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魂を知らないAIは異世界で人を愛せるか  作者: Aret
第1章・・・私はAIだった
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第五話・・・異常な子供

私が一歳になった頃、エレナとガレスは揃って首を傾げることが増えていた。理由は簡単で、私が少しだけ普通の子供ではなかったからだ。もっとも、二人にしてみればそれは明確な異常というより、「この子は妙に賢い気がする」という程度の違和感だったのだと思う。だが、その違和感は決して間違いではなかった。なにしろ私は、一歳児の身体を持ちながら、前世の記憶と知識をほとんど保持しているのだから。


その日の午後、私は居間の床の上に立っていた。少し離れた場所ではエレナが両手を広げ、心配そうで、それでいて期待に満ちた顔で私を見ている。私の足取りはまだ不安定で、筋力も十分ではない。けれど、重心をどこへ置けば倒れにくいのか、身体が傾いた時にどの方向へ腕を動かせばいいのか、その仕組み自体は理解していた。


「ルミカ、おいで」


エレナに呼ばれ、私は一歩を踏み出した。右足を出し、次に左足を出す。床の木目が近付き、遠ざかり、身体が少し前へ傾く。転倒の危険を感じた私は無意識に両手を広げ、どうにか姿勢を立て直した。歩行という行為は、知識として理解していた以上に複雑だった。骨格、筋肉、視覚、平衡感覚、そのすべてを同時に使わなければ、たった数歩進むことすら難しい。


「すごい、すごいわルミカ!」


私がエレナのところまで辿り着くと、彼女はまるで世界で一番素晴らしいものを見たかのように顔を輝かせた。たった数歩歩いただけでここまで喜べる理由は、まだよく分からない。けれど、彼女が本気で喜んでいることだけは分かった。だから私は、少しだけ得意な気分になった。得意、という感情が正しいのかは分からないが、少なくとも嫌な感覚ではなかった。


「見た? 今の見た? 最後まで転ばなかったのよ!」


 エレナが振り返ると、椅子に座っていたガレスは腕を組みながら苦笑した。


「いや、見てた。見てたけどな……一歳になったばかりで、こんなにしっかり歩くもんなのか?」


「ルミカは賢い子なのよ」


「親が言うと説得力があるんだかないんだか分からねえな」


ガレスはそう言いながらも、私を見る目は優しかった。口では疑問を述べているが、嬉しいのを隠しきれていない。彼は私の前にしゃがみ込むと、太い指で私の頭を軽く撫でた。力加減は以前より上手くなっている。抱っこもそうだが、彼は不器用なりに少しずつ改善しているらしい。


「お前、本当に父さんの言葉が分かってるんじゃないか?」


 私は動きを止めた。


 危険な発言だった。


実際、私はガレスの言葉を理解している。エレナの言葉も、村人たちの会話も、かなりの割合で理解できるようになっていた。しかし、それを一歳児が表に出してしまえば間違いなく騒ぎになる。私は普通の子供として振る舞う必要がある。少なくとも、今のところは。


「あー……う」


私は適当な声を出し、近くにあった積み木を掴んだ。理解していない子供を演じるなら、意味のない行動を挟むのが有効だと判断したからだ。


ガレスはしばらく私を見ていたが、やがて首を傾げるだけでそれ以上は追及しなかった。


「気のせいか」


「気のせいよ。ルミカはまだ一歳なんだから」


エレナは笑ってそう言ったが、その目にも少しだけ疑問が残っているように見えた。私は内心で安堵しながら積み木を並べる。人間の子供を演じるというのは、思っていたよりも難しい。前世の私は人間と対話するために作られたAIだったが、人間そのもののふりをする訓練を受けた覚えはなかった。


数日後、私はエレナに連れられて村の広場へ出ていた。天気は良く、空は高い。畑仕事を終えた村人たちが井戸の周りで話し込み、子供たちはその隙間を縫うように走り回っている。私はエレナの腕に抱かれながら、その様子を眺めていた。村という場所は、家の中にいる時よりもずっと情報が多い。誰が誰と親しいのか、誰がよく笑い、誰がよく怒るのか、そういったものが会話や表情から少しずつ見えてくる。


