第20話 海が荒れた日
冬の海が牙をむくと、港町は一日で別の顔になる。
大市を目前に控えたその朝、外は暴風だった。沖の船は入れず、桟橋は封鎖、倉庫の縄は鳴り、空には鉛みたいな雲が垂れ込める。夕凪染房へ届くはずの染料と布地も、沖待ちのまま止まってしまった。
「間に合わない……」
誰かが呟く。
だが、そこで立ち止まる者ばかりではなかった。デスポットが港全体の動きを組み替え、臨時の陸路を指示する。サルコは雨具を締め直し、山側の道へ駆けた。濡れた石畳を蹴る足音は、嵐の中でも妙にはっきり響く。
ギルドの仮設室では、《オレンジ》が久しぶりに本気の計算を吐き出していた。配送可能時間、風向き、積載量、代替動線。橙色の魔導板に数字が流れる。
「このまま従えば、最短で二割は救えます」
クロディアナが言う。
「でも、山側の道は昨日崩れかけていた」
アルカディウスが地図を押さえる。
「現場の勘では?」
「午前は無理。陽が少し差したら、水が引く箇所がある」
《オレンジ》の計算と、人の記憶と経験。その二つを重ねると、かすかな生き残りの道が見えた。
ルラは店で在庫を広げ、今ある色で代替できる配合を考えた。完全な同色にできなくても、贈る気持ちが途切れないならよい。そう割り切るしかない。
「足りない分は?」
ボンカが息を切らして駆け込む。
「端切れを継ぎます」
「記念布に?」
「だからこそです。継ぎ目も一つの模様にする」
嵐の中、町じゅうが持ち場で動いた。誰かが走り、誰かが書き、誰かが火を守る。止まった船便を前にしても、トラモアはまだ諦めていなかった。
夕方近く、ずぶ濡れのサルコが荷を背負って戻ってきた。必要な染料が半分、布地が三反。充分ではない。だが、絶望するには多すぎる量だった。
「助かりました!」
「礼はあとだ。まだ運ぶ」
アルカディウスは濡れた地図の上に新しい線を引く。
「まだ間に合います。人と《オレンジ》、両方使えば」
嵐の音に負けない声だった。道具と現場は敵ではない。そのことを証明するのは、いつだって極端な日だ。海が荒れたその日、町は初めて、本当の意味で同じ方向を向き始めた。




