第92話:少女達の姿が見当たりません
ドライヤー掛けが終わり、出来上がり具合の確認を正面の鏡で行った後、アリアはいつもの見慣れた素朴な色合いの薄緑色のみのワンピースに袖を通していった。
着終わった後、しわを直す素振りでほんの数秒胸に手を置き、小さく慈しむ様な笑みを浮かべた。
感触はまだ幾ばくも感じられない。むしろ、運動不足だった前の30代の男の頃の方が、まだ、怠惰という脂肪としての感触があった。でもそれでも、今はいいと、嬉しさと感謝をこもごも浮かべながら、静かに手を降ろしていった。
そこから、アリアに全力投球を捧げていたタオルのみの恰好だったシオンが支度を終えるまで待って、メイドさん達、皆に盛大に見送られて、脱衣所を後にした。
脱衣所すぐの廊下を歩いていると、何かが勢い良く飛び散った横長の赤茶けた跡があったりしたが、別段アリアの意識には上らず、すんなりと男女に分かれる大浴場前の廊下へと歩いていった。
そしてその後、何事もなく、お風呂場で会ったフウ達とシオン、ローズと共に、他愛のない会話をしつつ、自分の部屋までの道程を進んで行くのであった。
だが、その最中、そういえばと、いつも見るメイドさん達は全員いたが、先日保護した5人の少女達がいなかったことを思い出し、少しばかり気掛かりさを感じたりもしたのであった。
シオン達が部屋から退室し1人となった途端に、待っていましたとばかりに素に戻ると、アリアは一も二も無くベッドへと大ダイブをかましていった。
ぼぶっと布団が鳴り、微かに軋みを上げるベッド、その上に仰向けに寝転がる。
(くぅ~~!)
毎回思うが、この開放感が堪らない。
両手両足を遠慮なく投げ出し、伸ばし、豪快な大の字を描き出す。
う~んと気持ち良く息を吐き、溜まった抑圧を長く吐き出すと、ぼんやりと天井を眺めていく。
(今日も無事、乗り切ったな)
健診に、アロハシャツのぶっ飛んだ主治医テクノ、危険な香り漂う看護師シアンと生真面目な、タイトスカートから覗く太ももが魅惑的な女医さんのクロム達との出会い。それに、年齢にそぐわない成長具合での動揺と、心の準備もなく突然着せられたいつもとは違う胸部が包み込む様に柔らかくなったキャミソールにも動揺し見苦しさを見せた自分自身。それらの記憶が否応なく脳裏に去来し、一転仰向けからベッドに顔を埋め、悶絶を始める。
「~~~~~!!」
声にならないうめき声をベッドに向けて発する。
何度も何度も不安になったり悲しんだり動揺する未熟な自分のリプレイ映像が頭の中に流れ、その都度、羞恥心で悶絶しベッドの上をワンピースが捲れ上がることもお構いなしにのたうち回る。その後落ち着くまで、羞恥心に呻き苦しめられていく。
落ち着きを取り戻すと、もう金輪際、醜態は晒さないと固く心に誓ったアリアは、お風呂の帰り道で気付いた事をここで思い返していった。
「そういえば、一昨日保護された少女達がいなかったよな?」
疑問を呟き、もう一度記憶を遡り、お風呂の時の光景を思い出していく。
けれどもやっぱり、5人の姿はそこになかった。
(単純に恥ずかしかっただけか)
確かに、そうかもしれないと納得を得た様に感じられた。しかし、すぐに、別の考えが思いがけず、意識に上って来る。
(いやもしかしたら、気まずさもあるのかも。知らない家だし、ましてや貴族の屋敷だし)
そう内心で呟いてみたが、どうもしっくりこない。なので、もう一段階深く思考を巡らせていく。すると、これに合致する答えがアリアの内心に浮かんだ。けれども、それは先程までとは毛色の違う陰鬱なものであった。だから、深刻な声音の様に内心で零す。
(・・・あんな目に遭ったんだもんな・・・)
野盗に襲われる。そこで下手をすれば、人の尊厳なんて一切ないただの惨い生が待っていた可能性だってあった訳だ。だが、しかし、それ以前の裏切りも大きく彼女達を苦しめているようにも感じられた。
(・・・あと一歩で身売りされる所だったんだよな。不安だし、閉ざされかけた運命に恐怖もするよ。どんな風に孤児院から送り出されたんだろう。輝かしい未来が待ってるよって、嘘で塗り固められた言葉で送り出されたのか?その裏に、卑しい金と欲望が関わる大人の汚い思惑がある中で)
そう少女達について想像していくアリアは、その想像に自身を重ねていって、心が急に苦しくなった。
「俺もそっち側になってた可能性だってあるんだよな・・・」
ぽつりと呟き、重ねた彼女達の境遇を脳裏で想像する。途端、毎日優しく接してくれていた孤児院の先生たちの裏切りに気付いた時の絶望に目の前が真っ暗になった。
もう逃げられない、身売りされた奉公先への馬車の中、自身の運命を恨み絶望し、涙を流しながら、受け入れざるを得ない生無き人生。
