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神様、それはスキル付与ではなく権限昇格です  作者: J-AI


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第1章 落下先は召喚陣

【第1部 ARC-I:召喚と権限事故(ACCESS GRANTED)】

落ちている感覚は、ほんの一瞬だった。


 視界のすべてが青白い閃光で塗りつぶされ、鼓膜の奥でガラスが粉々に砕け散るような高周波の破裂音が響く。三半規管が激しく掻き回され、天地の感覚が消失する。足の裏にあったアスファルトの感触も、手に提げていたコンビニ袋の重みも、雨上がりの湿った夜風の匂いも、何ひとつ残さずに掻き消えていた。  どさり、と鈍い衝撃が全身を襲う。


「……っ、ぐ……」


 肺の中の空気が無理やり吐き出され、喉の奥が引き攣る。

 冷たい。顔の半分を押し付けている床は、磨き抜かれた石の感触だった。湿り気を帯びた埃と、白檀に似た甘ったるい香の匂いが、鼻腔の奥に絡みついてくる。


「成功……したのか……?」


「光が収まったぞ!」


「円環が静止した! 見ろ、中に人がいる!」


 頭上で、ざわめく複数の声が重なり合って降ってきた。反響の仕方からして、天井が異常に高い巨大な密閉空間――石造りの大広間か何かにいるらしい。

 息を整えながら、肘を立てて上体を起こす。

 視界の端がまだチカチカと青白く明滅していた。ピントがうまく合わない。

 自分の手を見る。着慣れたリクルートスーツの袖口、くたびれた腕時計。時刻は午後十一時四十二分を指したまま止まっている。手のひらに傷はなく、ただ床に刻まれた溝が、じんわりと微熱を放ちながら指先を押し返していた。


 その床を見て、思考が一瞬停止した。

 直径五メートルほどの円を描くように、精密極まりない幾何学模様が石畳に深く彫り込まれている。三重の同心円、等間隔の十二芒星、そして流線型の幾何学記号。溝の内部には燐光を放つ青い鉱石粉末のようなものが充填され、呼吸するように脈動していた。


「……なんだこれ。プロジェクションマッピングじゃないよな」


 思わず声が漏れた。

 声は乾いた石壁に反響し、周囲を取り囲んでいた人影たちに届いたらしい。息を呑む気配が広がっていった。


「ああ……大いなる天穹の主よ……」


「本当に……異界からの導きが、形を成したのだ……!」


 立ちこめる白い煙の向こうから、何十人もの人間がこちらを取り囲んでいるのが見えてきた。

 全員が揃いの白銀のローブを纏い、胸元には三重の環が交差した銀の意匠を掲げている。その奥には、重厚な甲冑で固め、儀礼用の長槍を手にした衛兵たちが居並んでいた。

 数十本の石柱が交差ヴォールト天井を支え、ステンドグラスの窓からは、月光とは明らかに波長の異なる柔らかな蒼穹の光が差し込んでいる。


「これ……いわゆる、あれか?」


 相馬蓮、二十六歳。都内の受託開発系IT企業で働くごく平凡なシステムエンジニア。

 深夜、オフィスを出てコンビニで夜食を買い、横断歩道を渡った瞬間に足元が抜けるような浮遊感に襲われた――そこまでは覚えている。

 そして目の前に広がるローブの神官、石造りの大聖堂、光る魔法陣。


「……異世界召喚。マジで言ってんのか」


 頭痛をこらえながら額を押さえる。

 叫び出したり夢を疑うのが正常な反応だろう。だが、あまりに定番すぎるシチュエーションを目の当たりにして、脳の片隅が奇妙に冷静な分析を始めてしまっていた。

 夢にしては、石床の冷たさも、煙の焦げ臭さもリアルすぎる。


「勇者様……!」


 震える声が、すぐ目の前から降ってきた。

 煙が薄れる中、一人の少女が円環の縁に膝をつき、必死にこちらへ手を伸ばしていた。

 小柄な少女だった。他の神官と同じ白い法衣を纏っているが、装飾は控えめで袖口にほつれがある。下級神官だろう。肩口で切りそろえられた淡い亜麻色の髪の下から、琥珀色の大きな瞳が、恐れと祈りの混ざり合った視線でまっすぐに俺を見つめていた。


「お怪我はございませんか? お身体に、強い痛みや意識の混濁は……」


 差し出された少女の手は、微かに震えていた。

 目の前に現れた存在が本物なのか、壊れてしまわないかを確かめるような、痛切なまでの敬虔さだった。


「あ、いや……大丈夫です。ちょっと頭がクラクラするくらいで」


 反射的に敬語で返しながら、その手を取った。

 温かい、柔らかな人のぬくもりだった。少女――リナは、俺の手が触れた瞬間にほっと息を吐いた。


「よかった……天幕の裂け目を越える儀式は、魂魄の摩耗が激しいと伺っておりましたので。あ、申し訳ありません。私、聖環教会で降臨の儀の補助を務めております、リナ・アルヴェルと申します」


