第3章 スキルは誰が許可する
異世界で最初にとった食事は、驚くほどまともで、そしてどこか奇妙だった。
教会が用意してくれた貴賓館の食堂は、磨き抜かれた木製の円卓と柔らかな間接照明に照らされ、高級ホテルの個室を思わせる落ち着いた空間だった。
テーブルの上に並べられたのは、見慣れない香草と一緒にじっくり煮込まれた鳥肉と根菜のシチュー、石窯で香ばしく焼かれた厚切りのライ麦パン、そして柑橘系の果実を絞った冷たい果実水。
肉はスプーンで軽く押すだけでほろりと崩れ、濃厚なクリームスープに溶け込んだスパイスの香りが食欲を心地よく刺激する。
「お口に合いますでしょうか……? 異界のお料理とは味付けや食材が大きく異なると伺っておりましたので、できるだけ刺激の少ないものを選ばせていただいたのですが」
給仕用の白いエプロンを法衣の上から身につけたリナが、木製のお盆を両手で抱えながら、おずおずとこちらの表情を伺ってくる。
「いや、めちゃくちゃうまいよ。出汁……じゃないな、ブイヨンがしっかり効いてて、野菜も甘い。この赤い根菜、見た目は大根っぽいけど人参みたいな甘みがあるね」
「よ、よかったです……!」
リナは心底ほっとしたように胸を撫で下ろし、へにゃりと相好を崩した。
「異界の方はお米という穀物や、生の魚をお召し上がりになると古い記録にありましたので、お肉や乳製品がお体に合わなかったらどうしようかと心配で……」
「刺身も米も好きだけど、温かいシチューとパンも大好物だから大丈夫。リナさんも一緒に食べないの? 一人じゃ食べきれないくらいあるし」
「めっ、滅相もございません! 私はしがない下級神官ですので、勇者様と同席するなど教律に反します!」
慌てて両手をぶんぶんと振るリナの姿に、思わず笑いがこぼれた。
見知らぬ異世界に放り出され、大聖堂で仰々しく崇められた緊張と疲労が、温かい食事とリナの屈託のない反応のおかげで、少しずつ胃の腑から解けていくのを感じる。
食事が終わり、給仕の神官たちが食器を下げると、リナは分厚い革表紙の本を大事そうに抱えて応接用のソファの前に戻ってきた。
「レン様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか? 明日の朝には国王陛下への謁見が控えておりますので、このエイドラにおける『身分』と『スキル』の基本的な常識について、簡単にご説明差し上げたく……」
「助かるよ。さっきの鑑定の儀で色々言われたけど、正直、この世界の常識がさっぱり分かってないからな」
ソファに向かい合って腰掛ける。 リナは革表紙の教本をテーブルの上に広げ、真面目な顔つきで指先を立てた。
「まず、このエイドラに生きるすべての民は、十歳を迎えた年に教会の洗礼を受けます。そこで聖鏡によって最初の『役割』を授かるのです。農夫、職人、兵士、あるいは魔導士見習いといった、その人の魂が持つ基礎的な器ですね」
「ふむふむ。十歳で生まれつきのジョブが決まるわけか」
「はい。そして、その役割に従って日々の鍛錬を積み、神への敬虔な祈りを捧げ続けることで、ある日突然、魂の中に眠っていた『祝福』が開花するのです。例えば、木こりが長年木を伐り続けることで『剛力』を授かったり、私が祈りを重ねることで『小光球』や『下級治癒』を授かったりするように」
「なるほどね……」
俺は腕を組み、リナの説明を頭の中で整理した。 ここまでは、よくあるファンタジーRPGの育成システムそのものだ。経験値を溜めたり熟練度を上げると、新しいアビリティがアンロックされる。
だが――システム屋としての思考回路が、どうしても一つの引っかかりを無視できなかった。
「……ねえ、リナさん」
「はい、何でしょう?」
「その『ある日突然、スキルが開花する』って現象だけどさ。誰がその開花を決定してるの?」
「えっ?」
リナはきょとんと目を丸くした。