悔しい、悔しい、悔しい、何で私達だけが、何で。
呪詛の様にもう意味がない恨みをただ唱えるだけの時間。
馬車の車窓からの眺めが後ろに流れゆくことが、破滅へのカウントダウン。
逃げるなんて考える余裕ももうない、いつ着くとも分からない恐怖の中、追い詰められていく精神。
そんな異常な精神が導き出す解は、ただ一つの誤った、ここで楽・・・。
と、そこまで考えそうになった時、唐突に我に返った。いや、目が覚めた。
いつの間にか寝落ちしていた事に、跳ね上げた身体で周りを見渡した時に気が付いた。
(・・・疲れが溜まってるのかもね)
寝汗でべたつく身体に肌着が気持ち悪く纏わりつく。
首元を捲ってみるも、じんわりと汗臭さが漂って来るだけ。
前髪もべたつく汗によって額に張り付いていた。
「はぁ~」
折角の入浴後にこれかと、大きなため息がつい零れ落ちてしまう。
そして、目元を手で覆うとした時、その指先に水滴を感じた。
何だと思い、アリアは目元を指でなぞってみた。
すると、なぞった指先に確かに透明な水滴が付着していた。
アリアはベッドの上を移動しベッド脇まで行くと、サイドテーブルから手鏡を手に取る。そして、鏡に自分の顔を映すと、涙で瞳を濡らす顔が見えた。
折角の愛らしいオッドアイの瞳が可哀そうに薄紅に染まってしまっている。
それに、怖い夢を見て泣くとか何歳だよと心の中で愚痴ると同時に、もしも売られる、または、手鏡で少女の顔を見て誘拐の可能性を考えて、改めてこの異世界では前の男の時にはほぼ憂慮されなかった危険があるとして、より一層の注意を心掛けて過ごそうと心に決めた。
(誘拐エンドなんてただ殺されるよりも、惨い死に方になるよな)
ぶるるっと少女の身体をきつく抱き締めた後、微かに滲みが増した瞳から目を離して、手鏡を静かにサイドテーブルに戻した。
そして、ベッドから立ち上がり窓際へと歩いていった。
窓を開け、外の空気を部屋に取り込む。
換気され、今までどんよりと淀んでいた空気が外に抜けていったことからか、少し鬱々としていた気分に明るさが戻ってきた。
そこでもう一度、外の広大な異世界の景色と一緒に、入浴の時に見かけなかった少女達の事を考えていった。
(さっきは思い込みが過ぎたかも。失敗失敗)
てへっと笑う。そして、前置きもそこそこに、本題に入っていく。
(独り暮らしだったからさ、こんなに大勢で風呂に入る機会なんてなかったから、つい嬉しくて自分本位に考えちまった。そうだよね、年頃の娘が大勢で入るなんて恥ずかしいよね。それに、ここに来てまだ3日も経ってないんだ、気まずいに決まってる)
そうポジティブに捉え直して少女達の不在理由に納得を付けると、今後の行動を口に出していった。
「シオンにそれとなく少女達について訊ねてみよう。今日一日会ってないし、やっぱり心配だから。それに手伝いたくもあるじゃん」
自惚れかもしれない。よく同じ境遇に立ったことがない者が軽々しく助けるや救うなんて言うものではないと、耳にすることがあった。でも、単純に、苦しんで人がいるなら助けたいと思うのが今のアリアである。
「誹謗に中傷どんとこい!悪役令嬢になったからには避けては通れぬこの道。覚悟決めなくて、この先やっていけるか!」
負けない気合を入れ直す意味合いで、ネクタイを締めるように、ワンピースの襟元を正す。が、その拍子に漏れた空気に汗の臭いが乗り、「うっ!汗の臭いが」と呻き、締まらない姿で、一応気合の入れ直しを終えたのであった。
再び寝汗問題を思い出したアリアが一先ず着ている服だけは乾かそうとワンピースを脱ぎ綺麗にベッドの上に伸ばしていると、丁度夕食の時間を知らせに来たシオンにその姿を目撃されたのであった。
すると、顔を真っ青に染めたシオンに、「お嬢様、何か打ち明け難いお悩みでもあるのですか」と真剣に詰め寄られ、汗が気になったので乾かそうとしていましたとは流石におバカ過ぎるので言えずに口籠ってしまう。しかし、それを深刻に受け止めてしまったシオンが「悩みを察知できぬ無能者など」と覚悟の決まった顔で口にし、メイド服を豪快に脱ぎ捨てていった。そして、何時ぞや見た小刀を手に「力及ばず、我が主を苦しめし無能者。然れば、この命を以って償いましょう」と述べて、鞘から抜き放ちそうになった。
早まった行動を取りそうなシオンを必死に止めるも、盛大に何かを勘違いしたシオンは止まらない。
「慈しみ深いお嬢様はこの役立たずにも、お情けを掛けて下さるのですね。しかし、責任ある者には、相応のけじめを取らなければならない時もあるのです」
シオンが、よりけじめを取る決意が固まってしまったように感じられた。なので、アリアは、もう呆れられようが、自分に恥ずかしくなろうが構わずに、口を開いていった。
