第39話:三つ編みといったらメガネですよね
食堂を出て廊下を歩くアリアは何の気なしに背後を振り向くと、スイが食堂に入っていく姿を目撃した。
妙に笑顔が綺麗だったことがアリアの印象に深く残った。しかし、接客業なら当然かと些末な事として流した。
アリアは、今そんなことよりもあることの心配で頭の中が一杯だった。
口に溜まる唾液を飲み込むと、緊張した面持ちで傍にいるシオンに訊ねた。
「シオン、この後の予定は何かしら?」
「はい。この後は、美容師にお嬢様の御髪を整えてもらうお時間ですね」
シオンの答えを聞き、心臓がドクンと一段高く鳴った。
(美容師さんか。怖い人なのか?男性?それとも女性?いやそれ以前に、昨日連絡を受けてきたんだから、俺が髪を雑に扱っていたと考えて来るはず。ということは、髪を切る前に、またこってり絞られる可能性が高いぞ。興味が湧いてドライヤーのことを聞いただけなのに)
そう内心で理不尽さを嘆きつつアリアは、不安に顔を染めてシオンに訊ねた。
「ねえ、シオン?わたくしは美容師さんに怒られる可能性はありますか?」
「そうですね。怒られることはないと思いますよ。彼女は優しいですからね」
シオンはそう答えて、不安そうに眉根を下げて見上げるアリアの頭を優しく撫でた。
そして、撫でながらアリアに聞こえないくらいの小声でシオンが呟く。
「まぁ、怒られるとしたら私ですかね。はは」
乾いた笑いを零し、彼女にねちねちと文句を言われる姿を脳裏に浮かべた。
部屋に着くと、シオンは美容師の準備が出来次第お呼びに参りますと言い残し、部屋から廊下に出ていった。
部屋に1人きりになるとアリアは、靴と靴下を脱いでベッドに飛び込んだ。
「つっかれたーーーー!!」
お嬢様から解放されたアリアは開放感からほっと息を吐くと、顔を布団に埋めて目を瞑った。
ベッドの上で幾らか寛ぐと、のそっと顔を上げて枕に視線を向けた。
「まだ、シオンは来ないよね」
ベッドの上を這って枕元まで行くと、頭を枕に預けて一眠りしようとした。
アリアが身体を横向きに変えた時、視界にふとサイドテーブルとその上にある手鏡が目に入った。
ゴロゴロとベッドの上を転がり端まで移動すると、端に腰をかけてサイドテーブルから手鏡を手に取った。
鏡の中に目がトロンとした眠そうな顔が映った。
「・・・・・疲れてるな」
思わず零す。
アリアは、少しでも寝ようと手鏡をテーブルの上に戻そうとした時、鏡に映る髪が気になった。
半分寝ている頭でボーっと鏡を眺めていく。そして、眠さで意識が半分働いていない状態のまま、髪を一房手に取った。
ぼんやりと毛先を眺める。
(枝毛はないか)
鈍い頭で、昔妹がリビングに忘れていった雑誌の記事をうっすらと思い出しながら、髪を確認していく。
(・・・・・)
更に手鏡も使い、髪を確認していく。
(ダメだ。全体が良く見えない)
アリアは手鏡をそっとテーブルの上に置くと、ベッドから降りて裸足のままフラフラと大きな姿見の前に移動した。
姿見に映る自身の姿を見た時、少し安心した。
髪の毛はどこも跳ねておらず、滑らかに身体に沿っていた。
ぼんやりしているアリアは、髪を手に取ると昔の記憶を思い出しながら髪型を弄っていった。
手でツインテールを作りそれを鏡で眺めてトロンとした目のまま、ニコリと微笑んだ。更に、他にも妹の髪を結んであげた時の記憶をゆっくりと思い出しながら、ぼんやり時間を忘れて弄っていった。
髪を弄っていたおかげで少しだけ眠気が冷めたアリアは、三つ編みに挑戦しだした。
他人にやるのと自分にやるのとでは少し感覚が異なり苦労しつつも、楽しそうに綻んだ表情を目の前の鏡に映しながら、三つ編みに髪を編んでいった。
しかし、この時アリアは気付いていなかった。シオンがアリアを呼びに廊下から呼び掛け、返事がなかったので静かにドアを開けて部屋の中を覗き込んでいたことを。
シオンは、そっと音を立てないようにドアを閉めて部屋に入った。そして、鏡に映る楽しそうなアリアの表情と三つ編みに髪を編んでいく姿を、微笑みながら静かに見守った。