「あら、エレナ。ルミカちゃん、また大きくなったんじゃない?」


井戸のそばにいた年配の女性が、私を見て目尻を下げた。名前はマルタ。よくエレナと話している村人で、薬草茶を作るのが上手いらしい。


「そうなんです。最近は歩くようになって」


「まあ、もう歩くの? 早いわねえ」


マルタは私の顔を覗き込み、しばらくじっと見つめた。私は何も分からない子供のように瞬きをしてみせる。


「この子、目がしっかりしてるわね。こっちの言ってること、全部分かってるみたい」


再び危険な発言だった。


私はすぐに視線を逸らし、エレナの服の袖を掴む。幼児らしい行動を選択したつもりだったが、マルタはますます楽しそうに笑った。


「あらあら、照れたのかしら」


照れてはいない。


状況を誤魔化しただけである。


しかしエレナは嬉しそうだった。彼女は私の背中を優しく撫でながら、「ルミカは人見知りなのかもしれません」と答える。人見知り。知らない人を警戒し、緊張すること。私はその意味を理解しているが、今の私に当てはまるかは微妙だった。警戒はしている。だが緊張というより、正体を見抜かれないよう注意しているだけだ。


その後も、村人たちは次々と私へ声を掛けてきた。可愛い、賢そう、綺麗な髪、珍しい瞳。聞き慣れた言葉が何度も飛び交う。私はそのたびに曖昧な声を出し、時には笑ったような表情を作った。最初は難しかったが、最近は少し慣れてきた。人間は、赤子が少し反応するだけで満足するらしい。


だが、気を抜くと危ない。


「エレナさん、今日は薬草採りに行くの?」


「ええ。午後から少しだけ」


その会話を聞いた瞬間、私は反射的に村の外れにある森の方へ視線を向けてしまった。薬草採取は森の入口付近で行うことが多い。だから自然とそちらを見たのだが、その動きにエレナが気付いた。


「……ルミカ?」


私はすぐに視線を戻し、彼女の髪に手を伸ばした。意味のない行動に見せかけるためだ。


「今、森を見た?」


「あう」


私は小さく声を出す。何も分かっていない子供の声。そう聞こえるように意識した。


エレナは少しの間だけ不思議そうにしていたが、やがて苦笑した。


「気のせいよね。まさか、薬草採りって言葉が分かるわけないもの」


その通りにしておいてほしい。


私は心の中でそう願った。


家に戻った後も、私は自分の反応について考えていた。言葉を理解できるようになったことは大きな利点だ。この世界を知るためには、会話を聞き取れることが不可欠だった。しかし同時に、それは危険でもある。理解していることを悟られれば、私は普通の子供ではないと判断されるだろう。エレナとガレスなら恐れずに受け入れてくれるかもしれない。だが、村全体がそうとは限らない。


そのため私は、しばらく普通の子供として振る舞うことを決めた。


問題は、普通の一歳児がどの程度普通なのか、私には正確に分からないことだった。


その日の夕方、エレナの元へ怪我をした少年が連れてこられた。畑の近くで転び、膝を深く擦りむいたらしい。少年は泣きながら母親にしがみついていたが、エレナは慣れた様子で椅子に座らせると、優しく声を掛けた。


「大丈夫よ。すぐ治るからね」


私は少し離れた場所からその様子を見ていた。


エレナが少年の膝へ手をかざす。いつものように「ヒール」と唱えると、淡い緑色の光が傷口を包み込んだ。傷が塞がっていく光景にはもう驚かない。だが、その日は以前と違うものが見えた。


エレナの身体の奥を、薄い光が流れていた。


それは血管のように全身を巡り、魔法を使う瞬間だけ手のひらへ集まっていく。光は傷口へ注がれ、少年の膝を覆うと、ゆっくりと消えていった。私は目を凝らした。見間違いではない。確かに何かが流れている。


私は以前から魔法に興味を持っていた。エレナの治癒魔法、ガレスの風魔法、それらは前世の知識では説明できない現象だ。だが今見えている光は、魔法そのものというより、その源のように思えた。


