ではなく権限昇格です  作者: J-AI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
92/100

第92章 0.0031

 白銀の壇上に灯る、冷酷な朱色の数字。


[MIGRATION_BOUNDARY_REQUIREMENTS: BR-099]

ANCHOR_PROTOCOL: FULL_CONVERGENCE_HARVEST

CONVERGENCE_TARGET: DECENTRALIZED_REALITY_LAYER

ESTIMATED_CONSISTENCY_DEBT: 0.000000 (CLEARED)

--------------------------------------------------

INDIVIDUAL_STATE_RETENTION_ESTIMATE:

CHR-RINA: FIDELITY = 1.0000

CHR-SERA: FIDELITY = 1.0000

CHR-ORDO: FIDELITY = 1.0000

CHR-MIRA: FIDELITY = 1.0000

CHR-ECHO: ROLE = PERSISTENT_DIFF_STORAGE

CHR-REN: FIDELITY = 0.0031


 基底中枢(Root Nexus)を満たす静寂は、死よりも重く冷たかった。


「……ゼロ点、ゼロ、ゼロ、三、一」


 オルドが掠れた声で呟き、眼鏡の奥の瞳を痙攣させた。


「馬鹿な……千分の三だと……? そんなもの、人間としての自我を保てる情報量ではないぞ! 記憶、言語、思考ルーチン、感情の因果関係……その九十九・九六九パーセントが消滅するということだ! 残るのは、わずか数十バイトに満たない存在の残差だけではないか!」


「嫌です……!」


 リナが悲鳴のような叫びを上げ、俺の右腕にしがみついた。


「嫌……嫌です、レン様! そんなの、死ぬことより残酷です! 私たちが助かっても、レン様が誰かも分からなくなってしまったら……そんな世界、私は生きていけません!」


 リナの涙が、俺の袖を激しく濡らしていく。その小さな身体が、恐怖で小刻みに震えていた。


「相馬蓮」


 セラが腰の長剣の鍔を握りしめ、一歩前に進み出た。青い瞳には怒りと痛恨の色が揺らめいている。


「私はかつて、ヴァルディス砦でお前に命を救われた。だが……その報いがお前自身の消滅だというなら、私は断じて認めん! 騎士が自らの命の代償に仲間を人身御供にするなど……そんな恥辱にまみれた平和など、誰が受け入れるものか!」


「セラ隊長……」


「別の解を探すぞ!」


セラが叫んだ。


「熱死までまだ百二十日の猶予がある! 四十二億で見つからぬなら、百億、千億の解空間を走査すればよい! お前が無傷でいられる解が、どこかにあるはずだ!」


「ないんだよ、セラさん」


 俺は静かに首を横に振った。


「四十二億のシミュレーションは、エイドラの全位相空間を網羅した結果だ。全員が生き残り、世界線の無限増殖が止まる固定点は……このBR-099、たった一つしかない」


 壇上に、再び重い沈黙が降りた。オルドが顔を歪めて目を伏せ、ミラが唇を噛んで俯いた。


「熱力学的な負債なんだ」


 俺は自分の右手をじっと見つめた。


「召喚されたあの日、俺は神様のバグによって管理者権限を手に入れた。その特権を使って世界線を跳び越え、リナさんを救い、セラさんを救い、王都を守ってきた。……でもな、俺が奇跡を起こすたびに、選ばれなかった無数の世界線が底に切り捨てられ、消去熱が宇宙を圧迫してきたんだ」


 俺は、隣に立つEchoを見た。泥と硝煙に塗れ、何千、何万回と死んできた自分自身の残響。


「俺はずっと、タダで奇跡を使ってきたつもりでいた。でも本当は、そのツケを全部、世界の底にいるEchoたちに支払わせていただけだったんだ」


「……相馬蓮」


Echoが低く呻いた。


「ゼロは、選べない」


 俺は微笑んだ。


「誰も死なず、世界も破滅せず、そして自分も無傷でいられる都合のいい奇跡なんて、最初からこの宇宙のどこにもなかったんだよ。……誰かが、この百四万の世界線を繋ぎ止めるアンカーにならなきゃいけない。なら、その役目は……特権を使って世界を引っ掻き回してきた、俺しかいないだろ」


「そんなことありません!」


 リナが俺の胸に顔を埋め、号泣した。


「レン様は私たちを助けてくれたんです! お母様の声まで失いながら……必死で守ってくれたんじゃないですか! どうしてレン様ばかりが、こんな目に遭わなきゃいけないんですか……っ!」


「リナさん」


 俺はリナの震える肩にそっと手を置いた。


「俺は、死ぬつもりなんかないよ。肉体はちゃんとあの世界へ行く。……ただ、少しばかり頭の中が綺麗さっぱり片付くだけだ」


「少しじゃありません!」


リナが顔を上げ、涙に濡れた瞳で訴える。


「九十九・九六パーセントです! 私の名前も、一緒に過ごした日々も、全部忘れちゃうんですよ!? レン様が空っぽになってしまったら……誰がレン様をレン様だって証明してくれるんですか!?」