「シオン聞いて、これはですね、・・・」
一瞬、躊躇いが出てしまったが、気合を入れ直して口を開いた。
「シオンこれはですね、汗が気になって脱いだだけです!人によるとは思いますが、こういう臭いに過敏な方もいらっしゃいますよね。ですから、なんとか乾かして誤魔化そ、ごにょごにょ」
最後の方は、おバカだなと思われそうなので、声が小さくなってしまった。
それを聞いたシオンは一瞬固まるも、すぐに顔を安堵に変えて反応を返した。
「そういう訳でしたか。申し訳ございません、早とちり致しました」
そう言うと、小刀を何処かにしまい、すぐにアリアを抱き締めた。
「ご覧ください、お嬢様。シオンは全く、気に致しませんよ。お嬢様はいつも、どんな時でも、かぐわしい香りです。このお屋敷の者は皆、シオン同様そう思っております」
シオンは証明する様に、胸一杯に空気を吸い込んだ。そして、アリアの不安を取り除く様に微笑んでみせる。
アリアはシオンの言葉と行動に安心すると、ホッと胸を撫で下ろし、安堵の緩んだ笑みをシオンに浮かべた。
しかし、そんないじらしい姿を間近で見せられ、尚且つ過度に取り込み過ぎたアリアの香りにシオンが吐血した。
「ぐはっ!!」
身体が幸せ過ぎて拒絶反応を起こしたのであった。
しかし、すぐに口端から垂れる血を手で拭うと、名残惜しいがアリアを胸から離し、静かに立ち上がった。
「アリアお嬢様、お夕食に向かう前にもう一度お風呂に入りましょうか。久しぶりに2人きりで、大きな湯船を独占出来ます・・・ね」
そう言っている最中にその光景を思い浮かべ、今度は鼻から血を吹き出しそうになったシオンであったが、気合で血を止めて、唖然としているアリアを残して、クローゼットへ向かった。
そして、中から新たに着替えを取り出すと、吐血を浴びて赤く染まったメイド服を着てから、アリアに脱いでいたワンピースを着せて、大浴場に向かって行った。
その2人の恰好は、まるでホラー映画に出て来そうな血に染まったメイド服のシオンに、先にメイド服を着たことが仇になった返り血を浴びた様に真っ赤な血が移ったワンピース姿のアリアであった。
幸いにも誰にも見つからずに猟奇的な格好の2人は脱衣所に到着出来たのだが、後にシオンのみ、洗濯係のメイドに呼び出され、茶色く変色した血を落とすのがどれ程大変かと厳しく説教され、こっぴどく絞られたのであった。
その際、一切シオンの身を案じる様子がないのは、流石シオンの部下であると言えるのであった。
もう一度入浴しさっぱりしたアリアとシオンは綺麗な格好に着替えてから、入浴後の爽やかな香りを漂わせながら、本日の夕食が待つ食堂に進んでいた。
もうじき食堂に着く所となった頃、アリアは先程部屋で心配していた事をシオンに訊ねていった。
「ねぇシオン、少し訊きたいことがあるのですが、いいですか?」
「はい!勿論ですよ、お嬢様!!」
喜んで何でも答えるとシオンがどんと構える。
「それじゃあシオン、一昨日お屋敷にやってきた少女達をわたくし、今日は見ていないのだけど、何か不安に思う事でもあったのかしら?もし何かあったのなら、わたくしに出来る事なら何でもしてあげたいの。もう彼女達にはこれ以上の不幸なんて必要ないのだから」
アリアはシオンを真っすぐ見つめ、答えを待つ。
見つめられたシオンは予想外の質問がアリアから飛んできたので、思わず硬直するが、すぐに視線を明後日の方向に向け、何かをはぐらかす様に口を開いていった。
「そ、そうですね。ええ、・・・とても元気に、過ごされていますよ。本日は朝からダニエ・・・、ううん、・・・・・谷へ芝刈りに行っていますよ」
「え、谷へ!?大丈夫なのですか!!」
「・・・ははは、大丈夫ですよ。・・・何人か、部下を付けさせましたから。それに、今さっき帰ってきましたから。ははははは~~」
横に泳いだ目で胡散臭い笑いを零しながら、今考えましたとでもいう理由をアリアに伝えていった、怪しいシオン。
アリアは胡乱気な視線でシオンを見つめるが、目が合いそうになると、すぐにさっとシオンが視線を逸らせる。
そうして、どうにも胡散臭いシオンをじ~と見つめていると、やがてその視線に耐えきれなくなったのか、シオンは逃げる様に口を開いた。
「お嬢様、早く食堂に参りましょう。折角の夕食が冷めてしまいます」
言い終えると、アリアの肩に手を置き、押すように廊下を進んで行った。
結局、少女達の現状は分からずじまいであったが、シオンの様子から察するに特に部屋に閉じこもるようなこともなく、過ごせている姿に安堵を1つ吐けた。
アリアは着いた食堂のドアを軽く開け、中に入っていった。