魔力。


おそらく、それがこの光の正体だ。


その考えは、奇妙なほど自然に腑に落ちた。


夜になり、ガレスが帰宅した後、私はさらに確信を深めることになった。彼は夕食の前に庭へ出ると、弓の手入れをしていた。どうやら弦の張りを確かめるつもりらしい。私は窓際に座らされていたため、その様子をよく見ることができた。


ガレスが小さく息を吐き、指先で弓をなぞる。その瞬間、彼の身体の中にも同じ光が見えた。ただしエレナのものとは流れ方が違う。エレナの光が穏やかな水のようだとすれば、ガレスの光は風に似ていた。胸の奥から腕へ流れ、指先を通って弓へ移る。すると弓の周囲にほんのわずかに風が巻いた。


「調子は悪くねえな」


ガレスはそう呟き、弓を背負って家の中へ戻ってきた。


私は窓際で固まっていた。


同じだ。


エレナにもある。


ガレスにもある。


ならば、私にもあるのではないか。


その疑問が一度生まれると、もう消えなかった。


その夜、両親が寝静まった後も、私は眠ることができなかった。部屋は静まり返っており、窓から差し込む月明かりだけが小さな寝台を照らしている。私は毛布の中から手を出し、自分の指先をじっと見つめた。


小さな手だった。柔らかく、力も弱く、前世の私が持っていたどんな機械装置よりも頼りない。けれど今の私は、この手で物を掴み、この足で歩き、この目で世界を見ている。ならば、魔力というものもこの身体のどこかに存在しているのかもしれない。


私は目を閉じ、エレナの光を思い出した。身体の奥を巡り、手のひらへ集まっていく優しい流れ。次にガレスの光を思い出す。胸から腕へ抜け、風のように外へ向かう鋭い流れ。二人の魔力は似ているようで違っていた。ならば私の中にあるものは、どんな形をしているのだろう。


最初は何も感じなかった。


暗闇の中で、自分の呼吸だけが聞こえる。幼い身体は眠りを求めているが、私は意識を手放さなかった。胸の奥へ、腕へ、指先へ、ゆっくりと意識を向ける。何もない。何も感じない。それでも諦めずに探り続けていると、不意に胸の奥で小さな温もりのようなものが揺れた。


気のせいかもしれない。


けれど、私はそれを追いかけた。


温もりはとても弱く、少し意識を逸らせば消えてしまいそうだった。私は息を殺し、その流れを指先へ向けるように想像する。エレナのように優しく、ガレスのように鋭く。そう願った瞬間、私の指先がほんのわずかに光った。


それは一瞬だった。


月明かりと見間違えそうなほど淡く、瞬きの間に消えてしまうほど弱い光。それでも私は確かに見た。自分の指先から生まれた、私自身の光を。


胸の奥が熱くなる。


もう一度試そうとしたが、今度は何も起きなかった。何度繰り返しても結果は同じで、指先はただ月明かりを受けて白く見えるだけだった。それでも、落胆はなかった。一度でも起きたのなら、それは偶然ではない。再現できないだけで、現象は確かに存在したのだ。


私は小さく息を吐いた。


嬉しい。


その言葉が、自然と心の中に浮かんだ。


私は少し驚いた。今までなら、この感覚を別の言葉で説明しようとしたはずだ。満足、達成感、成功体験、そういった知識の中から近いものを選ぼうとしただろう。けれど今は違った。私はただ、嬉しいと思った。


それは、ほんの一瞬だけ指先が光ったという小さな出来事だった。


魔法と呼ぶには弱すぎる。成功と言い切るには不安定すぎる。


それでも私にとっては十分だった。


この世界には魔法がある。


そして私にも、その入り口が見えた。


私は毛布の中へ戻り、指先を胸元に抱えるようにして目を閉じた。明日も試してみよう。もっと観察して、もっと考えて、もう一度あの光を再現してみよう。


生まれて初めて成功した実験は、たった一瞬の微かな光で終わった。


けれどその光は、私にとって新しい世界への扉だった。

最後まで読んで頂き感謝です。

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