 その問いに、俺は答えられなかった。

 怖くないはずがない。日本で生きてきた二十数年間も、異世界で仲間と積み上げてきた記憶も、すべてがフォーマットされて白紙になる恐怖。想像するだけで足が竦む。


 ――その時だった。


「……おい、相馬蓮」


 乱暴な足音とともに、Echoが俺の前に踏み込んできた。

 そして――ゴツンッ、と硬い音を立てて、自分の額を俺の額に力任せに打ち当ててきた。


「痛っ……!?」


「痛えのはこっちだ、クソ野郎」


 至近距離で、Echoの真っ黒な瞳が俺を睨みつけていた。だが、その瞳の端から、一筋の黒銀の光粒が零れ落ちていた。


「何が『少し頭が片付くだけだ』だ。格好つけてんじゃねえよ」


 Echoの声は、激しく震えていた。


「お前が生きてきた日本の記憶も、満員電車の息苦しさも、母ちゃんのハスキーな声も……全部、お前が生きてきた証拠だったじゃねえか。この世界でリナとカファを飲んだことも、セラと背中を合わせたことも……全部、お前の命そのものだったじゃねえかよ!」


「Echo……」


「それを『安いものだ』なんて言って捨てるんじゃねえ! てめえの命を安売りするな!」


 Echoの怒声が白銀のドームに響き渡る。だが、Echoは額を押し当てたまま、低く喉を絞り出すように言った。


「……でもな。お前がどうしても行くって言うなら……俺が引き受けてやるよ」


「え……?」


 Echoは自らの胸に右の拳を強く当てた。


「俺たちは、切り捨てられた何千万の世界線の残差だ。お前が世界線を渡るたびに削り落としてきた、お前の記憶そのものだ」


 Echoの唇に、不敵で、どこか泣き笑いのような笑みが浮かんだ。


「お前は行け。記憶を全部手放して、空っぽの人間になって、あの平和な世界へ行け。……その代わり、お前が忘れたすべてを、俺たち世界の底の相馬蓮が、永遠に覚えていてやる」


「お前が……?」


「そうだ」


Echoは強く頷いた。


「お前の母ちゃんの声も、エンジニアとしての誇りも、リナを救うために世界を跳んだ執念も……全部、俺がこの漆黒聖剣と残差層の深淵に刻み込んでやる。お前が忘れても、俺がお前を覚えていてやるよ」


 胸の奥が、熱い衝撃で貫かれた。

 忘却する肉体のレンと、記憶を保持し続ける残差のEcho。二人は決して一つに融合することはできない。だが、独立した存在だからこそ、互いを支え合うことができる。


「俺たちが覚えている限り、お前は消えねえよ」


Echoは俺の肩をドンと小突いた。


「お前はただの人間として、あの世界で飯を食って、空を見上げて、笑って生きろ。……死んだ俺たちの分まで、生き抜いてみせろ、相馬蓮」


***


「……リナさん」


 俺は、涙を流し続けるリナに向き直った。リナは震える手で、大切そうに銀張りの手帳を抱きしめていた。


「リナさん。俺が最初にこの手帳に書いた言葉を、覚えてるかい?」


「……はい」


リナはしゃくりあげながら肯いた。


「『世界線を渡るたび、僕は僕を忘れていく』……レン様が、そう書きました」


「ああ」


俺は微笑んだ。


「でもな、リナさん。俺は自分を忘れても、あんたの手の温もりだけは一度も忘れたことがなかった。母さんの声を思い出せなくなっても、あんたが淹れてくれたカファ・アプルの香ばしさは、ちゃんと胸の奥に残ってたんだ」


 俺はリナの前に膝をつき、その濡れた瞳を真っ直ぐに見つめた。


「記憶は消えても、感情は残る。俺があの穏やかな世界で目を覚ました時、あんたの名前も、自分が誰かも分からないかもしれない。……でも、もし街の片隅であんたに出会ったら、俺の心臓は絶対に跳ね上がるはずだ。理由なんて分からなくても、あんたの笑顔を見た瞬間、俺はきっとまた惹かれる」


「レン様……っ!」  


リナの目から、大粒の涙が零れ落ちた。リナは震える手で手帳を開き、胸元から小さな鉛筆を取り出した。  砂嵐のようなノイズに覆われたページの、白く残された最後の余白。そこに、リナは震える文字で祈りを刻みつけた。


