54章 異端指定
王都ルミナリアを出立して三日。
北部幹線街道を進む俺たちの部隊は、王都と北境要塞ラーナの中間地点に位置する、白樺の広大な森林地帯へと差し掛かっていた。
秋風に揺れる白樺の幹が冷たい木漏れ日を斑模様に落とし、近衛騎士団の馬蹄の音がリズミカルに土を叩く。
「……セラ隊長、王都の様子はどうなっていると思う?」
馬を並べるガウェインが、兜のバイザーを上げて低く尋ねた。
「平穏に見えて、水面下では教皇庁が不穏な動きを見せているはずだ」
セラは手綱を握り直しながら、冷徹な表情で前方の森を見据えた。
「大聖堂の枢機卿らは、相馬蓮の『死者ゼロ』の防衛戦を快く思っていない。……初代勇者の時代から、教会は『神託通りの悲劇と勝利』を演出し、民衆の信仰を観測アンカーとして固定してきた。蓮の成し遂げた完全勝利は、教会の神託シナリオを根底から覆す異物なのだ」
「ふむ……その通りだな、セラ隊長」
馬上のオルドが眼鏡の位置を正し、小型干渉計の目盛りを見つめた。
「教会の連中にとって、神託とは信仰の対象ではない。神のアーキテクチャから降りてくる『システム運用手順書』そのものなのだよ。……おや? 干渉計の針が急速に右へ振れておるぞ」
「……止まれッ!!」
隊頭を進んでいたセラが、鋭い号令とともに手綱を引き絞った。
ガウェイン率いる近衛選抜小隊が、一瞬で緊迫した戦闘隊形へと散開する。
「空間の位相が異常だ。……来るぞ!」
セラの叫びと同時に、街道の頭上を覆う空間に、黄金色の巨大な幾何学魔法陣が幾重にも展開された。
――キィィィィン……!
耳を劈くような高周波の共鳴音とともに、白樺林一帯の大気がガラスのように硬直する。
俺の網膜UIに、けたたましい警告ログが奔流となって叩きつけられた。
ALERT: OBSERVATION_LOCK_DEPLOYED
- PROTOCOL: SACRED_DECREE_INQUISITION
- CAUSE: CANONICAL_AUDIT_INTERVENTION
- LOCAL_COHERENCE_SUPPRESSION: ACTIVE
- WARNING: UNAUTHORIZED_OBSERVATION_DENSITY_BURST
「これは……大聖堂の【聖句結界】か!?」
白樺の木陰から、音もなく無数の重装歩兵が姿を現した。
白銀のフルプレートアーマーに深紅の聖印外套を羽織った、教皇庁直属の『聖堂親衛隊』。
そして隊列の中央から歩み出てきたのは、漆黒の神官法衣に身を包み、黄金の天秤杖を携えた老人――教皇庁首席異端審問官、バルフォス枢機卿だった。
***
「異世界召喚の勇者ソウマ・レン。近衛騎士団長セラ・ヴァーミリオン。魔導院オルド・ケイン。そして……教会の裏切り者、リナ・アルヴェル」
バルフォスは冷徹極まりない眼差しで俺たちを見下ろし、携えた金箔装丁の羊皮紙の巻物を広げた。
「教皇猊下の御名において宣告する。……貴様ら全員を、即時拘束・武装解除の対象とする!」
「何だと……!?」
ガウェインが抜剣し、馬首を前に進めた。
「バルフォス枢機卿! ソウマ殿とセラ隊長は、先日の王都防衛戦で十万の敵軍から国を救った最大の英雄だぞ! それを拘束とは、教皇庁は何をトチ狂ったのだ!」
「英雄だと? 笑止千万!」
バルフォスは冷ややかに鼻を鳴らし、巻物を高く掲げた。
「大年代記に記されし神の筋書きにおいて、北門の戦いは【近衛騎士団の過半が殉教し、王都が半壊する試練】でなければならなかった! しかるにこの男は、神託の因果を力技でねじ曲げ、あろうことか『戦死者ゼロ』という不敬極まりない偽りの奇跡を現実にデプロイしたのだ!」
バルフォスの言葉に、俺の背筋に冷たい電流が走った。
「人間とは、神の演算資源を消費する端末に過ぎぬ! 神のアーキテクチャが求めているのは、過剰な世界線分岐を産まぬよう、適切に間引かれ剪定される美しい調和なのだ! ……罪状は二つ! 第一に、神の定めた歴史の因果律を不法に改竄した【神託改竄罪(Prophecy Tampering)】! 第二に、世界線の正常な剪定スケジュールを妨害し、世界をバグに晒した【世界線不敬罪(Timeline Anomaly)】! ……ソウマ・レン、貴様は救世の勇者などではない。この世界の調和を脅かす、最も危険な『異端の魔物』だ!」
***
「……なるほどな」
俺は馬から降り、ゆっくりと聖剣イグニスの柄に手をかけた。
「教会が神託や奇跡を管理していたのは、民を救うためじゃなかった。……神のシステムが定めた世界線剪定の筋書き通りに、人間を間引き、管理するための【運用代行者】だったというわけか」
「ふむ……小僧の言う通りだ」
オルドが手元の小型干渉計で聖句結界の周波数を解析しながら、冷笑を浮かべた。
「教皇庁の大聖堂とは、単なる礼拝堂ではない。王都の十万人以上の民衆の意識を常時同期させる【中央観測プロキシ(Central Observation Proxy)】だったのだな! 大聖堂の鐘の音、日々の定時礼拝、聖書の反復朗読――それらすべてが、民衆の認知を均一化し、神の剪定シナリオ通りに現実を強制静定させるためのクロック同期信号だったというわけだ!」
「黙れ、異端の学者め!」
バルフォスが天秤杖を地面に激しく突き立てた。
「神の仕様に異を唱えることこそが罪なのだ、異端者どもめ! 聖堂親衛隊、捕縛せよ! 【聖歌陣】を展開しろ!」
数十名の教団神官が一斉に低い重低音の聖歌を合唱し始めた。
音波による連続的な大気振動と、数万人の信徒の祈りを圧縮した『音響観測固定フィールド』。
空気そのものが鉛のように重くなり、魔法を呼び出すための空間の余地が急速に奪われていく。
「小僧、音波による位相反転を突くぞ!」
オルドが叫び、干渉計の共鳴板を前方に向けた。
「了解だ!」
俺は聖剣イグニスを抜き放ち、合唱の音波が収束する空間の特異点へ切っ先を突き入れた。
ADMIN_OVERRIDE_EXECUTED:
- CALLER: SOMA_REN (SYSTEM_OPERATOR)
- TARGET_RULE: INQUISITION_OBSERVATION_LOCK
- ACTION: REJECT_UNAUTHORIZED_DECREE
- THERMAL_COUPLING: LOCAL_HEAT_ABSORPTION_PULSE
- STATUS: 200_OK (ACOUSTIC_WAVEGUIDE_SHATTERED)
――バチィィィィンッ!!