「いや、だってさ。木こりが木を伐り続けて、ある日『剛力』をもらうとするだろ? それって、『木を千本伐ったらスキル付与』みたいな判定基準がどこかにあるってことだよね?」
「は、はあ……天穹の主が、その者のひたむきな努力と魂の成長を天からご覧になり、ふさわしい器となったと認められた時に、恩寵として授けてくださるのです」
「じゃあ、その神様は、エイドラにいる何千万人、何億人っていう人間の一挙手一投足を、二十四時間三百六十五日、全員分監視してカウントしてるってこと?」
「か、監視……? いえ、神様は全知全能であらせられますから、すべてをお見通しなのは当然かと……」
「でもさ、それって処理負荷が天文学的にならないか?」
俺は前のめりになってテーブルに手をついた。
「人間一人ひとりの行動ログをリアルタイムで収集して、データベースに書き込んで、条件フラグが立った瞬間にスキル付与のパケットを返すなんて、どれだけ巨大なデータセンターがあれば捌けるんだよ。もし神様が一人で目視チェックして判子押してるんだとしたら、絶対にどこかで申請待ちのキューが詰まるはずだろ。『すいません、先月木を千本伐ったんですけど、まだ剛力スキルが届いてません』みたいな問い合わせ窓口はあるの?」
「で、でーた……せんたー……? といあわせ……まどぐち……?」
リナの顔が、見る見るうちに困惑で歪んでいく。
何を言われているのか、単語の意味が一つも理解できないらしい。眉毛を八の字にして、すがるように教本を見つめている。
「そ、その……教本には『祈りは光となって天に届き、神の御心が露となって魂を満たす』としか書かれておりませんでして……その、窓口というのは……」
「だよね。教会の教義としてはそう書くしかないよな」
苦笑しつつ、俺はさらに思考を巡らせた。
「じゃあさ、リナさん。実際にスキルを使ってみせてくれないか? さっき言ってた『小光球』ってやつ」
「え? あ、はい! それならすぐにできます!」
理解不能な質問攻めから解放されたのが嬉しかったのか、リナは元気に頷くと、両手を胸の前で合わせた。 背筋をピンと伸ばし、静かに目を閉じて呼吸を整える。
「天穹を満たす清らかなる光よ、迷える我が足元を照らし給え――『小光球』」
リナが厳かに祈りの言葉を紡ぎ終えた瞬間。
彼女の合わせた手のひらの上、数センチの空間に、ふわりと淡いオレンジ色をしたピンポン玉ほどの光の球が出現した。
熱気はなく、ただ穏やかな光だけが周囲を優しく照らしている。空気中にほんのわずかだけ、雨上がりのオゾンに似た澄んだ匂いが漂った。
「わあ……本当に光ったな。綺麗だ」
「えへへ、下級の明かり魔法ですけど、夜のお祈りや見回りにはとても重宝するんです」
リナが得意げに笑う。
だが、俺の目は光の美しさではなく、発動のプロセスをじっと観察していた。
「リナさん、今の『天穹を満たす〜』って言葉は、必ず唱えないと出ないの?」
「はい。これは神聖語で編まれた定型の祈祷文ですから。一言一句間違えずに神への感謝と願いを口にすることで、初めて光が宿るのです」
「途中で噛んだり、言い間違えたら?」
「光は消えて、魔法は失敗してしまいます。不敬な言葉や乱れた発音では、神に通じませんから」
「……やっぱりそうか」
俺は顎に手を当てて呟いた。
「これ、完全に関数呼び出し(Function Call)だ」
「かんすう……?」
「そう。特定の名前空間から『小光球』というメソッドを呼び出すために、決められた引数――定型の構文パラメータを音声インターフェース経由で入力してるんだよ。シンタックスエラー《構文エラー》が起きれば当然コンパイルが通らないから、サーバー側の処理が中断される」
リナは光の球を浮かべたまま、完全に固まっていた。 何を言われているのか分からないが、自分が神聖な祈りだと思っていた行為が、何やら酷く無機質で乾いたものとして解体されている気配だけは察したらしい。