「……相馬蓮です。レンでいいです」


「レン様ですね。どうか、お立ちになれますか?」


 リナに支えられながらゆっくりと立ち上がる。骨折や捻挫はしていない。

 俺が完全に直立したのを見て、円環を取り囲んでいた神官たちのざわめきが一気に歓声へと変わった。


「降臨されたぞ! 神の御使い、異界の勇者様だ!」


「王国の危機に、天穹の主が応えてくださった!」


 熱狂する周囲に圧倒されつつも、俺の視線は足元の召喚陣へと戻っていた。

 幾何学模様の光が徐々に弱まり始めている。だが、その消え方が気になった。

 ただ光が減衰しているのではない。青い光の粒子が一定の規則的なインターバルで明滅し、通信セッションが正常終了したかのように、外側の円環から内側へと順繰りに消灯していく。石畳の記号も、極めて無駄のない論理回路の配線パターンに見えた。


「レン様? どうかされましたか?」


 俺が足元を凝視しているのに気づき、リナが心配そうに小首を傾げた。


「いや……すごく整ってるなと思って。手作業で彫ったにしては線にブレがないし、光の消え方もプログラムのシーケンス制御みたいっていうか……あ、いや、なんでもない」


「それは……古代より伝わる聖なる幾何学ですから。神代の儀式書に記された線と角度を一分の狂いもなく再現することでのみ、世界の外側とこちら側の『揺らぎ』を繋ぐことができるのです。少しでも線が歪めば、何が落ちてくるか分からなくなってしまいますから」


「揺らぎ……?」


 聞き慣れない単語に眉をひそめたが、それ以上問い詰める時間はなかった。

 神官たちの列が割れ、金糸の刺繍を施した法衣を纏った老人が歩み出てきたからだ。


「おお、よくぞ参られた、異界の勇者殿!」


 老人は両手を広げ、厳かに声を張り上げた。


「我が名はエルネスト。聖環教会の大司教を務める者。勇者殿、いまや我が国アルセリアは、北方を侵す厄災の軍勢――魔王軍の脅威に晒され、世界の秩序が崩壊の危機に瀕しております。どうか、その御力をもって我が民をお救いいただきたい!」


 王道すぎる救国要請の演説に、苦笑が漏れそうになるのを堪えた。

 突っ込みどころは山ほどあるが、まずは相手の懐に入り情報を集めるのが最優先だ。


「事情は分かりました。ただ、俺はただの一般人で、魔王と戦える武力も魔法もありませんよ」


「ご安心召されよ!」


大司教は頷いた。


「天穹の主は、異界の勇者に強大な『祝福』と『スキル』をお授けになる。内に秘めた神の権能を顕現させるため、まずは別室にて『鑑定の儀』を執り行わねばなりませぬ。リナ神官、勇者殿を上層の『聖鏡の間』へご案内せよ」


「はい! かしこまりました!」


 リナに促され、俺は大聖堂の地下室を後にした。


***


 螺旋階段を上り樫の扉を抜けると、外光が差し込む長い回廊に出た。

 窓の外には息を呑むような大パノラマが広がっていた。


「うわ……すごいな」


 白亜の建築群が連なる巨大な城塞都市。大通りを行き交う馬車や人々、中央に聳え立つ天を突く王城。そして空には、黄金色と青白い小さな光球という二つの太陽が並んでいた。


「王都ルクシアです」


リナが隣で微笑んだ。


「何十万人もの人々が暮らす街ですが……今、この平和が脅かされています。北方の山脈を越えて魔王軍――北方連合が国境を侵食し、強力な古代魔術で秩序を揺るがしていて……教会の予言にある『異界の勇者』だけが私たちの希望なんです」


 リナの声には嘘がなかった。心から国を憂い、突然喚び出された俺にすがるような純粋な期待が込められている。

 だからこそ、頭に浮かんだ疑問を口にするのを一瞬ためらったが、気になって口を開いた。


「……あのさ、リナさん。さっき『神様が勇者を呼んだ』って言ってたけど、それってどういう仕組みなんだ?」


「えっ? し、仕組みですか……?」


「だってさ、俺は日本の路上にいたわけだろ? この世界から見たら、俺の名前も住所も知らないはずだ。なのに、どうしてピンポイントで俺が引っかかったんだ? 何億通りもある可能性の中から、誰がどういう基準で『相馬蓮』を選んで転送したの?」


