第41話:メガネのおかげで、頭が良くなった気がします
カットが終わったアリアは、カットした髪を流しにシャンプー台に移動した。
先程と同じように後ろにゆっくりと身体を倒してから、洗髪を始めていった。
シャンプーを全て洗い流すと、次はトリートメントをしていった。
一旦水気を綺麗にしてから、トリートメントを丁寧に毛先から塗り込み、髪全体までしっかりと馴染ませた。そして、塗り込んだトリートメントをぬめりが残らなくなるまで落としていった。
「やっぱ、櫛の通りと少しパサつく感じが気になったんで、髪のダメージを和らげためにトリートメントをしたんだが、大丈夫だったか?」
「はい、わたくしは全然大丈夫ですよ。ローズに全てを任せます」
シャンプーとリンスしか知らない今のアリアは、トリートメントってなんだ、昨日のコンディショナーもなんなんだ、リンスとどう違うんだ、とたくさんの疑問符を浮かべた。しかし、これからアリアとして生きていくのに必要になりそうな知識だと考えて、必死にシャンプーとリンスしか知らない頭に叩き込んでいった。
アリアが頭の中で、コンディショナー、トリートメントと何度も唱えて、頭に叩き込んでいる内に、ローズは最初の櫛を通した時の感触から髪の滑らかさを出すために、コンディショナーもアリアの髪に施していった。
そして、コンディショナーも流し終え、髪も乾かし終えたアリアは、最初とは見違えるほどのふわっとした髪に仕上がっていた。
アリアは、試しに髪を掬い上げると手をゆっくりと傾けていった。すると、髪が一本一本手の平の上を滑るように流れていった。
サラサラになった髪に感激したアリアは、次に正面の鏡に目を向けた。
前髪がぱっつんにならないぐらいの絶妙な加減での仕上がり、背中に流れる髪もローズの持つ鏡で綺麗に毛先から整う仕上がりを確認することができた。
アリアは弾んだ気持ちの、笑顔浮かぶ顔でローズとスイに振り返った。
「すごいです!物語に出てくるお姫様になった気分です!」
嬉しそうに、はしゃいだ声で2人に語った。
「そうか。そんなに喜んでくれるなら、美容師冥利に尽きるな」
「良かったですね、アリアお嬢様」
ローズとスイが、笑顔溢れるアリアを愛おしそうに見つめて優しく声を掛けた。
「ありがとう」と2人にお返しで微笑むと、アリアはローズに顔を向けた。
「ローズ、わたくしの髪を綺麗に仕上げてくれて本当にありがとうございます。今度もわたくしの髪をカットしてくれますか」
見上げるアリアにローズが、明るく笑い飛ばして答えた。
「任せな。今度もあたいが綺麗にお嬢の髪を仕上げてやるからな」
そう答えるとアリアの頭を優しく撫でた。
「ふふ。温かい手ですね。ローズ、今度もわたくしの髪を切ってくださいね。約束ですよ」
アリアは明るく朗らかな笑顔をローズに向けて、そう言葉を掛けた。
「ああ、勿論だ。ところでお嬢、この後お昼だろ。どうせ食堂にいるジェームズ爺さんとダニエルに綺麗になった髪を見せつけてやりな!」
ローズの返事をしっかり聞いたアリアは、「はい、そうしますね」と表情を綻ばせて答えた後、スイに声を掛けた。
「スイ、一緒に食堂まで行きましょう」
「畏まりました、お嬢様」
スイの返事を聞いて椅子から立ち上がったアリアをローズが呼び止めた。
「お嬢さん、このメガネはどうするんだい?」
ローズは、カットを始める前にアリアから預かったメガネを両手で差し出して訊ねた。
差し出されるメガネを見つめてアリアが考える。
(もう三つ編みもないから“委員長キャラだぜ!”、とかも出来ないしな。それに目も悪くないし。どうするかな?そう言えば、午後の予定はなんだったかな)
アリアは、メガネをどうするか考えつつ、午後の予定をスイに訊ねた。
「スイ?わたくしの午後の予定って何かしら?」
スイは、一度軽く頭を下げると、予定を話していった。
「午後は、アン先生による語学の勉強になります」
「分かりました。スイ、ありがとう」
お礼を言ってアリアは再びメガネをどうするか考えていった。
(勉強か?昨日、字が全く読めなかったのは、格好が不味かったからかもしれない。出来る女性秘書風を装えば、翻訳能力が獲得できるかもしれないな。メガネを持ち上げる仕草に、腕に書類でも持てば、『獲得しました。文字翻訳の能力です』って魔王なスライムのアニメみたいに女性の声でアナウンスが入るかもしれないな。試してみる価値はあるな)
脳裏でそう考えたアリアは、ローズを見据えて声を掛けた。
「そうですね、やはりメガネをかけたいと思います。ローズ、ありがとう」
アリアはローズからメガネを受け取ると、早速かけてみた。
クイ、クイっとメガネを何度か上げた後、鏡でメガネをかけた姿を確認した。
(フフフ。何だか、急に頭が良くなってきた気がするぞ!)