『相馬蓮様。  あなたが世界のすべてを忘れても、私があなたの証拠の人になります。  あなたがここにいて、私を救い、私を愛してくれたことを、私が一生叫び続けます』


 カチリ、と鉛筆の芯が鳴り、リナは手帳を固く閉じた。そしてポケットから、丁寧に布に包まれたものを取り出した。  


――硬い黒パンと、小さな乾燥林檎(ドライアプル)の欠片。


「半分こ、です……!」


 リナは震える手で黒パンをパキリと二つに割り、林檎の欠片を添えて俺の手のひらへ押し付けた。


「この味と、この温もりだけは……魂の奥に、持っていってください……!」


 俺はそのパンを口に運び、ゆっくりと噛み締めた。硬く素朴な麦の味と、底に忍ばされた林檎の甘酸っぱい香り。涙がパンの塩気と混ざり合う。


「……ああ。最高に美味いよ、リナさん」


 セラが静かに歩み寄り、右拳を左胸に当てて深々と敬礼した。


「相馬蓮。……貴様は、真の勇者だ。世界の支配者でも、神の代行者でもない。ただ一人の、最高に泥臭く、気高い人間だ」


「ありがとう、セラさん」


「オルド殿。ミラ」


セラの声が凛と響く。


「我々も覚悟を決めねばならん。相馬蓮が拓いたこの道を、一人の犠牲者の墓標にしてはならんのだ」


「……ああ」


オルドが眼鏡の奥の涙を拭い、力強く肯いた。


「彼の支払う代償を、決して無駄にはさせん。あの世界で、我々が彼の記憶の証人となり、彼が人間として生きる場所を護り抜く」


「うん」


ミラが銀の瞳を澄ませ、六重の光糸を固く握りしめた。


「私の糸は、絶対に切れない。どれほど遠い世界に行っても、みんなの心は繋がってる」


***


「準備は整ったようだね」


 アステルの透き通るような声が、基底中枢の天頂から降り注いだ。白銀の壇上に、六つの光の承認スロットが展開される。


[CONSENSUS_MERGE_FINAL_AUTHORIZATION]

TARGET_BRANCH: BR-099 (FAR_EQUILIBRIUM_ATTRACTOR)

CONVERGENCE_NODES: 6 / 6 READY

BOUNDARY_ANCHOR: CHR-REN (IDENTITY_SACRIFICE_ACCEPTED)

ESTIMATED_REMAINING_FIDELITY: 0.0031

ALL_SYSTEMS_GO. AWAITING FINAL QUORUM...


 俺はスロットの前に立ち、聖剣イグニスの柄を握った。隣でEchoが折れた漆黒聖剣の切っ先を合わせる。リナ、セラ、オルド、ミラが、それぞれのスロットへと両手を伸ばした。


「みんな」


俺は全員の顔を見回した。


「あっちの世界で、また会おう」


「はい……!」


リナが涙を拭い、満面の笑みを咲かせた。


「必ず、見つけ出します!」


「ああ。またカファを飲もう、相馬蓮」


セラが笑う。


「楽しみにしているぞ、小僧」


オルドが頷く。


「絶対に見失わないからね」


ミラが光糸を輝かせる。


 そして、Echoが俺の肩を強く叩いた。


「行ってこい、俺。……お前の生きた軌跡は、俺が絶対に消させねえ」


「――全会一致、承認(CONSENSUS_EXECUTE)!」


 叫びとともに、六つの手が同時に壇上のスロットへ叩き込まれた。


 ゴォォォォォォォォォォォォッッッ!!


 天地が裂けるような轟音が、基底中枢を震わせた。聖剣イグニスと漆黒聖剣から放たれた光が、黄金と漆黒の二重螺旋を描いて天球へと突き抜ける。百四万八千五百七十六本の世界線が、巨大な光の大樹となって一つに束ねられていく。


[PHASE_SHIFT_INITIATED]

CURRENT_BRANCH: BR-078 -> MERGING...

TARGET_BRANCH: BR-099

IDENTITY_FIDELITY_DROPPING:

0.8300 -> 0.5000 -> 0.2000 -> 0.0500 -> 0.0100...

FINAL_STABILIZATION: 0.0031


 視界が、真っ白に染まっていく。

 激しい加速の奔流の中で、俺の意識の輪郭が急速に溶け出していく。


 プログラミング言語の構文が消える。東京の駅のホームの喧騒が消える。聖剣のAPIコマンドが消える。戦ってきた敵の顔が、魔物の唸り声が、遠ざかる霧のように消え失せていく。

 痛覚が消える。恐怖が消える。自分が誰であったのか、何を成し遂げたのかという誇りすら、光の海へと溶けていく。


 ――だけど。


 最後に、意識の最深部に残ったものがあった。


 指先に残る、硬いパンの確かな感触。

 口いっぱいに広がる、甘酸っぱい林檎の芳醇な香り。

 そして、泣きながら笑ってくれた、世界で一番大切な少女の瞳。


 ――ゼロには、ならない。

 千分の三の、小さく、微かな光の粒となって。

 俺の魂は、仲間たちが生きる新しい明日へと、真っ逆さまに落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。