第12話 温める、という仕事
忙しさが続くと、人は自分が疲れていることに鈍くなる。
ルラもそうだった。朝から晩まで染め、洗い、干し、客の相談を聞き、帳場の数字を合わせる。眠るときには腕が勝手に湯をかき混ぜる形で固まっているほどなのに、止まれば不安が追いついてきそうで、止まれない。
それを止めたのはジェスパーだった。診療所の帰りに店へ寄るなり、彼はルラの手首を軽く取り、脈を測る。
「眠れてる?」
「それなりに」
「それなり、はだいたい不足の言い換えだ」
「医者って嫌ですね」
「患者にだけ言われる台詞だな」
ジェスパーは帳場にいたアルカディウスへ向く。
「今日の午後、彼女を休ませて」
「承知しました」
「本人の意思は?」
「却下です」
「却下されました」
あまりにも自然に話が進むので、ルラは抗議したが、二対一では分が悪い。結局、午後の作業から外され、店の奥の長椅子へ座らされた。
その間、アルカディウスが店番を引き受けた。ぎこちないながらも客の要件を聞き、色見本を取り、染め場の火加減を見て、慣れない鍋まで覗き込む。夕方には台所でスープを温めていた。
「味の保証はできません」
「怖い前置きですね」
「ただ温めただけです」
「それなら大丈夫そう」
差し出された器は、思ったよりちゃんと温かかった。具材も崩れていない。アルカディウスは、何かを雑に扱うことができない人なのだろう。
「……こんなふうに、世話をされる側になるの、久しぶりです」
「慣れなくても構いません。今日は受け取ってください」
「命令形」
「お願いのつもりでした」
「そのへんが少し惜しいんですよね」
ルラは匙を口に運び、思わず目を細めた。塩加減は少し薄い。でも、疲れた胃にはちょうどよかった。
「おいしいです」
「本当ですか」
「少なくとも、気持ちは」
「そこは味を褒めてほしかったです」
「欲張りですね」
ふたりで笑ったあと、店の中に短い静けさが落ちる。戸口の布が風に揺れ、夕陽が床に長く伸びていた。
ルラは器を両手で包みながら、ふと思う。この人といる時間が、好きだ。派手な言葉をもらう瞬間だけではない。火を弱める音、器を温める手つき、無理を見抜いて勝手に椅子を引くところ。そういう細部が、心にじわじわ残る。
好きになってはいけない相手ではない。けれど、好きになってしまえば苦しい相手だ。冬の大市が終われば、この関係は本来の名札を失う。わかっているのに、ルラはその日のぬるいスープの温度を、ずっと忘れられない気がした。