苦労の末ようやく二房の三つ編みを結び終えたアリアは、鏡に自身の姿を映し三つ編みの具合を確かめた。三つ編みを正面に垂らして、思いのほか上手に編めたことに満足し、鏡の中でニコリと笑った。
「メガネがあれば完璧だな」
何が完璧なのか呟く自身も分からず、ぼんやりとした頭で姿見を見つめた。すると、横合いから「メガネでしたらこちらに」とシオンの声が掛かった。
眠気に半分やられているアリアは素直にそれを受け取った。
「あら、気が利くわね、シオン」
「喜んで頂き光栄でございます、お嬢様!」
受け取ったそれを嬉々とした表情でドキドキと胸を打ち鳴らしながら、顔にかけていった。
度の全く入っていない伊達メガネをかけたアリアは、姿見に自身を映した。
異様にぴったりハマるメガネと三つ編みとの組み合わせに、大きく頷いた。
「完璧ね。完全無欠のメガネっ娘の完成だわ。キャラクターアンケートがあったら、上位に食い込むなんて訳無いわね」
メガネを指で軽く押し上げたり、両手で上げたり、また顔の向きを変えたりして存分にメガネっ娘を楽しんだ。
自身のメガネっ娘姿を十分に堪能し終えたアリアは、そこでようやく疑問を抱いた。
(俺は、誰にメガネを貰ったんだ?)
そう疑問を抱いき、ゆっくりと顔を横に向けていった。すると、そこに温かな眼差しで微笑ましく自分を見つめるシオンを見つけた。
その瞬間、全ての眠気が吹っ飛んだ。
「シ、シオン!?」
「はい、お嬢様」
穏やかに微笑むシオンが優しく答えた。
「いい、い、何時から!?」
見ていたの、と訊こうとしたが舌が思うように回らない。
しかし、シオンはアリアの言葉の続きをすぐに推測すると、微笑みながら答えた。
「お嬢様が楽しそうに、三つ編みをお編みになっている所からですね」
ほぼ最初から見られていたことを知ると、恥ずかしさから顔を真っ赤に染めた。そして、シオンから逃げるようにベッドに走り、縁から布団の中に頭を埋めた。
「失態です!!わたくしは何をやっていたのですか!!!」
布団の中で胸の内の嘆きを全て吐露した。怨嗟に近い呻き声を零し、必死に頭を押さえた。
アリアの呻き声は布団一枚ごときでは消えず、部屋の中に響き渡った。
シオンは、うーうー唸るアリアにそっと微笑むと、隠れていない身体を優しく抱しめてゆっくりと自分の方に引っ張り出した。
薄暗い布団の中から引っ張り出されたアリアは、後ろを振り返った。そして、シオンに絶対に内緒にするように頼むよりも先に、シオンが楽しそうに微笑みながら口を開いた。
「お嬢様も女の子だったのですね。大変可愛らしくて良いと思いますよ」
それを聞いた途端、アリアの顔が更に赤く染まり恥かしさの許容量を超えていった。
薄っすらと瞳に涙を浮かべたアリアは、シオンを恨めしそうに睨むと尖らせた口から語気を強めて言葉を発した。
「シオン、絶対に今見た事は忘れなさい!それと、絶対にこのことは内緒にしなさい!いいわね、シオン!!」
忘れて欲しくはないのか、良く分からないことを話すアリアに苦笑しつつ、シオンが落ち着いた声音で答えた。
「畏まりました、お嬢様。このことはシオンの胸の内にずっと秘しておきますね」
忘れる気の全くないシオンは、アリアの気を逸らす意味合いで頭を優しく撫でた。
「まぁ、いいわ。ずっと仕舞っておきなさいよね」
後頭部に感じるシオンの柔らかみと気持ちのいい撫で加減に気を良くしたアリアは、シオンの目論見通りに簡単に許可を出していた。
「はい、お嬢様。シオン一人だけの胸に秘しておきます」
シオンはアリアの頭を撫でながらひっそりと笑った。
目論見通りの返事をもらいひっそり笑むシオンは、時間を忘れてアリアの一人髪を結ぶ愛おしい姿を脳内で何度も再生して記憶に強く焼き付けていた。
(うふふふ。ああ、お嬢様。かわわ、可愛すぎてもう、うううう。ふふふ)
不気味な笑いを心の中で浮かべるシオンの視界に不意に時計が映った。
時計の針が、いつの間にか10時30分を大幅に過ぎた11時手前の時刻を示していた。
(!?)