「あの……レン様? 祈りは、神様とお話しするための神聖な儀式なのですが……」
「じゃあさ、実験してみよう」 俺はリナの目をまっすぐに見つめた。 「リナさん、心の中で『神様死ね、消えちまえ』って思いながら、さっきと全く同じトーン、全く同じ発音で『天穹を満たす清らかなる光よ〜』って唱えたら、この光は出ないと思う?」
「ひっ……!? な、なんという不敬なことを……!? そんな恐ろしいこと、考えられるわけがありません!」
リナが顔を真っ青にして飛び退いた。
驚きで集中が切れたのか、手のひらの上の光球がぽすんと小さな音を立てて霧散する。
「あ、ごめんごめん! 例え話だから! 本当にやってくれって意味じゃないから!」
慌てて手を振って謝る。
「ただ、俺が言いたいのはさ……もし『感情』や『信仰心』が関係なくて、単に決められた文字列と音波の周波数、そして使用者の権限フラグさえ揃っていれば誰でも発動するんだとしたら、それは『奇跡』じゃなくて単なる『システム』じゃないかってことなんだ」
「システム……」
リナは両手をぎゅっと握りしめ、困惑と恐れが入り混じった瞳で俺を見つめていた。
「レン様のおっしゃることは……私には難しすぎて、よく分かりません。でも……もしそれが単なる仕組みなのだとしたら、私たちは……神様を信じて祈りを捧げてきた人々の想いは、一体何だというのでしょうか……?」
その真摯な問いに、俺は言葉を詰まらせた。
彼女をからかうつもりも、信仰を侮辱するつもりもなかった。
ただ、エンジニアとしての職業病で、目の前の現象の裏側にあるロジックを解き明かさずにはいられなかっただけだ。
だが、エイドラの人々にとって、魔法やスキルは生きるための希望であり、世界の秩序であり、神との絆そのものなのだ。それを「単なるプログラムだ」と断じるのは、彼らが積み上げてきた歴史や人生を無意味だと切り捨てることになりかねない。
「……ごめん、リナさん。俺が変なこと言って混乱させた。忘れてくれ」
素直に頭を下げると、リナはしばらく躊躇った後、優しく首を横に振った。
「いいえ……謝らないでください。レン様は、この世界のすべてが初めてで、だからこそ私たちには見えない不思議を感じていらっしゃるのですね。私には理解できませんでしたが……レン様が悪いことをおっしゃっているのではないことだけは、分かりますから」
リナは健気に微笑んでみせた。
その曇りのない笑顔が、胸の奥に小さくチクりと刺さる。
***
夜も更け、明日の案内の準備のためにリナが貴賓館を辞去した後。
俺は部屋のテラスに出て、一人で冷たい夜風に当たっていた。
見上げる夜空には、蒼と銀の二つの月が並んで浮かび、王都ルクシアの街並みを青白く照らし出している。遠くの通りからは、夜警の鳴らす鐘の音が幽かに響いていた。
静かだった。
あまりにも美しく、精緻で、絵画のように完成された世界。
俺は手すりに寄りかかり、自分の手のひらを見つめた。
昼間の鑑定で付与された数々の勇者スキル。
全属性干渉、聖遺物同調、超常因果防護。
そして、最下段にあった『WORLD_BRANCH_OPERATOR』。
誰も疑問を持たない。
神官も、魔導士も、リナも、この世界の誰もが「神が与えてくれた奇跡」として疑わずに受け入れている。
だが、誰かがこの世界にルールを引き、権限を管理し、APIを設計したのだ。
祈りを捧げれば、光が灯る。
鑑定を受ければ、ステータスが表示される。
リクエストを送れば、レスポンスが返ってくる。
だが、それなら――その背後にある巨大なインフラは、一体どこで稼働しているんだ?
誰が権限を許可し、誰が世界の整合性を維持しているのか。
「なぁ……神様」
俺は夜空の二つの月に向かって、声に出して呟いた。
「あんた、一体どこにサーバー置いてんだよ」
返事はなかった。
ただ、冷たい夜風が吹き抜け、星々が何事もなかったかのように無言の瞬きを繰り返しているだけだった。




