とある少女の新生譚1
高校3年生の夏には遊ぶ時間は無い。
世間一般には夏休みと呼ばれているものも、殆どの時間を勉強に充てなければいけない。
そしてそれは、現代の日本ではごくありふれたものとして人々の根幹に根付き、疑問を呈す余地すら生まない。
だからなのか、特に将来の事を考えてないウチも周囲に子らに合わせて勉強している。
いやちゃうな、勉強しているフリをしている、やな。
正直、面倒くさいしやる気もおきひん。
親や担任の先生から大学に行った方がいいと言われてるからやってるだけ。
別に行きたい大学もないし、就職するにはもう時期的に遅いから仕方なく受験生してるって感じやな。まあ就活してなかったのは、ウチの通う学校は普通科で九割以上の生徒が大学受験するらしいから、気が付いた時にはもう遅かったってだけやけど。
あぁほんま、面倒くさーてしゃーない。
去年の夏の楽しかった出来事を思い出しながら、揺れが大きくなった電車の中で立ち上がる。
家の最寄り駅に到着した電車は乗客を乗せ替え終わった後、次の駅に向け走り出す。
ウチは走り出した電車を一瞥もする事なくスクールバッグからワイヤレスイヤホンを取り出し耳に嵌め、サブスクリプションに登録している音楽アプリを起動し好きなバンドを流す。
改札を越え駅から出て、家を目指して歩く。
休みなのに塾のためだけに電車に乗せられ、一日の大半を勉強に費やし、帰ってくるのは辺りが暗くなってから。
ほんま、受験生っていうのは最悪やな。やりたくもないことやらされて、お金まで出して貰えるんやから。
駅から家までは徒歩十五分ぐらい。その間は勉強のことなんか一切考えない。帰ったら寝るまでの間、配信を垂れ流しつつ大人気FPSゲームの『Peak Legendary』でストレス発散といこう。ウチの家の良いところは、ある程度の勉強ができてたら少しぐらいの娯楽が許されてる所やな。
勉強できたとて、将来何がしたいかなんてわからない。まあ、ちょっとなれたらいいなって思った職業はあるけども。
でも誰にも言ったことはない。ウチが声優になりたい、なんて言っても周りに笑われそうやから。……大学に行ったらバイトしつつ、養成所に通うのもありかもな。
なんて考えてると家まで五分ぐらいの距離になっていた。大通りから小道に入り、街灯の少ない道を歩く。よく言う閑静な住宅街、というやつなんかな。
この時間には珍しくすれ違う人が居て(あの人えらい距離の近い位置歩いてたなー)なんて思いつつ素通りした。
家に帰ったらご飯とお風呂をチャチャっと終わらしますかーと考えてると、急に体に衝撃があった。
その直後、後ろ右脇腹が途轍もなく熱くなる。今までに体験したことのない熱さにウチは立っていられなくなり、倒れ込んでしまう。
倒れた衝撃からかイヤホンが片方外れ、周囲の音が認識できるようになった。大通りを走る自動車の音、頬を撫でる程度の風の音、微かに聞こえる男の人の声。
そこで近くに男の人が居ることを知り、倒れた姿勢のままその男の人を見上げた。
そこには小太りの中年ぐらいのおじさんが立っていて、顔にはレディースショーツを被り手には包丁らしき物を持っている。
その包丁を目にしてから、ウチが感じていた熱さは痛みへと変わり、まともな思考ができなくなる。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 何なん何なん何なん!? 何があったん!? 何が起きたん!? 何でこんな痛いん!? このおっさんがウチを刺したん!? え? なんで? わからん訳わからん意味わからん! 誰なんこのおっさん!? 誰なん知らんやんウチら知り合いちゃうやん意味わからんやん痛いんやけどめっちゃ痛いんやけど意味わからんやん意味不明やん理解できひんねんけど! なあ!)
今までに味わったことのない嫌な痛みで出る脂汗と冷や汗が合わさり、体が気持ち悪い。少しずつ足先も冷えてきた気もする。
ウチの思考が痛みに支配されている中、目の前のおっさんが何かぶつぶつ呟いているのに気が付き痛みに耐えながら聴き取ろうと意識を向ける。
「でゅふ、でゅひ、か、可愛いからって、無視はいけないんだな。ぼ、ボクみたいなキモデブは生きる価値がないって? でゅふぃふ、そ、それはお前達が勝手に決め付けたことなんだよな〜、お前らの価値観を押し付けないで頂きたしっ、でゅふふ。ま、まぁ、それすら理解できる頭脳は持っていないでしょうがっ、ぷふー。可愛いは正義っていうのは二次元だけの特権で三次元に生きる貴女方は適応外なのをご存知ない感じですかな〜? ん? 女なんてちょっと脅せばぴえんぱおんの涙で許して下さいって謝ってくるんだから最初から男に媚び売ってご奉仕すればいいんだよクソが」
気持ち悪い。この目の前にいる悪意だけを固めたようなドス黒い化け物が気持ち悪くて仕方ない。
このおっさんは、勝手な理由をこじつけて被害者面してウチを襲ったってこと?
刺された痛みと目の前のおっさんの意味のわからなさから怒りが芽生え、ウチはつい汚い言葉をおっさんに言ってしまった。
「おいおっさん……。何にそんなお熱なんか知らんけど、被害者面していいのはお前じゃないから。ウチが被害者やから、おっさんは加害者なんだよタコがっ。……病んでんなら精神病棟行くか一人で居なくなってくれよ関係ないこっちまで巻き込むなやこのキモデ━━」
途中で右の頬に衝撃があった。殴られたんだろう。さっきまでは手で支えていたから上半身は起こしていたけど、今ので完全に横たわる。
横たわったウチの上におっさんが乗っかってくる。太ってるだけの事はありかなり重く、刺された傷口に激痛が走り、呻き声が漏れる。
おっさんは顔を真っ赤にし、ぷるぷると震えながらこっちを睨みつけている。
そこでウチは(あぁ、いらんこと言ってしまったなー)と思った。
おっさんの頭より高く上げた手が、ウチに向かって振り下ろされる。
ドスッ、ドスッ、と音と共に激痛が至る所に走り、少しずつ意識が遠のいていく。
高校を選んだ理由の可愛いセーラー服はズタズタに引き裂かれていき、夏服タイプの純白な上着は紅く染まっていった。
片耳に残ったイヤホンからは好きなバンドの曲が流れ続けている。それはまるで子守唄のようでありつつも、人魚の歌のようにウチの意識を混濁へと誘っていった。
目を開けるとそこは、何もない真っ白な空間やった。




