第14話 偽物の恋でもよかった
王都への異動の話を、ルラはボンカの口から知った。
「聞いた? アルカディウスさん、大市がうまくいったら王都へ呼ばれるかもしれないって」
「……誰から」
「湯屋で酔った事務係」
情報源はどうしようもないのに、こういう話だけは外れないのが港町の厄介なところだ。
その日の夕方、ルラは荷札を束ねるアルカディウスの横顔を盗み見た。彼はいつも通りで、いつも通りすぎて、だからこそ何も聞けない。王都へ行くのか。行くなら、ここでの約束はどうなるのか。聞いた瞬間、今の穏やかさが壊れそうで、怖かった。
夜、染め場で一人になると、母の染料帳の背を指でなぞりながら考える。
この人が来てくれたから、店は持ちこたえている。
この人が整えてくれた帳場のおかげで、審査にも向き合える。
この人が笑ってくれると、私はちゃんと大丈夫な顔をつくれる。
なら、王都へ行く道を邪魔してはいけない。
「偽物の恋でもよかった」
口に出すと、思ったより痛かった。よかったはずだ。助けてもらえた。店も守れるかもしれない。それなのに、胸のどこかが納得しない。
閉店後、アルカディウスが帳簿を届けに来た。ルラは平静を装って受け取る。
「大市の責任者候補として、正式に名前が挙がりました」
「そうですか。おめでとうございます」
「まだ決まっていません」
「でも、ふさわしいです」
アルカディウスはそこで少しだけ黙った。彼女の声がいつもより整いすぎていることに気づいたのかもしれない。
「……王都の件も、耳に入りましたか」
「港町は、そういうところです」
「私はまだ返事をしていません」
「あなたが決めることです」
言えたのは、それだけだった。笑って送り出そうとしたのに、最後の一礼が少し深くなりすぎる。アルカディウスは何か言いかけたが、結局「おやすみなさい」とだけ残して帰った。
戸を閉めたあと、ルラは静かな店内で膝を抱えた。好きになったぶんだけ、自分の願いがわがままに見える。ここにいてほしいと思うことが、彼の先を塞ぐようで怖い。
偽物の恋でもよかった。
そこまで助けてもらえたから。
何度そう言い聞かせても、心は少しも従わなかった。




