第10話 笑う傍観者は全部見ている
ボンカは、自分のことを傍観者だと言い張る。
「私は見るだけ。面白くなったら笑うだけ」
けれど、茶屋兼湯屋の娘という立場ほど、町のあらゆる顔が集まる場所もない。朝は船乗りが汗を流し、昼は商人が愚痴をこぼし、夜は恋人たちが湯上がりの火照った顔で寄ってくる。誰が誰を見ているか、誰が何を隠しているか、ボンカはだいたい知っていた。
その日も、彼女は湯屋の帳場で瓜の種を噛みながら、夕凪染房のふたりを眺めていた。
「見て見て、ルラちゃん、あの人が来ると無意識に髪を耳にかけるの」
「おまえは他人の仕草を数えて生きてるのか」
「そうよ。港町はそれで回ってるの」
冗談めかして言いながら、ボンカの頭の中では、別の記憶が引っかかっていた。数年前、まだルラの母が生きていたころ。高価そうな外套を着た若い視察係が、夕凪染房へ何度も出入りしていた。若いのに妙に背筋が伸びていて、誰にもこびない目をしていた女。
あれは、誰だったか。
夕方、ボンカは湯屋帰りのジェスパーを捕まえ、思い出話を始めた。
「昔さ、海運商会のえらそうな娘、来てなかった?」
「えらそうな娘、では候補が多いな」
「もっとこう、氷みたいな顔の」
「ああ……もしかして」
そのタイミングで、ちょうど商会の使いが湯屋へ立ち寄った。帳面に記された商会印を見て、ボンカはぱちんと指を鳴らす。
「クロディアナだ」
名前を口にした瞬間、記憶の輪郭が一気につながった。ルラの母と言葉を交わし、布を何枚も見ていた若い女。あのころは今より少し痩せていて、でも目の強さは同じだった。
「なんで今さら思い出すのよ、私」
ボンカはその足で夕凪染房へ飛んだ。戸を開けるなり、息を弾ませる。
「ルラちゃん! 前に来てた商会の視察係、思い出した! 今のクロディアナだよ!」
ルラの手から、仕上げ前の布がするりと落ちた。
「……え?」
「何度も来てた。あんたのお母さんと話してた。怒ってるときもあったし、黙って布を見てるときもあった」
「それ、確かなんですか」
アルカディウスの声が低くなる。
「私の噂耳をなめないで」
ボンカは胸を張ったが、次の瞬間には少しだけ真顔になった。
「ただね。あの人、買い叩きに来た顔じゃなかった。なにか、わからないことを持って帰れなくて、何度も来てた顔だった」
笑ってばかりの傍観者は、ときどき誰よりも正確に人の顔を覚えている。その証言は、切り取られた頁の向こう側に、クロディアナという名前を静かに浮かび上がらせた。