うんうんと二度満足した様子で頷くと、自信たっぷりにスイに声を掛けた。
「それではスイ、食堂に向かいましょう!!」
「畏まりました、お嬢様」
スイを伴ってアリアは、意気揚々と廊下に出ていった。
スイもアリアの後に続いて廊下に出ようとした時、ローズから小さく声が掛かった。
「スイ姐さん、少し残ってくれないか。お嬢について聞きたいことがある」
スイは廊下を楽しそうに進んでいくアリアと美容室にいる神妙な面持ちのローズを交互に見た後、アリアに声を掛けた。
「お嬢様、少しお部屋の方で待っていてもらえませんか。ローズ様に今度はフウとセツの事を頼んできます」
「分かりました。終わりましたら、迎えに来てくださいね」
「ありがとうございます、アリアお嬢様。では、終わり次第お迎えに参りますね」
深々とスイは頭を下げると、アリアとは反対方向の美容室に戻っていった。
スイはローズが待つ美容室の中に入ると、1度廊下を確認してからドアを閉めた。
それから、ローズに顔を向けて訊ねた。
「お嬢様の変化の事ですか?」
スイが切り出した。
「ああ。どうしたんだ、あのお嬢は?最初にこの部屋に入ってきた時に、びっくりしたんだが、髪を編むとか伊達メガネをかけるとか、そんなお洒落をするような感じは、前まではなかったぞ。他にも随分と性格が明るくなってたしよ。あたいは、何かまたあんのかと不安になるんだが。どうなんだ!」
ローズがアリアの異常なほどの変わり様に驚いた様子で、スイに口早に訊ねた。
スイは、少し口を閉ざして自分の考えを纏めると、ローズに静かに語りかけていった。
「私も今のお嬢様の状態が全く分かりません。昨日の朝から、突然あのように変わられてしまわれたので。それに、性格以外にもたまに情緒が不安定になることもあるのです。突然パニックを起こされる所を何度か目撃しました」
スイが不安に表情を曇らせる。
「医者には診せたのか?」
「いいえ、まだです。明後日、主治医が来ることになっています」
「そうか。何もなければいいんだがな」
「全くその通りです」
スイとローズが無言でドアを見つめる。
スイはドアから視線を外すと、少し表情を明るくしてローズに口を開いた。
「でも、私は今のお嬢様が好きですよ。どこか悩みを抱えて塞ぎ込んだ様子のお嬢様ではなく、明るく楽しげに奔放に過ごされるお嬢様。お転婆が過ぎると少々困りますが、以前のように静かすぎるよりかは、全く好ましいですね。シオンとも話しましたが、折角開けたお嬢様の世界です。私達は、お嬢様がこれからもずっと屈託なく笑えるようにしていこうと、考えています」
「そうだな。体調面は見た感じ問題なさそうだもんな。あたいも出来るだけここに来るようにするか。お嬢に、色々と教え込まないとな」
「はい、お願いします」
「姐さんもそう言ってくれるなら、あたいも気張って教え込んでやるぜ。どこに出しても、羨まれるぐらいに育て上げてやるぞ」
今のアリアにとって有難迷惑な今後の美容の教育方針をあれこれとローズが熱を入れて考えていると、小さく肩を叩かれた。
「姐さん、どうかしましたか?」
そう言い振り返ると、真剣な表情のスイがいた。
「ローズ様、少し訂正したいところがございます」
「何か、意見がありましたか?」
「ええ、とっても重大な意見があります」
ローズは、スイの言葉に自分が何か気に障ることを言ってしまったかと、不安で緊張した表情でスイを見つめた。
スイはにこりと笑うと、自分を見据えるローズに静かな口調で語った。
「ローズ様、お嬢様はどこにも出しませんよ。相手に来て頂くのです。今の旦那様の様にね。そして、私達一同でお嬢様に相応しい方か、常に監視し判断させて頂きます。家柄、血統、地位、名誉全て関係ありません。私達がお嬢様をお預けできるに相応しい方と認めた後に、正式にお付き合いさせてあげましょう。まぁ最終的な判断は、現当主のお嬢様のお母様に委ねられますがね。ふふ」
スイは、怪しい笑みを浮かべて窓の外を眺める。ローズは、はははっと乾いた笑いを零し、心の中でアリアと付き合いたいと願う猛者に「がんばれ」とエールを送った。
しばらく外の景色を眺めた後、スイはローズに振り返り口を開いていった。
「ローズ様、本日他にご予定はありませんよね」
「ああ、今日はお嬢のために1日開けてあるからな」
「それでしたら、フウとセツの髪も整えてもらいたいのです。やはり、娘達全員が綺麗に整っている方が、母として嬉しいものがありますからね。それでは、お願い出来ますか、ローズ様?」
「娘達全員?まあ、何だかわからんが、任せな。時間が許す限り、何人でもカットしてやるよ」
「ふふ、ありがとうございます。では、昼食が済み次第、フウから連れて来ますね」
綺麗に髪が整った娘達3人の姿を脳裏に浮かべると、楽しみねと呟き、スイが笑顔でドアから出ていった。
ローズはスイを見送ると、ハサミや櫛の使用後の手入れを入念に行っていった。
櫛は梳かした髪や皮脂が残らないように、ハサミは髪に通すとスッと軽く切れ落ちるまで ピカピカに磨いていった。