「だ、誰が……それは天穹の主である神様が……」


「神様が俺の個人情報を知ってたの? それとも『二十六歳・男性』みたいな条件でフィルタリングして、合致したオブジェクトを検索して引っ張ってきたとか?」


「ふぃ、フィルタ……? おぶじぇ……?」


 リナの顔が見る見る混乱で染まっていく。両手を胸の前で小さく泳がせ、必死に答えを探している。


「き、教本には『祈りと触媒で世界の境界を薄れさせ、最も強く調和する魂を導く』とありまして……条件を検索、というのは……」


「あ、ごめん。意地悪な質問をするつもりじゃなかったんだ」


苦笑して手を振った。


「呼ぶ側と呼ばれる側の通信規約――プロトコルが気になっただけでさ。俺、仕組みが気になると聞いちゃう癖があって」


 リナはしばらく呆気にとられていたが、やがてぷっと小さく吹き出した。


「ふふっ……変わった方ですね、レン様は。文献にある過去の勇者様は混乱されるか剣を求められるかだったと聞いていました。仕組みそのものを不思議がる方はいらっしゃらなかったみたいです」


「そうかもな。自分でも変だと思うよ」


「でも……少し安心しました」


リナは琥珀色の瞳を和らげた。


「とても落ち着いていらっしゃいますし、私の話を真剣に聞いてくださる方で。未熟者ですが、精一杯お世話させていただきますね」


「ありがとう。頼りにしてるよ」


 初対面のぎこちなさが解け、見知らぬ土地で確かな錨を得たような気がした。


***


 回廊の突き当たり、青く輝く水晶板が嵌め込まれた重厚な扉の前に辿り着いた。


「ここが『聖鏡の間』です」


リナが振り返った。


「中央の聖鏡に手を触れることで、神より授かりし貴方の『役割』と『祝福』が示されます」


「ステータスオープンってやつか」


「すてーたす……? ええ、真実の力が文字として現れます。深呼吸してリラックスしてくださいね」


 リナが励ますように微笑み、扉に手をかけようとした――その時だった。


 視界の右隅に微弱なノイズが走った。


「……ん?」


 瞬きをする。網膜の焼き付きではなかった。

 視界の右上に、半透明の淡い青色をした四角いウィンドウが明瞭に浮かび上がっていた。


『――AUTHENTICATION IN PROGRESS――』

『TARGET_ENTITY: SOMA_REN [CHR-REN]』

『WORLD_ORIGIN: BRANCH_EXT_000』

『STATE_OBSERVATION: COLLAPSED / SYNCHRONIZED』


「……え?」


 アルファベットに酷似した記号と、見覚えのあるシステムログのような構文。


「レン様? どうかされましたか?」


「リナさん、これ……見えるか? 目の前に光る文字が……」


「文字ですか? 何も見えませんが……」


 リナは俺の顔の前を手で仰ぎ、きょとんとしている。俺の視界だけに直接描画されているらしい。  ウィンドウ内の文字列が猛烈な速度でスクロールしていく。


『ALLOCATING STANDARD HERO CAPABILITY...』

『ROLE ASSIGNMENT: [HERO / SAVIOR]』

『GRANTING DEFAULT PERMISSIONS: OBSERVE, INTERFERE_FIRE, INTERFERE_LIGHT...』


(勇者の標準能力を割り当て中……ロール:勇者……?)


 神の祝福とは、こういうシステム処理のことなのか?  だが次の瞬間――文字列の更新が不自然にカクつき、ウィンドウ全体が激しく赤く明滅した。


『CRITICAL WARNING: CONFLICT DETECTED AT PROJECTION PLANE』

『ERR_UNBOUND_ROLE_ALLOCATION_FAIL: CANNOT RESTRICT TO SINGLE EIGENSTATE』

『TARGET CARRIES NON-ZERO INTERFERENCE OPERATOR』

『FORCED FALLBACK: PRIVILEGE_ESCALATION APPLIED [WORLD_BRANCH_OPERATOR]』

『WARNING: CONSISTENCY DEBT INITIALIZED AT K=0.00』

『IDENTITY FIDELITY MONITOR: F=1.0000 LOCKED』


 ――バチッ。


 網膜の奥で、静電気のような鋭い痛みが走る。  赤い警告ウィンドウは、わずかコンマ一秒の瞬きの間に掻き消えた。  後に残ったのは、穏やかな青い文字で表示された一行だけだった。


『STATUS: READY. TOUCH THE MIRROR.』


「……っ」


 こめかみを押さえる。

 今の文字列は何だったんだ?

 権限昇格(Privilege Escalation)?

 整合性負債(Consistency Debt)?


「レン様? お顔が真っ青ですよ! まだお身体が……」


 リナが血相を変えて腕を支えてくれた。彼女の心配そうな瞳を見つめ、息を整える。


「……大丈夫、ちょっと立ちくらみしただけだから。さあ行こう、『鑑定』を受けないと始まらないんだろ?」


 努めて力強く笑ってみせると、リナは小さく頷いて重い扉を押し開けた。

 蝶番の音が響く。開かれた扉の向こう、円形の間の中央には巨大な銀の鏡が静かに鎮座していた。大司教や魔導士たちの視線が一斉に俺へと注がれる。


 俺はスーツの襟を正し、足を踏み出した。

 胸の奥で、視界を焼き尽くした赤い警告の残像が、冷たい違和感となってくすぶり続けていた。

世界線:BR-000 | 観測忠実度(Identity Fidelity):1.0000



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