局所吸熱のパルスが音響導波管を絶対零度で凍結・粉砕し、教団の聖歌陣が一瞬でかき消された。
「なっ……聖歌陣が破壊されただと!?」
「バルフォス枢機卿!」
リナが馬から飛び降り、麦わらのお守りを胸に掲げて凛とした声で叫んだ。
「私は神様を信じています! ですが……神様が人を使い捨てにし、誰も死なずに済む道を罪だと呼ぶのなら――そんな冷酷な教皇庁の教えなど、私は絶対に認めません! 神官として祈ってきた私の手は、人を殺す神託のためではなく、目の前で傷つく人を温めるためにあります!!」
「神官の分際で、教皇猊下の神託を否定するか、小娘がッ!」
「神託など知るかッ!!」
横から割り込んだセラが、宝剣を一閃させた。
――ズバァァァンッ!!
銀白色の強制静定の衝撃波が空間を薙ぎ払い、前衛の教団兵たちの武器を瞬時に凍結・叩き落とす。
「相馬蓮が拓いた命の可能性を、教会の都合で奪わせるものか! ガウェイン、敵の包囲網を突破するぞ!」
「おうよッ!!」
ガウェインの大剣が轟音を立てて大地を叩き、教団騎士の包囲網を力任せに吹き飛ばした。
***
「お、の、れ……ッ! 神に逆らう大逆の異端者どもめ! 逃げられると思うな! 全世界が貴様らの敵となるのだぞ!」
武装解除され、地面に膝をついたバルフォスが悔しさに顔を歪めながら叫ぶ。
「神が人を殺す仕様なら、異端者で結構だ」
俺は聖剣を鞘へと収め、馬の手綱を握り直した。
「俺たちは北境ラーナへ行く。……神のシステムを、俺たちの手でアップデートするために」
「全軍、突進しろォォッ!!」
ガウェインの号令とともに、近衛部隊が白樺林の街道を一気に駆け抜けた。
***
教皇庁の追撃部隊を振り切り、街道を北へと疾走すること数時間。
鬱蒼とした白樺林を抜けると、視界が一気に開け、冷たく澄み切った北風が吹き抜けた。
隣を進むリナは、少し俯きながら麦わらのお守りを握りしめていた。
生まれ育った教会の裏の顔を突きつけられ、胸の奥で痛みが疼いているのだろう。
「リナ嬢」
馬を寄せたオルドが、温和な声で語りかけた。
「気落ちすることはないぞ。人々の素朴な祈りや、お前が信じてきた善意そのものは、何一つ間違っておらん。……罪深いのは、その清らかな祈りを利用して世界を調教しようとした、教皇庁の設計思想なのだ」
「オルド先生……」
「そうだぞ、リナ」
セラも馬首を並べ、優しく微笑んだ。
「私たちがこれから作る新しい世界では、人々の祈りを誰にも搾取させない。……お前の優しい祈りは、その新しい世界の礎になるのだ」
「……はい! オルド先生、セラ隊長……ありがとうございます!」
リナは涙を拭い、顔を上げた。
街道の遥か北方――白銀の雪を頂いた険しい山脈の麓に、見覚えのある巨大な黒鉄の城壁が姿を現した。
かつて俺たちが命がけで防衛し、そして仲間たちと血を流して絆を結んだ、北境の要塞都市【ラーナ】だ。
「ラーナ要塞が見えてきたぞ!」
ガウェインが声を張り上げると、近衛兵たちから歓声が上がった。
外壁の監視塔からは、王都近衛の紋章旗を認めたラーナ守備隊の吹く、歓迎の角笛が低く響き渡っている。
かつて初めてこの地を踏んだ時の緊張感とは違い、今の俺たちには、過酷な現実を共に背負う確固たる仲間と、世界を救うための明確な設計図があった。
「相馬蓮、行くぞ」
セラが宝剣の鞘を鳴らし、不敵に微笑んだ。
「ああ。第二ノードの構築を完了させ、北方のミラに会いに行こう」
跳ね橋を渡り、巨大な鉄格子をくぐると、懐かしい雪と石造りの要塞中庭が広がっていた。
かつて死線を潜り抜けたこの北境の砦こそが、神の支配を覆す第二の要衝となる。
教皇庁の異端指定を背負った俺たちの、世界再構築への戦いが、再びこの北の地で熱く動き始めた。