シオンの顔から血の気が一気に引いていった。
「まずいですよ。30分にはお嬢様を連れて行く予定が!!あああああ!!」
叫び声を上げ狼狽するシオンがアリアに呼びかける。
「お嬢様!!」
しかし、呼びかけに応じる答えはアリアからは帰ってこなかった。代わりに帰ってきたのは、一定のリズムで零れるアリアの可愛らしい寝息であった。
シオンに柔らかく撫でられる感触と特上の天然物のクッションに身体を抱かれるアリアは、それらの気持ち良さのおかげで再び襲い来る眠気に抗えず眠ってしまっていた。
強い焦りを抱くシオンはアリアの身体を何度も揺すった。
「お嬢様、起きて下さい!遅刻ですよ!約束の時間に大幅に遅れています!」
シオンの切羽詰まった掛け声と段々と大きくなる揺れに、アリアがようやく目を覚ました。
「?」
キョロキョロと辺りを見回した後に、後ろにシオンがいるのかと緩慢な動きで振り返った。
「あ!おはようございます、シオン!」
ふにゃっとした寝起き顔で、可憐に微笑んでシオンに挨拶をした。
「はい、おはようございます、お嬢様!さぁ、行きますよ!しっかり掴まっててくださいね!」
返事もそこそこにアリアを両手で抱え上げると、シオンは一足飛びでアリアの部屋から飛び出し、お屋敷の中にある美容室に向かった。
アリアはシオンに言われるがまま身体に掴まり、寝起きの薄ぼんやりする頭で後ろに流れゆく景色を眺めながら、今何処に向かっているのかをゆっくりと考えていた。
(う~ん?俺は何処に行こうとしているんだ?)
いつの間にかお姫様抱っこされていることも不思議に思いながら、まぁシオンに任せておけばいいかと全ての思考を放棄し、アリアはシオンの鬼気迫る表情をぼんやりと眺めていった。
そのままシオンにお姫様抱っこされること数分、アリアは部屋から随分離れたドアの前にシオンに抱えられたまま立っていた。
眠気もほぼ覚めたアリアは、内心で驚愕してドアを見つめた。
(改めて痛感したけど、アリアって腐ってもお嬢様なんだな。屋敷デカすぎでしょ!)
体感時間で3分くらいは、疾走するシオンに抱えられて移動したと感じた。
(カップラーメン1個出来そうな距離ってなんなの!俺のおんぼろアパートなんて、玄関あけたらすぐ奥の窓が見えるぞ)
アリアが改めて現実のお嬢様に驚愕していると、シオンが目の前のドアを緊張した面持ちでノックした。
「シオンです」
すると、すぐに部屋の中から女性の声が返ってきた。
「はいよ。入ってくれ」
「失礼します」
ドアノブを捻りドアを開けると、アリアとシオンはゆっくりと部屋の中に入っていった。




